021
「おい。朝だぞ」
「……ん。しちゅー」
「寝とぼけているのか? シチューは、ウィルが食べ尽くしただろう」
呆れ顔で、ウィルの顔へ視線を向けたガイは、昨夜のことを思い出していた。揶揄ではなく、本当にタマラの店の食事を食べ尽くす勢いでウィルは食事をしたのである。
基本的に、騎士はノーザイト要塞砦騎士団内にある大食堂で食事をする。しかし、職務上、騎士全員が同じ時間に食事をすることは不可能だ。毎日、ある程度の量を調理人たちが準備して、騎士は大食堂に出向いて食べるようになっている。大食堂の食事で足りない場合や酒を飲みたい時は、それぞれ外食や自炊する。
ガイは、自分の食事量が人族のそれに比べ、多いことを自覚していた。なので、大食堂で食べる物とは別に、官舎で食事を支度して取るようにしている。マーシャルも人族の割によく食べる方だ。本人も自覚があるらしく、足りない時はマーシャルも自炊している。
ウィルは『タマラの店』で、ガイとマーシャル以上に食べた。その小さな身体の何所に入るのかと不思議に思える程にだ。その結果、その夜提供される予定だった料理は、ガイ、マーシャル、ウィルの三人の腹に消えてしまった。悲惨だったのは、客もだが、店主達だろう。一つの料理を運べば、二つの料理を注文される。それが、休む間も与えられず、延々と二時間以上続いたのだから。
ガイは、再び枕を抱き小さく丸まって眠るウィルへと視線を落とす。
「おい。起きないと、朝食がなくなるぞ」
「……む。……朝……ご飯。……えっ、なくなるの!」
ガバッと起き上がるウィルに、ガイは思わず噴き出す。
「クッ、ハハハハハッ。冗談だ。ちゃんと食べられるから、準備をして出て来い。大食堂に案内しよう」
「冗談だったの? 酷いよ」
「何時までも寝ているウィルが悪い。仕事をしたいなら、早く起きろ」
「うん。起きる」
ゴソゴソと動き出したウィルを確認して、ガイは客室を出た。応接室には、既に騎士服に身を包んだマーシャルが来訪している。
「待たせてすまない」
「いいえ、構いませんよ。早朝に押しかけて来たのは、私の方ですから。朝の会議がある間は、私の方で彼を預かります。昨日の調書を作る必要もありますからね。その後は、ガイの方でお願いします」
「ああ。それでいい。しかし、何の仕事をウィルに頼むかだな」
「そうですねえ。今日は、様子を見るということでいいのではありませんか?」
「そうだな。そうするか」
ガイとマーシャルが予定を立てていると、支度を済ませたウィルが応接室へと顔を出した。
「……おはよーございます」
「おはようございます。まだ、眠たそうですね?」
「うん。眠い」
トロンとした表情に、マーシャルは首を傾げる。
「貴方は、朝が弱いのですか?」
「朝というか、癒しの雨を長い時間、使ったからだと思う。魔力を結構、消費したはずだし……。体内の魔力量が減ると、食べる量も増えるし、眠気も半端じゃなくなるんだよね」
フラフラとした足取りでソファに座るウィルに、ガイとマーシャルは顔を見合わせる。
「あれだけ大規模な魔法を使っても、まだ魔力が残っているのですか?」
「うーん、こんなに魔力を消費したの初めてだから、よく分からない。でも三分の一も使ってない」
どちらかといえば、制御装置に喰われた魔力の方が多い。
「消費した魔力を取り戻そうとして、食事量と睡眠が増えるということなのか?」
「そんな感じ、かなぁ? いつもは、多くて昨日の半分くらいしか食べないよ」
それでも、充分に大食いだと言える。ウィルは、まだ目が覚めていない様子で、話される内容にマーシャルとガイが呆然となっていることに気付いていなかった。
「ねえ、朝ご飯。食べに行かないの?」
「ああ、そうだったな。じゃあ、大食堂へ行くか」
気を取り直し、ガイが立ち上がるとマーシャルとウィルも続いて立ち上がる。早朝ならば、大食堂も込み合うことがない。量的には、少ないかもしれないが、足りない分は後から補充すればいい。
そんなことを話しながら大食堂に向かうと、やはり人影は少なく閑散としている。其々、大食堂のスタッフから今日の朝食を受け取って席に着いた。
「……今朝は随分と、ゆっくり食べるのですね?」
「量が全然足りそうにないから、よく噛んで食べてる。テントを出して自分で作って食べようかな? 客室で使ってもいい?」
「構わないが、あのテントもあの方の作品なのか?」
「あの方って、フォス――ムグッ」
ウィルがフォスターの名前を口に出そうとすると、ガイがウィルの皿に乗っていたパンの端切れを押し込む。押し込まれたウィルは、理由が分からず目を白黒させていた。
「アルトディニアの街中では、人が神の名前を戴くことを禁じている。その名を口に乗せてはならない」
「先に言ってよ。フォスなら大丈夫?」
