041
食事と片付けを済ませた四人は、応接室へ移っていた。寝るには些か早い時刻である。ウィルはハワードに引き止められ、魔物の特性や剥ぎ取り部位が書かれた本を読み、大人三人は酒を飲み始めていた。
「懐かしいですね。私も騎士訓練学校時代に、本をよく読みました」
「本ばかり読んでいても、実戦で役立つかは微妙だがな」
ハワードはグラスを片手にウィルの本を覗き込み、指差す。
「例えば牙獣種のタスクボアとペルトボアでは、同じボアでも戦い方も違えば、剥ぎ取りの部位も全く違う」
「……あ。タスクボアは大牙で、ペルトボアは牙より毛皮が高値なんだね。じゃあ、毛皮に傷があったら駄目?」
「当然、価値は下がる。まあ、どちらも肉は高値で買い取ってもらえるがな」
タスクボア、ペルトボアは、共に猪の魔物であり、大型の魔物になる。本に書いてある姿は、酷似していた。違いは牙の大きさだろう。タスクボアは象牙のような立派な牙があり、ペルトボアはそれに比べると小さい。
「そうなんだ。あ、そうだ。マーシャル、オーウェンって、何時が休みなの?」
「……オーウェンですか? それは⋯⋯」
「どうしたの?」
珍しく言い渋るマーシャルの姿に、ハワードは眉根を寄せる。その隣に座るガイへも視線を向けたが、ガイも黙していた。
「オーウェンは副団長補佐から降格、現在謹慎中だ。……お前達、ウィルに何も話していないのか?」
「ハワード。今は、まだ話すべき時ではありません」
「いいや。ウィルは、自分を害する者は手に掛けることが出来ると、俺に語った。そういう発言を、ただの子供がすると思っているのか?」
「ですが」
隣で驚いた様子を見せるウィルをチラリと見て、ハワードはガイへ目を戻す。
「ガイ。お前は、どう思っている? ガイも話さないと判断したのか?」
「ウィルの精神状態は、まだ安定していない。危険すぎる」
ガイの言葉に、ウィルは自分の胸に手を当てる。言われていることは正しい。ウィルは、そう感じた。アルトディニアに生まれる前の不完全な記憶と、龍の住処で暮らした三年間の記憶。自分には、それだけしかないのだから。
「オーウェンさんの降格処分とか謹慎は、昨日のことが原因なんだよね? それって、僕の所為でしょ。なら、本当は僕が一番知るべきことだよね? だって、オーウェンさんがそうなった原因と責任は僕にあるんだから」
ウィルは、視線を床に落としてガイとマーシャルに問い掛けた。苦渋の表情を見せる二人に畳み掛けるようハワードも言葉を発する。
「ウィル。謹慎処分は、確かにウィルが原因だ。だが、オーウェン・トマの降格の原因や責任は、必ずしもお前の件だけが理由になるわけじゃない。そこは、履き違えるな」
「⋯⋯うん」
「ガイ、マーシャル。事の由を詳しく説明することは、大事なことだ。子供だから、心が未熟だからという理由で話さないことこそが、ウィルの成長を阻害する結果になり得る。最悪の結果を招いたなら、それ故にこそ聞かせるべきだろ」
「…………」
「お前たちが話さなければ、俺が話す」
ソファを挟んで睨み合う両者に声を掛けたのは、当事者であるウィルだ。
「ガイ、話して。僕、ちゃんと聞くから」
顔を上げ真っ直ぐとガイの目を見詰めるウィルの姿に、ガイは長嘆息を漏らして口を開いた。
「ウィルが悪い訳ではない。ただ、欲に負けた者達が悪いのだ」
「……そっか。そんな酷い話に、なっちゃったんだ」
苦悶の表情を浮かべウィルを見るガイに、ウィルも顔が歪む。それでも、ウィルはガイから目を逸らさなかった。
「まず、カーラ嬢とデイジー嬢は、王都で裁判を受けることになった。トマ男爵家、貴族が絡む事件に発展したためだ。彼女たちは、何らかの刑に科せられるだろう」
「王都、トマ男爵家、貴族が絡む事件⋯⋯。カーラさんとデイジーさんの件は、オーウェンが巻き込まれたから王都で裁判になる? 確かオーウェンのお兄さんが、国立の錬金術研究所の所長さんだって話してたから。そのお兄さんオーウェンやもう一人の弟さんのこと、凄く大切にしてるっぽいし。じゃあ、僕も呼び出される? 僕も刑罰の対象?」
