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ハワードに連れられて行くウィルを見送り、マーシャルはバークレーへ視線を戻す。
「さて、バークレー。オズワルド公爵領の冒険者ギルドは、何時から民の安全より利益を求めるようになったのですか?」
「そんなことはない! 俺だって、冒険者ギルド王都支部から、今まで何度も規約を守らせろと通達していた、オズワルド公爵家とギルドマスターが言うことを聞かないと、王都支部から苦情を散々言われたんだぞ。大体、ウィリアム君を見逃せば、他の冒険者たちに示しがつかんだろう!」
確かに、規約も大事だろう。だが、ここが魔境に極めて近く、レイゼバルト王国内で最も危険な場所であるということを理解できていない。そう感じて、マーシャルは笑いが込み上げそうになる。
「(二十年以上住んでいて、それですか) ……では、質問を変えましょう。ノーザイト要塞砦騎士団で、ロイヤルオークと単体で戦える騎士が何名存在しているかご存知ですか?」
「Sランクと言っても、ウィリアム君が倒せる程度なんだ。そんなの、山ほどいるに決まってる」
「残念ながら、ここにいる総長と特務を除いた各師団の師団長クラスのみです。ちなみに私では倒せたとしても時間がかかりすぎて被害を出してしまうでしょうが」
「なっ!」
バークレーが驚きの声を上げると、マーシャルは呆れたような視線を投げる。実際、個人でロイヤルオークを倒せる人材は少ない。師団長クラスは、確実に討伐が可能だ。しかし、副師団長クラスになれば、それも危うい。
「バークレー。貴方は、この地に二十年以上住んでいて、オズワルド公爵領が単独で騎士団を持てる理由を、未だに理解できていないようですね? ……まあ、冒険者といっても依頼を受けるわけでもなく、ノーザイト要塞砦に引き籠っていた貴方には、外の状況が分からないのかもしれませんが」
「っ……」
ノーザイト要塞砦騎士団の存在理由が魔境だということは、認知度は高い。しかし、その実務は語られることがないため、内情を知る者は少ない。
実際、王都騎士団や近衛騎士団に比べて、遥かに過酷だ。戦う相手が対人ではなく、対魔物。その為、全ての拠点に多くの人員を配置している。
王都付近に現れる魔物の上位種が、オズワルド公爵領近辺に現れる通常種となる。だからこそ、ノーザイト要塞砦騎士団は強者を求める。貴族だけでなく領民や元冒険者、他種族を受け入れる。そうしなければ、オズワルド公爵領に住む者を魔物から守り抜くことが出来ないのだ。
「民を守るより利益を求めるのであれば、オズワルド公爵領に冒険者ギルドなど必要ありません」
「そんな訳がないだろう! だが、さっきも話した通り、冒険者ギルドには、冒険者ギルドのやり方があるんだ!」
バークレーが、感情のままにテーブルを叩きつけると音を立てて茶器が地面に落ちて割れていく。
カタン
静寂に包まれた僅かな時間。それに終止符を打ったのは、アレクサンドラが椅子から立ち上がる音。
「貴殿は、王都出身だったか。後学のために教えてやろう。ロイヤルオークは、ノーザイト要塞砦の塀を跳躍して街の内部へ侵入できるほど脚力があり、騎士が持つ鋼鉄製の剣を容易く砕く腕力を持つ。故に、戦える者も限られる。そういうことだ。その程度のことも知らず、ギルドマスターを名乗るとは片腹痛いわ。……マーシャル、ギルドマスター殿にお帰り頂け。これ以上は無用だ」
カツカツと靴音を響かせアレクサンドラが去ると、バークレーを見送るためにマーシャルも立ち上がる。
「……そんな魔物、俺は見たことがない」
当たり前だとマーシャルはバークレーへ視線を戻しながら思う。Sクラスの魔物を、極力外へ出さないためにノーザイト要塞砦騎士団がある。そして、漏れ出た魔物たちを探し出すために第三師団があると言っても過言ではない。
