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溜息を吐き出し、息を整えるとウィルは顔だけで振り向き、肩越しに男を見る。ただし、オーバーウェアのフードを深く被っている所為で、絡んできた相手や周りにはウィルの顔が見えていない。その顔は、常日頃見せる温和な表情は鳴りをひそめ、無に近いものだった。
「冒険者ギルドには、知人に同行して頂いていますから、皆さんのお酌は無理です。それから、僕は身長が低いせいで幼く見られやすいですけど、十五歳で準成人してます。それと⋯⋯女性だから酌をしろみたいな発言は、女性にたいして失礼な発言だと思います。後、皆さんが有名な冒険者だったとしても、僕は余所からノーザイト要塞砦へ来たばかりなので、貴方達の存在を知りませんでした。それに関しては謝罪します。というか、僕は冒険者の登録に来たばかりで、まだ正確には冒険者じゃありませんので、お金を払う必要はないと思います。他に何かありますか?」
ウィルが、淡々と告げれば、男達の顔が引きつる。十五歳と聞いても、標準に全く届いていない身長に、筋肉と呼べるほど肉がついていない薄い身体。そんな子供のような姿を持つ者に、大人顔負けの煽りを受けて流石に引っ込みがつかないのか、ウィルの肩に手を伸ばしている男が、フードの中にある顔を覗き込むようにして脅しを掛けてきた。
「お、おいおいおい。俺達が下手に出てやってるうちに、金を渡した方が身のためだぜ」
「そう、そうだ。俺達に逆らえば、ノーザイト要塞砦の冒険者ギルドでは仕事が出来ねえってことだぜ。お坊ちゃんよぉ」
「仕事が出来ないのは困ります。で、……そのお話って、本当ですか?」
男の言葉に、周りを見回せば、誰もが視線を逸らしていく。ウィル自身、男の台詞を信用していない。そもそも、
「どうやら違うようですけど?」
確認するように問えば、酔いの所為で赤くなっていた男の顔が尚更赤くなっていく。そもそも、有名な冒険者ならば、このような品性を疑う行為は避けるだろうと、ウィルは小さく息を吐く。その姿に、余計に逆上した男は、遂に腕を振り上げた。周りで見ていた冒険者たちも、これには叱責の声を上げたり、悲鳴を上げたりしているが、男たちは止まらない。
「グダグタと御託を並べやがってっ、ぅるせえっんだよっ!」
肩を掴んだまま殴りかかろうとする男の拳をウィルは片手でいなし、もう片手で捕らえるとそのまま引き倒す。
「ぐげっ!」
「てめえっ、やりやがったなっ!」
蛙の潰れたような声を出して倒れた男から、視線を上げると視界に別な男の姿が入る。その男の脇をすり抜け、足を掛ければ派手に転がり、壁に激突して気絶した。もう一人の男へ顔を向ければ、真っ青な顔で後退している。
「ひっ! わ、悪かったよ。もうしねえから、許してくれ!」
「本当に、しないですか?」
「あっ、ああ。本当だとも」
「なら、いいです」
「なーんて、嘘――あだだだだっ!」
「ですよねー。そう言うだろうと思いましたっと」
その男に背を向けた瞬間、襲い掛かってくるのが分かっていたウィルは、真横に跳ぶと背後へと回り、男の腕を掴んで捻り上げた。さて、これからどうしようと受付へ視線を向けると、職員に呼ばれたのかガイとマーシャルが奥から掛け出てくる姿が目に映る。
「ウィル……。お前は、いったい何をしているのだ?」
呆れたようにガイに声を掛けられ、ウィルは少しだけ時間を空け答える。
「……防衛してたところ」
「防衛していた、ですか? 随分と暴れたようですが⋯⋯」
マーシャルも意味が分からなかったのか、おうむ返しの様な形で聞き返してくる。受付の前で、鼻血を出しながら顔を押さえ悶絶している男。少し離れた場所で気絶している男。そうして、ウィルが取り押さえている男へ、二人は順番に目を向けていく。
「うん。お尺をしろとか、お金を寄越せとか。あ、そうそう。この人たちに逆らうと、ノーザイト要塞砦の冒険者ギルドでは仕事が出来ないらしいよ? 此処にいる人達に聞いても答えてくれなかったから、嘘だと思うけど」
