042
『遮断』
マーシャルが短く唱えると、部屋の壁に薄い幕のようなものが張り付く。マーシャルの提案通り、ウィルは客室へ戻った。その後、ハワードに筆談で『この部屋の会話を遮断してくれ』と頼まれたのだ。
「これで、彼が起きていたとしても、話を聞かれることはありません」
「便利なスキルだな」
「ええ。密談には丁度いいので、よく使います」
マーシャルは、ハワードに答えるとクスリと笑ってソファに腰掛ける。蒸留酒の瓶を手に取り、空になっていたグラスに注ぐ。
「ハワードは、何時頃気付いたのですか?」
差し出されたハワードのグラスにも蒸留酒を注ぎながら、マーシャルは問いかける。
「屋内訓練場……だな。普通だったら、聞こえていない会話の内容に、ウィルは即答していた」
「他に気付いた人物は居ましたか?」
「ガイと総長だけだな」
ハワードの一言に、マーシャルは安堵の表情を見せる。マーシャルは、自分のグラスを手に取ると蒸留酒を飲み始めた。隣では、ガイが別の蒸留酒を持ち出して飲んでいる。
「私は、オーウェンとの話を聞いて確信を持ちました。ガイは、何時ですか?」
「……耳が良い程度の認識ならば、魔境の小門。あの日の明け方、ハワードと俺の話を聞いて無意識の行動なのだろうが武器取り出していた。エドワード王太子殿下が屋敷に帰宅しなかった所為で、カーラ・リーガルが小門に向かっているという話が聞こえていたらしい。まあ、それで大怪我もなく済んだのだがな」
ウィルの聴力が異様に良い。恐らく全てにおいて優れている。もしくは、身体能力系のスキルを持っている。ハワードが判断したのは、出会って二日目。屋内訓練場の出来事だ。先日の出来事で、マーシャルも疑問が確信になった。そのため、ハワードは調べた内容を言葉にすることを避けて、紙で知らせたのだ。
「それでトラビス・ランベールは、特務師団の誰に依頼されたのですか?」
「言わなくても分かっているのだろう?」
「ハロルド・ガナス」
即答するガイにハワードは頷く。今もまだハワードに対して腹を立てているのか、ガイの口数は少ない。
「ハロルド……と言うより、ハロルドの後ろにいる古参の連中だ」
「ここまできても古参の者達から傀儡とされていることに、ハロルドは気付けないのですか」
マーシャルは呆れたように漏らした。
「自分の立場に、疑問すら抱いていないだろうな」
特務師団は、一年前に増設された師団だ。発案者は、前任の副師団長三名とその補佐の六名。彼らに賛同する者六百五十名。そうして、師団長として推薦されたのはガナス子爵の五男。騎士訓練学校を卒業して、ノーザイト要塞砦騎士団に入団一年目の青年ハロルド・ガナスだった。
召喚士として、ハロルドは自分の腕前に自信があったのだろう。喜んで申し出を受けた。総長となったばかりのアレクサンドラも、特務師団増設を許可するしか道がなかったのだ。しかし、そこから特務師団と対立体制が出来上がってしまったといってもいい。特務師団は、他の師団に、何かある毎に難癖をつけ、時には妨害とも受け取れるような行動を取ることもあった。
特務師団以外に所属する古参の者達は、特務師団に所属する者達の有り様に嘆いていたが、一年が経ち彼等に見切りをつけている。
二杯目の蒸留酒を自らのグラスへ注ぎ、そのグラスを揺らしながら、ガイはマーシャルへ視線を向ける。ハロルド自体は悪い人間ではない。そのことは、一年の付き合いでガイも知った。だが、信用できるかと問われれば、否だ。人の言葉に惑わされ、煽てられると調子に乗って、傲慢とも取れる態度をとる。自重することを知らない。だからこそ、ウィルを怒らせるようなことを平気で仕出かすのだ。
「フン。傀儡とされていることに気付けるなら、ウィルに手を出すといった真似はしていない」
「力量差を見抜けないのだから、傀儡として丁度いいのだろう。ハロルドは、ガイに庇って貰えたことで、俺には庇われるだけの価値があると妙な自信を持ったようだぞ」
「あれは、俺が魔法を展開したことで、ウィルが軌道を変えてきたのだ。ハロルドを庇った訳ではない」
溜息を漏らすガイに、マーシャルとハワードは苦笑する。確かにガイの言った通り、ウィル自身も当てるつもりはなかったと断言している。それ以前に、ハロルドではウィルの相手にならない。
