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穏やかなフィーの寝顔を見ながら、ウィルは静かにベッドから起き上がると身支度を済ませていく。今のフィーは、本来の姿に戻っている。出会った頃は、ウィルと同じ位の大きさだったが、今は倍ほどの大きさになっていた。
それでも、フォスターによって新たに広げられた空間のお陰で、テント内が手狭になることはない。扉もフィーが移動しやすいように撤去され、代わりにカーテンが使われている。流石に、これ以上成長すれば、本来の姿で入ることが難しくなるのだろうが、フィーは自分の大きさを自在に変化させられるため、問題にならない。
ウィルが着替えを済ませてキッチンへ向かうと、ようやくフィーも目覚め、ウィルの後を追うようにキッチンへ歩いてきた。
『おはよ』
「おはよ、フィー。朝ご飯の支度をするから、ちょっと待っててね」
『朝ご飯! 食べたい! ゾウスイ、ゾウスイ!』
「うん。雑炊ね」
朝ご飯と聞いて、フィーは嬉しそうに頭を上下させる。フォスターが作ってくれた雑炊が余程気に入ったのか、フィーの朝ご飯は雑炊と決まっていた。龍の住処で作り置きしておいた雑炊を取り出し、魔晶石かまどにセットして温めていく。
「うーん。僕は、野菜スープとパンでいいかな」
昨日の昼過ぎ、テントに帰ったウィルとフィー。食事を抜いていたこともあり、一人と一体でかなりの食料を食べた。それほど、体力と魔力を消耗していたということだろう。その後、ハワードがマーシャルの執務室で仕事があると言うので、ウィルとフィーも第一師団の師団長執務室へ移動して、テントを取り出して中に入った。ウィルも、そこまでは覚えている。
「よっぽど疲れてたのかなぁ⋯⋯まあ、いいや。食べなきゃ保たないしね」
ウィルは胃が重いような気がして、負担にならない程度の食事に決めた。野菜スープを雑炊と同じように魔晶石かまどにセットして、その隣で果実水を作っていく。その後ろで、フィーは大人しく朝食が出来るのを待っていた。
コンコンコン
「ウィル、起きてる……か」
ノックの後、数秒経って入ってきたガイは、扉の前で立ち止まる。その手にはパンと丸鳥の煮込み、野菜サラダが並べられたトレーが持たれていた。
「ガイ、いきなり止まらないでください」
「あ、ああ。すまない」
「おや? もしかしなくても、フィーですか?」
「以前より、部屋が広くなってるな」
マーシャルに声を掛けられ、ガイがテントの中へ入るとマーシャルとハワードもテントの中へ入ってくる。
「おはよう。皆揃ってどうしたの?」
「ウィルに依頼したい件があるのですよ」
「僕に? 朝ご飯の後でもいい?」
「私達も今から朝食なので構いませんよ。ご一緒しても構いませんか?」
「いいけど……」
温まった雑炊と野菜スープを食卓へ並べながら、ウィルはマーシャルに問い掛ける。マーシャルとハワードの手にもトレーが握られており、ウィルと一緒に食事を取る為に来たのだと理解できた。
「それで、足りるの?」
ウィル用に届けさせた食事とは違い、オーク肉の煮込みやソーセージ、パンが山盛りになっている皿を見ても、以前見た彼等の食事量には、程足りない。
「大食堂と食料庫が焼けて食料が不足していますから、仕方がありません。足りない分は、街で食べるようにしているので、大丈夫ですよ」
「それならいいけど。僕は用意してるから、持ってきてくれた食事は、三人で分けて」
「わかりました」
四人と一体で食事を取ることになり、フィーも小さな姿に擬態してウィルの隣に移動する。大人三人が加わると少し狭くなるテーブルだが、それでも許容範囲で椅子もウィルが収納から取り出して用意すれば、充分なスペースとなった。
「いただきます」
「キュキュキュ―」
ウィルが手を合わせると、フィーも同じように前足を合わせて挨拶をする。その様子を三人は不思議そうな顔で見ていた。
「ウィル、それは?」
「あ、これ? 僕が以前生きていたところでの習慣……。食事に携わってくれた人達への感謝の気持ちや、食材への感謝の気持ちを込めて挨拶するんだ。後は、マナーかな?」
「食事に携わってくれた人達、ですか?」
「うん。ほら、野菜を作ってくれた人や小麦を作ってくれた人への感謝の気持ち。後は、僕の命になってくれてありがとうっていう食材への感謝の気持ちだったと思う」
「なるほど。そのような考え方もあるのか」
感心するように頷きながら食事を進めるマーシャル達に、ウィルは収納から焼きたてのパンを取り出して其々の皿に乗せていく。
「これ、たくさん作り置きがあるから食べて」
「作り置き……。ウィルが作ったのか?」
「うん。食堂の調理人さんたちが作った物に比べたら、味は落ちるけど」
「いや、充分だ。助かる」