ウィルが冒険者ギルドにいる冒険者や職員を見回すように視線を向ければ、かおを背ける者、顰める者、俯く者が多く、言葉を発する者は居ない。『鮮血のワイバーン』を止めることが出来なかった面々は、ウィルの視線を追うように顔を向けたマーシャルから逃げるように、そそくさとその場を立ち去っていく。残されたのは、ウィルに倒された『鮮血のワイバーン』の面々と、未だ手続き中だった冒険者、そして職員のみだ。
「さて、そんな決まりは冒険者ギルドには無いはずですが?」
「おい、あいつ等は何処から来た冒険者だ? っ!?」
「ハバネル伯爵領の冒険者ギルドから、私を送ってきた人たちですぅ。まさか、こんなパーティーだって思わなくてぇ、デイジーとっても怖かったけどぉ、ガイ様が来てくださったから、安心しましたぁ」
「……そうか」
騒ぎの間に受付から抜け出してきたのか、長い列を作り出していた受付嬢が話に加わり、ガイの腕に胸を押し付けるようにして纏わりついている。ガイは、一瞬だけ不快感を露わにしたが、その後は普通に対応した。
マーシャルは、そんなガイを尻目に他の男性職員と話を済ませ、ウィルの隣へ歩いて来るとウィルを安心させるように微笑んだ。
「職員に外で待機している騎士への連絡を頼みましたから、すぐ彼等の捕縛に来ます」
「ん、僕も捕まる?」
「捕まえませんよ。ウィルは被害者でしょう?そんな事より、ギルドカードは発行してもらえましたか?」
男達のことで、すっかりギルドカードの事を忘れていたウィルは、慌ててカウンターへ向かった。受付には既にバークレーが戻っており、なんとも言い難い表情で騎士団の騎士を見詰めている。
「バークレーさん、僕のギルドカードは……」
受付に駆け寄てきったウィルに、バークレーは大息を吐くと、二枚のギルドカードを差し出した。
「ああ、出来上がってるぞ。この針で指の腹を刺せ。その血をギルドカードのここに押し付けろ。もう一枚も、同じようにすればギルドカードの登録完了だ」
ウィルはバークレーが差し出した針で言われるまま、指を刺し二枚のギルドカードへ押し付ける。するとその血が淡く光を帯び、血の跡がギルドカードへ吸い込まれるようにして消えた。
「一枚は冒険者ギルドで預かる分だ。不吉な事を言うが、君が任務に出て帰って来なかった場合、君が生きているのか、死んでいるのかを冒険者ギルドが管理するギルドカードで確認できる。生きているようであれば、預り金で捜索隊が組まれる」
「……便利なんですね。これも魔法なんですか?」
「俺にもギルドカードの仕組みは分からん。……これで完了だ。このギルドカードを紛失すると、再発行に金がかかる。失くさないように気を付けろ」
「はい」
嬉しそうにギルドカードを見詰めるウィルに、バークレーは忠告をする。
「それと、冒険者ギルド内での喧嘩はご法度だ。最悪、冒険者資格を剥奪される。それと、直ぐに警備隊や騎士団へ通報されるぞ。まあ、今回は登録前の事件だから、冒険者ギルドがどうのこうの言うことはねえが、次からは気をつけることだ」
「はい。気をつけます」
「今回は、こっちが助けられた。あんな連中だが、Bランクの冒険者でな。職員達も怯えながら仕事をしていた。普段なら、Sランク冒険者が常駐しているんだが、魔物の活性化が起きてる領地へ出向いてる」
「でも、バークレーさんがいれば大丈夫でしたよね?」
笑顔で答えるウィルを、バークレーは驚きの表情で見る。確かに、冒険者ギルド内で争い事を収めるのは、バークレーの仕事だった。ただ、他領の冒険者が起こす揉め事は厄介事になることが多いため、バークレーは、今まで彼等の悪事も問題行動も全て黙認し、あえて何も言わず放置し続けていた。そのまま、放置していたとしても、ギルドマスターが咎められることはあっても、バークレーの責任になることはない。
「っ! いいや、そうでもない。さて、君に早速依頼が来ているんだが……」
ウィルが依頼書を受け取れば、『鮮血のワイバーン』の捕縛を終えたマーシャルが隣から覗き込むようにして、依頼書を見ている。そして、いつの間にかガイも来ていた。
「はい。受けます」
「そうか。地道に依頼を受けていけば、冒険者ランクも自然と上がっていく。頑張ることだ」
「はい。そうします」