「それならば、支障はないでしょうね」
「はぁ。結構、面倒なんだね。僕の持ってる物は全て、フォスが創ってくれた物だよ。この服とかも創ったんだと思う」
数日前に刻まれた刻印が隠してある右手に視線を向け、ウィルは溜息を吐く。不老付きの器も創ってもらったんだけど……と心の中で呟くウィルである。
フォスターは、神の祝福であるとのたまうが、ウィルにしてみれば厄介な呪いでしかない。この世の何処に、歳を取らない人族がいるというのか。せめて、成人男性であればマシだったと思うが、そこはフォスターの成人男性だと可愛げがないという、訳の分からない理由で却下されていた。
「どうかしましたか?」
いきなり無言になったウィルを心配したのか、マーシャルが声を掛ける。
「ううん。考えてみると贅沢だよなと思って。そんなに要らないって言ったのに、もう会う機会がないかもしれないって、色々貰ってるから」
「そうですか」
「会う機会がないからこそだろう。あの方もウィルと離れることを、寂しく思われていたのではないのか?」
「そうなのかな? それだったら、嬉しいかも。寂しかったのは、僕だけじゃなかったんだね」
フォスターや緑龍と別れて、二日。今まで三年間、毎日一緒にいた相手と離れることは、少なからずウィルの心に寂しさと悲しみを与えていた。言うなれば、ホームシックである。
「長く一緒に居過ぎたのかな。ずっと、一緒に居られる存在じゃないって分かっていても、離れるって思うと寂しかったんだ。僕にとってフォスは、お父さんでありお母さんだったから。それに御師様とも、もう会えないし……って、時間は大丈夫なの?」
しんみりとした雰囲気にウィル自身が耐え切れなくなり、話題を替える。実際、大食堂も人が増えていた。
「朝食を食べた後ですが、貴方は昨日の取り調べがあるので、私と一緒に来てくださいね」
「取り調べ……。冒険者ギルドで暴れた人達のこと?」
「ええ。そうです。冒険者ギルドの職員からも調書を取ることになっていますので、よろしくお願いします。ガイは、朝から会議が入っているそうなので。午後は、どうしますか?」
マーシャルがウィルに今日の予定を伝え、ガイへ訊ねる。
「午後から、師団の訓練があるな。……参加は無理だが、訓練を見学するか?」
「参加できないんだ? 鍛錬はしたいけど、目立つことは避けたいし、マーシャルから買ってもらった本を読んで勉強する」
その返答に、ガイは立ち上がった。
「そうか。ならば、用事がある時は、昨日の屋内訓練場にいるから来るといい。場所は覚えているな?」
「うん。覚えてるよ」
「では、先に行く」
「ん、いってらっしゃい」
へにゃりと笑って手を振るウィルに、ガイは微笑むと大食堂を出て行く。マーシャルは、ガイと自分のトレーを手に持って立ち上がった。
「それでは、私達も移動するとしましょうか」
「うん。そういえば取り調べって、どこでするの? ……あのさ、それ以前に騎士団と警備隊の違いが、よく分からない」
ウィルにとっては、騎士団と警備隊は馴染みのない機関だ。警察と自衛隊みたいな、でも違うようなという感覚である。
「貴方は、アルトディニアのことを全く知らないのですか?」
「フォスから教えてもらったのは、国の名前と、どういう特色がある国なのかっていうのと、誰が治めてるのかくらい。後は、太古アルトディニア暦は履修した」
「そうですか。では、貴方の質問から答えましょう。ただし、アルトディニアというより、オズワルド公爵領の話になりますが」
ノーザイト要塞砦警備隊は、街や街道の治安維持が最も重要任務としており、取り締まるのは人々が主で、魔物は少ない。
ノーザイト要塞砦騎士団は、領地内の治安維持や警備が最も重要任務である。そして、ノーザイト要塞砦騎士団が相手にするのは、基本的に魔物が主で、人は少ない。その違いが、一番大きいとマーシャルが話す。
「警備隊の隊員も魔物との戦闘は出来ますが、専門ではありません。それと、ノーザイト要塞砦騎士団は戦争に行きますが、志願しない限り警備隊は残ります。それも、違いのひとつでしょう」
「戦争があるの?」
「大規模な戦争はありませんが、小競り合い程度ならありますよ。尤も、余程のことがない限り、オズワルド公爵領へ攻めてくることはありませんから、戦争へ赴くのは王都の騎士団になります。話が逸れてしまいましたね。取り調べは、私の執務室でどうでしょう?」
マーシャルに問われ、思案する。通常であれば、師団長のマーシャルが取り調べをするとは思えなかったからだ。
「普通は、何処でするの? それに、誰がするの?」
「ノーザイト要塞砦騎士団が介入する前に警備隊が動きますから、取り調べも警備隊の隊員が行ないます。例外は、貴族が問題を起こした場合です。こちらは、警備隊を飛び越えて騎士団が行います」
