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014


『よかろう』


 脳に直接響く声に、マーシャルは体を強張らせる。ガイは、再び前方へと愛馬の向きを変えていた。


「マーシャル、紅龍殿に踏み潰されたくなければ、無暗に動くなよ」


 霞の前方を見上げたまま動かぬガイに、マーシャルは自分の愛馬を並ばせ、同じように前方を見上げた。霞の中から薄っすらと浮かび上がってくる紅龍の姿をマーシャルは固唾を飲んで見守る。


 紅く輝く鱗。ずっしりと四肢を支える脚。たてがみは風に揺れ、胸元から胴は体毛で覆われており、広げられた翼は先を見ることが叶わない。尾は紅龍の脚の前に回され、その内側にテントと思わしきも物が見える。


『ラクロワの小倅か』

「子倅とは、また酷い言われ様だ。もう成人したので、いい加減に名前で呼んで貰いたい」

『まだ三十年も生きておらぬ其方は、子倅で充分じゃ。して、何用だ?』

「ウィルを迎えに来た」

『ほう、迎えとな? あれだけ友の弟子を怖がらせておいて、世迷い言を吐きおる。しかも、友の弟子を怖がらせた張本人を連れてか? そも、何故、この場に人族を連れてきた』

「確かにウィルを怖がらせたかもしれないが、態と怖がらせたわけではない。人として騎士団として、しっかりとした理由がある。俺の友を連れてきたのは、ウィルの味方を作るためだ。俺が人族で最も信頼している相手だから連れてきたのだ」


 ガイの言葉に、紅龍は眼を細めマーシャルを見遣る。マーシャルは、馬から下乗して片膝を地に突き頭を下げた。少年を怖がらせたと自覚はしている。そうなるように仕組んだのは、マーシャル本人だ。何か弱みを握れたら、それで少年を活用できれば。そう考えてしまった。それだけの能力を少年が持っていると、マーシャルは門で出会った時、見抜いていたのだ。そして、それは今も変わらない。このオズワルド公爵領を守る能力を持つ者を容易く諦めるわけにいかなかった。


『なるほど⋯⋯ラクロワの秘密を守りし者か。確かに、小倅にとっては善き友となろうな』


 暴かれた内容に、マーシャルは目を見開く。この一瞬の邂逅で全てを見抜かれたと気付き、更に深く頭を下げる。


『其方の小さき記憶など、一瞬で読み取れるわ。先に誓いを立てる心意気、人族にしては見事である』

「ありがとう存じます」

『じゃが⋯⋯其の方の行為、実に人族()()()思い上がった振る舞いよ。友の弟子の行く末を決める権利は、其の方に(あら)ず。弁えよ』

「はっ」


 マーシャルは、紅龍の言葉に短く受答した。ガイは慣れているのか、怖がる様子もない。しかし、初めて龍と相対するマーシャルは、その巨大さ偉大さ故に気圧されていた。


『面をあげよ』

「はっ」

『しかし、儂を見て、畏怖ではなく嬉しいか。あの弟子も変わった人族であったが、お主の友も変わっておるようだ』

「弟子とは、ウィリアム君という認識でいいのでしょうか」

「ああ。ウィルのことだ」

『左様。儂の古き友の弟子……此処で眠っておる者のことじゃ。儂は、この弟子を心配する友と孫娘に頼まれて、友の弟子を魔境の者等から守りに来たのじゃ。して、子倅よ』

「なんだ?」

『其方は、純血であったな? 友が先に逝くのは、寂しかろう?』

「は? ……待て。待て、待て、待ってくれ! 俺は、その様なことを紅龍殿に頼むつもりはない!」


 マーシャルは、ガイが狼狽える姿を初めて目にする。騎士訓練学校から友人だったが、これ程慌てた様子は見たことがなかった。それにしても……。


「(ガイが純血? 先に逝く? ……竜人族は長命種ですが、寿命の話をしているのでしょうか?)」


『ほう。聡い者じゃ、これだけで気づいたか?』


 竜人族の寿命は、人族のそれに比べると長い。短い者で八百、長い者で千年程生きると、マーシャルはドワーフから聞いていた。勿論、そのドワーフも、長い者は五百年以上生きているとのことだった。要は、人族の一生が他種族に比べると非常に短いのだ。