応援するようにバークレーから声を掛けられ、ウィルも嬉しそうに答える。それを微笑ましく見守る人々が多かったが、中には隠れるようにして忌々しそうに見る者も存在していた。そのことにウィルは気づいていたが、当初の目的は果たしたため、そのまま冒険者ギルドから出る。
「騎士団からの応援部隊が来るまで、外で待ちましょうか」
「第三師団の分隊から二名借りて縄を掛けておいたが、何かあっては困る。その方が良いだろう」
「……そういえば、ガイって受付の女性と知り合いだったの? 僕、凄く睨まれたんだけど」
後方にある冒険者ギルドを振り返り、肩を竦めるウィルにガイは溜息を吐き出した。
「知り合い……と言うより、彼女と彼女の父親に迷惑している。ハバネル伯爵領と言っていただろう? 彼女の父親がハバネル伯爵だ」
「彼女は伯爵令嬢なのですか? とても、そのようには見えませんでしたが……。それに、第一師団には何の連絡もありませんでしたよ?」
「庶子だと聞いている。ハバネル伯爵家から、デイジー嬢との婚約を申し込まれた。オズワルド公爵領に入ったのは、一週間程前らしい」
婚約と聞いて、ウィルもマーシャルも目を見開く。ガイは、ラクロワ伯爵家の嫡男。つまり、純血の竜人族なのだ。竜人族の長であるラクロワ家。その嫡男が人族と婚姻を結べるとは、ウィルもマーシャルも考えてはいない。
「え? でも、結婚できないよね?」
「ああ。だから、俺も父上も断り続けている。それにハバネル伯爵といえば、色々と黒い噂のある人物だ。父上にとっても頭の痛い話だろう」
「確かに、ハバネル伯爵家は昔から良くない噂を多々聞きますね。盗賊と裏で取引をしているとか、獣人の奴隷を集めているとも聞いています。どうやら、冒険者の質も悪いようですね」
この国が奴隷制度を廃止し罰則を設けて、二十年以上経つ。だが、それでも奴隷を闇取引する者がいる。オズワルド公爵領では考えられないことが、他の領地では未だに行われている。しかも、決して表に出ることはない。何故ならば、奴隷を買うのは、貴族や商会などを営む富裕層だからだ。
「……そのハバネル伯爵を裁くことは出来ないの?」
「完全に黒ならば、それも可能でしょう。ですが、噂だけで捕らえることは出来ません。確たる証拠が必要なのですよ」
「それに、黒い噂のあるハバネル伯爵だが、領地運営の手腕は確かだ。そこを考えると難しい問題だな」
「おや、どうやら来たようですね」
大通りを騎乗した騎士達が幌馬車を連れて駆けてくる姿が目に映り、マーシャルとガイは会話を終了させた。ウィルは邪魔にならないよう壁際に立って、その様子を見ている。
「(悪は成敗! そういう訳にいかないのか。貴族って本当に面倒なんだな。それにしても、何で睨まれたんだろう? 初対面だし、会話もしてない)」
冒険者ギルドの出入り口では『鮮血のワイバーン』が幌馬車に乗せられているところだ。ガイへ視線を移せば、再び女性が絡みつこうとしているのが目に入る。
ガイが伯爵家の嫡男ということもあり、周囲で見ている冒険者たちも恨めしそうに見ているだけで、直接文句をいう者はいない。ガイが、明らかに迷惑そうな顔をしている所為もあるのだろう。マーシャルは、騎士達と話を済ませ、先にウィルの元へ戻ってきた。
「貴方にも事情を訊かなければなりませんが、明日で構わないということでした。貴方はノーザイト要塞砦騎士団に居ますからね」
「うん。それは構わないけど。……なんで、あんなに睨むんだと思う?」
こちらへ戻って来るガイの後ろ。そこから、女性に睨まれて、ウィルはうんざりしたようにマーシャルへ問い掛ける。
「何故でしょうねえ。案外、嫉妬しているのかもしれませんよ」
クスクスと笑うマーシャルに、ウィルは首を傾げ、再び問う。
「男相手に嫉妬するって、それもどうかと思うんだけど」
「女性の心は、私も理解できません。ですが、自分より綺麗な者。それも男性か女性か判断できない人物が、恋をしている男性の側にいるとなれば、嫉妬の対象となってしてしまうのかもしれません」
