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ガルドリアの街。その中央にあるラクロワ伯爵の城が見える頃には、辺りは暗くなっていた。城の跳ね橋は上げられている。だが、ガイが合図を送るとゆっくりと跳ね橋が降りはじめた。ガゼル達の村から、ガルドリアの街に着くまで、ガイは無言を貫き、ウィルもフィーには話しかけることはあっても、ガイには何も話しかけられずにいる。ガルドリアに近づくほど、ガイの様子はおかしくなっていく。ウィルには、そう感じられたからだ。
そうして、跳ね橋が完全に降り、渡り始めると途中でガイは足を止め、ウィルへと振り返った。怪訝な顔でウィルがガイを見上げると、小さく息を吐き出し、意を決したように口を開いた。
「先に言っておく。城では不快な思いをするだろうが、城にいる者達の言葉に大人しく従ってくれ」
「どういうこと?」
「義母は人族を嫌っている。城に勤める者達も同様だ。流石に職務で訪れた相手に対して、ひどい扱いをする者はいないだろうが、それでもあまりいい対応はしないだろう」
「それなら、街の宿屋か跳ね橋のところでテントを張って休むよ? 迷惑をかけるより、その方が良いんじゃない?」
「いや。それは、それで問題がある」
「……そっか。分かった」
「すまない」
言葉の途中から顔を俯かせたガイの表情は見ることはが叶わなかった。ガイは街に入ると、そのまま城へ向かい、出迎えた家令に一言二言何かを告げると、ウィルを置いたまま奥へ入っていく。ウィルが困ったように佇んでいると、家令と伴にメイド姿の女性がやってきて、ウィルの泊まる部屋へ案内するから着いて行くように指示される。どうすることが正解なのか分からず、フィーと顔を見合わせていたが、ガイにも城にいる者の言葉に従うよう言われていたウィルは素直に従うしかなかった。
「こちらの部屋にお入りください」
随分と歩いて案内された場所は、こじんまりとしており、外とは分断されている。ドアも鉄製の分厚い扉だった。
「(……魔力阻害装置に探索阻害装置。この部屋って、多分牢だよね?)」
ガイの話したように人族は、歓迎されないらしい。それでも、清潔なベッドが置かれていたことでウィルはホッと安堵する。
「ありがとうございます。あの……ガイは……」
「お食事を、お運びいたします」
「はい……分かりました」
使用人にガイのことを質問しても、答えは一辺倒で取り合ってもらえない。しかも、使用人は部屋から退出することなくウィルの側にいた。つまり、監視ということだろう。仕方なく、部屋で大人しくしていると別な女性が訪れる。服装を見る限り、使用人には見えない。その女性と一緒に食事が運ばれて来たが……。
「これは、灰白龍様のお食事です」
大きな肉の塊や果物が山積みになった皿が大量に運ばれてきた。その中にウィルが食べられそうな物は一つもない。食事が運ばれてきたワゴンを押してきた使用人たちは部屋を出て、残ったのは監視役の使用人と女性だった。
「あの……テントを使わせてもらっていいですか?」
「勝手な行動は慎みなさい。この城へ人族が踏み入れることすら不愉快なのですから」
「(この人……もしかして……)はい……」
ハッとした顔で女性を見れば、憎々しげにウィルを見ている。
「さっさと灰白龍様へ龍力を与えなさい」
「……」
「さっさとなさい」
「分かりました」
肩に乗るフィーは、不思議そうな顔で女性を見ていたが、ウィルが手を伸ばすと大人しく腕の中に入る。そうして、龍力を分け与えていると気持ちよさそうに目を閉じた。
「これでいいですか?」
「全然、足りません。もっと与えなさい。それが貴方の使命です」
「え? それは――」
「人族に反論は許されません。人族が龍王様とその眷属にしたことを考えてみなさい。その程度で許されるはずがないでしょう」
