018
「……アレクさんが、ハロルドに話してたのって、嫉妬心のこと?」
総長の執務室を出たマーシャルとガイは、私服へ着替えるため、ウィルを連れて官舎へと向かう。途中でマーシャルとは別れ、ウィルはガイと共に行動することになった。
「それもあるが……まあ、ウィルが気にする必要はない」
「そんな風に言われても、気になるよ。アレクさん、ハロルドに分からなければ、降格って言ってたよね? 皆が教えちゃ、駄目なの?」
「恐らく他人に指摘されても、ハロルドは認めない。これは、今回の件に限らず、以前からの問題なのだ。自分自身で答えを見つけ出せなければ、気付かなければ、意味がない。ハロルドは、前任の副師団長たちからの推薦があり、特務師団師団長に抜擢されたが……、あの者が師団長になるには早すぎたのだ」
実力社会といっても、割り切れない者たちが少数いる。それらを上手くあしらうだけの技量と力量が、ハロルドには皆無だった。それ以前に、ハロルドと同等の能力を持つ者は、ノーザイト要塞砦騎士団に数多く存在する。要は、特務師団の増設を求めた前任の副師団長達に都合の良い人物が、ハロルド・ガナスという男だっただけの話なのだ。しかし、ハロルドは己の実力で、師団長に選ばれたのだと勘違いをしている。
それ故に、ウィルのように能力が高い者に対して、嫉妬心を剥き出しにすることが多い。自分よりも才能と身分に恵まれた存在へ対する捻くれた思い。
それらの鬱憤を、ハロルドは自分より格下――見習い騎士や平民の部下といった弱者へ向ける傾向が以前からあった。この頃は、特に酷いとガイはハワードから聞いている。ウィルの件がなくても、総長は決断を迫られたに違いない。
ウィルに、こんな話をしても負担にしかならないと判断したガイは、第二師団師団長用官舎に着くと、早々にウィルを客室へ案内した。
「ここが俺に与えられた部屋だ。ウィルは、この客室を使え」
「え? でも、いいの?」
「俺の部屋と言っても、その部屋は客室だ。総長に話した通り、別に部屋を準備するより都合がいい」
「うーん……。わかった」
客室というだけあって、割と広めの部屋は、寝室と応接室に区切られている。実際に使う機会といえば、ガイの父親であるラクロワ伯爵が訪ねてきた時だけで、普段は空き部屋だ。
浴室やトイレ、簡易キッチンの場所をウィルに教えると、ガイはウィルを応接室へ置いて、着替えるために自室へ入る。そうして、ガイは自室の机に置かれた手紙へ目をやり、溜め息を吐き出す。
「……あまり冒険者ギルドへは近付きたくないが、任務ならば仕方がないか」
ポツリと独り言を呟いたが、気持ちを切り替えて手早く着替えるとウィルの元へ向かった。
「おかえりなさい」
応接室で出迎えるウィルの頭を撫で、ソファへ座る。ガイは、ウィルに話しておきたいことがあった。
「森の長が師であるならば、俺達が護衛する意味はないだろう。だが、今は大人しくしておけ。下手に動けば、厄介な事になる。それと、森の長のことも口にしない方が良い。マーシャルには、いずれ話すつもりだが、アルトディニアの大地に住む者で森の長が生きておられることを知る者は僅かだ」
「うん。わかった」
「後――」
「ガイ、入りますよ」
「ああ、構わない。入ってくれ」
言い掛けた言葉を飲み込み、ガイはマーシャルを出迎える。服装を改めたマーシャルもガイの隣に座り、これからの予定を立てるようにマーシャルがガイへ問い掛けた。
「一先ず、冒険者ギルドへ行く前に古本屋へ寄りたいと思うのですが、よろしいですか?」
「マーシャルが、本を欲しがるのは珍しいな。注文してあったのか?」
「いえ。私は必要ないのですが、彼には必要でしょう。話の様子からアルトディニアの歴史にも詳しくないようですし、冒険者として活動するにしても魔物の種類を知らないようですから、そちらも必要かと思いまして。いかがでしょう?」
「確かに、知らないことが多すぎる……か。魔物の知識に関しては、騎士団で保護している間で教えていけばいいだろう。だが、アルトディニアの歴史は時間が掛かり過ぎる」
