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グオォアァァァーーー!
サラマンダーが咆哮すると、ノームを縛り付ける隷属の鎖を浄化の蒼焔が包み、ドロドロと溶かし出す。その炎は隷属の鎖だけを燃やし、ノームを傷付けることはない。しかし、サットドールはまるで隷属の鎖を焼かれることを拒むかのように、ウィルとサラマンダーへ攻撃を仕掛けてくる。
サラマンダーはウィルを守るように、浄化の蒼焔を用いてサットドールを次々と消滅させていく。ウィルは、その間もずっとノームとメリッサを見詰めていた。
「ノーム。メリッサさんを救う方法は、魔人として覚醒する前に、天に還すしかないんだ。魔人として覚醒した者の魂は、天に還ることも出来なくなってしまうから……」
『メ……ッサ……テン、カエ……レル?』
「うん。今なら、まだ還れる。だから、ごめん。メリッサさんのために、眠って……」
ウィルは龍の住処でフォスターにメリッサとノームの救済方法を尋ねていた。しかし、フォスターから返ってきた言葉は『魔に身を委ねてしまった者の救済方法は、安息の地へ送ることしかない』というもの。
それも、覚醒してしまえば二度と天へ還ることは許されず、魔に身を委ねた者の魂はその身を失うと同時に消滅する。瘴気に侵された精霊は、永き眠りに就かせるしかない。ノームが再び目覚めることが出来るかは、神ですら分からない。そういうものだった。
だからこそ、ノームとメリッサの魂を救うため、ウィルは覚悟を決めた。次々と生み出されるサットドールは、サラマンダーの浄化の蒼焔で土塊に還されていく。ウィルは、そのサラマンダーへ指示を与える。
『灼熱の業火を纏う紅の巨竜よ 汝の焔にて彼の者の魔を清め 眠りを与えたまへ!』
『諾了する』
その言葉と伴に、ノームが浄化の蒼焔に包まれた。刃向うことも呻くこともなく、ノームは炎に焼かれている。ノームを蝕んでいた瘴気が、その炎に焼かれ灰塵となっていく。
『メリ……サ……。愛しイ……ワタシ⋯⋯ムス⋯⋯メ』
瘴気が炎で浄化され、徐々にノームの意識が浮上する。その様子を確認しながら、今度はウィルがサラマンダーを守るようにサットドールと相対する。それでも、その目はサットドールではなくノームへ向けていた。大精霊の眠りを見届けるために。
『来世……しあ……わせ……に……』
ノームの意識が途切れる寸前、ウィルは守りを解き、龍刃連接剣を天へ掲げるように突き上げた。
『僕の魔力を代償に彼の者の焔を鎮め 大いなる水の癒しを与えたまへ!』
『承りましょう』
龍刃連接剣の竜頭を象った柄。その中に埋め込まれた龍宝玉から魔力の弾を撃ち出すと、人化を解いた大精霊が姿を現し、その魔力の弾を内包する。そうして、了承したウンディーネはノームを浄化の蒼焔ごと水で包み込んでいく。
『大精霊ノーム。今は私の腕で、ゆっくりとお眠りなさい』
炎が鎮まり、ウンディーネが生み出した水球の中で、姿を保つことが出来なくなったノームの淡い光だけが揺れている。その様子を見て、荒い息をするウィルは安堵した。
『あらあら。ウィル、お疲れねぇ』
『まだまだ、脆弱といったところか』
『それでも、ちゃんと召喚できたのだわ』
『だが、我等を従わせるには、まだまだ力量が足りぬ』
『ふふふ、ただ帰りたくないだけなのだわ。もっと、お話したいだけ。貴方もそうなのでしょう』
『……我は、ちゃんと帰るぞ』
空中で会話を始めてしまった二体の精霊。ウィルの召喚術の欠点とも呼べる。それは、呼び出しに応じた精霊が具現したまま、その場に留まり続けるということ。精霊の意思を、そのままに呼び出してしまう。ウィルにとって、彼らは友であり従属させる者ではない。だからこそ、相性の悪い火と水であっても同じ場に存在できるのだ。
『後は、ノーム次第よ。大丈夫、この子も立派な大精霊。いずれ、目覚めの時が来るわ』
「協力してくれてありがとう。サラマンダー、ウンディーネ」
『また、呼べ。我は、快く応じよう』
『あらあら。素直じゃないのね。でも、同意だわ。また、会いましょう』
彼らが帰還すると、ウィルはメリッサへと視線を戻す。ノームとの繋がりが解けた今でもサットドールは増え続けている。
「メリッサさん……魔力を練るセンスが高いね」
「ノームが……教えてくれたのよ」
「そう……。これで、メリッサさんの依頼は終わったよ」
「ええ。……感謝するわ。これで、私も心置きなく戦えるもの」
瘴気がメリッサの手に凝集して剣が生み出されると、その剣を手にメリッサはウィルに向けて駆け出す。
「私は、私を生み出した世界が憎い」
「……それは、魔人としてのメリッサの想い?」
「ええ、そうよ。彼女は、ノームと静かに暮らせたら、それだけで良かった。たとえ殴られても蹴られても、城の片隅でノームと一緒に居られるだけで幸せだったの。でも、あいつ等が奪った。あいつ等が、メリッサの心を殺した」
「だから、この世界を壊すの?」
「その通りよ!」
ガキンッ!
