035
オズワルド公爵家から焼き菓子が届けられ、マーシャルがお茶の準備を始めた。するとアレクサンドラの執務室は、ちょっとしたお茶会という雰囲気になる。好みの菓子を皿に取り分け、それぞれの席に紅茶を淹れたティーカップを置いて、マーシャルもソファに戻る。
「それで……。トマ男爵家の長男は、どういう用件で?」
「知らんな」
「どういう意味ですか?」
トマ男爵家が代官を務める領地は、ノーザイト要塞砦から少し離れている。次男のジョナサン・トマならば、何らかの手段を持っていてもおかしくはないが、長男は愚劣な人物として名を売っている人物だ。他の兄弟とは仲が悪いという噂もある。恐らく、先月行なわれた晩餐会以降、領地に帰っていなかったのだろう。
「書状は届いたが、まだ顔を出しておらんのでな。先に弟と面会しておるのだろう」
「対面を申し込んだのは、クラーク・トマの方でしょう? 総長への書状ですか? それともオズワルド公爵領主代理への書状ですか?」
「さて。まあ、封書自体は屋敷へ来たようだったが? 家令が、わざわざ執務室へ届けに来たぞ」
「トマ家長男は、相変わらず好き勝手しているようだな……。クラーク・トマの件も、証拠はある程度集まっているが、どうする?」
ハワードが呆れたように言う。確かに魔境一帯を領地とするオズワルド公爵家の庇護の元に、他の貴族達は暮らしているのだ。そのオズワルド公爵家を軽視していると受け取られても反論できない行為である。
トマ男爵家も僅かといえど、領地をオズワルド公爵に任されている。領主を蔑ろにするような行動は許されるべきものではない。
「完全に落とすには、まだ……少し足りないでしょうね」
「足らせるだけの何かが、あれば良いのではないか?」
「……まあ、彼のことですから、碌な用件でないことは確かです。デイジー・ハバネルを王都へ移送する仕事がありますので、早く帰らせていただきたいのですが」
「そういう訳にいかんだろうな。トマ家の三男は、マーシャルが率いる第一師団のワーナー副師団長の補佐だ。その者の話だとすれば、マーシャルがいる方が話も早いだろう」
「十中八九、違いますよ。全く、面倒ですねえ」
元々はマーシャルが招いたことだと、皆心の中で呟いたが口に出さない。丁度いい頃合いでドアノッカーの音が室内に響く。廊下からトマ男爵家嫡男を案内してきた騎士の声が聞こえた。
「残れ」
「はあ……。仕方がありませんね」
ニヤリと片笑みを浮かべアレクサンドラが命ずると、マーシャルは仕方なさそうに返答をする。エドワードは、ソファを離れると壁に寄りかかった。
「ノーザイト要塞砦騎士団の件に、私が口を挟む訳にいかないからな」
「別に挟んで構わん。マーシャルが碌な話はしないと判断している。エドワードが口を挟めば、クラーク・トマも帰るだろう」
「クラーク・トマが、エドワード王太子殿下と気付けば、ですがね……。恐らく覚えていないと思いますよ」
その点においては、全員見解が一致している。アレクサンドラが立ち上がり、一人掛けのソファに腰掛けると、ハワードが執務室の扉をあけて、案内をしてきた騎士とトマ家嫡男を室内へと招き入れた。
トマ家嫡男のクラーク・トマは、オーウェンとは懸け離れた容姿をしている。年の頃は三十後半だろうか。肥満体質なのか巨腹を抱え、暑くもないのに額から汗を流していた。
「クラーク・トマ殿をお連れ致しました」
「下がっていいぞ」
「はっ」
敬礼をすると、騎士は執務室を出て行く。残されたクラークは、ハワードが案内する前にドカドカと執務室内を進み、空いている席へ腰掛けた。これには、さすがのアレクサンドラも渋い表情をする。ハワードは、無言でマーシャルへと視線を送ると静かに外へ出て行った。
「貴女がオズワルド公爵令嬢でいいのかね? ああ、そこの騎士。茶を持って来い」
礼儀も挨拶もないクラークの有様に、その場に居た三人は頭が痛くなったが、それを問うのも疲れるとアレクサンドラは考えを切り替えた。
「……クラーク・トマだったな。手短に要件を話せ」
「弟は、騎士を辞めさせて連れて帰る。まったく、勝手に王国錬金研究所を辞めおってからに。それからな、弟が助けた少年も、私が養子――――」
