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「お願いだから⋯⋯一人にしてよ。誰にも八つ当たりしたくないんだ」

「そんな状態のお前を、俺が一人にしておけると思うのか?」

「何もしないし、何処にも行かない。だから――」

「それで、一人で泣くのか?」

「っ!」


 隣に座るガイに手首を掴まれ、その腕の中にウィルは閉じ込められる。そうして、掛けられた言葉に身体を震わせた。


「いったい、何を聴いた? 他言しないと誓う。話せ」

「…………」

「頼む、ウィル。一人で抱え込むな」


 懇願するようにガイが囁けば、ウィルは小さな声で語り始めた。


「……ノームが助けて欲しかったのはメリッサさんで、メリッサさんが助けて欲しいのはノームなんだ」

「互いを助けて欲しいと?」

「寂しくて、悲しくて、全てに絶望してしまったメリッサさんを、壊れてしまったメリッサさんを、魔人に堕ち掛けてるメリッサさんを⋯⋯ずっと、ノームが支えていたんだ。強制されて隷属したんじゃない。ノーム自ら、隷属する形でメリッサさんを……支え続けていたんだ」


 ポタリ、ポタリと透明な雫がガイのズボンに落ち、染みを広げていく。


「だけど、大精霊のノームにも限界があって。これ以上メリッサさんの心を支えきれなくて……。街道で、メリッサさんが襲われて……逃げるために能力を使ったノームも、メリッサさんも、もうサットドールに攻撃をさせられるほど魔力が残されていなかったんだよ」

「ならば、何故……」

「メリッサさんも……ノームも、僕に伝えたいことがあったから、だから僕が気付けるように、僕の前に姿を現した。ガイの考えは正解だったんだよ。ノームとメリッサさんは、僕を守るために傭兵を攻撃したんだ」


 ノームの願いとメリッサの願い。


『私が魔人化してしまう前に、私を殺して、ノームが堕ちる前にノームを助けて』

『アタシハ 消エテ構マワナイ メリッサヲ助ケテ』


 こんな悲しい依頼があるだろうか。メリッサとノームは、サットドールを通して、同時に直接依頼してきたのだ。恐らく、幼少期から徐々に始まっていた魔人化。それを一身で押し留めていた大精霊ノーム。

 大精霊の精霊力が弱まる程に魔人化は進行し、メリッサの意思と関係なく暴れようとする。それをメリッサ自身とノームで、ひたすら耐え続けていたのだ。


「……メリッサさんは、悪くないのに。悪いのは、彼奴等の方じゃないか! 王宮の人って、そんなに偉いの? メリッサさんは王女なんだよ? なのに、疑惑がある子だからって、粗末に扱っていいの!? 無視していいの? 阻害していいの? 蔑んでいいの? 暴力振るっていいの? 違うでしょ!? なんで、なんで、そんな小さな女の子に酷いことが出来るんだよっ! 愛し子様に何でこんな酷いことが出来るんだよっ!?」

「ウィル!」


 ノームに見せられた最初の記憶。それは、ノームがメリッサを見つけた当時の記憶だった。王宮の片隅で小さく丸まる幼い女の子。ボロボロで煤けた衣服を纏い、ガリガリに痩せこけている。部屋も無く、城の中庭らしい場所にある作業小屋のような建物に居るしかない。それでも、人が来れば蹴飛ばされ、転がすようにして追い立てられて。


 罪人の子、不義の子と蔑まれ、それでも城から出ることを許されなかったメリッサ。


 誰もメリッサのことを見ようとしなかったから、ベネディクトとシャーロットから受け継いだ魔力の強さに、気づいていなかった。そうして、城を王族を護る大精霊ノームだけが、メリッサの存在に気づいた。


 始まりはボロボロになっていくメリッサの姿を見て、憐れんだから。最初にサットドールを造り出したのは大精霊で、下級メイドそっくりのサットドールを生み出し、メリッサに食事や衣服を与えていた。物言わぬサットドールと交流するうちに、警戒していたメリッサも少しずつ大精霊の生み出したサットドールに懐き始めた。懐き始めると大精霊は、絵本をメリッサに与え、知識を学ばせた。この頃に、大精霊の心にもメリッサの心にも情愛が生まれたのかもしれない。