ガイが嬉しそうに答えるとウィルはホッと息を吐く。各々、手作りパンの感想を言ってくれるのが恥ずかしくなり、ウィルはフィーへと視線を向けた。大鍋から大皿に取り分けた雑炊は既になく、おかわりを待っていたフィーに笑いかけると、まるで『早く早く』と言わんばかりに目をキラキラさせてウィルを見詰めている。
「沢山あるから、ゆっくり食べるんだよ」
「キュキュッ!」
ウィルは大皿に雑炊をよそうとフィーに声を掛け、背中に触れると己の龍力をフィーへと流し込んでいく。そうするとフィーは雑炊を食べながら気持ちよさげに目を細めた。
フィーが大鍋いっぱいの雑炊を食べ終わるのを待ってテントから執務室へ移動する。ウィルは、マーシャルから依頼の内容を聞かされることになり、相変わらず書類が山積みになったテーブルがある一角へ案内された。
「これ、僕が見ても大丈夫な書類?」
「ウィルに依頼する件と関係がある書類ですから、大丈夫ですよ」
「これ、見積依頼や発注書とか納品依頼書とか書いてあるんだけど……」
「その通りですが……分かるのですか?」
「わかるけど。集計でもするの? それの手伝いなら出来るよ」
テーブルの書類を見れば数字の羅列が見え、ウィルは思わず覗き込んでしまう。関係があると言われてもウィルは見当が付かず、書類の山からマーシャルへ視線を向けて首を傾げた。
「いいえ。ウィルに依頼したい仕事は、支援物資や注文をした物資の搬送です」
「物資の搬送?」
「ええ。商隊の荷馬車が運搬できる物資には限りがあります。それに加え、騎士団から護衛を派遣するとなると日数が掛かるのですよ。その点、ウィルのアイテムボックスに物資を収納してしまえば嵩張りませんし、ウィルは自分の身を守る術を持っているので、護衛の人数も削減できます」
「護衛は、基本的に俺が行う。俺が任務で動けない時は、ハワードがウィルの護衛になる」
マーシャルの考えでは、ラクロワ伯爵に依頼してある布と金具の予定だったのだが、総長であるアレクサンドラが、現時点で動いていない支援物資全ての搬送をウィルに任せることを決めた。ウィルが依頼を承諾した場合、直ぐに各方面に使者を向かわせる手筈になっている。その話を聞かされて、ウィルは小さく溜息を吐いた。
「運ぶのは、大丈夫だと思うよ。でも、誰か信用できる人を付けてもらえる? ガイやハワードで大丈夫ならいいんだけど、届けて数が合わないとか言われたくないし。それと、確認したら受領印⋯⋯えーと、サインを貰えるようにしてもらいたいから、発注書と納品書を準備してほしい」
受け取った。受け取ってない。数量が足りない。マーシャル達はウィルを信用してくれているだろうが、ウィルは新米冒険者だ。しかも、バークレーの話ではEランクからFランクに降格している。相手に信用されるかと問われれば、降格処分を受けている分、相当厳しいだろう。そういった点をウィルが指摘すれば、マーシャルも納得した様子で頷く。
「そうですね。ならば、ガイやハワードに書類を渡しておきます。数量の確認は、相手側の責任者とウィルでするようにしてください」
話が纏まると、マーシャルはワーナー副師団長を呼び出し、使者を出すように指示して、ガイへ書類の束を手渡す。
「こちらが、ガルドリアからの支援物資の納品依頼書です。後、こちらが注文書になります」
手渡された書類を確認していくと、その殆どが領地に点在するエルフ族、ドワーフ族が住む村であった。獣人族の村もあるが、同じガルドリアでも場所が離れている。布と食器等は、街へ受け取りに行く必要があることに気付き、ガイは溜息を吐いた。
「マーシャル。これだけの村を一日で回るのは流石に難しい」
「街には、ラクロワ伯爵家の城がありますよね。それであれば、泊まることも可能でしょう?」
「泊まることを前提で予定を組んだのか?」
「貴方の所が、一番多いですからね」
マーシャルはガイは頷き、手元の書類から視線をウィルに向ける。
「出発は、昼からになります。その前にウィルにお願いしたいことがあるのです」
「バークレーさんのことでしょ」
マーシャルは、やはり気付いていたのかと思いながら頷いて見せた。マーシャルの持つスキル『看破』。それと同じスキルをウィルは持っている。もういいとウィルが言い出したのは、それを見破ってしまったからだろう。
「そうですね。しかし、あれはバークレーの意思ではありません。冒険者ギルド王都支部が介入していたのでしょう」
「……だから、何?」
マーシャルは冒険者ギルド王都支部への牽制として、オズワルド公爵次期当主セドリックとノーザイト要塞砦騎士団総長のアレクサンドラの連名で抗議文書を送ることを依頼していた。
