126
ガイとウィルが支援物資と壊れた結界装置を持ち帰って、二日――。ウィルは、マーシャルに呼び出されて、ノーザイト要塞砦騎士団第一師団の執務室を訪れていた。
ワーナー副師団長に案内された執務室では、マーシャルが執務を行なっている。そして、書類から視線を上げることなくマーシャルは口を開いた。
「ウィル。貴方には明日の早朝、ハワードとセルレキアに出発してもらいます。そして、そのままルグレガンまで行ってノーザイト要塞砦に帰還してください」
ワーナー副師団長から応接セットに案内されたウィルは、マーシャルの言葉に小首を傾げる。フォスターからウィルが教わったことといえば、国名と誰が治めているか、そしてどのような資源を有しているのか。細々とした地名などは、聞かされていない。
「ごめん。セルレキアと……ルグレガンって、どこ?」
オズワルド公爵領の領地で、ウィルが知っている地名は少ない。現時点でノーザイト要塞砦とラクロワ伯爵家が預る領地、ガルドリアのみ。それも、そのガルドリアという地名もノーザイト要塞砦に帰ってきてから知らされた。
マーシャルにウィルが問い掛けているとノッカーが鳴り、騎士が執務室へ入ってくる。そして、テーブルへ紅茶とサンドイッチをテーブルに並べた。
「あ、ありがとうございます」
「これは、君の従魔に食べさせて」
そう言って騎士が差し出した皿には、色々な種類の焼き菓子が積まれている。
「あ、ありがとうございます。フィー、おいで」
「キュキュ!」
ウィルとフィー。一人と一体でお礼を伝えると、騎士も微笑みを浮かべる。ノーザイト要塞砦にいる騎士たちの……その中でも第一師団の騎士は、ウィルという存在を快く受け入れていた。
新人の冒険者、それも子供にしか見えないウィルを騎士が快く受け入れるのには理由がある。第一師団の魔法士が認めるほどの魔力を持ち、たった一人で謀反の首謀者たちを殺害することなく捕らえた実力がある。そして、何より仲間を哀悼してくれた。その想いが騎士に強く伝わっていたのだ。
騎士は、微笑みを湛えたまま一礼してワーナー副師団長と執務室を退出していく。その姿を目で追いながら、マーシャルが執務机からウィルの待つ応接セットへ向かうと、不思議そうな顔でウィルは扉を見詰めていた。
「あの騎士さん、初めて会ったよね?」
「そうですね。新しく副師団長補佐になった者ですよ」
「あ……。そっか、オーウェンがいないから」
「ええ。彼はオーウェンの同期で実力も拮抗していましたから、オーウェンの後を引き継いだのですよ」
ウィルは、マーシャルの言葉に頷きながら騎士が持って来た焼き菓子をフィーに食べさせる。その様子に微笑みながらマーシャルは話し始めた。
「ウィルは、この砦が魔境を囲う形をしていることをご存知ですよね」
「うん。マーシャル達が教えてくれたし、魔境から歩いてきた時、壁を見たからね」
ウィルが初めてアルトディニアに降り立った場所。それが魔境内部であったことをウィルが知ったのは、ノーザイト要塞砦に着いてから。ウィルがノーザイト要塞砦を見て不思議に思ったのも、その時だ。塀がずっと先まで続いていたのだから。
「そうでしたね。では……」
ソファから立ち上がったマーシャルは、書籍棚の引き出しから丸められた皮用紙の束を取り出して、応接セットのテーブルに置いた。
「ウィルは、アルトディニアの地図を見たことがありますか?」
「あるけど、細かいことは知らないよ。フォスが普通の人は見られないって話してたし」
「ええ、その通りです」
地球と違い、この世界では地図は貴重だ。戦争があるということも大きい。地理を把握できる者は、国の重要人物である上位貴族やギルドマスター、騎士団などに限られている。勿論、街道など主要な道や大きな都市の情報は商人などにも明かされているが、それでも事細かな地図は出回ることはない。
「ならば、これを見てください」
マーシャルが丸めてあった皮用紙の一枚を広げると、ウィルと一緒にフィーも覗き込むようにして見ている。
「これは、レイゼバルト王国全体の地図です。他の地図は、レイゼバルト王国の王都・レイゼバルト王国の貴族が領主を勤める街・小さな村・関所や砦などの詳細な位置を把握するための地図になります。まあ、戦用に作られた地図ですね」
「ねえ⋯⋯。どう考えても僕が見ていい地図じゃないよね?」
マーシャルは、じいっと見詰めてくるウィルに苦笑する。確かに見せていいものかと問われたならば、否だからだ。
「そうですね。間違いなく、国家機密に該当します」
「見せること自体が……犯罪行為だよ?」
「ええ。それでも、全て暗記してもらいます」
「全部って!」
マーシャルは指で地図をトントンと叩き、チラリとウィルのレザーグローブが着けられている右手へ視線を向ける。
一昨日、報告を済ませたガイから、ガルドリアで起きた出来事を聞いた。獣人族の村での出来事。城で起きた出来事。そして、龍の住処での出来事。その紅龍が、ガイに与えた情報のひとつがウィルの情報だった。
