055
互いに、蟠りが解け、応接室の空気も穏やかになると、エドワードは漸く紅茶を口にする。そんなエドワード警備隊隊長を見て、ウィルは小さく溜息を漏らした。
「ひとつだけ、教えてください。どうして、僕を部下にしたいと考えたんですか?」
あの日、聞くことが叶わなかった疑問。今なら平気だろうと意を決して、ウィルは問い掛けた。どうして、出会ったばかりの自分を部下にしたいと考えたのか、不思議に思っていたのだ。
「ウィリアム君を部下に欲しがったのは、ウィリアム君ならば私と共に戦ってくれるのではないかと思ったからだ。マーシャルやガイ達から、王都の現状を聞いているだろう?」
エドワードは、チラリとガイへ視線を向けてウィルへと戻す。ティーカップをテーブルに戻し、真剣な眼差しでウィルを見据えた。
「それは、人族至上主義のことですか? それとも、貴族至上主義ですか?」
問われた内容は、確かにマーシャルやガイに聞かされている。オズワルド公爵領で当たり前の光景が、他国や自国でも異様なものであることも教えられた。
多種族が暮らすアルトディニア大陸で、多種族が一番暮らしやすい領地がオズワルド公爵領であると。但し、レイゼバルト王国全土で考えると、まだまだ人族優先で他種族は生き難い場所であると。
「どちらも該当しているが……、そうだな。人族至上主義のほうだ。私は、人族が最高だなんて烏滸がましいことは、考えていない。確かに、叡智に優れた人族もいる。戦いや技術に優れた人族も存在する。しかし、他種族に匹敵するかと問われれば、答えは否だ。技巧では、ドワーフ族が秀でている。叡智は、エルフ族や人魚族が秀でている。戦いは、竜人族や獣人族が優れている。それを認めようとしない者達が王都には多すぎるのだ」
エドワードは苦悶の表情を浮かべ、ウィルへと訴えた。最後の獣人族に至っては何とも言えないが、確かに、エドワードの語るように、他種族は人族より優れている面がある。
「ドワーフ族から技術を学び、エルフ族や人魚族から教えを乞うことの何所が悪いと言うのだ。それで、人族の暮らしが豊かになり、種族間の隔たりがなくなれば、この国も暮らしやすくなるというのに……」
「その話と僕が、どうつながるんです?」
その話に疑問を抱き、声を掛ける。エドワードは、ハッとした顔でウィルを見ると、小さな声でウィルを魔神だと思ったと言った。
「それは、どちらの『マジン』ですか?」
「……魔に神と書く方だ」
『魔神』と『魔人』。同じ発音で、ふたつの異なる存在。神や龍王の眷属が闇堕ちした者を『魔神』と呼び、その他の種族が闇堕ちした者を『魔人』と呼ぶ。
『魔人』と『魔神』
前者は、憎しみ、悲しみ、恨みに精神が蝕まれ、人としての心を失い、闇の者となってしまった者達の総称だ。対して、後者は文字通り、神が堕ちた存在。アルトディニアに害意を持つ者は少ない。しかし、アルトディニアを滅ぼすことも有り得ると伝えられている神話的存在。
勿論、圧倒的に魔神の方が圧倒的に脅威だ。そのような存在と思われていたことを知り、ウィルは溜息を吐いた。
「僕が魔神とか、有り得ないです」
「ウィリアム君が見抜いた通り、私にはスキル能力がある。あの夜、魔境から何者かが街へ向かっていると第三師団の騎士から報告があった。ウィリアム君の魔力が漏れ出ているからね。だから、あの晩、師団長や警備隊の小隊長全員が、魔境へ続く門に集まったんだ。もし魔神や魔人であれば、ノーザイト要塞砦騎士団の騎士たちを呼びに向かわせる手筈になっていたし、勿論、アレクサンドラも総動員していただろう」
