005
ウィルが、アルトディニアに降り立ち、五時間ほどが経過した。既に、太陽は真上を通り過ぎている。
「(うーん。困った)」
周りにあるのは、山、山、山。魔境の近くだからか、空気も決して清涼とは言えず、瘴気が含まれている。道も獣道はあるが、殆ど使われていない。
ウィルは、降り立った場所から然程動かず……いや、動けず途方にくれていた。人に見つからない場所は、何の目印もない場所ということでもある。
どちらの方向へ向かえば、ノーザイト要塞砦へ出るのか分からない。仕方なく、その獣道周辺で魔物狩りをしながら、人に出会えるまで待つことにした。
今は、先に倒したオークの血の臭いに誘われてきたホブゴブリンを狩り尽くし、物色している最中である。収穫はオークの方が多いが、ホブゴブリンを放置するのも勿体ない。それで、物色しているのだ。
「(へぇ⋯⋯ホブゴブリンって、武器や装備品が色々違うんだ? ちょっと、びっくりかも……)」
棍棒、短剣、盾、棒、斧、木の枝を使った杖。多種多様である。防具の種類も結構あった。何体かはアイテムも所持しており、それらを収納して、一体ずつ剥ぎ取りを始める。
剥ぎ取るといっても、ホブゴブリンから取れる素材は少ない。牙と魔石を、サクサクと回収していく。全てが終わると、光の浄化魔法で死体を焼き払っておいた。死体をそのまま放置しておくと、その死体から再び魔物が現れる。主にアンテッド系の魔物だと、フォスターから教えられていた。
「(このままだと野宿になりそうだよね。でも、魔物が出てくる場所で野宿は嫌だし……)」
ウィルは収納から、水が湧きでるバケツを取出し、短剣と手、そしてレザーグローブを洗う。 魔法でレザーグローブを乾かして身に着けると、バケツの水を燻ぶっていたホブゴブリンの燃え滓に掛けておいた。
「……このバケツって、何気に便利かも。こういうことを見越して準備したのかな? それにしても、本当にどうしよう? この際、盗賊でもいいから出てきてくれないかな?」
アルトディニア大陸にも地図はある。しかし、アルトディニアでは、持てる者が定められている。国、貴族、騎士団、ギルドが、それに当て嵌まるとウィルはフォスターから教えられた。
たとえ貴族であっても、許可のない者がアルトディニアの世界地図を持つことは禁じられており、処罰の対象になるのだとも聞いている。誰でも地図を持てた地球に比べると、不便な世界だ。
「(仕方ない……。取り敢えず、どっちかが正解なんだ。歩こう)」
間違っていても、どこかの村か街へ出るだろうとウィルは歩き始める。緑龍やフォスターが上界からウィルの行動を見ていて、こんな時こそ宝玉だろうと盛大な溜息を吐いたのは言うまでもない。
はたして、ウィルの行動は正解だった。歩き始めて五時間程でノーザイト要塞砦が見える場所へ辿り着いたのである。しかし、その砦の形状は不思議な物だった。
「壁が、ずっと続いてる?」
大きな建物が見える場所が、ノーザイト要塞砦の出入り口がある場所だということはウィルにもわかった。だが、その砦から伸びる壁は、先が見えない位置まで続いているようにも見えなくはない。しかし、夕方という時間帯で、その様に見えているだけかもしれないと、ウィルは深く考えることをやめた。
「(……とりあえず、目指す場所は分かったんだから、後は砦に向かって歩くだけだね)」
ノーザイト要塞砦を見つけて、更に四時間。辿り着いた場所でウィルは立ち止まり、上を見上げている。遥か遠くから存在が見つけられていたことからも分かるように、ノーザイト要塞砦は巨大だった。
「(これって……ビル何階分あるんだろ? でも、砦は巨大なのに、門は小さいような気がするし……。しかも、ゲームに出てくるような物がいっぱい並んでるし……)」
砦の上や門の近くに数多く並べられている兵器は、バリスタやカタパルトといった大型の兵器、設置型の魔術陣も置かれている。その全てに人が配置され、何時でも攻撃出来るよう準備が整えられていた。
「(これって、どう考えても歓迎されてない? ……って、僕一人に、これだけ準備してるってことなのかな?)」
ウィルがノーザイト要塞砦を見上げていると、門が僅かに開き、その中から人影が現れた。その数は、五十人程だろうか。彼らは、二種類の制服で別れていた。
「(軍とか騎士団とか、そんな感じ? それにしても……)」
彼らの手には、剣や槍、杖といった武器が握られている。
