015
「ひっ!」
「そんな幽霊でも見たような驚き方をするのは、やめてほしいですねえ。流石の私も傷つきます」
「いや、マーシャル。それだけ、近くだと誰でも驚くと思うが……」
ウィルが目覚めると、マーシャルの顔が目の前にあったのだ。驚くなと言うほうが、間違いだろう。ウィルは、そのまま後退る。
「熱がないか、確認をしていただけですよ。そうしていたら、貴方が目を覚ましたのです」
マーシャルが自身の額を触りながら、ベッドと共に据えられているソファへと移動する。なるほどと納得しかけたウィルだったが、自分がやらかしてノーザイト要塞砦騎士団の屋内訓練場から出たことを思い出し、ベッドの端に身を縮めた。
「な、な、なんで、お二人が、ここに居るんです?」
「探して来たからな」
「あれだけやっても、効かないんですか?」
「どうやら、マーシャルの言った通りのようだな。それよりも、言葉が戻っている。敬称は要らないと言っただろう」
「(ガイさん、怖いよぉっ)」
ウィルの問い掛けにガイは、呆れたような顔をして、ウィルからマーシャルへ視線を移す。マーシャルは一息吐くと口を開いた。
「昨日は、不誠実な対応でご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます」
「えっ⋯⋯やっ」
「ウィル、どうしてマーシャルをそんなに怖がるんだ?」
「い、言っても怒らない、ですか?」
ケットに包まり、目元だけ見せるウィルに、ガイもマーシャルも顔を見合わせた。
「何を言われたとしても、怒りません。まあ、自業自得だと思っていますから」
「⋯⋯マーシャルさん、言ってる事と思っている事が、心の中で考えてる事とも違って、それも何重にも考えてるから、意味が分からなくて怖い。それと、同時に幾重にもスキルを使ってくるのも怖い」
「⋯⋯⋯⋯なるほど。確かに理由を知らなければ、それは怖いだろうな」
納得したように呟くガイに、マーシャルも少しだけ安堵したような表情で頷く。マーシャルのソレはスキルを使用した状態だとウィルに説明する。
スキル『多重思考』『謎の微笑み』『心眼』『看破』『弁才』を『能力統制』で集約して使うスキルズテイマーであるマーシャル独自のスキル運用法だとマーシャルが語った。
「他にも何かありますか?」
「後、マーシャルさんの猫被りも怖い」
「なるほど。確かに私は猫を被ってますね。でも、それは処世術なのですよ。ほら、こうやって笑っていたら、相手は油断するでしょう?」
マーシャルは笑顔を見せるが、ウィルどころかガイまで微妙な顔をする。
「中身を知ってる俺から見れば、胡散臭い顔をしているようにしか見えない。もしくは、悪巧みをしている顔だな」
「⋯⋯腹黒さん」
「腹黒?」
「お腹の中が真っ黒さん。色々、悪いことを考えてそうだから腹黒さん」
「いいですね。随分と可愛らしい渾名を貰いました」
ガイもマーシャルもウィルの腹黒さんという言葉に笑い出す。何故、笑い出したのか分からないウィルだけが呆けた顔で首を傾げている。
「私には渾名が幾つもありまして、一番有名な渾名は武功を上げた時に頂いた『スキルズテイマー』ですね。他にも『陰険眼鏡』や『北方の悪魔』など他にも沢山あるのですよ」
「それらに比べると確かに可愛く聞こえるから不思議だ。それで、俺のことは、何故怖いのだ?」
先程より心を開いたのかウィルが顔をケットから出している様子を見て、ガイが問いかけると困ったような悩んでいるような表情を見せる。ウィルがチラチラと見ているのは、マーシャルだ。マーシャルも、その視線に気付き、首を傾げている。
「あの⋯⋯マーシャルさんは竜人族を知ってますか?」
「ええ、知っています」
「ガイさん⋯⋯」
「ああ、ガイが竜人族だということなら知っているので問題ありませんよ」
それでも戸惑いを見せるウィルにガイはソファーから立ち上がり、ヘッドへと近づく。逃げるような素振りは見せなかったが、それでも警戒心は上がったようだ。
「俺が怖いか?」
ベッド脇に屈み、ウィルに視線を併せると頭を横へ振る。そうして、じっと待っていると恐る恐るといった様子で、漸く口を開いた。
「ガイさんは、僕を怒らないですか? 人族の存在価値などないとか、無能の集団とか、役立たずとか、世界のゴミとか、お前たちのせいで龍王様の世界が無くなっ――」