「ウィルも被害者なのですから、それは有りません。王都での裁判は、確かにオーウェンの兄であるジョナサン・トマが関係していますが⋯⋯どうして、その件を知っているのですか?」
「官舎に戻る時、オーウェンから家族の話を聞いたから。たぶん、そうなのかなって。それで、オーウェンの降格処分と謹慎の理由は?」
「オーウェン・トマの降格処分と謹慎処分は、任務未遂行のためとされているが、実際はトマ男爵家嫡男クラーク・トマの横領の件と不敬罪が原因だ」
「トマ男爵家嫡男…⋯オーウェンの一番上のお兄さんが不敬罪って、どういうこと? 何かあったの?」
「エドワード王太子殿下。オズワルド公爵家アレクサンドラ嬢。両御仁に対して、執務室で不敬を働いたらしい」
ガイはマーシャルに聞かされただけで、実際に見ていない。しかし、クラークの仕出かすことは、大まかに想像がついていた。何故、どうして、という表情を見せるウィルに、ガイは続けて話す。
「ウィル。俺は、ウィルが力を使うことで、ウィルの力を欲して操ろうとする輩も出てくると、話して聞かせたな? クラークは、その場でお前を養子に欲しいと言い出したらしい」
「それは……僕の能力を欲しがって?」
「そうだ」
その言葉で理解したウィルの顔色は、見る見るうちに青褪めていく。ウィルには理解力がある。それが分かっていたからこそ、二人はウィルに話せずにいた。
「クラーク・トマ男爵子息と面会時、執務室にはエドワード王太子殿下も同席されていた。総長は、公爵の代理として、その場にいた。その方々に対してクラーク・トマは暴言を吐いた」
「そっか。横領の件は僕に関係ない話だけど。オーウェンのお兄さんは僕が欲しいから、騎士団預かりになってる僕の身柄を引き取ろうとして、アレクさんと面会しに来たんだ? その場に偶然エドワード王太子殿下も居合わせた。そして、僕はエドワード王太子殿下とアレクさんの誘いを断ってるから、オーウェンのお兄さんが僕に関して不敬罪になるような何かを御二人に言ったってことかな」
とうとう項垂れたウィルに掛ける言葉が見つけられず、ガイも目を伏せる。たった少し話しただけで、ここまで正解を引き当てた。恐らくウィルなら今の情報でクラーク・トマに与えられる刑罰に気付くだろう。それだけに、ガイは何も言えなくなった。
「横領がどれくらいなのか分からないけど、不敬罪とあわせたら……爵位返上で恐らく死罪かな」
ガイの予想通り、ウィルは言い当てた。ハワードは、隣に座るウィルを人物考査するように見ている。それが仕事と理解していても、ガイは苛立ちが募った。
「そっか。そうか……僕の所為で、人が死ぬんだね」
「それは違います。そう遠くない時期にクラーク・トマは横領の罪に問われていたのです。そのために第三師団が動いていました。ただ、それが少しだけ早くなっただけです」
実際、半年前から第三師団がトマ男爵家の内情を調べるため、動き出していたのだ。後少しで、捕縛できるところまで調べも着いていた。そうマーシャルが話すが、ウィルは頭を振った。
「だけど。それだけなら⋯⋯そのクラークさんは、罪に問われることになっても、死罪にならない。だって、横領だけで死罪って重すぎるよね? 横領の規模にもよるだろうけど、オーウェンの話を聞いた限りトマ男爵が管理している領は小さな村みたいだし、普通だと労役で終身刑が妥当なところでしょ? 死罪になる明確な理由は不敬罪。そして、クラークさんがアレクさんに面会を求めた理由は僕だよね? 僕が力を使わなければ、クラークさんはアレクさんを訪ねなかった。僕を欲しがらなかった。そして、オーウェンは、お兄さんの件と僕の件を併せて、副師団長補佐でいられなくなった。犯罪者の身内になってしまったから。だから降格処分になった。違う?」
「ウィル⋯⋯」
全くの正論に、マーシャルも黙るしかない。確かに、クラーク・トマが死罪に処される理由は不敬罪だ。シンと静まる応接室にひとつの溜息が零される。