剣を交えながら、ウィルとメリッサは語り合う。その度に、メリッサの剣から瘴気が吹き出し、辺りを瘴気で染めていく。
「何時まで耐えられるかしら?」
「何時までも、耐えてみせるよ?」
「グラティアであろうと、器は人族。耐えられるはずがないわ」
「うん。だけど……僕は、耐えられる」
合間に襲い来るサットドールを斬り伏せて、ウィルはメリッサに微笑みかける。
『逆巻く水流 穢れを清めよ 大渦潮』
メリッサとウィルを囲うように出現した水の渦が、サットドールを襲い、渦に飲み込まれたサットドールは、なす術もなく土塊に還っていく。
「何よ……。どれだけの魔力を持っているの……」
「際限なく、かな」
「ふっ、うふふふふ、あははははははっ。さすがね、グラティア。でも……負けないわ。負けられないわ! メリッサの唯一を殺した人族なんて、この世界に必要ないのよっ」
メリッサが叫ぶと、辺りで瘴気が凝集されて次々と魔物が生み出されていく。それを見たウィルは、すぐさま詠唱を始めた。
『聖なる光 審判を刻め ホーリー・ジャッジメント』
空中に描かれた巨大な魔術陣。その魔術陣から、光の雷が落とされ、生み出されていく魔物を灰塵へと変えていく。その雷の合間を掻い潜り、メリッサはウィルへ剣を振るった。
ザシュッ
「ふ……ふふっ。やったわ……やったのよ!」
メリッサの剣が、ウィルの胸元を貫く。だが、次の瞬間。
『滔々たる龍力の流れ 淀よどみし力 龍脈より噴き上がれ 龍昇華』
メリッサの背後からウィルの詠唱が唱えられる。地面に浮かび上がる魔術陣は、メリッサを縛り付け、動く事が叶わない。
「どうして……」
「何度も見せられたからね」
「まさか……」
息を呑み、メリッサは頭を動かし視線を斜め後ろへ向ける。そうして、地面に伏せたウィルを見れば、土塊に変わっていた。
「……サットドール」
「魔力を練り上げるのは、僕も得意なんだ」
「……完敗ね」
「そうでも、ないよ。練り加減が分からなくて、ほら……」
ウィルがオーバーウェアを捲ると、血が滴っている。サットドールに比べれば、些細な傷だが、それでも傷を負わされたことにかわりない。メリッサは、その傷を見て呆れたように笑った。
「魔力を練り込みすぎよ。移し身になりかけてるわ」
「そうみたい……。だから、これで終わらせる」
魔術陣が集束してメリッサの瘴気を消し去っていく。その様子を見ていたウィルは、離れた位置にいるバークレーへ視線を向ける。
「メリッサさん……これで、全ての依頼が終わるよ」
瘴気が浄化されたメリッサの色合いは、青い髪に琥珀色の瞳。ノームに見せられた前国王ベネディクトと全く同じ色合いだった。
「大精霊ノームの願いは、メリッサさんを救うこと。アレクさんの依頼は、従姉を死なせてやること。そして、メリッサさん」
ウィルは、胸元から一つの封書を取り出し、メリッサへ見せた。その封書に描かれた紋章を見て、メリッサは泣きそうな顔でウィルを見詰める。
「貴方の従弟から、従姉に王族としての尊厳ある死を依頼された。だから、どうか眠るように逝って」
封書を胸元にしまい、ウィルはレザーグローブに手を掛けて外す。その中に秘されていた刻印へ魔力を流し込み、ウィルは詠唱を始めた。
『世界の理 円環へと紬て その魂は光に誘われたまへ』
通常の魔術陣とは異なり、文字通り円を成す魔術陣は、メリッサを囲みクルクルと回り出す。そうして、何十にも広がった円から、一筋の光が天へ向かって伸び始めた。
「言い残したいこと、ある?」
「っ……ないわ」
「そう……」
「ただ、グラティア。貴方には、最大の感謝を。ありが――」
最後まで言葉を紡ぐ前に、天へ伸びた光は消滅してメリッサの身体がグラリと地面へ倒れ込む。
「……おやすみ、メリッサさん」
メリッサの遺体が地に伏せるよりも前に、ウィルが遺体を腕に抱え込むと、伏せられた目蓋から流れ出た一雫が頬を伝い落ちていく。
