016
「ふふっ……。それでは、後の話は街へ帰りながら話しましょうか。余り時間が掛かると、今度は私達の捜索隊が出されるかもしれませんしね」
「そうだな。俺達が魔境内部へ向かうことは総長にも話してあるが、あまり遅くなると良くないだろう」
マーシャル、ガイ、ウィルの順番でテントから出る。辺りを見回した後、ウィルはテントを収納した。二人の方へ振り向くと、既に愛馬に乗っている。ウィルは、両膝を地に突けて広場の端にある壁に向かって祈りを捧げた。壁にはフォスター神の紋章が描かれている。その紋章を見て、涙が溢れそうになり、ウィルは慌ててオーバーウェアのフードを被った。
「……大きい」
「ああ、戦闘馬だ。俺の後ろに乗れ」
乗れと言われても、ウィルは馬に乗った経験がない。戦闘馬ともなると、馬の背に上がる方法すら分からなかった。ウィルは、困ったように戦闘馬に跨るガイに返事をする。
「乗り方が分かりません。馬に乗ったことがありません。僕、走ります」
「ガイ。ウィルは、貴方の前に乗せた方がよさそうですね」
「どうやら、そのようだ」
スルリと愛馬から降りたガイは、ウィルを馬鹿にする訳でもなく丁寧に乗り方を教え、ウィルが騎乗すると、その後に乗った。
「確かに走るのも移動手段だろうが、冒険者になるなら乗馬の練習した方が良い。歩きで行ける場所の時もあるが、遠くへ行くこともある。パーティを組めば、馬車を使うこともあるからな。そっちも練習した方が良い」
「はい。練習できる場所がありますか?」
「そういう場所は、冒険者ギルドにないな」
「そうですねえ。私の屋敷で教えればいいのではありませんか?」
その提案にウィルは頭を横へ振った。
「マーシャルさんやガイさんに、そこまでしてもらう理由がありません。自分で出来ることは自分でやります。お金が手に入ったので街へ帰ったら、先に住む場所を探します。それから、冒険者ギルドへ行きます」
その言葉にガイとマーシャルは顔を見合わせる。
「その心意気は良いことだと思いますよ。でも、まだ当分はノーザイト要塞砦騎士団の保護下にいて貰わなくてはならないのです」
「ウィルは知りたくなかっただろうが、エドワード警備隊隊長はレイゼバルト王国の王太子殿下だ。オズワルド公爵領へ来た理由は、領地運営を学ぶこととなっているが、どうも動きが怪しいからな」
「そんなことに、僕を巻き込まないでください」
「巻き込むつもりはなかったのですが、エドワード王太子殿下にウィルの強さを知られたのは、不味かったですね。簡単には諦めないでしょう」
「そんな……。僕は、その間ずっと冒険者になれないんですか?」
目の前で、しょんぼりと項垂れるウィルを見て、ガイが苦笑する。
「それほど、冒険者になりたいのか?」
「なりたいです。約束、したんです」
言葉少なく答えるウィルに、二人は思わず顔を見合わせる。どうも様子がおかしく思えた。
「冒険者になって何をしたいとかあるのですか?」
「静かに暮らしたいです。毎日、ご飯を食べて、依頼を受けて、毎日ちゃんと眠って、時々ゆっくり休んで⋯⋯。小さな一軒家で、薬草やハーブ、野菜を育てながら、そんな静かな生活が出来るようになりたいです」
「随分と質素な生活に聞こえるのですが⋯⋯」
ウィルが望めば、オズワルド公爵家専属の冒険者にもなれるだろうに……。そんな考えがマーシャルの頭に過るが、そういえばウィルは貴族嫌いだったと考え直す。しかし、龍の住まう地に住んでいたウィルに貴族との接点はない。
「ウィルは、何故、貴族をそれほど嫌うのですか?」
いきなり話題が変わったためか、ウィルは不思議そうな顔でマーシャルを見る。
「嫌ってる訳じゃないです。苦手だとは思います。格式張った物が苦手ですから。言葉遣いや礼儀作法とか堅苦しいと感じてしまって……。それに僕の知っている貴族の印象は、あまりいいものがなくて」
ウィルの言葉は尻窄みになる。小説や映像の世界でしか知らない。情報が偏っていることを、ウィルは自覚していた。
「俺達も貴族なのだが、苦手か?」
「騎士団の方々は平気とまではいかなくても、支障はないです。皆さんは、規格外だと思います」
「総長とも普通に話せていましたよ?」
「これでも、色々と必死なんです」
「まあ、その言葉遣いは王都だと咎められるだろうが、オズワルド公爵領では気にする必要はない。貴族、種族、平民、そんなものに拘っていては、魔境の側では生きられないからだ」
「そうですね。魔境の側は過酷です。その代わり、豊かでもあります」
マーシャルは、オズワルド公爵領の仕組みや発展過程をウィルに説明していく。それを聞き逃すまいと、ウィルも必死に聞いていた。
「そういえば、ウィルが魔境から現れた時は、大騒動だったのですよ?」
「すみません。ずっと、知らずに移動してました。壁が内側に湾曲していたので違和感はあったんです」