「オーウェンが助けた少年とは、いったい誰のことでしょうか?」
「は? 弟が護衛していたのだから、助けたで間違いないだろう?」
「それは出来ない相談ですね」
マーシャルがクラークの言葉を遮り、クラークと視線を合わせる。クラークはポカンと口を開いたまま、マーシャルを見ていたが、我に返ったのか咳払いをした。
「ただの騎士が、随分と偉そうに言ってくれるじゃないか。君は誰だ?」
「ノーザイト要塞砦騎士団 第一師団師団長マーシャル・モランですが」
「ス、ス、スキルズテーマー。何故、貴様がここに……」
「おや。随分と懐かしい呼び名ですね。貴方の弟であるオーウェン・トマは、私が師団長を勤める師団の副師団長補佐をしていましてね。なので、忙しいというのに貴方が来るからと総長から呼び止められてしまっていたのですよ」
若干、顔色の悪くなったクラークに、貼り付けた笑みを見せる。その名を付けられたのは、随分と前に起きた隣国と小競り合いがあった時ではなかったかとマーシャルは思い出す。恐らくクラークも、その小競り合いの中に居たのだろう。
「さて、話を戻しましょうか? 少年を養子にと言い掛けたようですが、どうするつもりだったのですか?」
「そ、それは当家でちゃんとした教育を施すのだ。その後、魔塔へ研究者として入らせる。弟が高く評価している少年なのだから、その少年は凄い能力を持っているに違いない。滅多にない人材だ。これで、錬金研究所だけでなく、魔塔にもトマ家の名が刻まれることになる」
興奮しすぎたのか、クラークは周りの冷たい視線に気付いていない。つまり、クラークは堂々とウィルを利用すると言ったのだ。アレクサンドラは呆れたように溜息を漏らし、エドワードは肩を竦めている。マーシャルは、冷ややかな視線をクラークへ向けていた。
「……クラーク・トマ。貴方のような者が教育と言いますか? 貴族としての礼儀も挨拶も全く出来ていない、そんな貴方が。少年に出来たことでさえ貴方は出来ていないのですから、教えられる立場となるのは貴方の方ですよ」
「な、何を……」
「まず、執務室に入ってすぐ、勝手に席へ着きましたね? 案内されるまで待つことが、一般常識というものですよ? 貴方は、トマ家嫡男であって爵位は継いでいません。よって、オズワルド公爵令嬢に対する言葉もなっていません。挨拶もありませんでしたね? 自身より身分が上の相手に先に話し掛け、お茶を持ってこいと要求しました。それもマナーとしてなっていません。何よりもオズワルド公爵家に封書を出して面談を求めた貴方の方が遅れてくるとは、どういう了見なのでしょう? あまりにもオズワルド公爵家を軽んじているように見受けられますが?」
マーシャルが、畳み掛けるようにクラークへ駄目出しをしていく。その間にもクラークの顔色は赤く青く忙しい。堪えきれなくなったクラークが、いきり立って口を開いた。
「わ、私はオズワルド公爵令嬢と話をするために来たのだ! 大体、爵位を捨てたスキルズテーマー如きに用事はない!」
「ほう。ならば、モラン伯爵の話した通りだ。其方に少年を預けることは出来ぬ」
「スキルズテーマーが、伯爵だと!?」
マーシャルが爵位持ちと知らなかったのか、アレクサンドラの言葉に、クラークは慌てた様子を見せた。そんなクラークに、マーシャルは盛大に溜息を漏らす。
オズワルド公爵領に来て十年。何度もクラーク・トマとは顔を合わせている。それ以前に、幾ら壁際に立っているとはいえ、エドワードに気付いたようにも見えない。
「ええ。侯爵家を出た折に伯爵位を頂いて、十年以上経ちますが?」
「そ、そうだ。オズワルド公爵令嬢! その少年に、本人に聞かなければ分からないじゃないか! 平民なら、貴族になれることを知って、きっと喜んでトマ家の養子にしてくださいと言うはずだ!」
ウィルに訊く。尤もな言い分だが……。
「いや。ウィリアム君ならば、確実に断るだろう」
壁際に立つエドワードが口を開き、アレクサンドラの座るソファへと歩き出した。
「彼は私の申し出さえも、撥ねつける少年なのだ。其の方が声を掛けたとて、応じることはあるまい」




