017
ウィルも見覚えのある扉の前まで来ると、マーシャルとガイは立ち止まり、その扉にあるノッカーを鳴らした。
「総長、マーシャル・モランです」
「入れ」
マーシャルが扉を開けて執務室の中に入り、ガイも続いて入っていく。しかし、ウィルは扉の前で立ち止まった。
「ウィル?」
「外で待って――」
「却下です。大人しく執務室に入りましょうね?」
「……はい」
マーシャルの有無を言わさぬ物言いに、項垂れながら執務室へ入ると、アレクサンドラのいる執務机の前に女性が立っていた。
「ウィル。彼女が、ハワードの――」
「あら、マーシャル様。私の紹介でしたら、自分で致しますわ。私、ノーザイト要塞砦騎士団 第三師団師団長ハワード・クレマンの妹で、ベアトリス・クレマンですわ」
マーシャルの言葉を遮り、ウィルの前まで歩いてきたベアトリスは自己紹介をする。そしてゆるりと腕を上げて、ウィルをその中に捕らえた。
「やっぱり、とても可愛らしいお顔立ちですわ。私、ウィル君がとても気に入りましたの!」
「えっ! むぐっ!」
そのまま力を加えられ、頭を抱き込まれてしまう。まさか、そのような行動を取られると思いもしなかったウィルは、ベアトリスの豊満な胸に顔を埋めるような形で捕捉されていた。
「まあまあまあっ! なんて愛らしい少年なのでしょう。それにしても、許せないのはリーガル子爵令嬢ですわ。こんな愛らしい少年に刃を向けるなど、たとえエドワード様がお許しになったとしても、私が許しませんわ! それにハロルド様も、何を考えていらっしゃるのかしら! お兄様も見ているのではなく、ハロルド様を斬ってでも止めるべきでしたのに!」
「……ベアトリス嬢、ウィルを気に入ったのは分かるが、いい加減ウィルを離さないと、窒息する」
「え? あら、まあ。私としたことが。ふふふふっ」
「ゴホッ……ハァハァ。あ、ありがと……、ガイ」
解放されて、ようやく呼吸が出来るようになったウィルは、ガイに礼を言い、改めて目の前の女性を見る。白金に近い黄色、亜麻色と呼ばれていた色をした髪は綺麗に縦巻きに巻かれ、空色の瞳はこちらを窺うようにウィルを見詰めている。ハワードより淡い色合いだと感じながら、息が整ったウィルは頭を下げた。
「治癒していただいたとマーシャルさんから聞きました。ありがとうございます」
「お顔に傷が残らなくて、本当に良かったですわ」
「ひっ!」
再び手を差し伸べ、その胸にウィルを抱こうとしてきたベアトリスに、ウィルは顔を赤くして数歩後退する。ウィルにベアトリスの胸が凶器に見えた瞬間であった。
「あら?」
「ベアトリス嬢。ウィルは、女性に免疫がないようなので、それ以上の戯れはご遠慮いただけますか」
「まあ、残念ですわね。ならば、次の機会を期待しますわ」
「え、遠慮したいです」
マーシャルがウィルの前を遮るように立ったことで、手を出せなくなったベアトリスが、本当に残念そうな顔でウィルを見ていたが、ウィル自身は安堵の息を吐く。相当、苦しかったらしい。
「クククッ。ベアトリス嬢、ウィルは手強い相手となりそうだな」
「ええ。ここまで純粋だと、逆に落とせないものなのですね。強敵ですわ」
「さて。ベアトリス嬢も落ち着いたところで、今後の話を進めようか」
アレクサンドラがベアトリスへ声を掛けると、其々ソファへと座る。ウィルは、ガイの隣へ座らされた。
今後の話と言われても、ウィル自身は冒険者になるという意思を曲げるつもりはない。そのことをアレクサンドラに伝えると、アレクサンドラは大息を吐いた。
ノーザイト要塞砦騎士団には、騎士の募集を随時している。犯罪者でなければ、誰でも入団可能だ。騎士訓練学校へ通った者達は、確かに優遇される。しかし、見習いの期間がなくなるだけだ。見習いであれば、それこそウィルより少し年上の者が一番多い。そうウィルに話しても、ウィルは頭を横へ振った。
「それでは、どうしてもノーザイト要塞砦騎士団に入団は出来ないと言うのだな?」
「ノーザイト要塞砦騎士団と区切っているわけじゃありません。自由に生きたいんです。誰かの部下になるとか、組織に入ってしまうと、色々と制限があるじゃないですか。冒険者なら、好きなだけ働いて、休みたい時には休めるので、僕の好きなように生きられると思ったんです」
「ほう、自由か。ウィルは安定した生活を望んでいる訳ではないと? ノーザイト要塞砦騎士団は、実力がものをいう。実際、第六師団副師団長のミカエル・ハミルトンは、ハミルトン商会の子息でな。勿論、武器に決まりもない。まあ、式典などではロングソードを帯剣せねばならぬが、普段は各々、手に馴染んだ武器で戦っている。それでも、入団できないと?」