「(いきなり、攻撃してくる……って、ことはないよね?)」
小さく吐息を吐き出して、ウィルは門へと歩んでいく。あっという間に、ウィルは囲まれてしまうが、臆することなく口を開いた。
「夜分遅くに済みません。僕の名前は、ウィリアムといいます。冒険者ギルドに冒険者として登録するため、ノーザイト要塞砦を訪れたのですが、ここはノーザイト要塞砦で合っていますか?」
フォスターにはウィリアム・グラティアと言われたが、ウィルはグラティアを名乗るつもりはない。そもそも、冒険者として生活していくウィルにとって、姓は必要がない。
ウィルの言葉に、一人が前に進み出る。年の頃は、二十歳後半、三十歳にならないぐらいだろうか。
「ああ、確かにノーザイト要塞砦で合っている」
ウィルの真正面に立つと、その青年は武器を収めて、ウィルの問い掛けに答えた。
「私は、ノーザイト要塞砦警備隊隊長を務めるエドワード・アシオスだ」
エドワードの言葉を聞いて、ウィルはホッと安堵の息を吐く。しかも、相手が軍でも騎士団でもない警備隊ということで、余計に気が抜けた。しかし、エドワード・アシオスと名乗った青年は、難しい顔をしたままウィルを見据えている。
「どうやって、ここまで来たんだい?」
「どうやってと言われても……ここまで、歩いてです。駄目でしたか?」
ウィルの回答に周りの者たちが、どよめく。驚く者、警戒する者、敵意を向ける者、様々だ。
それほど警戒させる何かを、自分はしてしまったのだろうかと、ウィルは首を傾げたが、本当に歩いてきただけで、何もした記憶がない。
「……マーシャル、ガイは、この場に残れ。ハワード、第三師団の騎士に指示を頼む。ハロルドは、上にいる騎士や魔法士達に撤退するように伝えてくれ。他の者たちは、通常警備へ戻るように。少年の話は、私とマーシャル、ガイで訊く」
エドワードが告げると、ウィルを取り囲んでいた警備隊の隊員たちは、即座に門へと向かっていく。ウィルから見ても、強者が多く見受けられた。それだけ、魔境を守るノーザイト要塞砦は、危険な場所なのだろう。
「それで、君は武器も荷物も持たない状態で、魔境の中をどうやって歩いてきたのかな?」
警備隊隊長のエドワードに訊ねられ、ウィルは頭が真っ白になる。まさか、魔境内部へ降ろされているとは思いもしなかったのだ。
「……魔境の中? 僕、魔境の中にいたんですか?」
「まさか、気づいてなかったのかい?」
「気づいてないというか……全く知りませんでした。強い魔物が多いと思いながら歩いてたんですけど……。ノーザイト要塞砦は、魔境を守っていると教えられていたので、こんなものなのかなと思っていたんです」
魔境の中にいる魔物を、こんなものと呼ぶウィルに、今度は残った者達が驚く。魔境内部の魔物は、魔境の外側に存在する魔物に比べ、ランクが数クラス上だ。それを知らないウィルは、思ったままを口にしていた。
「その魔物は、どうしたんだ? 倒したのか、それとも君が逃げたのか」
「ええと……」
「答えられないのかい?」
「倒しましたけど、駄目でしたか?」
龍の住処では、当たり前のように魔物を狩っていたが、アルトディニアでは違うのだろうか? とウィルは悩む。確かに図鑑でしか見たことがない魔物も多く狩ってしまっている。
「(ま、まさか、絶滅危惧種がいたとか?)」
魔物に絶滅危惧種も何もないのだが、随分と的外れなことを考えていた。
「倒すのは構わないが、君は何も持っていないだろう?」
「……あ」
「さっきと同じ質問をするけど、君は武器も荷物も持たない状態で、魔境の中をどうやって歩いてきたのかな?」
エドワードの言葉に、ウィルは彼が何を訊いているのか、ようやく気付いた。確かにエドワードの指摘した通り、ウィルは何も持っていない。荷物も武器も収納の中だ。勿論、討伐した魔物の素材やアイテムも全て収納してある。
ただ、収納がフォスターから貰ったマジックアイテムであることを考えると、正直に話すことが躊躇われた。
「何も持っていない理由は話しますけど、誰かに言ったり、取り上げたりしませんよね?」
エドワード達はお互いを見合い、ウィルに向き直る。どう見ても、ウィルからは悪意が感じられない。
「害を及ぼすものでなければ、誰にも言わないし、取り上げたりもしない。理由を教えてくれるかい?」
エドワードの言葉に、ウィルは小さく頷いた。