「そちらの方は、子供向けの書物で済ませようと考えています。ただ、流石にオズワルド公爵領の歴史は知っていた方が良いかと思うのですが、どうしたものですかね? 移民ということにしてしまう方法もあるのですが、そうなると今度は移民手続きが必要になってしまうので、時間がかかります」
マーシャルの問い掛けにウィルは首を傾げ、ガイは考え込むように顎に手を当てた。
「そうか……ならば、ウィルには、ニゼルモの村から来たと言わせてしまえばいい。それならば、オズワルド公爵領の歴史に疎くても平気だ」
「ニゼルモですか。それならば、人族の歴史を知らなくても不思議ではありませんが、よろしいのですか?」
「数は少ないが、ニゼルモにも人族は居る。事後承諾でも構わないだろう。祖父は寛容な方だ」
マーシャルとガイの間で、次から次に決まっていく話に着いていけなくなったウィルが、二人を見比べ、口を開く。
「ニゼルモ?」
「ああ、説明もせず話を進めて済まない。冒険者になる時、書類を書くことになるのだ。その書類に出身地も書かなければならない。王都では、そこまで煩く問われないのだが、オズワルド公爵領では出身地を必ず書くように定められていてな」
「そうなんだ?」
「ああ。それから、ニゼルモは俺の祖父が作った村だ。竜人族と他種族で婚姻した者たちが暮らしている。連峰の頂にある村に住めない者たちが暮らす村だな。竜人族でも他種族でもない、そんな亜人達が暮らす村だ」
「ハーフの人達が暮らす村……」
「ハーフとは、何ですか?」
聞きなれない言葉に、ガイとマーシャルは顔を見合わす。それがニゼルモに暮らす人々の何かを示す言葉だとは理解できたが、二人には何を示す言葉なのか分からない。マーシャルの問い掛けに、ウィルは慌てたように首を振る。
「あ、ごめん。何でもないよ。ねえ……竜人族にとって他種族の血が混ざることは、やっぱり駄目なことなの?」
「連峰に住む竜人族は、客人としてならば他種族を受け入れている。だが、隣人としては受け入れていない。特に人族のことは忌み嫌っている」
「あ……そっか。そうだよね。ごめんなさい」
「否、謝る必要はない。二千年経った今でも、古き考えに凝り固まり先を見ようともしない竜人族が、今でも連峰に籠もっている。ただ、それが悪いとも言えず悩みの種なのだがな」
ウィルがした質問は、竜人族が直面している問題だった唯一の例外がラクロワ伯爵家であり、連峰とアルトディニアを行き来出来る。二千年の長き時を経て、竜人族も世代が変わっていく。中には、ラクロワ伯爵家で働く一族の者から街の話を聞き、連峰を出て街で暮らす者も現れ始めた。そういう者達が婚姻を結ぶと、他種族と血が混ざる。
連峰に住む竜人族は、そのことを嫌悪して、仲間であった者達をも拒むようになったのだ。連峰を離れるのであれば、二度と連峰へ戻ることを許さないと、掟に組み込まれている。それ故に、ガイの祖父は連峰を離れて村を作ったと理由を話せば、マーシャルもウィルも沈んだ顔を見せる。
「……悲しい話だね」
「ニゼルモの村の者たちは、そこまで気にしていない。ウィルの出身地は、表に出せるものではない。ニゼルモが無難だろう。ただ、ウィル何歳だ?」
「十五か十六だって聞いてる」
話題を替えるためにウィルの年齢を聞いたガイだったが、予想より歳上で驚いた。体格的に十二〜三歳程かと思っていたのだ。マーシャルも同じようにウィルを視線をやり驚いている。
「ならば、大丈夫そうですね。冒険者ギルドに正式に登録できる年齢は十五歳からなので、十五歳ということにしておきましょうか」
冒険者ギルドは、誰でも登録が可能だ。ただし、年齢と技術力に寄っては制限が掛けられる。十歳から登録できるが、十五歳までは見習いとして冒険者の指導を受ける必要があった。また、冒険者としての能力が
低いと見做された場合も冒険者による講習を受けなければならない。特に人族は、他種族と違い強靭な肉体を持つわけでも膨大な魔力を扱えるわけでもないため、強力な魔物と戦うことは不可能に近い。冒険者ギルドは、ユニシロム独立迷宮都市以外は人族の冒険者が多い。そのため、生き残る術を学ばされるのだとマーシャルはウィルに話して聞かせた。