 そして――。次に見せられた記憶は、メリッサの心に完全なる闇が生まれた瞬間だった。


 ウィルより少し幼い年頃に見えるメリッサは、相変わらずボロボロの衣服を纏っている。それでも、辛うじて食事は取れているのか、痩せていても顔色は悪くない。サットドールに教えられ書本を見ながら文字を書く練習をしている。


 そこへ城に勤める警備兵が現れ、メリッサに危害を加えようとしたため、警備兵からメリッサを庇おうと、大精霊はサットドールを動かした。下級メイドに邪魔をされたと腹を立てた警備兵は、あろうことかメリッサの目の前でサットドールを斬り捨てたのだ。


 ショックを受けて呆然と佇むメリッサは、警備兵に殴られても、組み敷かれても、乱暴されても、声すら上げずサットドールが消滅した場所を見続けた。


 そうして光を失ったメリッサの瞳から涙が零れ落ちた瞬間、メリッサの本格的な魔人化が始まった。悲しみで我を忘れたメリッサは、自分の魔力でサットドールと同じ人形を生み出し、サットドールを斬り捨てた警備兵を殺した。


 メリッサにとって、掛け替えのない者を殺されてしまった。幼い頃から、ずっと、ずっと、側にあった唯一が消えてしまった。


 圧倒的な魔力の出現に、何事かと集まった王都騎士団の騎士たちをメリッサは次々と殺していく。泣き叫ぶ十歳の子供に、傷だらけでボロボロになった女の子に、何の罪過(ざいか)があったというのか。五年もの間、蔑まれ、罵られ、蹴られ、殴られ続けた少女に、王宮の者たちは、どれだけの仕打ちをすれば気が済むというのか。


 メリッサを押し止めることが出来たのは、大精霊だけだった。大精霊がメリッサに自ら隷属して、メリッサの心を押し留めなければ、その場でメリッサは完全に魔人化していただろう。


「……それが、真実だと、いうのか」

「僕は、これしか知らない。精霊は……真実しか、語れない」


 ウィルが、ガイにサットドールに見せられた記憶を語ると、ガイは眉間に深く皺を寄せ、そのまま目を閉じてしまった。


「俺達が知っている話と全く違う」

「そう、だね。だから貴族社会なんて嫌いなんだ」

「ウィル」

「本音と建て前とか、そういうのなら、僕にだってわかるよ? 言っちゃいけないこともあるって、それも理解できる。でも、こんなの嘘だらけじゃないか!」


 ここまで虚飾(きょしょく)に満ちた世界が、他にあるだろうか。探せば何処にでもあるのかもしれないが、ウィルは知らない。


「ノームが、教えてくれたんだ。シャーロット様は、王様を裏切ってなんかいないって。シャーロット様と王様は愛し合っていたのにっ! 本当に裏切っていたのは、王妃様の方だってっ。みんなに見せた証拠だって、全部、デタラメで、嘘の証拠だって! それなのにシャーロット様が不義密通って、そんな嘘っぱちの罪を押し付けられてっ。 メリッサさんは、正真正銘の女王なのに! ちゃんと、前王の血を受け継いでいるのにっ! こんなのあんまりだよっ! 一度、魔人化が始まったら止められないのに⋯⋯メリッサさんは自分の命と引き換えにしてでもノームを助けたいって望んでるのにっ!」


 ノームやメリッサの感情に引き摺られたのか、ウィルの魔力が高まりを帯びてくる。ガイは建物内に『光護壁(バリア)』を張り巡らせると自らも能力を解放した。一瞬でも判断が遅ければ、ガイはウィルの魔力に飲み込まれていたかもしれない。それほどの勢いで、魔力が噴出したのだ。だが、それはウィル自身が発したものだけではなく――――。