『フォスター神は、ウィルに自らの刻印を刻まれたらしい』
レザーグローブが装着されたウィルの右手。らしいという言葉は、実際に紅龍も見たことがないからだ。ウィルの言葉を借りるならば、『チュウニビョウのようで、恥ずかしいから、誰にも見せたくない』だそうだ。
チュウニビョウという言葉は、この世界の言葉ではない。ウィルが以前暮らしていた世界の言葉なのだろうとガイやマーシャルは考えていた。
「(……まあ、全てを話せばガイに叱られてしまいますからねえ……)」
フォスター神が、どのような意図でウィルをオズワルド公爵領へ送り出したのか。その謎は、未だ解けていない。それでも、ガイがウィルの傍に居ることを決めた以上、マーシャルはウィルという存在を、自分達から逃すつもりはなかった。
「マーシャル、どうしたの?」
ウィルに声を掛けられ、マーシャルは再び笑顔を貼り付けると口を開く。
「ウィルは能力学習というスキルを持っていると、ガイから教えていただきました。そのスキルで、今から私の持つスキルを会得してもらいます。そうすれば、この程度の地図は簡単に覚えられますからね」
「えっ……」
「どうやら、ウィルは迷子になりやすいようなので」
「うっ……」
どこにいてもノーザイト要塞砦を指し示すコンパスの話はウィルから知らされている。迷子になる理由は、地図を知らないからだと結論に至っていたマーシャルは、ウィルの持つスキルをガイから聞いて考案したのだと話す。
そうして、マーシャルは騎士服のポケットから、ひとつのアーティファクトを取り出し、ウィルの前に置いた。
「このアーティファクトの中に、私の持つスキルをいくつか入れておきました」
「アーティファクト?」
ウィルは、その青い物体を手に取って、マーシャルを見た。全体で見ると正十二面体になっている。しかし、よく見てみると、その正十二面体は様々な形の集合体である。
「これ……タングラム? 立体パズルだよね?」
「タングラムというのですか?」
「あ、ええと。僕が前生きてた世界に似たものがあって……。でも、それは何かが入ってるとかじゃなくて、頭の体操をする道具のような感じ……だったと思う」
ウィルが説明をすると、マーシャルはアーティファクトは迷宮品なのだと話す。
「迷宮には、一定の階層毎に宝箱があるのです。これは、冒険者に依頼して探してもらった物です」
「ふーん。迷宮って色々あるんだね」
「ありますねえ。私も騎士でなかったら潜ってみたいのですが……。さて、このアーティファクトの使い方ですが、魔力を流し込んで解読してください。このアーティファクトには、何通りもの正解があります。その中から、このアーティファクトが選ぶ正解を見つけ出すのです」
「……なんか難しそうだけど、頑張ってみる」
言われるままに解読を始めるウィルから離れ、マーシャルは書類を纏めていく。
負傷した騎士は、ベアトリスが治癒して職務へ復帰していた。ルグレガンとセルレキアへ派遣していた第一師団も、第四師団、第五師団と入れ替わりで、ノーザイト要塞砦に帰還している。
第三師団、第六師団も通常通り、オズワルド公爵領の巡回に出ている。特務師団は、貴族議会と次期当主セドリック、ノーザイト要塞砦騎士団総長アレクサンドラで話し合いがもたれ、解体が決められた。残った騎士は、他の師団に移動することになっている。
「(全てが元通り……と、いう訳にはいきませんが、何とかなりそうですね)」
書類から目を上げ外へ視線を向けると、大工と第二師団の騎士が協力して材木を運んでいる姿が目に留まる。ウィルとガイが運んできた支援物資が届き、本格的に建設が始まったのだ。
他の街や村からも大工達が集まって来ているので、順調にいけば半年で全ての官舎が出来上がるだろう。その後、大食堂、食料庫に取り掛かる予定になっている。
焚き出し状態で取っていた食事は、屋内訓練場へ移設された。ウィルのお陰で、旧魔法訓練場を洗脳された騎士達の治療場として使用が可能になったためだ。
こちらの方も徐々に落ち着き始めているが、それでも時間が掛かりそうだった。彼らの処罰についても、揉めている。
「(罪がないとは言いませんが、全く記憶がない騎士を責めても仕方がないですからねえ……)」
第五師団コンラッド師団長の話では、仲間の騎士に捕らえられた者も、第五師団が捕縛した者も、ウィルによって幼龍が解放された時間帯、同時に意識を失ったらしい。そして、目覚めた時には、謀反の前日から記憶が途切れていた。そういった騎士が、自分達の行いを聞かされ自死しようとしたのだ。救いだったことといえば、ウィルの住む家へ向かった騎士は、全て自ら謀反に加わった者であったことぐらいだろう。
「(まあ、今更ですね。これからのことを考えなければ……)」
窓から書類へと視線を戻し、マーシャルはウィルに依頼する支援物資の依頼書と署名を貰う書類を制作していく。今回、ガイは第二師団を指揮するため、ノーザイト要塞砦に残る。ウィルに同行する相手は、ハワードだ。
