060
同時刻。ウィルとガイが去った家ではマーシャルが応接室の片付けを始め、ウィルの心配をするエドワード警備隊隊長がアレクサンドラに見送られ、渋々警備隊本部へと向かったところであった。
「さて、どうしたものでしょうねえ」
「何の話だ?」
「総長は執務に向かわなくて、よろしいのですか?」
テーブルに並べられた四人分のティーカップ。それをキッチンワゴンへ乗せながら呟く。その先に座るのは、いわずと知れたアレクサンドラだ。今は、マーシャルが淹れた紅茶を堪能している。
「執務はしているだろう。私はウィルを待っているのだ」
「そのような執務、聞いたこともありませんが?」
「なんだ? マーシャルは残るのだろう?」
「私は、元々休みを頂いています。今日は私が呼んだ商人が来るので、ウィル一人では困るでしょうから」
ニッコリと微笑み、テーブルの片付けを続ける。
「なるほど。ウィルの家にしては広いと思ったが、ここはマーシャルの別宅か」
「それが、何か?」
「私も――」
「空き部屋はありませんよ。何が悲しくて休みまで上司と居なければならないのですか」
皆まで言わせず、マーシャルは手を止めた。アレクサンドラはニタリとした笑みを浮かべ、マーシャルを見た。
「元婚約者としては、悲しい話だな」
「おや。何年前のお話でしょうねえ?」
ティーカップを取る手を止め、遠い目をするマーシャルに短く十年前だとアレクサンドラは言った。蛇足かもしれないが、婚約はマーシャルが持ちかけた話ではなく、オズワルド公爵が提案したのだ。その方がオズワルド公爵領の貴族から反感を受けずに馴染めるだろうと。エドワード王太子にも誤解され続け、面倒なことになったのは言うまでもない。
「そのお蔭で、どれだけ苦労したと思っていらっしゃるのか……」
「確かに、面倒だったな。だが、父上はまだ諦めておられぬぞ」
「面倒ですねえ。私は亜人になったと伝えておいてください。私は誰とも婚姻するつもりはありません」
うんざりとした様子で吐き出すマーシャルにアレクサンドラは笑いを零す。名ばかりの婚約者。貴族には良くある話だが、まさか部下と上司になるとは互いに考えてもいなかった。
「まあ、帰られないのであれば、質問をさせていただきましょうか」
「私で答えられる範疇でなら答えてやろう、マーシャル。いや、今はスキルズテーマーか」
対面に腰掛けたマーシャルにアレクサンドラは不敵に笑う。
「ハワードと私に執務室で話した内容の中に、虚偽がありましたね?」
「私は、残された書類に記載された通りの話をしたが」
「では、真実は違うと認めるのですね?」
マーシャルに鋭い眼差しを向けられても、未だアレクサンドラには余裕があった。
「フン。認めるも何も、当事者は皆死んでいる。この間も、そう答えただろう」
「メリッサ嬢は、生きています」
三人で話した内容に疑問を感じたマーシャルが、過去の書類を調べてみるとある疑惑が浮かんだ。実際に、側妃シャーロットが不義密通の罪で投獄された記録には、投獄中に側妃シャーロットがメリッサ嬢を出産しているとあり、その後、五年もの年月を掛けて調停も開かれていた。
そう。開かれていたのだが、最後の記録は全て抹消されている。その調停の日が、側妃シャーロットの命日であった。死因は病死となされている。
「その数日後、前国王ベネディクト様は急逝。国王の座は、王弟オーガスト殿下に譲られた。前王妃ジョセフィーヌは、まだ若く御子がいらっしゃらなかったため、喪が明けた一年後に侯爵家へ降嫁なされたと書類に記載されています。その侯爵家は、王族とは血の繋がりは無いものの前王妃の降嫁先ということで陞爵になり公爵家とされたようですね」
「ああ、私も同じように聞かされている」
史実上、異例な前王妃の降嫁は、王都の貴族達にも物議を醸すこととなった。前国王を亡くした前王妃を支えた侯爵。そこから生まれた恋として美談ともされたが、マーシャルは父親が前王妃は前王の死を軽視していると、憤慨していたことを記憶している。
