061
愛馬に跨り駆け出したマーシャルとアレクサンドラ。その二人が、ウィルを乗せて帰って来たガイと出会わなかったのは、正反対の方向から出入りした所為だった。
落ち着きを取り戻したウィルが、午後から荷物を持ってくる商人がいることを思い出し、慌てて帰って来たのだ。
「ん? 居るのはハワードだけか」
「……他の人、居ないね」
「ああ、居ない」
安堵した顔を見せるウィルに、ガイは手を差し出し、ウィルを馬から降ろしてやる。
古民家からの帰り道―――――。
「まだ、居るのかな」
「ん? 誰のことだ?」
「エドワード王……じゃなくて、エドワード様」
目の前にあるフードに、ガイは視線を向けた。
「エドワード様に会うのが、怖いんだ。エドワード様や……エドワード様のお父さんが、悪い訳じゃないことは理解してる。……メリッサさんのこと知らなかっただけ。でも、エドワード様を見たら、ノームの感情に流されてしまうかもしれない。それを考えたら……会うのが怖い」
「……そうだな。俺も、今はまだ顔を合わせられそうにない。上手く呑み込めていないからな」
塀沿いの道は人通りが少なく、ガイも愛馬を駆けさせている。その愛馬の駆ける速度を落とすと、ウィルはガイへ振り向いた。
「ガイも一緒?」
「そうだな。十九年前に起きた事件は、俺も知っていた。だから、王都騎士団の騎士が何人も惨殺されたと聞いて、俺は犯人に腹を立てた。メリッサ嬢のことも、不義の子が逆恨みで酷い事件を起こした程度にしか思っていなかった」
恐らく、真実を知る者は、殆ど居ないのではないだろうか。もしくは、真実を知っていても口を堅く閉ざしているのだろう。
「以前、総長が王都の闇は深いと語っていた」
「王都の闇? そういえば、エドワード様も同じような言葉を言ってたよね」
「ああ。俺のような性格だと、貴族社会は生き難い世界だと言われた」
「……」
ウィルは、その言葉に答えなかった。ガイもそれ以上語ることなく、馬の脚を進め家へと帰り着いたのだ。
そうして、冒頭に戻る。今、庭にはガイとハワードの馬が二頭、並んで水飲み場に佇んでいる。その脇には、飼い葉桶も置かれていた。
「ウィル、お前はテントを出して休んでいろ。ノームに魔力を分け与えたのならば、疲れているだろう。応接室は、俺が片付けておく」
家に入るなり、ガイが提案したが、ウィルは頭を横に振った。
「それを言うなら、ガイも疲れたでしょ? 僕がノームの感情に引き摺られた所為で、長い時間『光護壁』を張り続けていたんだから」
「気付いていたのか?」
「うん。ガイが能力を解放してたから気付けた。ごめん」
「いや。謝らなくていい。俺も記憶を見せられていたら、きっと同じ状態になっていただろう。そういう意味では、俺もまた未熟だ」
二人が応接室へ入るとハワードの制服が置かれている。綺麗に片付けられた応接室から、キッチンへ向かうとハワードがダイニングテーブルの椅子に腰かけているのが二人の目に入った。
「入れ違いになったのか? 先程まで、マーシャルと総長も居たんだが、出掛けたぞ」
「ああ、どうやらそのようだ」
「ハワード……」
「よく、堪えたな」
「あ……」
ハワードは立ち上がるとウィルに近寄り、その頭をポンと叩いた。
「ガイから聞いている。全てを抑え込むために一人で部屋に籠ろうとしたんだろう? だがな、時と場合を考えろ。俺達がそばにいる時は、頼っていいんだ。自分が壊れるまで、我慢する必要はない」
腰を屈め、ウィルの目線に高さを合わせるハワードにウィルは小さく頷く。それを見届けるとハワードは再び椅子へ戻り腰掛けた。
「マーシャルと総長には、伝えておいたぞ」
「ああ、助かる」
「商人なら俺の方で対応するから、二人とも休め。ウィルのテントを出せば、ここでも充分休めるだろう」
ガイも休みたいと言い出せば、ウィルも断る訳にいかない。テントを邪魔にならない場所に設置すると、早速ハワードに押し込まれた。
「僕、そんなに疲れてないのに」
「……なら、少し話さないか? 二人きりの方が都合もいい」
「うん。構わないけど」
真面目な顔で問い掛けられ、ウィルはソファーセットへ向かった。その後姿を見るガイの目に剣呑な光が宿り――――。
ガキィン