「ウィル。それは、誰に言われた? 霊峰の奴らか? 巫女に言われたのか?」
低く唸るような声に、ウィルはケットの中に潜り込み小さく丸まってしまう。それを見て、ガイは落ち着かせるように大きく息を吸って吐き出した。
「ウィル。俺は、ウィルに怒っているんじゃない。何も見ようとしない、何も変わろうとしない同胞に腹を立てているのだ。悪かった。怖がらせたな、済まない」
「ガイさんは、怒らない? 僕が龍の住処にいること、嫌じゃない?」
「龍の住処の長である龍王様が許していることを、竜人族の俺達がとやかく言う方が間違っている」
「ほんと?」
「そうだな⋯⋯確かに、俺は竜人族で、人族に対して何も思わないとは言えない。だが、分かり合える人族がいることも知っている。マーシャルは、俺の生涯の友だ。ウィルなら言葉の意味を知っているだろう? 紅龍殿に媒介に頼み契約した」
「紅龍様? 江龍様? 紅? 江?」
「ああ、江龍殿もいらっしゃるのだったな。紅の方の紅龍殿だ」
紅龍と聞いて、ウィルは再びケットから顔を覗かせる。龍の住処には、たくさんの龍が住む。中には、同じ呼び方をする龍も存在する。龍王の鎮守の森へ立ち入ることを許された古龍種の中に、二体の『こうりゅう』が存在しているのだ。
「紅龍様は、僕の御師様のお友達です」
「そうだ。俺は紅龍殿からウィルの存在を教えられた」
「……その話は、御師様から伺っています」
ガイが紅龍を選ぶと、ウィルは頷いた。ウィルが修行中でも嫌わず鎮守の森へ来る珍しい龍。御師様と太古からの友だと語り、ウィルの修行にも付き合ってくれた龍だ。
「紅龍様には、修業のお手伝いしてもらいました」
「ああ、その話も聞いている。よく友の弟子と追いかけっこをしていると話してくださった。その紅龍殿が先程まで、此処にいらっしゃってな。その時にマーシャルと契約した」
予想外の繋がりに、ウィルは目を見張る。ウィルも紅龍から竜人族のことを教わり、竜人族には『生涯の友』として他種族と契約を結ぶ者がいることは聞かされていた。
「契約したのは、先程ですがね。それに、私達は危害を加えに来たわけじゃありません。謝りに来たのですよ」
「あれは、ハロルドが悪い。それにウィルは、俺にもハロルドにも怪我をさせる気がなかっただろう?」
ウィルはマーシャルの言葉に安堵の吐息を吐き、ガイの言葉には再び項垂れてしまう。
「あそこで言ったように、僕のことを下に見るのは、別に気にしてません。歳だって、僕の方がずっと下だし、実戦経験も少ないですから。でも、御師様やフォスターは、人に辱められていい存在じゃない。だから――」
「待ってください。それは、古代神のことですか?」
「『創造を司る神』が、ウィルの保護をなさっておられたのか」
二人が顔を見合わせて話しているのを見て、ウィルの顔色が青くなっていく。
「ガイさん。竜人族の方って、僕のこと知ってるんですよね?」
「俺は、父上から龍王様が龍の住処に住むことを許された人族の少年がいるとしか聞かされていない。連峰の竜人族も同様だ。まあ、紅龍殿からは色々聞かされていたが」
「ええっと。聞かなかったことに……」
「出来ない」
「ですよね。ううっ。僕のバカ」
項垂れるウィルを見て、いくら強くても子供らしい部分があることに、ガイとマーシャルは笑った。
「スキルは使いません。なので、ひとつだけ教えてください。貴方が話そうとしなかった保護者とは、『創造を司る神』のことなのですか?」
「細かい事情は話せません、ごめんなさい」
そう言いながらも、ウィルは頷いて見せた。つまり、これ以上は話さないという意思表示である。
「構いませんよ。神々の事情なのでしょう? こちらこそ、言えないことを訊き出そうとして申し訳ありませんでした。それにしても、魔力の流れを視る能力ですか」
「マーシャルさん、顔怖いです」
「おや、すみません。つい癖で。その能力は常時使えるものなのですか?」
「それは、疲れるのでしません」
あの時は、取り調べられるということで警戒して使っていただけだとウィルは二人に説明した。魔力は然程使わない能力だが、近くにある魔力全てが目に映るようになるため、精神的に疲れると話す。
「疲れると言えば『癒しの雨』は、大丈夫だったのですか?」