「ノーザイト要塞砦は魔境を囲む堅牢な壁に沿って造られている。つまり、内側から現れるのは、魔物か魔神ということだ」
「あ、それで、エドワード様はあのような質問をされたんですね」
エドワードから「どうやってここまで来たのか」と問われたことを思い出し、ウィルは声を上げる。その呟きを聞いてマーシャルとガイは、あれはあれで充分変わった回答だったと笑いを必死に堪えていた。
「さて、門が見えて来たな」
「悪目立ちしても困りますから、馬は警備隊に預けて歩きましょうか」
「そうだな。ウィルはフードを外すなよ。別な意味で目立つ」
「どういう意味なんです?」
「……ウィル、その奇妙な敬語は使わなくていい。敬称も着けるな。普通に話せ」
「これでも、頑張って話してたけど。それより、別な意味で目立つっ――っ!」
ウィルは、真後ろに座るガイを見るために身体を捻ったが、バランスを崩しそうになり慌てて前を向き直す。その旋毛に向かってガイは大息を吐いた。
「ウィルの容姿は整っているから、目立つなと言う方が難しい」
銀糸の長髪は、邪魔にならないように結わえられている。翠の目は丸く愛らしい。まさに容姿端麗な美少年。但し、身体の線が細く、美少年というより美少女という方がしっくりくるだろう。
「ウィルは中性的な顔立ちをしていますから、下手をすると少女と勘違いされそうですしね」
「そんなこと言われても、基準が分からない。大体、僕は男だし」
「世の中には、顔が良ければ女だろうが男だろうが関係ないという輩もいる。きちんと自衛しろ」
「っ。そんな怖いこと言わないで」
呆れた声を出すガイにフードを軽く叩かれ、ウィルは大人しくなった。マーシャルが砦の上にいる警備隊の隊員へ手を振ると門が開いて行く。
「そういえば、ウィル。貴方は、どうやって街から魔境へ戻ったのですか?」
「ああ、それの確認してなかったな。警備隊員は門を開けていないと話していた」
「僕の武器、ハロルドに攻撃した時に見てるから知ってるよね?」
ウィルは、砦の上を指差して二人を見る。マーシャルとガイはウィルの武器を思い出し、同時に溜息を吐いた。
「なるほど、武器を使って跳び越えたのか。それならば、警備体制に不備があった訳じゃないな」
警備隊に不備がある場合、懲罰対象になるとマーシャルから説明を受けて、二度と武器で砦を越えるようなことをしないと誓うウィルだった。
ノーザイト要塞砦の中へ入り、ウィルは初めて真面に見る街の光景に小さく感嘆の声を上げた。その中でも、街の人々の姿を見て、ウィルは目を輝かせる。
小さな広場では、エルフ族の男性がハープを演奏し、エルフ族の女性や人族の子供達が、楽しそうに舞っている。そして、その横にある露店ではドワーフ族の女性が雑貨を売り、人族や獣人たちが雑貨を手に質問を投げ掛けていた。
他にも数多く露店が並んでおり、その中には食欲をそそられるような匂いも漂っている。店主も客も多種族で入り乱れている。そんな彼らの顔には、種族間においての嫌悪は見られない。
「レイゼバルト王国は、種族間の隔たりが少ないって聞いてたけど、本当なんだね」
国によっては、迫害を受ける多種族が多く存在する。特に、エルフ族、獣人族、人魚族は、その見た目から奴隷として売買されることもあると、ウィルは緑龍から聞かされていた。しかし、この街には人魚こそ見つけられないが、エルフ族や獣人族の姿も見られる。
「残念ながら、レイゼバルト王国内でも、王都や王都近隣の領地では、上手く関係を築けていない場所が多いのが実状です。王都は、未だ人族以外を蔑むような考えを持つ人々の方が多いのですよ。その点、オズワルド公爵領では、多種族との関係を上手く育んでいますね」
「父上から聞いた話では、四代前のオズワルド侯爵、辺境伯と呼ばれていた方が、関係の見直しを多種族に持ちかけたらしい。オズワルド公爵領では、昔から種族毎で村を作ることも許されている。故に、安心して暮らせるのだろう。今のオズワルド公爵も、他国から逃げてきた奴隷達や、領土を追われてきた多種族の受け入れをなさっている」
ガイの言葉に頷きながら歩いていると、ウィルは妙に薄暗く古い家屋が立ち並ぶ一角が目に入った。視線の先に気付いたのか、マーシャルが貧民街だと話す。
「いくら領主様が頑張ろうと、仕事をしない者や、悪行に手を染めてしまう者までは面倒を見ていられませんからね。ここの貧民街は、そういった者が集まって生活しているのですよ。周囲は、警備隊が警邏しているのですが、内部まで手を入れるのは難しいようです」
マーシャルは、それでもオズワルド公爵領は治安が良く、村の生活も安定しているのだと話す。王都へ続く街道沿いに元冒険者や元傭兵団が盗賊として現れるが、ノーザイト要塞砦騎士団や冒険者ギルドが定期的に排除しているため、商人たちも冒険者を雇い、よく訪れると。
