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「覚醒までの残り時間が少ない……それに、この場所までの時間を考えると選択肢は、あまりないよね」
「キュ?」
そう呟いたウィルは、手元に残された紙から顔を上げると、一度屋敷へ入り自室へ向かった。そうして、手紙を準備して屋敷を出ると、今度はフィーを肩に乗せ、冒険者ギルドへ走り出す。
フィーを伴って冒険者ギルドへ向かったウィルは、受付も通さず、ノックもせず、そのままギルドマスターの部屋へ駆け込む。
夕方という時間帯で冒険者ギルドが混雑していたのもあるが、ウィルはメリッサの最期にバークレーを有無を言わさず立ち会わせるつもりでいた。
マーシャルが、バークレーに対してどれだけの真実を話したか、ウィルはマーシャルから知らされていない。だが、確実にある程度のことを聞かされている。バークレーとギルドマスターの部屋で話をした時、ウィルの眼に写ったバークレーの感情は、紛れもなく後悔だった。
ノームに見せられた真実。その中に、ウィルが誰にも話していないものがある。バークレーのメリッサに対する行動。それは、普通に考えて非道と呼べる行為だ。だが、メリッサはバークレーを解雇するわけでもなく側に置き続けた。だからこそ、ウィルはバークレーをメリッサの最期に立ち会わせる人物に選んだ。
バークレーは、ギルドマスターの部屋で書類整理に勤しんでいた。いきなりドアが開き、目を見開いて入口を見ている。
「君は――」
「魔境の門を開く許可証を準備してください」
「一体、何を――」
「メリッサさんは魔境に居ます。もう、魔人として覚醒するまで時間が、そんなに残ってない」
「っ!」
バークレーに最後まで話させず、ウィルは言い切る。
「バークレーさんには、一緒に行ってもらいます。理由は話さなくても、分かりますよね」
「だ、だが、俺は――」
バンッ!
狼狽するバークレーの決断を急がせるようにウィルは執務机を叩く。それに合わせて、机の上に乗せられていた書類が宙を舞った。
「嫌だと言っても、無理やりにでも連れて行くから」
射抜くような視線をウィルに向けられ、バークレーは息を呑む。
「戦えとは言わない。ただ、彼女の最期をちゃんと見届けて。それが、メリッサさんの側に存在し続けたバークレーさんの義務だよ」
「……俺の……義務……」
激しい音を聞きつけ、職員がギルドマスターの部屋に集まって来る。しかし、ウィルはバークレーだけを見続けた。
「ウィリアム君……君は、いったい――」
「ノームが教えてくれた。バークレーさんがメリッサさんに何をしていたか。誰に何をさせられてきたか」
「っ!」
「卑怯かもしれないけど、行かないと言うなら、僕はアレクさんに全部話すから」
「そうか……全て、知っているのか。……そうか」
ガックリと肩を落としたバークレーは、深く息を吸い込むと椅子から立ち上がり、室内に置かれていたロングソードを手に取って、ウィルへと振り向く。
「鍛錬は続けていたが、実戦からは二十年以上離れている。恐らく、足手纏いになる」
「戦う必要ないから」
「そうか……」
話が纏まり、バークレーが入口に集まっていた職員の一人に戦闘馬の準備をするよう指示を出す。そうして一階へ降りると、冒険者ギルドの入口に警備隊隊員が入ってくるところに遭遇した。騒ぎを聞きつけた職員が、ノーザイト要塞砦警備隊に連絡を取っていたのだ。
隊員たちは階段を降りてきたウィルの姿に驚いていたが、ウィルは臆すことなく歩みを進める。そうして、隊員の中にビリーの姿を見つけると、そのままビリーの前へ向かった。
「ビリーさん」
「冒険者ギルドで、暴れてる冒険者がいるってウィリアム君だったのか?」
困ったように話し掛けてくるビリーに対し、ウィルは動じた様子もなく頷いて見せる。
「騒がせて、ごめんなさい。急用だったので、そのままギルドマスターの部屋を訪ねました」
「急用って……何かあったのか?」
「そのことで、ビリーさんに頼みたいことがあるんです」
「俺に、頼み?」
ウィルは、準備していた手紙をビリーに手渡すと、その手紙をノーザイト要塞砦騎士団の総長アレクサンドラ・オズワルドに必ず渡すように頼む。
「わかった。必ず、届ける」
ギルドマスターの部屋へ直接行かなければならない程の急用となれば、ノーザイト要塞砦の警備にも関係してくる。ビリーは、ゴクリと唾を飲み込むと震えそうになる自分を叱咤して口を開いた。
「一体、何が起きてるんだ?」
「その手紙に全て書いてあるので、アレクさんから直接確認してください。そこから先の判断は、ノーザイト要塞砦騎士団の総長であるアレクさんに任せます」
ウィルは、そう話すとビリーの横をすり抜け、冒険者ギルドの建物を出る。外には、職員が馬を連れて待っていた。
「バークレーさんは、馬で門へ向かってください」
「ウィリアム君は、どうするんだ?」
「僕は、騎士団専用の通路を使わせてもらいます」