女性に言われた言葉にウィルが驚いていると、再び全然足りない、早く龍力を与えろと命令される。獣人の村でガイを怒らせたこと、そして大人しくしていろと指示されたことも重なって、ウィルは黙って女性に従うことにした。
そうして、何度も龍力を与えているとフィーの方が先に首を振るようになる。何度も与えられる食事に疑問を抱いたフィーが途中で擬態を解いて確認してきたのだ。
『ウィル。それ以上、ダメ』
「何をしているのですか。さっさと与えなさい。灰白龍様が龍力を欲しがっているでしょう!」
『ボク、お腹いっぱい! もう、入らない! ウィル、ダメ。それ以上、ダメ!』
フィーは騒いでいるが、今のウィルの龍力はフィーに与えた程度で枯れてしまうほど少なくない。首を振って、イヤイヤをするフィーに微笑みを向けながら、視線だけで女性を見る。
「(この人、きっと僕に死んでもらいたいんだろうなぁ……)」
必死に与えろと言い続ける女性から、再びフィーに視線を向けた。ウィルの前にいる二人の女性には、フィーの話していることが伝わらないようだ。
「(竜人族でも龍恵心が使えない、龍の言葉が聞こえない人っているんだね。……これから、どうしようかなあ。勝手に出ていったら迷惑が掛るだろうし、まず扉には鍵があるだろうし、紅龍様の宝玉も使うわけにいかないし⋯⋯ちょっと手詰まりっぽいかなぁ)」
悩みながらも、ウィルはフィーに龍力を流し込む。反論するのは容易いが、ガイとの約束は守りたかった。
グオァアーーー!
ウィルに言っても聞いてくれないと思ったのだろう。フィーはバサリと翼を広げると、いきなり龍鳴をあげた。
『助けて、お祖父ちゃん! ウィルを助けて! ウィル、死んじゃう!』
いきなり龍鳴をあげたフィーに、使用人は悲鳴をあげて後退した。女性も驚いた顔でフィーを見ている。ウィルは、龍達の龍鳴を聞きなれているため、どうということはない。
「フィー。僕は大丈夫だから、大きな声出しちゃ駄目だよ。朝が軽く食べただけで、お昼も抜きだし晩御飯も食べてないから、少し、眠たくなってきたけど……」
『ウィル、ウィル! ダメ、寝ちゃダメ! ご飯食べて!』
「うん、フィー。大人しくしててね。ガイとね、約束してるんだ。お城にいる人達には、ちゃんと大人しく従わないとね」
『約束、関係ナイ! ウィル、これ以上、ダメ! 死んじゃう!』
とうとう大粒の涙を零し始めたフィーに手を差し伸べると、フィーは前足で器用にウィルの手を掴む。そうして頬擦りするように顔を寄せた。
「ほら……泣かないで、フィー。僕なら平気だよ」
『やだ、やだ!』
「大丈夫。ちゃんと使った分は取り戻してるから」
櫻龍と白竜の龍玉を取り込んでいるウィルからしてみれば、足りない分はアルトディアの大地を廻っている龍力を少しばかり分けてもらえばいい。
「ごめん、フィー。眠い……」
ポロポロと零れるフィーの涙を綺麗だと思いながら、ウィルは目を閉じた。
『ウィル! ウィル!』
掴んでいたウィルの手から力が抜け、ズルリと床に落ちるとフィーはウィルを起こそうと揺さぶる。しかし、眠ってしまったウィルに声は届かない。
『ウィル、死んじゃった!?』
『死んでおらん。眠っとるだけじゃ』
『……曾お祖父ちゃん?』
フィーは頭の中に直接響く声の主を探して、部屋の中を見回す。しかし、その姿は見当たらない。そもそも、この牢部屋自体、紅龍が入れるような大きさではない。
『フィーよ。少しの間、部屋の中におる者達からウィルを守るんじゃぞ。その間に何とかするからのう』
『わかった! ウィル、まもる!』
紅龍に答えるように龍鳴をあげて、フィーが室内の人物へと頭を向ける。すると女性が大皿を持って笑顔で近付いてくる。
「ああ、灰白龍様! なんと愛らしいお姿なのでしょう。さあさ、こちらを召し上がりください」
生肉や果物の皿を差し出されても、ウィルの龍力を散々与えられ、フィーは満腹だった。
「人族が与えるみすぼらしい食事では、満足できなかったことでしょう」
『ゾウスイ、おいしい。みすぼらしく、ない』