「……話、するんじゃなかったの?」
「やはり、片腕だけで受け止めるのだな」
ウィルの手には龍刃連接剣が具現し、ガイのロングソードと刃を切り結んでいた。ガイは、確認を終えるとロングソードを鞘に戻す。それを見てウィルも龍刃連接剣を光の粒子に変えた。
「いきなり斬りかかって悪かった」
「意味が分からないよ。なんで、剣なんか……」
「サットドールが現れた時、ウィルは俺の剣を受け止めた」
問い掛けられ、ウィルは改めて思い出す。サットドールの声を聴くことに集中していたため、ボンヤリとした記憶だが、確かにガイが攻撃を仕掛けているのを止めたような気がする。
「それが、どうしたっていうの?」
「まだ、分からないか?」
真剣な眼差しを向けていたガイが、己の手を見る。
「お前は、ハロルドでさえ両手でなければ受けきれない俺の剣を、片手で視界に入れることもなく止めた。それも二度も、だ」
「っ!」
ガイの言いたいことを理解出来たのか、ウィルの身体がビクリと揺れる。
「カーラ嬢のロングソードも偶然折れた訳じゃない。叩き折った……が、正解だったのだな?」
「そ、そんなの偶然だよ。僕に、そんな力があるはずないよ」
「それほど信用できないか? 俺達を大事な友達と呼んでも、まだ話せないことなのか?」
「本当に大事だと思ってるよ! だけど、だけど……」
叫ぶようにガイに言い放つが、後が続かない。拒絶されることが怖い。
「怖い」
「何故、それほど怖い?」
ガイが膝を折り、俯くウィルと視線を合わせると、ウィルには逃げ場がなくなってしまう。
「(僕にだって理解できていないのに、そんなの話せるわけがない! 身体は人族としての枠組みをとうに超えてしまってるんだよ? それを、どう説明すればいいの?)」
「怖いよ。ガイやマーシャル、ハワードに嫌われたくない。気持ち悪いって言われたくない。化け物って言われたくないって――――」
「この間も同じことを言ったはずだ。ウィルは、化け物じゃない。たとえウィルが何者であったとしても、俺達は受け入れる」
「っ……。ごめん。必ず話すから、もう少しだけ待って。メリッサさんとの戦いが終わるまででいいから」
そう告げるとウィルは寝室へ駆け込んだ。その姿を見送り、ガイは己の拳を床に叩きつけた。
「クソッ。何故、言わない。何故、問わない。答えはもう見えているというのに!」
「テーブルに八つ当たりしても仕方がないだろう? それだけウィルが『人と違う』ということに、恐れを抱いている証拠だ。ガイにも心当たりがあるだろうが」
問い掛けられ、ガイが顔を上げるテントの入口に呆れ顔のハワードが目に映る。
「今のウィルは、俺の弟や幼い頃のガイに似ているな。魔力の使い方も不安定で、人を疑うことを知らなくて、愚かなほど単純で純粋だ」
その言葉にガイは、ハッと息を飲んだ。
「それよりも、商人たちが来る前に眼を戻しておけよ」
「っ……。……分かった」
ハワードは短く嘆息するとテントから出て行く。それを見送り、ガイはソファーへ腰掛けた。クシャリと顔を歪ませ、自分の目に手を翳す。
「……俺の眼を見ても怯えひとつ見せなかった。それが、どれほど嬉しかったか、お前は想像すらしていないのだろうな」
哀愁を漂わせるガイの言葉は、誰の耳にも届くこともなかった。
ノーザイト砦の警備隊本部は、冒険者ギルドオズワルド支部と商店区のちょうど中間の位置に建つ。商店区は大門前広場があり、普段ならノーザイト要塞砦の中で一番活気に溢れている。人が集まる場所には問題が起こり易いということもあるが、本部がその位置に建つ一番の理由は大門に検問所を設けている為だ。
「失礼しますよ」
「よお。モランじゃねえか、どうした?」
「ああ、ベントン訓練官。貴方が残っていらっしゃったのですか」
本部の中は隊員が出払っている所為で、静まり返っていた。ベントンと呼ばれた年配の男性が、人の気配に気付いて顔を出したらしい。
「大門が閉じちまったせいで、住民達も不安がっている。早く、どうにかしろ」
「その件に関しては、今日中に決着がつくでしょうから、安心してください。犯人にも目星がつきましたしね」
「そうか。そりゃあ、何より。隊長殿を探してるなら、出払ってるからいねえぞ」