「この先に商店区があります。大門側の商店区に比べると、規模は小さいですが、そこで馬車に乗りましょう」
マーシャル曰く、ノーザイト要塞砦騎士団まで歩いて行ける距離だが、それだと時間が掛かり過ぎるということだった。馬車に乗ると、流石に早い。あっという間に、ノーザイト要塞砦騎士団の外壁が見えてくる。
「ノーザイト要塞砦騎士団の外壁とは違う壁があるでしょう?」
「うん」
箱馬車の小窓から外を見ていたウィルに、マーシャルが声を掛けて説明をする。
「あちら側が貴族街になります。貴族街の敷地とノーザイト要塞砦騎士団の敷地、そして街は完全に区切られているのですよ。貴族街の入口には、貴族街で雇った冒険者が門番をしています」
華美ではないが、しっかりと造られたであろう屋敷群に目を瞠り、ウィルは興味深そうにあちらこちらへと視線を向けた。
「冒険者って、冒険するだけじゃないんだね」
「仕事は、幾らでもあるな。ランクの低い冒険者向けに、家の修理や溝攫いといったものもあったはずだ。変わった依頼もあると聞いている」
「変わった依頼……そんな仕事もあるんだ」
馬車を降り、マーシャルやガイと共に門を潜る。壁の先に見えるオズワルド公爵家の屋敷は一際大きく、直ぐに見つけられる。実際、一度見ているウィルも見上げてしまった。
「凄く大きい家⋯⋯」
「オズワルド公爵家の屋敷だ。まあ、晩餐会や貴族会議に使われる講堂などもある屋敷だから、大きくなってしまったのだろう」
オズワルド公爵邸を見上げていると騎士の姿がウィルの視界に映り、そちらへ向く。ハワードと数人の騎士だ。
「やっと帰って来たな。総長の執務室に、ベアトリスが来て、ウィルが見つけ出されるまで帰らないと言っているらしい。早目に顔を見せてやってくれ」
「ベアトリスさん?」
知らない人物の名前に、ウィルは戸惑いマーシャルを見る。
「ベアトリス嬢は、ハワードの妹君でノーザイト要塞砦一番の治癒師なのですよ。昨日の朝、ウィルの怪我を治癒したのがベアトリス嬢です」
「あ、有難うございます」
「礼は、俺ではなくベアトリスに言ってくれ。それから、街への被害は僅かだった。貴族街、商店区、ノーザイト要塞砦騎士団の騎士達が、多少魔力酔いを起こしていたが、それも癒しの雨で直ぐに回復したようだ。礼を言う」
他種族も暮らすノーザイト要塞砦には、魔力に敏感な者も多く存在する。ハワードは、アレクサンドラの命令で街を見回ったが、魔力酔いを起こした者達の殆どは、癒しの雨で既に回復した後だった。
「元々は、僕が魔力を制御できなかったから……です。謝らなきゃならないのは、僕なんです」
「別に謝って欲しいとは思っていませんよ。理由もクレマン師団長から聞いていますから」
項垂れるウィルに声を掛けてきたのは、聞いたことがない声。ハッと顔を上げると、ハワードの後ろにいた騎士達が、にこやかにウィルを見ていた。
「そうそう。それより、身体は大丈夫か? あれだけ広範囲の魔法を使って、倒れたりしなかったか?」
「良い経験になった。確かに具合は悪くなったが、それは私の精進が足りぬ証拠だ」
各人ともウィルを責めることはなく、笑顔でウィルを迎えている。そのことに目を見開き、ハワードへ目を向けた。
「ウィルが師事する者を侮辱したハロルドの方が悪い。それに、あの場にいてハロルドの暴走を止められなかった俺達の方が罪としては重い」
「そ、そんな。罪だとか、そんなのはないです」
慌てふためくウィルに、周りの騎士達は声を上げて笑う。ハワードは、そんな騎士達を引き連れ隊務へ向かう途中だと言い、ウィル達へ別れを告げると街の方へ歩いて行く。
「騎士さん達って、忙しいんだね」
「そうですね。暇ではないですよ? さあ、私達は総長の執務室へ向かいましょうか」
ハワード達の後姿を見送ったウィルに、マーシャルが声を掛けて詰所の中へと進む。
古くから存在する詰所の建物は、星型六角形に似た形をしていた。建物の中央部には、総長率いる精鋭隊が。突出した部分には、第一師団から第六師団までの詰所がある。有事の際、総長が各師団に少しでも早く命令を出せるように造られた建物である。
一階は、一般の騎士達が詰めている。二階は、治癒師・魔法士を務める騎士達が詰めている。そして各師団に関係する書類などの資料室と事務室も二階にある。三階は、各師団長の執務室や来賓用の客室、会議室等だ。
但し、一年前に増設された特務師団とは、建物自体が別となっていると、マーシャルはウィルに説明した。
「ここの騎士団には、牢屋はないの?」
「ありますよ。ですが、それが何処に存在するかは教えられません」
「そっか。そうだよね」
慣れない人物であれば確実に迷うだろう建物内を、三階まで上がると、今まで多く見られた騎士の姿も少なくなっていた。