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グラティア 〜少年は平穏を望む〜  作者: 玄雅 幻
ひとときのやすらぎと忍び寄るもの
37/132

037


「おや。鍵も掛けずに、不用心ですねえ」


 王都までデイジー・ハバネルの護送を担当する第一師団の騎士十名を送り出し、残りの未処理事項も済ませたマーシャルは、第二師団の師団長官舎を訪れていた。

 ガイの住む官舎の扉は、鍵が掛けられていない。そのまま部屋へ入り、応接室を覗くと探し人であるガイの姿があった。


「鍵が開いていたので、入らせていただきましたよ」

「ああ、構わない」

「ウィルは、眠っているのですか?」


 ガイの腕の中に包まれたウィルは、身じろぎひとつしない。涙痕と腫れ上がった瞼が痛々しい。


「ああ。泣きじゃくっていたからな。疲れたのだろう」

「客室へ寝かせてきましょうか?」

「俺も、そう思ったのだが……」


 ガイが落とした視線の先を見て、マーシャルはクスクスと笑う。ガイの制服を握り締めたウィルの手が見えたのだ。


「まいった。外そうとすると、泣きそうな顔になる」

「……離れるのが怖い。そういうところなのでしょうね」

「きっと、今まで人と触れ合う機会がなかったからだろう。悪いが、その棚から酒とグラスを取ってくれないか? 流石に、喉が渇いた」

「私も頂いて構いませんか?」


 ガイが頷くと、マーシャルは棚から酒とグラスを手に取り、ソファへと座った。ラクロワ伯爵が代官を務める領地の名産品である蒸留酒。それをグラスへ注ぎ、ガイへ手渡す。受け取ったガイは、そのままクイッと煽り、一気に飲み干す。その姿にマーシャルは溜息を漏らした。


「いくら喉が渇いていたからといっても、そのような飲み方をすると身体を壊しますよ?」

「この程度で壊すような軟弱な身体ではないさ。もう一杯、くれ」

「……まあ、仕方ないでしょう」


 ガイに差し出されたグラスへ再び酒を注ぐ。今度は煽ることなく、少し口に含んだ程度だった。


「それで……。カーラ嬢とデイジー嬢は、どうだった?」

「そちらは片付きました。お二人ともノーザイトを離れましたよ」

「離れた?」


 マーシャルは応接室を出てからの出来事を、細かくガイへ話していく。話はデイジー・ハバネルに始まり、エドワード王太子、トマ男爵家長男のクラーク、そしてカーラ嬢と続いた。

 特にガイが顔を歪めたのは、クラークの話である。ガイの危惧していたことが、既に起きていたのだから。


「そちらの方は、ハワードに任せてあるので、何とも言えませんが……不敬罪も有りますから、次期当主の立場もなくなるでしょう。トマ男爵家は四男が継ぐことになるでしょうね」

「次男が、継ぐのではないのか?」

「ジョナサン・トマは難しいでしょうね。国立錬金研究所の所長を退任することは不可能でしょうし、領地運営と所長の兼任も難しいと思います。三男であるオーウェン・トマは、次兄が継がないなら、弟に継がせて欲しいと話していました。弟の方が村人に慕われているそうです」


 オーウェンがアレクサンドラの執務室から精鋭隊の一人に連れて来られたのは、既にデイジー・ハバネルを送り出した後で、憐れんだ眼差しをオーウェンに向ける精鋭隊と疲れ切った様子のオーウェンに、マーシャルは笑いを堪えるのが大変だったことを思い出す。


「どうやらオーウェンは、エドワード王太子殿下に気に入られてしまったようです。確実に目を付けられたでしょうね」

「そうなのか?」

「ええ。総長とエドワード王太子殿下の二人で、オーウェンを弄って楽しそうに話していましたから。それと、これは関係のない話なのですが、ウィルが家を探しているそうですよ」


 ウィルの希望する場所は、冒険者ギルドに近い場所だとオーウェンから聞いている。しかし、冒険者ギルドの近くは、貸家より貸し部屋や宿屋が多い。


 それは、一ヶ所に定住しない冒険者が多い為、貸し部屋の方が効率がいいのだ。依頼によっては、数か月街を離れることがあるため、単身で家を借りる者は少ない。パーティを組んでいても、居住は別という者たちも数多く存在する。


「エドワード王太子殿下の件も心配する必要がなくなったので、ウィルへの依頼も終ります。他にも懸念事項の件は残っていますが……まあ、街に出せば、彼等もウィルに手を出すこともないでしょうしね」