その内容は、バークレー・フォールをギルドマスターの職に留まらせること。これ以上、余計な口出しをしないこと。規定や罰則を以前の物へ戻すこと。不当処分を受けた冒険者の名誉を回復すること。これ等を文面に盛り込んでもらえるよう頼んである。今日の昼までに書類を制作できるよう手配しておくと、既にアレクサンドラからも返答を貰っていた。
「確かに、騎士を派遣しなかった私のミスでもありますが、今は人手が足りていませんからね。ウィルの所為ではありませんよ。まあ、王都支部も馬鹿ではないはずなので、ウィルの降格処分も取り消されると思いますよ」
「うん、わかった」
まだ謀反を起こした者達の処分が済んでいない。また、洗脳された者達から監視の目を外す訳にもいかない。何より、騎士団内の片付けも終わっていない。立て直しをしている最中でも、魔境の監視も続けなければならないのだから、人手が足りないというのは事実であった。
「それから、ウィルにお願いしたいことは、討伐したオークを譲ってもらえないかということです。勿論、正規の値段で買い取らせてもらいますよ」
「え? そんなこと?」
「朝食の時も話しましたが、食糧が不足しているのです」
「あ……。そっか、寝る場所もない。食べる物もないってなると騎士さん達の気持ちも続かないのか。人の三大欲求の二つが満たされないと、そうなっちゃうよね」
ウィルが食欲・性欲・睡眠欲と指折り数えると、大人組三人はギョッとした目でウィルを見る。まさか、ウィルの口からそんな言葉が出るとは考えもしなかった。
しかし、ウィルの言ったことは正しい。このノーザイト要塞砦にも、いや冒険者が多く集まるノーザイト要塞砦だからこそ歓楽街もある。酒類の提供を主とする飲食店や娼館が立ち並ぶ、夜の街。驚いた顔でウィルを見ている三人に気付いて、ウィルはクスクスと笑い出す。
「普通のことを言っただけなんだから、そんなに驚くことないでしょ?」
「いや、まあ……そうなんだが」
「同じ人なんだから、こっちの世界でも一緒でしょ? あれ、もしかして違った?」
「いや、同じだな。ただ、ウィルが言うと違和感がある」
ウィル自身、地球で何歳まで生きていたか覚えていない。有している知識からして、そこそこの年齢だったのではないかと予想はしている。でなければ、注文書を見ても意味が分からなかっただろう。フォスターから聞かされた情報も、生前も男性だったことぐらいでアルトディニアの生活に馴染むためにウィル自身の情報を封印するとしか聞いていない。
「僕の話はいいよ。それで、オークだったよね。どこに持って行けばいい?」
微妙な顔でウィルを見る三人に話し掛けると、ガイは搬送を始める前に第二師団へ色々と指示を出してくると言って執務室を出て行き、ハワードは総長のアレクサンドラに用事があると言って、幾つかの書類を手に執務室を離れた。
「さて。では、ウィルとフィーは私と一緒に行動してもらいましょう」
そう言ってマーシャルが案内したのは、旧魔法訓練場。ウィルが、魔法士ウォルコット・ボネ等によって無理やり魔法を使わされた場所である。以前と違い、燃えた草木の灰は取り除かれ、奇麗に清掃されている旧魔法訓練場には、既に人の姿があった。
「彼女は、ノーザイト要塞砦騎士団で鑑定を依頼しているビアンカ嬢です。鑑定士としての腕は一流ですよ」
「うはっ……ありえない。この子、幾つマジックアイテム持ってんのよ」
「えーと……?」
騎士と話をしていた女性をマーシャルがウィルに紹介すると、ビアンカと呼ばれた女性は目を丸くしてウィルを見詰めた。一流と呼ばれるだけあって、ウィルの装備に気がついたらしい。
「ちよっ。ホントにありえない。このオーバーウェアって、素材」
「待って!? 言っちゃ駄目!」
慌てたようにウィルが遮ると、ビアンカも驚いたのか言葉を止める。そして、溜息を吐き出すとマーシャルへと視線を向けた。
「ノーザイト要塞砦騎士団が、逃がさないように囲い込んでる冒険者が存在するって噂で聞いたけど、本当だったのね」
「それは、否定できませんねえ」
「わかったわ。じゃあ、時間が取れた時でいいから、彼を私にも貸してちょうだい」
「それは、本人と交渉してください」
一瞬ムッとした表情を見せたビアンカだったが、それ以上は言わずウィルへ向き直る。
「ビアンカよ。商店区で店もやってるわ。主に迷宮品の鑑定や魔物の素材の鑑定をしてるの。勿論、売り物もあるわ」
「ウィルです。この子はフィー」
「で、今度でいいから、店に来てくれるわよね?」
「えーと……。その、依頼が終わった後でも良ければ?」
詰め寄る勢いで言われればウィルも断ることが出来ず、頷くしかない。それに納得したのか、ビアンカは大人しくなった。
「他の人達にも紹介するんでしょ。さっさと済ませて」
「ええ。そうしましょう」
旧魔法訓練所の中には、騎士やビアンカの他に冒険者と思われる者達の姿もある。そうして、マーシャルはウィルを連れて彼らの集まっている場所へ向かった。