131
魔境へと続く扉。その門前にある広場は、ノーザイト要塞砦騎士団の武器庫から運搬されたバリスタの矢や槍、投石機の石が積み上げられていた。
「(初めて見ましたが……荘厳な魔術陣ですね)」
上空に浮かぶ巨大な魔術陣。その魔術陣を発動させているのは、街の中央に建つ結界装置の塔だ。通常、街を守護する結界装置のみで充分に役割を果たしている。だが今は、その塔は形を変え、巨大な魔鉱石が姿を現していた。その魔鉱石が輝きを放ち、ノーザイト要塞砦の上空に魔術陣が描かれている。
その結界装置は、魔境を囲むセルレキア・ルグレガンとも連動している。結界装置が塀全体を取り囲むように起動した今、セルレキアとルグレガンでも同様に結界装置の塔へ魔法士達が入り、魔力を注いでいるだろう。
魔境で魔物が異常発生を起こした場合、結界装置の役割は、街の防衛から魔境全体の防衛へと変わる。塀を辿るように続いている魔術陣は、セルレキアとルグレガンと繋がり、魔境全体を取り囲むようになっている。それは、魔境内部に存在する魔物を外へ出さないための魔術陣だ。
マーシャルは、ノーザイト要塞砦の上空に浮かぶ巨大な魔術陣を見て、吐息を吐き出した。二年前、これが発動できていれば、三つの街に大きな被害を出さずに済んだだろう。しかし、発動できるだけの人員が、どの街にも残されていなかった。
「(……詮無いことですね)」
マーシャルは、頭を振って気持ちを切り替えると、部下達の報告を取りこぼしのないように聞く。特務の謀反で、圧倒的に武器が足りない状況の中、襲撃を行う魔物に対抗できるのは、第二師団の騎士しかいない。
マーシャルは、第一師団の騎士を大型武器の射出人員へ回し、第三師団の騎士を索敵へ向かわせ、第二師団を中隊に編成して、出現した魔物を確実に撃破出来るように人海戦術を行っていた。
「(第三師団の報告では左翼側の魔物の数が減少していますね……。中央は、ほぼ殲滅。後は、右翼側ですか……)救護班の状況は?」
「現在、二百二十六名が搬送されていますが、救護院の治癒魔法士が到着したので、死者は出ておりません! 魔法薬の補充も完了しております!」
「塀の被害状況は、どうですか?」
「投石器が三基。バリスタが五基。損傷は受けましたが、街の鍛冶師と協力して塀の内側で整備中です。塀そのものに損傷はありません!」
昨晩からの戦闘で、騎士に負傷者が出ている。その者達は、簡易テントで作られた救護室で、ノーザイト要塞騎士団所属の治癒魔法士と街の救護院に勤めている治癒魔法士が処置を施し、戦線へ復帰していた。勿論、その中にはベアトリスの姿もある。
「第三師団より、伝令! 魔境の中央部分にて、巨大な魔術陣と思しきものを確認したとのことです!」
「魔術陣と思しき……。それは、魔術陣ではなかったのですか?」
「それが……随分と奇怪な魔術陣で判断が出来なかったもようです」
「分かりました。引き続き、魔物の索敵を行うように第三師団へ指示してください」
奇怪な魔術陣。そのような魔術陣を発動できる者となれば、ウィルが間に合わず、魔人覚醒を成してしまったメリッサか、メリッサの魔人覚醒を阻止したウィルの何方か。もしくは、そのどちらにも当て嵌まらない第三者が発動させたのか。マーシャルは頭を巡らせ、どのようなことが起こっても対応できるよう作戦を組むために立ち上がった。
「モラン師団長!」
「次は、何処から――」
「あ、あれは、一体!」
第一師団の騎士が、狼狽え指を指す方向へマーシャルが目を向けると、三重に連なった魔術陣が展開されようとしている。
「あれは……(転移の魔術陣?) 危険はありません! 周りの者は、その場から退避しなさい!」
魔境への扉がある広場、その中央に展開されつつある魔術陣を見て、動揺している騎士へマーシャルは指示を出す。
騎士が見詰める中、その魔術陣が完全に展開されると、その中に人影が浮かんだ。ハワードとガイに掴まれたバークレー。そして、ウィルとフィー。四人が魔術陣から出ると、展開されていた空間転移術は、跡形もなく消えた。
その最中も、バリスタや投石器の稼働音が響く。ハワードは、近くにいた騎士にバークレーを預けると、マーシャルの元へ向かう。ウィルとガイもハワードの後を追った。
「被害状況は?」
「ノーザイト要塞砦に被害は及んでいません。第二師団の騎士に負傷者が若干名出ていますが、その程度です。魔物の総数も減少しています」
「そうか」
安堵の息を吐き出すハワードの脇をすり抜け、ウィルがマーシャルの前に立つと、マーシャルはウィルへ微笑みを向ける。
「依頼、終わったよ」
「ええ。ありがとうございます」
「後は、大丈夫?」
「はい。ここからは、私達の仕事です」
「うん……。じゃあ……」