「もし、真実が歪められたものであったとしたならば……。側妃シャーロットは最終手段として、審判魔法を使ったのではありませんか?」
「悪名に落とされたまま死ぬくらいなら審判魔法を使い身の潔白を晴らし、潔く亡くなる道を選んだと言いたいのか?」
「そうでなければ、都合が良すぎませんか?」
オズワルド公爵家の直系に生まれる女性は、まさに女傑と呼ばれるに相応しい者が多い。実際、シャーロットも直系で、一時期はノーザイト要塞砦騎士団総長も務めている。そんな人物が、容易く病死などするだろうか。
「実際、不義密通の証拠は見つかっていません」
「前王妃ジョセフィーヌの証言と前王妃付きの女官の証言。不審者を見たという門番の証言。そして、決め手は、側妃付きの女官と女官長の証言か」
思い出すように連ねるアレクサンドラの言葉に、マーシャルはコクリと頷いた。
「その通りです。刑を下すにも証言のみで、物証は全く無い状況。それで、死罪を求刑するとは悪意があり過ぎると思うのですがね」
マーシャルは、使っていたスキルを全て閉じ眼鏡を外すと目頭を揉み解し、改めてアレクサンドラを見る。
「メリッサ嬢が事件を起こしたのは、今から十九年前。十歳の時です。王太子も八歳ですから、エドワード王太子も充分知っているはずです。アレクサンドラ、貴女も知っているのでしょう?」
メリッサ嬢の名前は、生まれた時から事件を起こすまで、一度も記録に上がって来ない。事件が起こり、初めて名を知った者が多く存在していた。マーシャルもその一人だ。
「……私なら、潔く亡くなる道など選ばぬ。まして子を成し、母となった者が取っていい行動ではないわ! 残された子の事など考えられぬ者など、私は愚か者としか呼べぬ!」
ギシリと奥歯を鳴らし拳を握り締めるアレクサンドラの姿に、マーシャルは短く息を飲む。
「伯母上が無理やり側妃に上がり、ベネディクト陛下に疎まれ、不義密通の罪を犯す。全て書面上のもので、そこに真実はひとつもない。……事実は、視察に来たベネディクト陛下が伯母上と恋仲となり、祖父の反対を押し切って側妃として伯母上を連れ帰ったのだ。その為、伯母上は養子縁組をすることとなった」
全てを話す気になったのか、スラスラと語られる内容にマーシャルは口を閉ざし、聞き役に徹していた。
「その当時のことをセドリック兄上が、覚えておられたのだよ」
嫡男であるセドリックは、当時四歳。次男ハーバードを産んだリリアナの体調が戻らず療養を余儀なくされていた頃、セドリックはシャーロットが面倒を見ることが多かった。当時、シャーロットは十八歳ということもあり、年の離れた姉弟のように過ごしていたらしい。
「だからこそ、伯母上が亡くなられた後、セドリック兄上は伯母上の忘れ形見であるメリッサを探すため、父上の反対を押し切り王都魔術学院へ入学なさった。しかし、メリッサは見つからなかった。王宮にも何度も足を運んだが、その度にそんな子供は存在しないと追い返されて、随分と歯痒い思いをなさったらしい。王城にいると分かっておるのに手が出せぬ。兄上は帰省する度に父上へ嘆願なさったが、聞いてはくださらなかった。そんな時、あの事件が起きた。父上が連れ帰ったメリッサは、私より年上だというに小さくてな⋯⋯ボロボロであったよ。体中に傷があり、頬は痩け、痩せぎすでな。哀れな姿であったわ」
苦虫を噛み潰したような顔で、アレクサンドラは大きく息を吐く。当時のことを思い出しているのだろう。そのアレクサンドラの言葉で、マーシャルは昨日の昼間、ウィルに問いかけられた内容を思い出していた。
『ねえ、側妃様が投獄されたって言ったよね? その時、メリッサさんって何歳だったの? きっと、まだ小さい幼児だよね? 誰がメリッサさんの面倒見てたの? メリッサさんは、不義の子って言われて蔑まされてたんだよね? バークレーさんは、近衛騎士だったのにメリッサさん見たことないって、普通じゃないよね? お父さんもお母さんもいない状態で、不義の子って虐げられてたかもしれないんだよね? どうして気付かないの? それとも、王都では当たり前だっていうの? ほんと、ありえないんだけど』