「その通りだ。クラーク・トマは、オーウェン・トマと会い、ウィルの話を聞きウィルの事を欲した。己の欲望の為にウィルを利用したい。そんな気持ちでな。そして、総長とエドワード王太子殿下へ、お前を欲しがるが故に、暴言を吐いた。全て、正解だ」
「ハワード!」
「ガイは黙っていろ。……ウィル、その事実から目を背けるな。お前の持つ能力は、権力者にとって実に魅力的なものだ」
「いい加減にしろ!」
「その能力を一生、使わずに隠れて暮らすか。それとも、権力者を屈服させるだけの強さを持ち、自由に生きるか。選ぶのは、お前自身だ」
怒鳴りつけるガイに見向きもせず、ハワードは言葉を続ける。
「高ランクの冒険者ならば、それが可能となる」
「そうかもしれない。だけど、クラークさんは……」
「ああ、死罪だ。だからこそ、現実を見ろと言っている」
ハワードの言葉の意味が分からず、隣に座るハワードへウィルは顔を向けた。先程までの厳しい表情は収まり、何時もの表情に戻っている。ガイも、驚いた表情でハワードを見ていた。
「確かに、クラーク・トマの件はウィルが発端となった。そのことは、ウィルが反省すべき点だ。だが、クラーク・トマの死罪は、別問題だと言っている。あの男は、以前から同じような行動を繰り返していた。晩餐会の席でもクラーク・トマは騒動を起こしている。この頃は、この地に住む他の貴族も随分と緩んできているようでな」
「それは……」
「揉め事を起こす。作法も知らず、金にも汚い。周りを見下し、民を虐げる。高位貴族が丁度いい機会だと思って当然だと思わないか?」
クスリと笑い、ハワードは自分の手元へ視線を向ける。普段であれば、自分が闇夜に紛れて粛清へと差し向けられただろう。しかし、それをしなかったのは、他の貴族に対しての牽制だ。
「いい機会? 緩んで? 警告⋯⋯見せしめ? オーウェンのお兄さんを粛清するのは、口実ってこと? 見せしめのために態と不敬罪に貶めた? ああ、だから⋯⋯」
やはり気付くかと、ハワードは笑みを深める。アレクサンドラの執務室で、ウィルは『貴族社会に馴染むことは無理』と答えていた。無意識で言った言葉だろうが、知らない世界に馴染めるかどうかなど、貴族社会を知らなければ分かるはずがない。知っているからこそ、馴染めないと答えられる。だから、少し足掛かりになる言葉を提示してやれば、いとも容易く答えに辿り着くことが出来る。最後にチラリとマーシャルへ視線を移したウィルの意識を、こちらに向かせるようにハワードは口を開く。
「そういう世界もあるということを知っておけ。オーウェンも承知している。それに……」
小さく溜息を漏らし、前に座るガイとマーシャルへハワードは顔を向ける。
「昨晩遅く、絞殺された女性の遺体が三体と、行方知れずになっていた女性二名が、トマ男爵領の屋敷から発見された。総長にも報告済みだ」
「どういうことですか?」
「殺害されていたのか?」
目を見張るマーシャルとガイに、ハワードは頷き言葉を続ける。
「この件は総長の判断で、公にはしない。残された遺族と、発見された女性たちを考慮された。知りたいなら総長に提出された報告書を、自分で読め。俺も、夜明け前にトマ男爵の領地から早馬で帰ってきた部下に報告を貰っただけで、まだ読んではいない。詳細が書かれた報告書は、既に総長の手元にある。この件は既に第三師団所属の部下だけで、秘密裏に処理することが決定している」
「……分かりました」
この場で口に出来る内容ではない。それほど胸糞が悪くなる話で、子供には聞かせられない。ハワードは、隣で項垂れるウィルへ手を伸ばし、その頭を撫で顔を覗き込み、視線をしっかりと合わせた。
「女性三名の命を奪った罪と暴行罪でクラークを死罪にしてやりたいが、そうもいかない。ウィルなら、公にできない理由が分かるだろう? 時間が掛かれば、被害者が増えていた可能性もあった。ウィルの件で屋敷を調べる時期が早まったんだ。結果的に、行方知れずになっていた女性たちを発見できた。礼を言わせてもらう」
ハワードが話を終わらせると、黙したままウィルは静かに頷く。そのまま、何かを考え込んでいる様子のウィルに、マーシャルは自室で休むように声を掛けた。