「ああ、特務の輩か。まあ、ウィルの住む家が決まるまで保護対象にしておけばいいだろう。早目に探すさ」

「しかし、濃い数日間でしたね」


 マーシャルは、自身のグラスへ二杯目の蒸留酒を注ぎながら思い出す。深夜に近い時間に姿を現したウィル。そして明け方に箱馬車で詰所へ運ばれてきたウィル。


「そうだな。流石に疲れた」

「まあ、殆ど寝る時間も取れませんでしたから仕方ありませんよ。ですが、とりあえず片付きましたから、明日からはゆっくり出来るでしょう」

「そう願うばかりだ」


 互いにクスクスと笑いあい、蒸留酒を口に含む。夜は静かに更けていった。





「……んんっ…………ん……?」


 ウィルが目を覚ますと、目の前が濃い青一色で頭に疑問符が浮かぶ。瞼が重く、視界は狭い。動こうにも、身体の上に何かが乗っていて思うように動けなかった。


「やっと、目覚めたか?」

「……え?」


 頭上から降ってきた声に、掠れた声で返せばウィルは、そのまま抱き起された。目の前にいるのはガイだ。


「酷い顔だな。何か冷やす物を準備してやるから待っていろ。目が覚めたなら、制服を離してくれないか?」

「あ……あれ? あれ?」

「はあ……。ずっと固く握り締めていたから、筋肉が強張っているのだろう」


 制服を離せとガイに言われて、ウィルは掴んでいる物の正体に気付いた。しかし、放そうとしても自分の手が上手く動かせない。ガイが手伝い、ようやっと制服から手が外れる。皺だらけになった騎士服の上着をベッドへ脱ぎ捨て、シャツ姿になるとガイは部屋を出ていった。

 ボンヤリとしたまま、ウィルは部屋を見回す。備え付けと見られる本棚には、ズラリと難しそうな本が並んでいる。机にはインク瓶と羽ペンがあり、かなり使い込まれていた。


「ここって……」

「俺の自室だ。ベッドに横になり、これで瞼を冷やしていろ」

「ガイの部屋……」


 ガイから手渡されたのは冷やされた手拭い。言われるままに目元に当ててベッドへ転がる。


「ああ。昨日泣き疲れて上着を掴んだまま、眠ってしまったからな。外そうと思えば外せたが、その度に泣きそうになるから、そのまま俺の部屋へ連れて来た」


 ガイとの会話で、ウィルは昨日の出来事を思い出していた。何もかも初めてだった。散々怒られたことも、こんなになるまで泣いたことも。誰かと一緒に眠ったことも。そして……。


「……一人ぼっちになりそうで、怖かった」

「そうか」

「一緒に……居てくれて、ありがとう」

「ああ。気にするな。俺は仕事があるから出掛けるが、今日は大人しく部屋に居ろ」

「……うん。そうする」

 頭を撫でられる感触がして、ソッとその手が離れていく。それをほんの少し寂しいと思いながらも、ウィルは素直に頷いた。








 気がつくと、再び眠っていたらしい。生温くなった手拭いを外し、窓へ視線を向ければ、太陽が高い所まで昇っている。ベッドから起き上がり、机を見ると布が掛けられた皿と水差しが置かれていた。


「……サンドイッチ」


 掠れた声に驚いたウィルは、水差しの水をグラスに注ぎ、それを一気に飲み干す。ひと息ついたウィルが腕時計に視線をやれば、すでに昼を過ぎていた。

 朝よりも開くようになったものの、瞼はまだ重い。座っているベッドへ目を向けると、ガイの騎士服の上着が置きっぱなしになっていた。それへウィルは手を伸ばす。


「(ホームシック……なのかな。寂しくてたまらない。帰りたくて仕方がない)」


 自分のことを知っているのは、竜人族のガイだけだ。それでも、全てを知っているわけじゃない。そんな相手はここには(アルトディニア)に存在しない。だから、ガイがいないと寂しいと感じてしまうのだろうか? そんなことを考えながら騎士服の上着を見詰めていた。


「……駄目だ。ちゃんと頑張らなきゃ。また、ガイに怒られる」


 自分自身を叱咤して、騎士服の上着をベッドの上に戻す。


「とりあえず、客室に移動しないと。何時までも人の部屋に居るのは良くないし」


 ウィルは、腰掛けていたベッドから立ち上がり、机に置かれたサンドイッチと水差しの乗ったトレーを手に取ってドアを開けたが。


「……誰、ですか?」


 廊下に出て、気付いた違和感。何もないのに、何かがある。感覚が鋭いウィルだからこそ、気付けた違和感だった。咄嗟にトレーを床に置き、剥ぎ取りに使う短剣を具現させる。


 人影も何もない廊下。しかし、何者かが居る。それは確信しているが、ここまで気配が分からないのは、ウィルも初めてだった。殺気は感じられないが、昨日の今日だ。


「クククッ。なるほど、俺の気配に気づくか」

「……ハワード?」


 聞こえた声は、確かにハワードその者の声だった。


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