「魔力は平気。使わないと逃げ切れないと思っていたから」
「では、私とガイのスキルに気付いていたのですね?」
「⋯⋯マーシャルさんは魔力感知系スキルで、ガイさんは探索系のスキルを持ってる?」
確かにマーシャルが使ったスキルは魔力感知、ガイは捜索である。的確に相手の能力を見抜くウィルの眼にも感心しながら、マーシャルとガイは頷いた。
「そんな……。逃げても、意味がないなんて」
上手く逃げる方法が見つからなかったウィルは、危険を承知で自分の居場所を特定させないために、癒しの雨を降らせた。勿論、怒りに身を任せ魔力を放出させてしまったことを悔いて、罪滅ぼしも兼ねて。
ガックリと肩を落としてしまったウィルに、ガイは嘆息すると口を開いた。
「そうでもない。少なくとも癒しの雨が止むまで、俺達はウィルを見失っていた。そのまま遠くへ行かれていたら、見つけ出せなかっただろう」
「近すぎたんです?」
「そういうことになる。だが……その魔力の使い方は間違った使い方だ。命を失いたくなければ、二度とするな。魔力の使い方をしっかり学んだはずだろう。魔力が枯渇すれば、どうなるのかも、聞いているはずだ」
「はい、ごめんなさい」
素直に謝罪するウィルにガイは手を伸ばし、ベッドの上から自分の腕の中に閉じ込める。いきなりのことでウィルは目を見開いて、動きを止めていたが、バタバタと暴れ出した。
「な、なんでっ!!」
「何時までもベッドに居られたら、これからの話ができないだろう」
「これからの、話」
「そうだ。冒険者になるために来たのだろう? それとも、もう冒険者にはなりたくないか?」
「それは⋯⋯」
抱き上げたウィルをケットと一緒にソファーへ降ろすと、ガイはマーシャルの隣へ戻り、腰を据える。ウィルは、俯いたまま動こうとはしない。
「⋯⋯冒険者には、なりたいと思ってます。でも、此処でも良いのかなって」
「此処というのは、魔境に住むということですか?」
「今居る場所は、フォスターの大神殿跡地で聖域になってるんです。だから、魔物も寄り付かないし、瘴気も酷くないんです。だから――」
「ウィル。それは許されない。魔境は龍の領域だ。其処に留まることは、いくらウィルでも許すことはできない」
ガイの厳しい言葉に、益々俯いてしまったウィルに、今度はマーシャルが声を掛ける。
「魔境には、人が立ち入れぬ禁域があるのです。ですから、普段から人の立ち入りは制限されています。今は丁度入ってはならない時期にあたるのです。ガイ、時期が外れたら神殿に参る程度なら、許されますよね? 彼にとって、フォスター神は養い親と言っても過言ではない存在なのでしょうから、許してあげることはできませんか?」
「⋯⋯父上とも相談しなければ、返事はできない。だが、年に一度なら何とか出来るだろう」
「だそうですよ。それに、魔境にずっと居るということは、今回のような状況になる可能性が高いのです。それは、貴方も嫌でしょう? 私はこういう性質で、恐らく生涯の友であっても利用しますから、貴方のことを絶対に利用しないと明言できません。なので、等価交換でということで考えてもらえませんか。貴方も人の世界で生活するために私達を利用してください」
「等価交換? 利用する?」
言葉を噛み砕くようにして、マーシャルは説明を始めた。人の世界は、確かに恐ろしいことが多い。オズワルド公爵領やノーザイト要塞砦は、未だ良い方で他所の領地は、ウィルにとって辛い場所が沢山ある。そして、ウィルも理解しているだろうが人は善人ばかりではない。悪い人も沢山いる。
それらの見抜き方、立ち回る方法、それらに有益なスキルをマーシャル、ガイ、此処にはいないがハワードで提供するというものだった。
「貴方を此処まで追い込んでしまった私では信用できないかもしれませんが、どうか街へ戻ってもらえませんか?」
懇願するようなマーシャルの問い掛けに、ウィルは言葉を詰まらせる。
「ごめんなさい。僕、街に行きます。マーシャルさんも、もう謝らないでください」
マーシャルの言葉を聞いて、自分の方が傲慢で強欲に思えてしまった。散々人を振り回して、人を怒らせて、偉い人を跪かせるような真似をさせて、懇願させて。お前は、一体何様だと、どれだけ偉ぶって、どれだけ欲深いんだと、心の中で叱責する声がする気がして⋯⋯心が重くなった。