ウィルは考えるでもなく、アレクサンドラの問い掛けに頷いた。
「安定している生活も、大事だと思います。出世したいと思う人がいるのも、事実だと思います。でも、僕は色々な事を知りたい、見てみたいと思っているんです。だから、ごめんなさい」
「謝ることは何もない。ウィルの言う通り、考え方は人其々なのだからな。ならば仕方ない。先に冒険者ギルドへ登録させてやろう。その代わり、当分はノーザイト要塞砦騎士団の依頼を受けてもらう」
「え? いいんですか!」
「こら、大人しくしていろ」
アレクサンドラの提案に、前のめりになって答えるウィルをガイが引き戻す。ウィルにしてみれば、何も出来ずに保護されるより、仕事を貰える方が良かったのだ。しかし、マーシャルはアレクサンドラを見て、困ったような顔で口を開いた。
「総長。それは、少々無理があります。冒険者ギルドの規定でノーザイト要塞砦騎士団の依頼を受けられる冒険者は、Aランク以上と定められています。ウィルはFクラスになるでしょうから、ノーザイト要塞砦騎士団の依頼を受ける資格はありません」
ランクと聞いて、ウィルは日本のゲームを思い出す。ゲームの世界でも、最初の内は簡単な依頼しかない。簡単な依頼を何度も重ねて、ランクを上げていくシステムだった。隣に座るガイにウィルが確認すると、アルトディニアも同じように冒険者ランクが低い内は、簡単な依頼からスタートするようだ。
マーシャルの言った言葉通りだと、冒険者のスタート地点はFランクになるのだと理解する。Aから指折り数えて六つ目がFランク。
それだけで、ウィルもノーザイト要塞砦騎士団の依頼は、難しい部類に入るのだろうと納得する。
「……Aランクとか無理だよ」
しかし、肩を落とすウィルの姿を見て、アレクサンドラは形の良い唇を歪め、笑った。
「クククッ。冒険者ギルドの連中も、訓練場の草むしりをランクAの冒険者にさせる訳に行くまいさ」
「なるほど。そういうことですか。それならば、依頼できるかもしれませんね」
流石に草むしり程度の依頼で、Aランクの冒険者に依頼を出せるはずがない。普段であれば、騎士がしている草むしりをウィルにさせる。訓練場の草むしりという名目ならば、ウィルを外に出す必要もない。保護対象が敷地内から出る必要がないということは、無暗に人員を割く必要もない。一石二鳥という理由だ。
「ウィルも、それで構いませんか?」
「はい! 訓練場の草むしり、頑張ります!」
「まあ、草むしりは名目上だ。依頼完了までは、食事の支度も此方でしよう。寝泊りは、第二師団にある官舎の空き部屋を使わせろ」
「ならば、ウィルには俺の部屋にある客室を使わせます」
「うむ。確かに、その方が都合がよいな。マーシャルとガイは、ウィルを冒険者ギルドに登録させた後、依頼を出して来るように。以上だ」
今後のことが決まり、マーシャルとガイへ指示を出したアレクサンドラは、ベアトリスへと視線を向けた。
「ベアトリス嬢。すまないが、ハワードは任務で遅くなる。屋敷まで騎士を護衛として着けよう」
「お心遣い嬉しいですわ。ですが、私の執事と馬車を貴族街の入口で待たせておりますの。其処までで充分でしてよ」
「ならば、そう申し伝えておこう」
話が纏まり、アレクサンドラが立ち上がるとタイミングよくノッカーが鳴る。しかし、それよりも執務室の外が騒がしい。
「……マーシャル、扉を開け。ガイはベアトリス嬢とウィルを部屋の奥へ下がらせろ」
執務室に居た全員が立ち上がり、マーシャルが扉を開くと、そこには騎士に押し留められているハロルドの姿があった。
「ハロルド・ガナス。私は、特務師団の執務室にいるよう命じたが、どうして此処にいる?」
アレクサンドラが、いつもの声音よりワントーン落とした声で問えば、ハロルドの身体がピクリと揺れる。
「ウィルが見つかったと部下から聞いてきました。俺、アイツに謝りたくて来たんです」
「ほう? 謝りたいとは、何を謝ると言うのだ?」
「その……。誇りを傷付けたことを謝罪する為です!」
アレクサンドラは器用に片眉だけを上げ、ハロルドを見た。
「謝ることは許可できるが、ハロルドよ。お前は肝心な事が分かっていない。それが分からぬ限り、再び同じような問題を起こす」
「肝心な事……」
「そうだ。これが分からぬようであれば、今後、お前は降格処分とする」
「っ……。わかりました。謝るのも、その時にします。失礼しました」
ハロルドは唸るように言葉を吐き出すと、そのまま踵を返し去って行った。