「冒険者なら、自由に暮らせそうと思ってたけど意外とそうでもない?」
「いえ、ウィルは魔境で戦った戦歴がありますから、講習は必要ありませんよ。それに、もしウィルが講習を受けるとなれば、ノーザイト要塞砦騎士団を退団した方になりますから、心配する必要はありません。ところで、貴方のジョブは魔剣士でいいのですね?」
「うん。他は、全部基礎しか習ってない。応用は自分で勉強しなさいって」
言葉を抜かして伝えるウィルにガイは側頭部を押し、小さくフゥと息を吐き出す。神や龍との暮らしでは会話をそれほど必要としなかったのだろが、ウィルとの言葉の遣り取りは随分と難しい。こういう部分も、紅龍殿が『人として未熟』と話された所以なのだろうなとガイはウィルへ視線を戻した。
「基礎とは、誰に何を習ったのだ?」
「フォスターと御師様から魔法全般と剣術をメインで教わったよ。フォスターからは他にも、短槍術、杖術、鞭術、護身術、体術、格闘、錬金術。御師様からは、魔力の使い方と召喚術だね。錬金術は、魔法薬学と日用品とかのマジックアイテムを作る時に使う金属や材料の分解と融合、固定化と液状化。それらを使った術の錬成。後は、術式の解読。解析、分析かな。勉強は、色々したよ? でも、どれも基礎知識だから装備に掛けられてる遮蔽術は分からない。たぶん、高度錬金術になるから難しすぎて、術式が解読出来ない。他にも色々と勉強したけど、冒険者では使わないものが多いかもしれない」
ウィルが学んだ知識や技術の多さに、ガイもマーシャルも絶句する。ウィルは何でもないことのように話しているが、その歳で出来ることではない。王国騎士訓練学校でも王国魔術院でも、ウィルの歳では学べない。どちらも高等科、研究院所属で学ぶような内容だ。
「それだけ錬金術を学んでいるのでしたら、オズワルド公爵領ではアイテム屋として充分に食べていけますよ?」
「うーん。それは、いいかな。錬金術って、結構大変なんだよ? 嫌いじゃないけど、薬草や薬品の臭いが服に染み付くから、服を洗うのも大変だしね」
「召喚術は、何を呼べる?」
「ウンディーネとサラマンダー。友達なんだけど、召喚術で呼び出すのは大変なんだよね。魔力が凄く消費されるし、ちゃんと動きを制限しなければ、精霊が暴走することもあるって御師様から教わってるから、精神的にも疲れる。ハロルドは平気で呼べるみたいだし、凄いよ」
「ウィル⋯⋯。それは召喚術の中でも、高位精霊召喚術だ。ハロルドが使う召喚術と全く別物だ」
次々と明らかになる事実に、ガイもマーシャルも頭を抱えたくなる。今聞かされた内容だけで、戦力として知識人として、自国も他国も何としても手に入れたいと望むだろう。そんなこととはつゆ知らず、ウィルは戸惑った視線を二人へ向けている。
「えーと? 高位精霊召喚術って、どういうこと? もしかして召喚術にも種類がある?」
「一般的な召喚術は、魔物を召喚するのですよ。私が見たことがあるのは、ダイアウルフや下位ランクのワーグですね。ちなみにハロルドが使役している魔物は、オウルベアだそうです」
「オウルベア⋯⋯頭がフクロウで、身体がクマの魔物の?」
「ええ。実際に召喚している姿は視認しておりませんので、事実かは分かりません。ですが、特務師団ではそのよう言われています。そして、貴方と同じ高位精霊召喚術を駆使される方々は、この国では神殿に居られる巫女のお二方だけになります。そして、その巫女も召喚できる精霊は一体と限られているのです」
「未熟って言われたのに? まだまだですって、ダメ出しされたよ?」
「あの方々は、どこを目指してウィルを教育しているのだ? ウィル、神殿に閉じ込められたくなければ、高位精霊召喚術は絶対に使うな。分かったか」
「神殿⋯⋯うん。そうする」
疲れたように項垂れるガイと、首を傾げながら約束をするウィルを見ながら、マーシャルは苦笑した。