『ウィルよ。鎮まらぬか。其方の嘆きで、この界隈の精霊が騒めきおるぞ』

『貴方の憤りや悲しみが充分に伝わったわ。多くの精霊たちにも届くほどに』


 テーブルの先に具現した赤と青。ガイにも姿が見えるほどに力を持つ精霊。龍の住処に住まう大精霊。


「……サラマンダー、ウンディーネ」

『ウィル。まずは、心を鎮めなさい。貴方の御師様も心配していたわ。それに、お友達も苦しそうよ?』

「……御師様」


 ウンディーネ、水の精霊が声を掛けると、ウィルは一気に魔力を収めた。ガイも、それを見て胸を撫で下ろす。正直、『光護壁(バリア)』が、耐え切れるか心配だったのだ。


「ガイ、ごめん」

「謝らなくていい。それよりも……」


 ガイは視線を二体の精霊へと戻した。燃え盛る焔を身に纏う精霊と床まで伸びる蒼い髪の精霊、双方が人型の精霊である。ガイが精霊へ視線を向けていることに気付いたウィルは、二体を見て口を開いた。


「サラマンダーとウンディーネ。話していた僕の大切な友達。サラマンダー、ノームとメリッサさんは……」

『ウィルの魔力が効力を発揮しておる。安心せよ、暫くは大事ない』

「そっか。⋯⋯良かった」

『良い訳がないでしょう? どうして何時も無茶をするのかしら?』

「でも、あのノームは元々大精霊でしょ? そんな立派な精霊が、人の所為で消滅するのは、やだよ。メリッサさんだって、被害者なのに、こんなのって酷すぎるよ」


 空中を舞うように浮かんでいる二体。その存在感から、ウィルが話している精霊もまた大精霊なのだろうと簡単に推測できる。

 ガイは、静かに立ち上がると『光護壁(バリア)』を張り巡らせたまま、屋外へ向かった。こちらへ向かってくるハワードとベアトリスの気配を探知したからだ。暫く古民家の前で待つと、各々の愛馬に騎乗した二人の姿が目に入る。


「ガイ! 何があった!?」

「大精霊の力を感じたのですわ」

「ウィルの友達らしい」

「ウィルの⋯⋯そうか。話していた大精霊か」

「ああ、そうらしい」


 慌てた様子の二人に事情を尋ねると、ハワードはノーザイト要塞砦騎士団の詰所で、ベアトリスは屋敷で大精霊ノームの魔力とウィルの魔力を感じ取り、何かが起きていると愛馬に乗ってウィルの家へ向かったが、途中からウィルの魔力が移動を始めたため、ここへやって来たのだとハワードが話した。


「途中からドライアドとウンディーネが騒ぎ出して大変だったが、その理由も此処か?」

「恐らく、そうだろう。多くの精霊にウィルの嘆き、憤り、悲しみが伝わったと語っていた」

「ウィル君に、何がありましたのね?」

「何もない。……いや、あったが容易く話せる内容ではないのだ。すまない」

「構いませんわ。ウンディーネが泣いていますもの。とても悲しいことが起きているのですわ。落ち着けば、きっとウンディーネが話してくれますもの」


 ウィルが話した内容は、容易く口に出来る類のものではない。何しろ前国王に関する問題なのだ。そして、メリッサについても。王宮で起きた事件で生き残った王都騎士団の騎士は、限りなく少ない。その中に警備兵が混ざっていたことは、当時王都の騎士訓練学校に在席していたガイも知らなかった。知る者の方が少ないのだろう。


「ハワード。マーシャルに伝言を頼みたい」

「構わんが、ウィルは平気なのか?」

「ああ、精霊が具現したおかげで、どうにか鎮まった」

「分かった。ウィルのことはガイに任せよう」

「……お兄様」


 ベアトリスは不満の声を上げたが、ハワードは首を横へ振った。


「ベアトリス、中におられる火の精霊は大精霊だぞ。お前の友が恐れている。それに俺のドライアドも同じだ」

「そうね。お兄様。中にいらっしゃる精霊は確かに大精霊だわ。でも、水の大精霊様も感じるのよ? それでも無理なのかしら」

「……無理だろう」

「仕方ありませんわね。ガイ様、ベアトリスが心配していたと、ウィル君によろしく伝えてくださいませ」

「ああ、確かに伝えよう」


 ハワードはマーシャルへの伝言内容をガイから聞くと、早々にベアトリスと共に街中へと戻って行った。


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