事件の痛ましさに気を取られ、どうしてそのような悲劇が起こったのかを誰も調べようともしなかった。勿論、アレクサンドラもマーシャルも当時は未だ子供で、酷いことが王城で起きた程度の認識だ。マーシャルがエドワード王太子の遊び相手として城に上がるようになったのは、八歳の頃。メリッサ嬢は既にオズワルド公爵領へ戻された後だった。
「私達は事件ばかりに目を向けて、メリッサ嬢がどのような扱いを受けていたかも知らなかったのですね」
「胸糞悪い。汚いもの、都合の悪いものに目を向けたがらぬ王都の貴族らしい遣り方よな」
「そうなると、メリッサ嬢が不義の子というのも疑わしくなりますね」
「今更、前国王の件を蒸し返したところで仕方があるまい」
「同意見です。但し、ガイが動けば話が変わってきますがね」
「……ガイか。まあ、アレは融通が利かないからな。しかし、今回の騒動でラクロワ伯爵家が動くと?」
器用に片眉を上げ、アレクサンドラはマーシャルを見据える。ガイ単独であるなら見過ごせるが、伯爵家が動くとなれば見過ごせない。
「否、ガイは動くつもりはないだろう。ウィルも落ち着きを取り戻した。まあ、全てを聞かされたガイは、時間が必要だろうが、な。まあ、そっちの方は安心していいと思うぞ。恐らく、ラクロワ伯爵は真実を知った上で、放置していたんだろうからな」
応接室の扉が開き、ハワードが話しながら部屋へ入ってくる。
「ハワード。何時から聞いていたのですか? それに貴方は勤務中でしょう?」
「ああ、大精霊が現れて精霊たちが騒ぎ出してな。執務どころではなくなって、慌てて執務室から飛び出した。話は、総長が真実を語り出したとこからだ」
ハワードは、事のあらましをマーシャルとアレクサンドラに伝えると、ソファに腰かけて制服の上着を脱いだ。
「帰るつもりはないのですか?」
「こうも騒がしくては、執務にならんからな。総長の姿を特務師団のお歴々が探していたが、ここに避難していたのか。詰所内で見つからなくて当たり前だな」
「ほう? 私を探しているのか」
「どうやら、本格的に俺達三人を追い出す算段を考え始めたようです。恐らくハロルドの話を聞いたんでしょう」
ひと息ついたと言わんばかりにフゥと大きく息を吐き出したハワードに「冷えてますが」とマーシャルが紅茶を差し出すと、紅茶を受け取ったハワードは、勢いよく飲み始めた。
「ハワード。私には、大精霊と精霊の違いが分からないのですが?」
「そうだな。この世界アルトディニアには、沢山の精霊が存在する。その沢山の精霊の中でも、極めて数が少なく強い能力を持つ精霊だ。全てを統べる精霊は、精霊王と呼ばれる。まあ、精霊王は存在するのか知らないが」
「しかし、大精霊が現れたとは、どういうことなのです?」
その類の情報はマーシャルでも持ち合わせていない。ハワードが落ち着いている様子を見る限り、害はないのだろうが、得体の知れない存在が現れたと聞いて、マーシャルは眉根を寄せた。
「まずは、メリッサ嬢が隷属させている大地の精霊ノーム。そして、ウィルが友達と呼んでいる火の精霊と水の精霊だ。どの大精霊も具現した所為で、この界隈の精霊たちは大騒ぎだ」
「具現……? では、あのサットドールはノーム自身だったということですか?」
ウィルが手を出すなと言い、ガイの刃を止めて相対していたサットドールを思い出し、マーシャルが目を見開く。
「どういうことか分からないが、マーシャルの予想は外れていないと思うぞ」
「ウィルの友である大精霊は強いのか?」
「大精霊を純粋な力と考えれば、オズワルド公爵領を一瞬で消滅させられる程の力を持っています」
絶句するアレクサンドラとマーシャルに対し、何でもないことのように話す。