「……自分より綺麗って、僕のこと言ってるのならさ、僕に対して凄く失礼だよね? 遠回しに、僕が男性に見えないって言ってるようなものだもん。大体、見た目の話をするなら僕よりマーシャル達の方が絶対に上だから」
ウィルが腰に手を当て怒る仕草を見せる。話し方の所為もあるのだろうが、十歳の差があるマーシャルには子供が拗ねているようにしか見えない。。
「何をしている?」
「マーシャルが、僕のことを男性に見えないって。失礼だよね」
「……否、少年ならば、まだ分かる。だが、男性に見えるなら医者にかかったほうがいいだろう。成人していないのだから充分に子供だ」
「十五歳で準成人だって教えられた。っていうか、そういう話じゃない」
すっかり項垂れて座り込んでしまったウィルに、ガイは困り果ててマーシャルを見る。
「ガイの自称婚約者が、余りにも彼を睨みつけるので、性別が分からない綺麗な者が側に居れば、嫉妬してしまうかもしれないと話していたのですよ」
「まあ、オーバーウェアを纏っていれば、性別は判り辛いかもしれないが」
「背も然程ありませんし、声も太くないですからね」
足元のウィルが余計に項垂れる姿を見て、ガイは小さく息を吐いた。
「ウィル、今から成長する時期に入るんだ。そこまで落ち込むことはない」
「……僕、これ以上成長しないよ」
「そんなことはない。きっと俺達に追いつく」
「……うん」
ウィルの腕を掴み、無理やり立たせるとウィルは涙目で二人を見上げる。こういうところが、男性に見えない理由なんだと各々思いながらも、流石に口には出さなかった。
「ここの近くに、美味しいシチューが食べられる食堂があるのです。行ってみませんか? 帰りの馬車は、私が手配しておきますから、心配する必要はありません」
「もしかして『タマラの店』か? あそこは、この時間帯、酒場になってるだろう?」
「ええ。ですが、あそこなら料金もお手頃ですし、ご主人が元S級冒険者ですから、悪ふざけをする者もいません。彼でも気軽に行くことが出来ると思うのですよ。勿論、お詫びに私が食事代も払います」
沈んだ表情のウィルにマーシャルが問い掛けるが、浮かない顔のまま頷くだけだった。どうしたものかと考え、マーシャルは拳を作った右手を胸に宛がい、片膝を折り座ると、その手を膝に置き、頭を垂れた。
「っ! ちょっと、何してんの!」
慌てた様子のウィルが、マーシャルを立たせようとするが、体格差で敵わない。
「どうか先程の無礼を、お許しください」
「そんな謝り方は狡いよ! 立ってよ!」
「では、許すと言っていただけますか?」
「許す! 許すから、立って! 今すぐ、立って!」
マーシャルが立ち上がると、ウィルは安堵の息を吐く。と、同時にマーシャルを睨み上げた。
「騎士が、軽々しく忠誠を誓うような姿勢を取っちゃ駄目だよ!」
「以外ですが、ご存知でしたか。ええ、そうですね。軽々しくは出来ませんね」
「ガイも何とか言ってよ!」
「……別段いいのではないか?」
ガイの返事に、ガックリと肩を落としたウィルを慰めるように、マーシャルが口を開いた。
「騎士だからといって、今の私はレイゼバルト王国に忠誠を誓っているわけではありません。どちらかと言えば、オズワルド公爵家ですね。ただ、オズワルド公爵も変わった考え方の持ち主で、忠誠を誓う相手は自分で見つけ出せと言われるのですよ。誓いを立てる対象は、公爵でも、恋人でも、友でも、親でも変わらないと。大切な人を護るという意志が大事なのだと話されました」
「忠誠を誓う相手は、一人でなくてもいい。確か、そういう話だったか」
「ええ。護りたいと思う相手が多ければ、その分強くあれと言われていましたね」
「オズワルド公爵の言いたいことは分かるよ。でも、人の往来がある場所で、そんなことされたら心臓に悪いから止めてよね」
諦めたように吐息を吐き出して、ウィルは二人に視線を向ける。
「もういいよ。考えても、どうしようもないことってあるから。うん、今日はいっぱい食べさせてもらおうかな。疲れたよ」
「ええ。構いませんよ。沢山、食べてください」
「安請け合いして、知らないからね?」
やっと笑顔が戻ったウィルにガイとマーシャルも笑いを零す。
『タマラの店』が、三人の食欲に悲鳴を上げるまで、後数時間……。