「じゃあ、警備隊の人が来るの?」
「いいえ。昨夜はノーザイト要塞砦騎士団が先に動いてしまったので、取り調べは私が担当します」
「それって、僕の所為だよね? なんか、ごめん」
「いえいえ。あの方々の苦情は警備隊から騎士団へも報告されていましたから、構いません。いずれ問題を起こしていたでしょうからねえ。貴方が謝る必要はありませんよ」
項垂れるウィルを自身の執務室に案内したマーシャルは、部下に『鮮血のワイバーン』の調書を取りに行くよう指示を出し、お茶の準備を始めた。
「そういえば⋯⋯昨日は何故、お茶を断ったのですか?」
「たいした理由はないよ。その⋯⋯しっかりとしたお茶の作法を知らないから」
「そんなことですか? 美味しく飲んで頂けるなら、それで構わなかったのですよ?」
確かに作法はあるが、それを気にするような者は、あの場にいなかった。それ以前にアレクサンドラが作法を守るような人物ではない。
「僕以外は貴族だし、総長や師団長が勢揃いしてるのに、緊張するなって方が無理だから」
「なるほど。緊張していたのですね。それから一つ訂正を。師団長は、私達だけではありません。勢揃いと言うならば、ノーザイト要塞砦騎士団の師団は第六師団まであり、それから特務師団も存在しますから、師団だけで数えれば七つ。そして、総長直属の精鋭隊まで数えると八つになりますね」
「むう……そんなに多いの」
「魔境全体で考えれば、これでも足りないくらいなんですがね」
マーシャルがクスクスと笑えば、ウィルはいじけたような声を上げる。言われてみれば、緊張するなと言う方が難題だろう。
「後は、誰が看破を持ってるのか分からなかった」
「そうでしたね。貴方は良くも悪くも素直なので、容易で助かりました。まあ、未だ秘密を抱えているようですが、その内に話して頂くとしましょうか」
「うっ……。そ、その内に話すよ。たぶん」
言葉に詰まるウィルの前にティーカップを差し出すと、そろそろと手を伸ばす。その姿を見て、マーシャルは警戒心が強い子兎のように見えて仕方がなかった。
実際、アルトディニアの大地に降りて、ウィルは警戒しているのだろう。紅龍から聞かされた話の件もある。しかし、自分やガイに対しては、少し緩んだように思える。
ガイは、ウィルの師を知っているようだ。ウィルもガイ本人は知らなかった様子だが、ガイに竜人族と訊ねてきた。恐らく、師から竜人族が街に住んでいることを聞かされていたのだろう。マーシャル自身は、恐らく紅龍のお陰だ。ウィルは、龍の住処に住む龍に信頼を寄せているように見える。師の友人ということは、ウィルの師自体が龍王の眷属なのかもしれない。
「……そんなに、見ても何も出てこないよ?」
「いえ。美味しそうに紅茶を飲んでくださるので、嬉しかったのですよ」
「だって、本当に美味しいし」
純粋に褒められて、マーシャルは面映い。ガイも、ウィルに似たタイプの性格をしているが、ウィルに比べると刺々しい部分がある。ウィルに、ありがとうございますと笑顔で答えていると、ウィルの視線が扉へ向かった。
コンコンコン
「モラン師団長。副師団長補佐のオーウェン・トマです。少し宜しいでしょうか」
ノッカーの音がして、固い声で執務室へ声が掛けられる。マーシャルが入室の許可を出すと、先程とは違う部下が顔を見せた。
「どうしたのですか?」
「それが、冒険者ギルドから来られた女性が、少し問題を起こしまして……」
「問題? どういうことですか?」
「簡潔に申し上げると、取調官に怪我を負わせました」
冒険者ギルドの女性職員は、取り調べを行う人物が気に入らない。自分は伯爵令嬢だ。だから、ガイ・ラクロワを呼べと騒ぎ出し、それを説き伏せようとした取調官へ、いきなり雷撃を放ったという。
その騎士は、治癒師に治療を受けて休んでいるが、冒険者ギルドの女性職員は、今も取調室に立て籠もっている状況だと言う。
流石に参考人として来た冒険者ギルドの女性職員。しかも自称ではあるが、伯爵令嬢だと名乗る女性を勝手に牢へ移すことも出来ず、判断を仰ぐため師団長の元を訪れたのだ。
ウィルも騎士の話を一緒に聞いていたのだが、その内容で思い出されるのは、自称ガイの婚約者ハバネル伯爵令嬢のデイジーのことである。
「それって、あの女性だよね?」
「ガイの事を口に出すとすれば、そうでしょうね」
「どうするの? ガイ、呼ぶ?」
「いいえ、呼びませんよ。呼べば、益々図に乗るでしょうから。それに、怪我を負った騎士には申し訳ありませんが、此方としては好都合です。彼女には、早々に退場して頂きましょう。非常に邪魔なので」
妖しい微笑みを湛えるマーシャルに、その場に居合わせた副師団長補佐のオーウェン・トマとウィルは、恐ろしさのあまり身体を震わせた。