「お気に召しませんでしたか? 他の食べ物をお持ちいたしましょうか?」
『いらない!』
女性がフィーに話しかけてくるが、龍の言葉を理解できない女性には、フィーの言葉はただの鳴き声でしかない。
「エミリア様。人族の少年は、いかがいたしましょう」
「外に放り出しておきなさい。旦那様が許可したと聞きましたが、私は人族が城に入るなど許せません」
「ですが……」
「口答えは許しません」
使用人は困ったような顔で、エミリアと呼んだ女性を見る。元々、城の主であるリゲルには、少年を客室に案内するように言いつけられていた。しかし、その妻エミリアによって場所が牢部屋へ変更されたのだ。
「さっさと連れて行きなさい」
「……承知いたしました」
使用人は反論することを諦めて、ウィルを運び出そうと足を踏み出す。
『こないで! ちかよるな!』
「ひどいことはしないので、その少年を渡してください」
『やだ! ウィル、わたさない!』
使用人とて、人族に恨みはあるが、見知らぬ子供に対して恨みをぶつけるつもりはない。外に出したように見せかけて、使用人部屋へ連れて行こうと考えていた。しかし、少年に近付こうにもフィーによって阻まれてしまう。
「エミリア様。私では、どうしようもありません」
「仕方がないわね」
その言葉にほっとしたのもつかの間……。
「私が灰白龍様を客間へ案内しますから、その間に人族を始末しておきなさい」
「なっ!? いくらエミリア様の言葉でも、そんなことは出来ません!」
「私の言葉が聞けないというの?」
「この少年は、まだ子供です!」
「子供でも人族よ。灰白龍様は、人族と共にいらっしゃるべきではありません。灰白龍様は龍王とその眷属を守る竜人族と共にあるべきなのです」
エミリアがフィーに手を伸ばすが、フィーは威嚇してみせる。
『ウィルに、ちかよるな!』
「怖がらなくてもよいのですよ! それはっ!」
フィーに近付いたエミリアは、フィーの首に下がる従魔の証が目に入ると、その形相を変えた。
「灰白龍様の首になんて物を! 今すぐ、外して差し上げますわ」
『やめて! さわらないで!』
「そんなに嫌だったのですね!」
『やめて! ボクのタカラモノ! 触っちゃ、やあぁぁぁっ!』
エミリアは暴れるフィーに有無を言わせず、従魔の証へ手を伸ばし引き千切ろうとした、その瞬間。従魔の証に刻まれているフォスターの紋章が光を帯びた。
『光の守護 結界領域』
バシィィッン
「きゃあぁぁぁっ!」
「……ああ、もう。フォスターってば、手加減なさすぎ」
光の雷が落ちる間際。ウィルは、魔法の気配を感じ、瞬時に反応して結界領域を張った。同じ、光属性ということもあって光の雷は結界領域に吸収されていく。
「いくら盗難防止って言っても、こんなに激しかったら相手が死んじゃうでしょーに。フィーも、この女の人に手を出しちゃダメだよ?」
『ウィル! ウィル、生きてた!』
「……あのね。僕を勝手に殺さないで。眠いって言ったでしょ?」
クスクスと笑い、ウィルが龍刃連接剣を片手に立ち上がるとフィーが抱き付くようにピタリと張り付く。
「……人族の僕が気に入らないのは分かりますけど、こんなことしたら伯爵様が困ると思います」
「……あ、あ…………」
カタカタと震える女性に背を向けるとウィルは窓へと歩き出し、その窓を開いて龍刃連接剣を鞭へと換えた。
「フィー。おいで」
「キュキュッ!」
名前を呼ばれて手を差し伸べられるとフィーは嬉しそうに姿を変えて、するりとウィルの首に巻き付く。そのまま窓から外へ出たウィルは、上げられた跳ね橋へと鞭になった龍刃連接剣を大きく振って巻き付けると、振り子の原理で反対側へ着地した。
「……ありがとうね、フィー」
「キュッ!」
フィーに感謝の言葉を伝えると跳ね橋から少し離れてテントをアイテムボックスから取り出して設置する。そうして、結界領域を張って中に入ると、フィーと一緒に眠りを貪るのであった。