「それで、何故トラビス・ランベールが依頼を受けたのですか?」
「マイヤー副師団長の話では、トラビス・ランベールはハロルドの兄、ガナス家の嫡男と学友だったらしい。その付き合いで、ハロルドとトラビスも顔見知りだったようだ。マイヤー副師団長も最近掴んだ情報のようで、謝罪を受けた」
「なるほど。そういうことですか。では、個人で動いていると?」
「そういうことだ。トラビスに訊いた話では、ハロルドが古参の者達に言われた言葉を鵜呑みにして、泣き付いてきたらしい。ウィルの様子を見るだけという約束で、了承したと話した。まあ、子供に食事を抜かせてしまったと酷く落ち込んでいたから、トラビス自身の性根は腐ってないだろう。とりあえず、トラビスには謹慎を申付けてある。恐らく今夜中にハロルドの耳に入るだろう。総長には、既に報告してあるから心配は要らない。トラビスの周りにも、数名配置しておいた。特務師団の騎士と接触させたりはしない」
問題が起こるとすれば、数日中かと予想がつく。それ故に第三師団が動いているのだ。
「標的は我々ですか? それとも⋯⋯」
「ウィルだ。トラビスの話から恐らくそうだろうという判断になった」
告げられた名前に、ガイは舌打ちをした。自分達なら回避できることも、ウィルには難しい。
「ノーザイト要塞砦騎士団で保護されている間に、ウィルに問題を起こさせ、ハロルドに俺達を追及させる予定でいるようだ」
「愚かですね。保護を決めたのは、総長ですよ? しかし、そうなると一刻も早く家を決めなければなりませんね」
「ウィルの家? どういうことだ?」
マーシャルがオーウェンから聞いた内容を話すと、ハワードはひとしきり考えて口を開いた。
「出せるものなら明日にでも家を探して、ノーザイト要塞砦騎士団からウィルを出した方が安全だろうな。特務の連中も、保護が解かれればウィルに手を出す理由がなくなる」
「そういえば、明日はガイが休みでしたよね? 私の所有している家が居住区にあります。そこへ彼が住むように誘導してください。そうですね……。無料にしてしまっては住んでくれないでしょうから額は、月々銀貨三十枚ということにして、その内の二十枚はガイとハワードが出すとでも言っておいてください。部屋が多いので、二階の客室を休みの日に使わせてもらうと言えば、嫌とは言わないでしょう」
「……わかった。俺は、もう寝る」
ガイは苛立ちを隠すことなく、グラスを煽ると立ち上がり、そのまま応接室を出て行く。その姿を見て、マーシャルは苦笑した。
「ガイが、ああなるところを見ると、余程ウィルを気に入ったようだな」
「……ガイを怒らせると、後が大変なのは知っていたでしょう。どうして煽るような言い方をしたのですか?」
「アイツとは幼馴染みだから、嫌というほど知っている。ウィルは、お前達が考えている以上に頭の回転が早いし勘も鋭い。ウィルの今後を考えると甘やかすことは、得策だと思えなかった。それに……今、ガイに弱点を作られることは望ましくないだろ。マーシャルは、どう考えている?」
「まあ、否定はしませんよ。確かに、ウィルはクラーク・トマが粛清されることに勘付いてしまいましたから、私やガイの判断が間違っていたのでしょうね」
色々と事情を知るガイですら気づくことのなかった粛清に、貴族でないウィルが気付くということは、それだけの知識がウィルにはあるということを示している。
「ウィルの精神面が不安定なことは、否定するつもりはない。ただ、ウィルを見誤るなよ。冷静な状態であれば、短時間で全てを理解できる上に、おそらく冷酷な判断も下すだろう。口には出さなかったが、恐らく今回の件も気付かれてるぞ」
既に、その片鱗は見せている。罪を犯した相手に対して戸惑いもなく、詠唱をする姿を見せられたのだから。
「そう、ですね。私は、彼を必要以上に傷つけた挙げ句、結果的に追い詰めてしまいましたから」
「先に話しておけば良かっただろう。ウィルも知っていれば対処の仕方を変えていたはずだ」
「次からは、そうするようにします。……ところでハワード。第三師団から騎士を貸していただけませんか? 出来ることなら気配の消せる騎士を数名お願いします。少し、気がかりなことがあるのです」
応接室を片付け、二人は官舎を出て行く。その姿を、灯りを落とした部屋の窓からウィルは見ていた。