支援物資の回収は、セルレキアとルグレガンの二ヶ所。セルレキアでは、足りなくなった武器や防具、鉱石などの補充。ルグレガンでは、材木と石材を受け取る。
問題は、壊れた結界装置の回収の方だ。セルレキアとルグレガンからの支援物資の回収後、ハワードとウィルは別行動となる。時間に余裕があれば良かったのだが、ハワードは第三師団の任務がある。結界装置の回収は、現地の騎士と行なうため、不安要素のひとつとなった。勿論、魔物との戦闘ではない。ウィルの行動が読めなさが、一番の不安なのだ。
「(ノーザイト要塞砦には、間違いなく帰ってこられるのでしょうが……)」
ウィルは、迷子防止のマジックアイテムをフォスター神から渡されている。しかし、セルレキアから見ても、ルグレガンから見ても、ノーザイト要塞砦は、魔境の先にある。
「(ウィルのことですから、恐らく魔境に入ってしまうでしょうねえ……)」
普通ならば、魔境に飛び込むような真似をする者はいない。瘴気が立ち込める魔境は、ただ居るだけで体に害を及ぼす。出没する魔物のランクも高い。それ以前に、堅牢な塀に遮られて、魔境に入る術はない。しかし、ウィルは塀を飛び越える術がある。事実、一度はノーザイト要塞砦から塀を越えて、魔境へ戻ってしまったことがあった。
「(『看破』を習得しているのですから、私の持つスキルも覚えられると思うのですが……)」
マーシャルが渡したアーティファクトには、『転写』、『情報集約』、『検索』、『裏情報』の情報が詰め込まれている。その全てが、マーシャルの持つ特殊スキルだ。
スキルは、常時発動型のスキルから、任意発動のスキルまで多種ある。また、生まれ持ったスキルもあれば、後から習得できるスキルもある。
通常、普通スキルと呼ばれるスキルは、冒険者ギルドや街中にある魔法屋、武器屋、防具屋で売られている。それは、この地で生活する者にとって、スキルが重要だからといえる。難点といえば、値段が高いということ。そして、扱えるスキルが人によって異なるということだろう。剣士であっても、必ず武術系スキルが習得できる訳ではない。
そして、特殊スキルや希少スキルは、そのスキルを会得している者からアーティファクトを介して会得する。また、迷宮の宝箱から稀に出てくるアーティファクトにスキルが入ってることもある。
更に、迷宮の最下層にあるアーティファクトに封入されているスキルは、伝説スキルと呼ばれるスキルが多い。鑑定系、解析系スキルが主となる。
魔法に関しても魔法書と呼ばれる物が存在している。しかし、魔法書を販売しているのは、魔法屋と冒険者ギルドのみ。
魔力の適正は、冒険者ギルドや魔法研究所――通称『魔塔』、魔法学術院等で適性を調べることが可能であり、人族に限られるが極めて高い魔力を持つ者は、魔法学術院で訓練することを進められる。基本的に高い魔力を有する人族は貴族が多く、平民は少ない。
しかし、稀に高い魔力を保持した平民が生まれることがある。そういう者達は魔法学術院を卒業後、五年の間、魔塔に所属することを義務付けられてしまうが、魔法学術院で学ぶことが出来た。
また、特に魔力が多く属性を複数持つ者は、高位の魔法士が師としてつく場合がある。タマラが驚いた理由は、ここにあった。師がつく者の殆どが、国防や国営に関する要職に就くことになるのだ。
魔法士は、己の持つ魔力属性に応じた魔法書を会得していく。適性の無い魔法は解読不可能、魔力の量に応じた魔法書を会得する。そして、高位魔法も会得が難しい。ウィルが使用している魔法は、騎士団の魔法士達や治癒魔法師達が知らない魔法。最上位の魔法が主だろうと部下達から聞かされている。
「わっ!」
マーシャルが出来上がった書類を束ねていると、応接セットに座るウィルが声を上げた。どうやら、一つ目の正解を見つけ出したらしい。発光するアーティファクトを見詰めるウィルの元へマーシャルが向かうと、ウィルが顔を上げた。
「……これって『情報集約』?」
「ええ。そうですね」
「へぇ。こんなスキルがあるんだ?」
マーシャルの返事を聞いて、再び発光しているアーティファクトを見詰めるウィルに、マーシャルは微笑む。ウィルの隣では待ちくたびれたフィーが身体を丸めて寝ていた。
「どうやら、退屈させてしまったみたいですね」
「あ……。いつの間に寝ちゃったんだろう? 気付かなかった」
話していても起きる様子のないフィーに、ウィルはアイテムボックスからブランケットを取り出してフィーに掛けてやる。そうして、再びアーティファクトへ視線を戻す。
「ねえ、マーシャル。これで、地図を覚えられるようには思えないんだけど……」
「それは、情報管理系統のスキルのひとつです。地図を覚えるためには、それを覚える前に、別に覚えておかなければならないスキルがあるのですよ」
「……いくつ、入ってるの?」
「残り三つです。頑張りましょうね」
ガックリと肩を落とすウィルに、マーシャルはクスクスと笑った。