最初からマーシャルの目的に、気付いていたのだろう。ベントンは胸ポケットから葉巻を取り出し、外へと目を向けた。
「冒険者ギルドで暴れてる奴がいるらしい。まあ、外に出れなくて稼業にならねぇんじゃ、仕方ねえ話だろ。昨夜は、ギルドマスターが配慮して、宿泊施設を無料にしたらしいが、そう何日も出来ることじゃねえ」
「確かに、そうですね」
思わぬ弊害にマーシャルも頷く。何しろ、冒険者は依頼が果たせなければ収入がないのだ。
「私も冒険者ギルドへ――」
「止めとけ。お前まで向かったら、収拾が付かなくなっちまうだろうが」
「ですが……」
「そんな暇あるんだったら、テメエは特務に残っている馬鹿どもをどうにかしろっ!」
「!」
ベントンに怒鳴りつけられ、マーシャルは息を飲む。
「儂の情報網を甘く見るなよ、小童。随分と騎士団が荒れてるようじゃねえか」
「カバネル師団長……」
「おいおい」
「……私にとって、第一師団長は今もベントン殿です」
生死を彷徨い、一命を取り留めるも片足を失い、前線から退いたベントン・カバネル。今は爵位も息子に譲り、警備隊で新人の指導を行っている。ノーザイト要塞砦騎士団でマーシャルの指南をしていた人物でもあった。
そんなマーシャルを見て、ベントンは薄くなってきた後頭部をガシガシと搔いて、椅子に腰かけた。
「大体、今更馬鹿どもが騒ぎ出すたぁ、どういう了見だ?」
「……まあ、閑職に追いやられたような状況に近いですからね。不満が溜まっているのだろうとも推測できるのですが」
「ハッ。そんなもん馬鹿どもの自業自得だろうよ。奴等はSランクの魔物たちの強さに耐え切れず、戦っている総長や師団長を置いて逃げたしたんだ。お前達が企みに気付くのが一日でも遅ければ、街は崩壊してたっていうのに、よくもまあ、残れたもんだ」
「それは……」
マーシャルは、憤るベントンに言葉を発せられなかった。当時の師団長で出歩けるのは、片足を失ったベントンのみ。他の師団長は、今もまだベッドから出ることが出来ない。意識が戻らない師団長もいる。ベントンの憤る気持ちも理解していた。
「何が総長と共に戦った英雄だ! 馬鹿も休み休み言え!」
「ベントン先生、外にまで聞こえちゃってますよー」
「まあ、毎度のことだから平気だろ。それに、街の人達だって知ってることだし」
「バカッ。モラン師団長がいらっしゃるのに、そんな言葉遣いしてどうするんだよ!」
入口が一気に騒がしくなり、マーシャルがそちらへ目を向けると新人隊員の姿があった。慌てて姿勢を正す新人隊員にマーシャルはクスリと笑みを零す。
「任務で訪ねてきた訳ではありませんから、気にすることはありませんよ」
「で、ですが!」
「小童が良いと言ってんだ。ちったあ、融通を効かせろ!」
「ハイッ!」
ベントンが一喝すれば、新人たちが一斉に返事をする。満足気に頷くベントンにマーシャルは、益々顔を緩ませた。
「え? 隊長ですか?」
「用事があるって、冒険者ギルドで別れましたけど?」
「花屋で花束を作ってもらってましたよ。たぶん、お墓参りじゃないですか?」
「女性に贈る為なんじゃないの?」
「そんな感じじゃなかったと思う。なんだか、凄く辛そうな顔をされてたから、墓参りだと思う。白い花束だったし」
どうやら冒険者ギルドへ向かったのはエドワード警備隊隊長と新人隊員、一部の古参の隊員だったらしくマーシャルの問い掛けに場が騒がしくなる。
「お前ら、モラン師団長が困っていらっしゃるだろう」
「あ、すみません」
「構いませんよ。……お陰で行き先が分かりました。ありがとうございます」
「そんな、御礼なんていいっすよ。いてっ」
「モラン師団長に、なんて言葉遣いをしてるんだ!」
古参の隊員から拳骨を喰らった青年が頭を抱えて屈み込むと、周りからドッと笑い声が上がった。マーシャルは、隊員に気にしなくていいと伝えて、警備隊本部を後にした。
そのまま大門前広場を抜け、入口に立つ騎士へ声を掛けると、やはりエドワード警備隊隊長は街道へ出ていると聞かされ、マーシャルは溜息を漏らす。
「気持ちは分からなくもありませんが、勝手な行動は慎んでもらいたいものですねえ」
ぽつりと呟き、愛馬の手綱を引いてマーシャルも街道へと駆け出して行った。