 ()()()()()という紅龍の言葉は、他種族の血が混ざっていないかの確認だろうと検討をつけ、マーシャルは紅龍へ視線を向けた。


「私が、ガイと共に生きる術があると言われるのですか?」

「マーシャル、止せ! 俺は望んでいない! そんなつもりで、ここへ連れて来たのではない!」

「私自身が望んでも、ですか? 私は、ガイと生涯を伴にする覚悟でオズワルド公爵領に来たのですが」

「お前は、侯爵家の嫡男だ。それを捨てさせるような真似が、俺に出来ると思っているのか!」

「家は、弟が継ぎますよ。王都を出た時に分かっていたことです」

「だが……」


 苦々しく顔を歪めるガイに、マーシャルは肩を竦めて見せた。


「騎士訓練学校を卒業した時に言ったはずですよ? 私は王都に暮らす貴族たちの在り方が許せないと。だから、ガイがオズワルド公爵領へ帰る時に、一緒に着いてきたのです。今更、侯爵家にも王都にも帰る予定はありません」


 モラン侯爵家は、王国直轄の領地を任されている。領主である父親は、貴族あっての民と言い切る人族だ。今のままでは、そう経たない内に、領地運営も王国自体も破綻すると説いても、全く聞き入れようとしない。そんな父親に辟易としていた頃に、マーシャルはガイと出会った。そして、マーシャルはガイからオズワルド公爵領の話を聞いて、感銘を受けた。しかし、その話を父親にしたところ返って来た言葉は、不心得者という叱責だったのだ。


 何度訴えても、それは変わらず、結局マーシャルは家から追い出された。何もなしで侯爵家から追い出すのは、外聞が悪いと考えられたのだろう。マーシャルは、伯爵位とある程度の財産を与えられ、家から出された。要は、絶縁されたといってもいい。


「それで、紅龍殿。私は何をすれば、ガイと共に生きることが出来るのでしょう?」

『ふむ。契約じゃ。儂の龍力を介在させ、そこの子倅と其方とで契約を結ぶ。それだけのことよ』

「そんなことで、いいのですか?」

『其方は、修行もせずとも儂の声が聞こえた。それだけで、充分に素質はある。今では、竜人族でも儂の声を聞く者は少ない』

「紅龍殿の声⋯⋯普通に聞こえていると思っていたのですが違うのですか?」


 マーシャルは、紅龍に言われている言葉の意味が分からず、ガイへ視線を向ける。


「龍の言葉とは、普通には聞くことが出来ない言葉だ。竜人族でも、俺の父上と連峰に住む竜人族が数名。そして、ウィルも会得している。龍恵心といい、心の中で会話する術なのだが、恐らくウィルも無意識で使っているのだろう。マーシャルには、俺が何度か使って試したことがある。マーシャルは、気づかずに普通に会話していたがな」


 ガイは説得するのを諦めたのか、普段通りに話しかけてきた。マーシャルは話の内容に首を傾げたが、思い出せずにいた。


「そんなこと、ありましたかねえ?」

「あった。だからこそ、紅龍殿に会わせても大丈夫だと判断した。だが……俺は、他の竜人族より更に長命になるだろう。その俺と契約すれば、マーシャルは俺と同じ時を生きることになる。そして、俺が死ぬ時、マーシャルも死ぬ。本当に良いのか?」

「少なくとも、ガイと紅龍殿は居なくならないでしょう? では、紅龍殿。ガイの心が変わらぬうちに、お願いします」

『よかろう。其方、名は何と申す? 契約には、其方の名が必要じゃ』

「マーシャル・モランと申します」

『ふむ。儂の名は、ゲネルゼブル。其方にガイ・ラクロワの生涯の友としての力を与え、儂の名を与えよう。此方へ来い』


 マーシャルは、紅龍の言葉に立ち上がり、その脚先へ進むと空中に小さな玉が浮かんでいた。


『子倅よ、手伝うてやれ』

「……マーシャル。本当に、いいのだな?」

「しつこいですよ?」

「はぁ……」


 ガイは大息を吐き出し、空中に浮かぶ玉を手に取ると呪文を唱え始める。マーシャルは見たことのない術式に興味を持ったが、後でガイに聞けばいいと判断して、静かに時が経つのを待つ。ガイが呪文を唱え終わると、玉はマーシャルの身体に吸い込まれるように消えた。身体に広がる温もりに、マーシャルは、ホッと息を吐き出す。


「不思議ですね。痛みを感じませんでした」

『ふぉふぉふぉっ。其方が子倅を信頼しておる証だろうて。さて、ここからが本題じゃのう』


 頭を下ろしていた紅龍が徐ろに頭を上げ、ガイとマーシャルは自然と見下されるような形になる。


『小倅。其方、友の弟子を連れ帰ると申したが、返答に寄っては渡せぬ。此奴は、人として未熟よ。人で在りながら人ならざる者よ。人で在りながら、人ならざる者の中で暮らし、それに馴染んだ。故に、人を知らず、人の闇を知らず、人の穢れを知らず、生きてきた者よ。それ故に人としての心は、育まれてはおらなんだ。儂の友も素直に育ちすぎたと心配しておる』