語られた内容に、ウィルは目を丸くする。そんな大きなことになっていたとは、知らなかったのだ。確かに、あの場に居た隊員たちは、ウィルでも手強いと思える人族が揃っていた。ウィルがアレクサンドラへ視線を向ければ、頷いて見せる。
「ふむ。エドワード警備隊隊長の言う通り、ノーザイト要塞砦騎士団も参戦できるよう待機はしていた。すぐに魔神や魔人の類ではないと解除されたがな」
「……僕の魔力って、そんなに他の人と違うんですか?」
放たれた言葉の内容に、ウィルはその場に居る三人へと問いかける。
「ああ。ウィリアム君の魔力は、何か不思議な感じがするんだ。だから、私は君を魔神と勘違いをした」
「私には、分からんがな。ウィルの魔力の違いが分かる者は、限られてくる。魔力感知系スキル、『看破』や『心眼』といった類のスキルが必要になるだろう」
「違うと言えば、確かに違うかもしれないが……」
上からエドワード、アレクサンドラ、ガイの言葉である。丁度、応接室へと戻ってきたマーシャルが、ウィルの様子を見て、三人へ声を掛けた。
「三人とも、今度はウィルに何を言ったのですか?」
固く拳を握り締め、俯いてしまったウィルに三人とも困った様子で、その姿を見詰めている。
「僕は……僕が、人族じゃないと言いたいんですか? 僕は、魔神だと言いたいんですか?」
「違う。そんな意味で捉えないで欲しい。魔力は異質だが、ウィリアム君は人族だ」
真っ向から否定したエドワードは、それだけ言うと力なく笑った。怪訝に思い顔を上げたウィルと視線が合うと再び口を開いた。
「だからこそ、私はウィリアム君を欲してしまった。……君の能力が魅力的だと思ってしまった。君の見掛けに騙されるだろう者達は、さぞかし多いだろうからね」
そこで言葉を区切ると、大きく息を吐き出して、アレクサンドラへと視線を向ける。
「以前は、私にも味方と呼べる者たちがいた。ここにいるアレクサンドラやオズワルド公爵家嫡男セドリックもいてくれた。だからこそ、純粋に味方になってくれる人が欲しかった。王都に住まう貴族のしがらみに囚われていない、何者でもない仲間が欲しかったんだ。……そういう点では、王都の闇は酷く大きいものだ」
「エドワード様……」
「父上は、父としては良く出来た人だ。しかし、王としては愚王と呼ばざるえない。王妃である母上と私で、何とか貴族達を抑えているが……。王妃が亡くなれば、私は一人になる。だからこそ、王太子でいる間に、身動きが出来る期間に、仲間と呼べる人を探しているんだ」
「…………」
寂しげな笑みを浮かべるエドワードに、ウィルは言葉が見つからなくなる。恐らく、王都には味方と呼べる人、友と呼べる人は少ないのだろう。同じ国の貴族といえ、気を許すことが出来ないのは辛い。しかし、それで部下になれるかと問われれば、絶対に断るだろうが。
「これは、私の身勝手な思いだったのだから、ウィリアム君が気に病む必要は無い」
何の言葉も返せなくなっているウィルにエドワードは苦笑して、隣に座るアレクサンドラへ顔を向けた。
「アレクサンドラの言う通り、私が間違っていたのだな。彼は、自由に暮らす生き方の方があっているようだ」
エドワードは王都に帰還すれば、王太子として王族としての責務をその身に背負い、生きなければならない。今の今まで、自分がどう暮らしたいのか考えたこともなかった。国民の幸せや、国を豊かにすること、貴族の在り方、そのようなことに心が傾き、己のことは二の次だったのだ。その責務を放り投げようとは思わないが、自由という立場が少し羨ましくも感じられた。勿論、それを口にすることはない。
「ウィリアム君は、自分の好きなように生きればいい」
ウィルは、エドワードの話を聞くと、徐に口を開いた。