「まあ、精霊が単体で力を行使することはないから安心していいですよ。まして大精霊ともなれば、尚の事です」
「そうなのですか。ならば良いのですが――」
「但し、大精霊が認めている相手が傷付けられた場合は、想像がつかない。消し飛ぶ可能性も視野に入れておかな――」
「ッ! ゴホッ」
補足された言葉に、マーシャルは口に含んでいた紅茶が気管に入り、咳き込むことになった。アレクサンドラも憐れみの視線をマーシャルに向けている。
「大丈夫か?」
「……ゴホッ。……今の話は、不意打ちですか?」
「そんなつもりで話した訳じゃない」
ようやっと話せる状態まで回復したマーシャルにハワードが問い掛けると怨めしそうな眼を向けられ、ハワードは肩を竦めて見せた。
「相当数の精霊に、ウィルの感情が流れ込んでいる。予想が立てられないと言いたかっただけだ」
「そのようなことが、可能なのですか?」
「可能だから、こんな状況になったんだろう? 伝達したのは、大精霊だ。そして大精霊は、火の精霊と水の精霊。火と水の相性は最悪だが、火の精霊たちは土の精霊たちに。水の精霊は、森の精霊たちに。森の精霊は、風の精霊へ……という感じで伝わり、広がって行ってるようだ。風の精霊は噂好きでな。風の精霊に伝わると、伝達速度は格段に上がる。まして、同胞が係わる大事件で、痛ましい話なら、伝わるのは倍速になる。俺が感じた精霊たちの感情は怒りだ。その怒りの矛先が何処に向かっているか知りたいか?」
「ウィルが真実を知ったとすれば、王都……いえ、アッカーソン公爵領でしょうか?」
アッカーソン公爵領と答えたマーシャルも確証があった訳ではない。ただ、己が見つけ出した真実と可能性、そしてウィルが気づかせてくれた事実を合わせれば、怒りの矛先は前王妃と降嫁した先であるアッカーソン公爵家に向かうだろうと推測しただけだ。そう話すとハワードは驚いたように目を見開いた。
「まさか、昨夜の内に調べたのか?」
「ええ。全てを解き明かした訳ではありませんでしたが、残りはアレクサンドラ様に先程教えて頂きましたからね」
「ガイは、錯乱状態になったウィルから聞かされたらしい。俺はドライアドから聞かされたが、かなり驚愕的な内容だったな」
ハワードがチラリとアレクサンドラへ視線を向ければ、アレクサンドラに頷かれる。
「ウィルが語った内容が、真の事実であろうな。私も知りたい内容だ」
普段の笑みは、なりを潜め、ある一点を見据えるアレクサンドラに疑問を感じつつ、ハワードはマーシャルへ目を戻す。
「マーシャル。今度は、ウィルがエドワード王太子と接触禁止だそうだ」
ハワードが、ガイから伝言を頼まれた内容。それは、エドワード王太子と会わせれば、ウィルがどういう状態になるか予想がつかない。だから、ウィルが落ち着くまでは会わせない方がいいと。マーシャルも同じ見解らしく、ハワードの言葉に頷いた。
「その方がいいでしょうね。しかし、錯乱状態に驚愕的な内容ですか……。その分だと、ガイもエドワード王太子と会わせない方がいいかもしれません」
「だろうな。ガイもウィルも性質的に似ている」
「すみませんが、午後から商人が家具を届けにきますので、家のことを任せます。ハワードの向かいはオーウェンの部屋になります」
紅茶に口をつけていたハワードが片手を上げると、マーシャルはソファから立ち上がり応接室を出る。向かう先はエドワードの元だった。
「フム。ならば、私も一度詰所へ帰るか」
アレクサンドラも立ち上がり、ハワードへ視線を向ける。
「ウィルは、一体、何者なのだろうか」
「俺は答えませんよ。マーシャルやガイも、その答えは持っていない」
「……そうか」
アレクサンドラを見ることもなく答えるハワードに、アレクサンドラは嘆息して歩き出す。扉の閉まる音を聞いて、ハワードはポツリと言葉を漏らした。
「何者か。それを知りたいと一番考えているのは……」
片付けの途中と見受けられる紅茶セットの乗ったキッチンワゴンへ目を向け、ハワードは立ち上がった。