事後承諾になってしまうが仕方ないと、ウィルは小さく息を吐き出す。街中を龍術で駆けることは、出来ることならば避けたい。
そうして、辿り着いたのがノーザイト要塞砦騎士団専用の通路だ。昼間、マーシャルがウィルに覚えさせた地図の一枚に、ノーザイト要塞砦の構造が描かれている物があった。
ノーザイト要塞砦の塀の内部は、緊急時用の通路がある。隠された出入口は会わせて六つ。冒険者ギルドの近くに、そのひとつが存在していた。ウィルは、バークレーと別れて進み、スキルを用いて施錠された扉を解錠して通路に入る。
壁の内部に作られた通路は魔石灯で照らされているが、それでも仄暗い。その中をフィーは飛翔し、ウィルは龍術で駆ける。肉体強化を施されたウィルは、龍術を用いて人の何倍もの速さで駆けることが出来た。その速さは、戦闘馬にも負けることはない。
魔境側の門へ続く扉を解錠して、ウィルが扉を開けると鋭い斧刃が向かってくる。それに反応して横へ飛び退けば、そこにはガイの姿があった。
「此処で何をしている」
斧槍をウィルに突きつけたまま、ガイは鋭い眼光を放つ。
「たとえ、お前であっても、勝手に騎士団の非常時通路を使うことは許されない」
「分かってるよ。帰れたら、ちゃんと罰を受けるつもり。だから、今は止めないで」
帰れたらと言う言葉に、ガイは目を細めてウィルを見据える。ガイは、執務室でノーザイト要塞砦の塀を管理する魔法士から非常時用通路に何者かが侵入したと報告を受け、スキルで侵入者の居場所を突き止めると同時に、その人物がウィルであることに気付いた。そして、同様に同じ方向に動いている人物にも気付く。二人が目指す先にあるもの。それは、魔境へ続く扉だ。
「魔境に何の用がある? 明日から、セルレキアに発つのだろう」
「ごめん。セルレキアには行けない。警備隊のビリーさんに、アレクさん宛の手紙を託したよ。それに全部書いてあるから」
「ウィル。全てを話せ」
「ごめん。そんなことしてられる時間は、もうないんだ」
ウィルは瞬時に龍刃連接剣を取り出すと鞭状にして家屋の屋根へと跳んだ。そのまま、屋根伝いで魔境への扉へ向かう。
「ウィル! くそっ!」
後方で待たせていた愛馬に飛び乗り、ガイもウィルの後を追う。しかし、先に到着していたバークレーが手続きを済ませて魔境へ向かったのか、既に魔境へ続く扉は固く閉ざされ、二人の姿はなかった。
『捜索』
「(……速度が落ちたな。これなら、追える) ……第二師団師団長ガイ・ラクロワだ。ギルドマスターと少年は魔境へ向かったのか」
「は、はい」
「彼らの後を追う。扉を開けろ」
魔境の扉を警備する警備隊隊員に声を掛け、扉を開けるよう指示を出すが、警備隊隊員も困惑の表情を見せる。
「で、ですが……ギルドマスターが魔境にて危機が迫っていると言って、自分達が帰るまで魔境の門は決して開けないようにと……」
「いいから、開けろ!」
「ガイ。一人で行くつもりか?」
警備隊員へ話し掛けるガイの言葉を遮り、声を掛けたのはガイと同じように愛馬に跨るハワードだった。
「ウィルを止める必要はない。そのまま、俺達も追う」
「何を言ってる?」
「ノーザイト要塞砦騎士団総長アレクサンドラ・オズワルドから命令が下った。これより、魔境側の塀は厳戒態勢に入る。既に第一師団師団長マーシャル・モラン、並びに第二師団副師団長ユアン・イザドルが、騎士を指揮して向っている。ノーザイト要塞砦騎士団到着後、警備隊隊員は、魔境側の扉に近い住民達の避難と支援に回れ」
「はっ!」
ハワードの指示に従い、魔境へと続く扉を開いた警備隊員は、馬を預けて魔境へと飛び込んでいく二人を敬礼で見送った。
扉が閉じられると二人は擬態を解き、駆け出す。ガイは、移動するウィルをスキルで追いながら、隣を進むハワードへ視線を向けた。
「どういうことだ?」
「ガイ。ウィルが、ノーザイト要塞砦へ再び戻った理由を忘れた訳じゃないだろう?」
「まさか⋯⋯」
「どうやら、そのまさからしい」
ノーザイト要塞砦騎士団総長宛に書かれたウィルの手紙は、ウィル達が冒険者ギルドを立ち去ってから、そう時間が経たない内に届けられた。こちらも、警備隊に準備されている緊急時用の地下通路を使用したのだ。
そして、アレクサンドラに呼び出されたマーシャルとハワードは其々の任務のために動き出した。
「メリッサ嬢の最期を見届ける役目を、俺とガイに。マーシャルは、魔境から魔物が現れた場合、第二師団の指示を行う。第三師団の者達は、既に住民の避難支援へ向かわせてある。総長は、精鋭隊と魔法士を連れて結界装置強化のため、塔へ入られた」
「そこまでする必要があると?」
「ある……メリッサ嬢の魔人覚醒まで時間がないらしい。魔人の強さは、その人物の魔力に比例する。もし、メリッサ嬢が魔人として覚醒すれば、ジョセフィーヌとは比べ物にならないほど強力な魔人になるぞ」
「っ……。急ぐぞ!」
先行するウィルとバークレーに追いつくため、ガイは脚を早めた。