「それは⋯⋯ウィルは人族なのですよね?」

『うむ、確かに人族よ。だが、龍の住処に人はおらぬ。人ならざる者の住処よ』

「マーシャル。あの地に住むのは、龍王様と龍王様の眷属、そして龍種の者たちと精霊たち。後は、動物と魔物程度で竜人族でも立ち入るには許可がいる。ウィルが保護者と呼ぶ方も、紅龍殿の言い方だと恐らく人ならざる者に該当するのだろう」


 龍の住処。ガイも許可なく入れるようになったのは、ここ数年のことだった。それでも鎮守の森へは立入ることはできない。ウィルが住んでいたのは、その鎮守の森なのだ。そのことをマーシャルに説明するとガイは長息を吐く。


「その件が何故、ウィルを渡せないということに繋がる?」

『まだ、分からぬか? 此奴の真っ更な心に刻み込まれたのは、なんじゃ? 今回の邂逅で、此奴の中に人とは、疑う者、不信する者、懐疑する者、嫉妬する者、警戒する者、憎む者、強欲な者、傲慢な者、虚飾する者、あらゆる負の感情を刻み込まれたじゃろうな。其方等が此奴を連れ帰り、此奴に植え付けた人の心じゃの』

「それは⋯⋯」

『まあ、彼の方の思惑は完遂してしまわれたのじゃろうがな』


 ウィルを好いている龍たちも、龍の住処から様子を伺っていた。紅龍、江龍、蒼龍、櫻龍、白龍といった古龍種たちと龍王である緑龍、そして仲の良かった精霊たちも、他の龍種たちも見守っていた。

 魔境の中へと転移した時点で、ウィルと人族が普通に接触できるとは考えられない。フォスター神の思惑に皆が気か付いた。こんな時に限って、竜人族の長であるリゲル・ラクロワはオズワルド公爵領におらず、ガイも連絡が取れず、龍たちも打てる手がなかった。精霊たちも動こうとしたが、大精霊が動けばオズワルド公爵領に影響が出る。かといって精霊では、魔境の瘴気で身動きが出来なくなり消滅してしまう。


『せめて、人族とわかった時点で小倅か精霊の主が迎えに来れば良かったんじゃがのう』

「騎士団に所属しているのに、勝手に動くことは不可能だ」

「そうですね。撤退の話も出たのですが、反対する方がいらっしゃって、あのような状況になってしまいました。⋯⋯そうなると、私達が少年に出来ることは、誠意を込めて謝罪することだけのようですね」


 第三師団から魔境に存在する者の情報が届いた時点で、魔境に続く門に数人残し、全てを解散させる案も出たのだ。特に第三師団の師団長ハワード・クレマンは、これ以上は必要ないと進言した。それを無理やり維持する方向に勧めたのは、警備隊隊長のエドワード・アシオス。万が一があるかもしれない、民の安全を守るためとアレクサンドラに言い募り、第一師団と第二師団の配置を維持させた。ハワード・クレマンは呆れ返った様子でエドワード警備隊隊長を見詰めていたが、精霊と対話することが出来るハワード・クレマンは、恐らく情報を得ていたのかもしれない。


「王家の者は碌なことをしない」

「一括りで考えるのは少し違うと思いますよ。まあ、彼も色々と足掻いているようですから」

「ハァ⋯⋯もういい。とりあえず、今はウィルの件が先だ。紅龍殿、せめてウィルと話をさせてくれ。今後、ウィルがどうしたいのかを聞きたい」

『龍の住処へ戻るといい出した時は、止めるでないぞ。小倅の友マーシャルよ、其方もな』

「はい、少年の思うが儘に」

『さて、友の弟子も目が覚める頃合いじゃ。儂も帰るとするか。其方らが魔境を抜けるまでは、道に結界を張ってやろう』

「助かる、紅龍殿」

『なんの。これからの楽しみが増えたのだ。気にすることは皆無である。友への土産話になるからのう。マーシャルよ。其方は、能力の使い方を子倅に習え。其方なら、容易く扱えるだろう』


 それだけ話すと、紅龍は大きな翼を広げ、空へと飛び立って行った。


「面倒なことは、押し付けて逃げたな」

「そうなのですか? では、面倒かもしれませんが、能力の使い方はしっかり教えてくださいね」

「はぁ……。先は長い。ゆっくりと覚えていけばいい。それより、先にすることがあるだろう」

「ええ。ウィルですね? 目覚めると紅龍殿が仰っていましたから、中で待たせてもらいましょうか」


 紅龍が飛び立った後に残されたテントへ、二人は足を向けた。


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