確認するように尋ねるウィル。その身体へマーシャルは腕を伸ばす。最後まで話すだけの余裕も残っていなかったのか、ウィルはマーシャルに身体を預け、そのまま目を閉じた。
「お疲れ様でした」
スースーと寝息を立てるウィルに微笑みを見せたマーシャルは、ユリウス副師団長補佐を呼び、ウィルを簡易テントへ運ぶよう指示を出す。ウィルがマーシャルの腕から副師団長補佐に手渡されると、そのユリウス副師団長補佐の肩にフィーが飛び乗った。その姿を確認して、マーシャルはワーナー副師団長へ視線を向けた。
「現時点を持って、掃討作戦へ移行します。第一師団、第二師団の騎士総員に、魔境から撤退するよう指示をしてください」
「はっ!」
「さて。我々も塔へ向かいましょう」
マーシャルに声を掛けられ、ガイとハワードは頷いて見せた。
そうして、三日後――。
「ん……んっ…………。あ、れ……」
ウィルの目に飛び込んできたのは、この頃では見慣れている執務室のソファセット。そして、覗き込むようにウィルを見ているフィーの顔だった。
「ギュィーーッ!」
大粒の涙を零し、顔を擦り付けてくるフィーにウィルは手を伸ばす。
「心配させちゃって、ごめんね」
「キュキュキュ!」
「僕……だいぶ、寝てたみたいだね」
「ギュィー」
そう言って起き上がったウィルは、お腹に顔を押し付けてくるフィーの背を撫でながら龍力を流し込んでいく。時間の感覚はないが、器に蓄えられている魔力や龍力のことを考えると、数日間は眠っていただろうとウィルは溜息を零す。
そして、ベッドに散乱している龍の涙と、ベッド脇のサイドテーブルに置かれた小皿いっぱいの龍の涙を見て、ウィルは苦笑する。フィーには、龍の住処で戦いが終われば、恐らく寝てしまうと伝えてあった。それでも、心配を掛けたのだろう。
「それにしても……どうして、執務室にベッドがあるの?」
ウィルが執務室の扉へ問い掛けるとガチャリと音が鳴り、マーシャルが書類を片手に執務室へ入ってくる。
「膨大な魔力を使ったことによる反動で暫く眠り続けるだろうと、ベアトリス嬢が診断しました。それで、この部屋へ運ばせていただいたのですよ。……無茶をしましたね」
「無茶……なのかな。僕は、僕のやることをやっただけだよ。……約束したからね」
アレクサンドラからの討伐依頼。メリッサから大精霊ノームの救済依頼。大精霊ノームからのメリッサの救済依頼。そして、ノーザイト要塞砦へ再び訪れた時、マーシャルから手渡されたエドワード王太子殿下からの封書には、メリッサに王族として尊厳ある死をと書かれていた。
既に魔人へ堕ち掛けているメリッサの救済。龍の住処で、ウィルはメリッサの魂を傷付けることなく天へ還す方法をフォスターに相談した。ルースや他の神々に協力してもらい、魔術陣を完成させた。それが、たとえウィルの人族としての枠を壊してしまうことになるとしても……と、ウィルの覚悟を決めさせたのだ。
「ウィルは、龍の住処から帰ってきて顔つきが変わりましたね」
「え? 変わってないよ?」
黙ってしまったウィルにマーシャルが声を掛ければ、ウィルは片手で自分の顔を触っている。
「ええ。そういう表情は変わりませんが、落ち着いたというか、以前より成長したのでしょうね」
「成長……してるのかな? 自分では分からないかな?」
「ですが、そのおかげでノーザイト要塞砦を守ることが出来ました。ウィルが先に知らせてくれたからこそ、ノーザイト要塞砦騎士団を適切に動かすことが出来ました」
手にした書類を執務机に置くとマーシャルはウィルのベッドへと歩みを進め、そして辿り着くと両膝を突いて膝立ちになり、頭を下げた。
「ちょっ!」
慌ててベッドから降りようとするウィルを制し、マーシャルは口を開く。
「オズワルド公爵領を守護するノーザイト要塞砦騎士団第一師団師団長マーシャル・モランとして、ウィリアム・グラティアに最大の感謝を」
深々と頭を垂れるマーシャルにウィルは嘆息して、今度こそベッドから降り立つとマーシャルに手を差し伸べる。
「わかったよ。受け取るから、立ち上がって」
「ありがとうございます」
「さっきも言ったけど、僕は僕がすることをしただけ。特別依頼を達成しただけだから」
差し出された手を取って立ち上がったマーシャルは、困ったような顔を見せるウィルに微笑みを見せた。
お読みくださり、ありがとうございます。131話、ようやく序章と考えていた部分まで辿り着きました。メリッサ嬢のエンディング、凄く悩みました(生かすか、亡くなるか)。何気に、メリッサ嬢が気に入っていたので……。
ストックが切れたと同時に、情けないことですが体調を崩してしまったため、暫く不定期更新&お休みをいただき(1か月程度)再び、定期連載していきたいと考えています。次話は、これまでの登場人物をまとめた物をupします。
ここまで、お読みくださり、本当にありがとうございました。