そうして、メリッサを抱きかかえるとガイ達の元へ歩き出す。地面に座り込み、呆然とするバークレーを一瞥して、ウィルはガイとハワードへ視線を向けた。
「……依頼、終わったよ」
「何時の間にエドワードから依頼を受けた?」
「こっちに来て、二日後かな。マーシャルがエドワード様から預ってた。僕もエドワード様と同じ考えだったから受けたんだ。マーシャルに返事も出してもらったよ」
オークの集落を討伐してノーザイト要塞砦へ帰ってきたウィルに、マーシャルは屋外訓練場でエドワードからの封書を手渡した。その内容は『従姉に王族として尊厳ある死を』という願いにも似た一文のみ。ウィルは、すぐさま快諾して、マーシャルからエドワード宛に文を出してもらっていた。
「少しの間、メリッサさんを頼んでいい?」
「構わないが……」
「じゃあ、お願い」
メリッサの亡骸をガイに渡すと、ウィルは龍葬華の前へ戻る。そうして、その先にある結界へ目を向けた。
「煌龍王、ヴィルヘルミナ様。どうか天へ還りし悲しき魂に、一輪の龍葬華を」
ウィルが頭を下げ、祈りを捧げるとパキンと音が鳴り、一輪の龍葬華がふわりと浮かぶ。その花を受け取り、ウィルは再び頭を下げ、黙祷を捧げた。
龍葬華を手にガイ達の元へ戻ったウィルは、メリッサの亡骸を棺に納め、その胸元に龍葬華を置き、蓋を閉める。そうして、ウエストポーチへ収納する。
棺は、龍の住処で緑龍に許可を得て、巨木を貰い受けて制作したものだ。一度、魔に堕ちた者の遺体は、魔を呼びやすい。神聖なる鎮守の森で育った巨木には、聖なる力が秘められている。それで、魔を断ち切ることにしたのだ。
「急いで帰ろう」
「ウィル、身体は大丈夫なのか?」
「うーん。疲れてるけど、これ以上は駄目だよ」
魔力の消耗は激しい。それに怪我もしている。それでも、ここに留まることは出来ない。
「これ以上、此処にいたら煌龍王様の眠りを妨げることになるし、ノーザイト要塞砦も気になるから」
「砦のことならば、心配は要らない」
「?」
首を傾げるウィルに、ハワードはノーザイト要塞砦を守護する結界装置の説明をする。
「あの装置は、防御だけでなく攻撃も可能だ。但し、その攻撃に用いられる力は、人族の魔力となる。その為に、総長と精鋭隊がいるんだ。膨大な魔力を持つ彼等が居れば、ノーザイト要塞砦が陥落することはない」
その説明を受けながら、ウィルはアイテムポーチから一枚の皮用紙を取り出す。魔術陣が描かれた皮用紙を地面に置いて、魔力を皮用紙に送り込むと皮用紙は燃え上がり、その炎が三重層の魔術陣を作り出した。
「そうだとしても、早く帰った方が良いでしょ?」
「この魔術陣は……」
「うん。空間転移術の魔術陣。書くのに時間が掛かるし、魔力をめちゃくちゃ消費するし、一枚で一度しか使えないし、場所も最初で決めた場所にしか転移出来ないし、かなり不便なものなんだけどね」
龍の住処を出て、一人の時間があるとフォスターから受け取った書本を読み返し、作り上げたもの。詠唱で空間転移術を発動させることが出来なかった苦肉の策だ。魔術陣の改変は、ウィルにも可能。ならば、出口を予め設定した魔術陣を皮用紙に写し取り、ウィルの魔力を流し込むことで起動するように作り替えたのだ。
「あ、転移先は扉の内側に設定してあるから、擬態してね。そのままだと、二人とも困るでしょ?」
その言葉に、ガイとハワードは姿を戻す。魔力の装填が終わると、ウィルはレザーグローブを身に着けた。これも隠さなければならないもののひとつだ。
「ウィル。その刻印は……」
「元々は、ただの刻印だったんだけどね。戻った時に、能力を付与されたんだ。今度、ちゃんと話すよ」
光を帯びる刻印。その光は紫、フォスターの色。レザーグローブを見詰め、微笑むウィルにガイとハワードは無言で頷た。
「じゃあ、行こうか」
ウィルが声を掛けると、ハワードとガイは未だ座り込み立ち上がる気配を見せないバークレーを無理矢理立たせて、引き摺るようにして魔術陣の前に戻った。