「バークレー。オズワルド公爵領には、オズワルド公爵領のやり方があるのですよ。他領で通用する冒険者ギルドのやり方は、この地で通用しません。今回の件は、特別依頼として処理してください。それが認められない場合、オズワルド公爵家次期当主セドリック様に状況を説明して、冒険者ギルドのオズワルド公爵領支部を閉鎖してもらいます」
「そんなこと――」
バークレーが、出来るはずがないと口にする前に、マーシャルは説明を始める。
「冒険者ギルドの支部は、任意で置かれます。確かに、冒険者が領内に存在することで利益が上がるのですから、大概の領主は冒険者ギルドの存在を認めています。ですが、その冒険者ギルドが存在すること自体が害悪になると判断した場合、領主には閉鎖することが可能なのですよ。実際、モラン伯爵領には冒険者ギルドは存在せず、モラン伯爵家の私兵と傭兵が冒険者の代わりを果たしていますからね。貴方も、よくご存じでしょう?」
「それは……」
「ああ、それとウィルが持ち帰った物は、全て騎士団で買い取ります。まさか、罰則だからと言って、ウィルが持ち帰った物資を押収できると思わないでくださいね? これ以上、譲歩することは出来ません」
ビクリと巨体を揺らすバークレーを尻目に、マーシャルは歩き出す。恐らく、|ノーザイト要塞砦騎士団へ来る前に、冒険者ギルド王都支部にでも相談して、指示されていたのだろう。強欲な王都の者達が考えそうなことだ。
「(そういう点では、メリッサ嬢は強かでしたね。王都支部からの要請がノーザイト要塞砦騎士団まで届いたことは、一度もありませんでしたから)」
屋外訓練場の入口に立つ騎士へ、箱馬車の準備を指示して門へと向かう。物言いだげにしているバークレーに振り返るとマーシャルは口を開いた。
「私も聞いた話なので詳しくありませんが、オズワルド公爵領が冒険者ギルドへ討伐依頼をしない理由はあるのですよ」
「……それは、俺も職員から聞いている。オークの集落を討伐に向かった冒険者達が、討伐に失敗して近隣にあった村がいくつか襲撃されたんだろう? その責任を取る形でギルドマスターが解任されて、メリッサ嬢がギルドマスターになったのだから知っているさ。だが、その程度のことで……ひぃっ!」
「黙れ」
その程度と発したバークレーへ、マーシャルは冷めた視線を向け、腰にある剣へと手を伸ばし、その切っ先をバークレーの首元へ当てた。バークレーは口をハクハクと動かし、言葉になりきらない声を上げる。
「なっ、なっ、ひっ」
被害に遭った村は、数百人規模の村々だ。そして、そのオーク達を討伐するために向かった騎士の三分の一が冒険者や村人を庇い、命を落としている。
「その程度……ですか。ああ、貴方は貴族至上主義者でしたね」
「お前だって、元々は王都の人族だろう! だからっ――っ!」
ガチャリと音を立てた剣に、バークレーの視線は移る。しかし、暫くして剣先が引かれ、マーシャルが剣を腰に戻せば、バークレーは安堵の息を漏らした。
「だから、なんだと?」
「それは……」
侮蔑の意味を込めた笑みを湛えるマーシャルに、バークレーの言葉は続かない。
「食べる、着る、生活する、その全てにおいて、民がいなくては出来ぬことを忘れた貴族至上主義者。優れた品物を手に入れるには、ドワーフ族やエルフ族が居なければ叶わないという、そんなことすら覚えられない人族至上主義者。愚かとしか思いませんが?」
王都に留まる貴族達は、まるで使い捨ての駒のように民を扱う。それを見続けてマーシャルは、国の在り方に疑問を抱いた。そうして、オズワルド公爵領の在り方に感慨を受けたマーシャルは、伯爵である父に、このままではいけないと訴え、そして見限られた。
「愚かなどではないっ。当たり前の考え方だ。俺達、貴族がいるから、民は安心して――」
「民が怯え暮らす国が普通であるはずがない。一時期、王都は随分と閑散とした状況になっていましたよね?」
「っ!」
貴族至上主義に染まり、王都の治安は一時期、最悪となった。それを押し留めたのは、王太后とデメトリア王妃、そして、エドワード王太子と第三王女だ。
マーシャルは、ふぅと息を吐き出すと眼鏡のブリッジを押し上げた。
「今は、オズワルド公爵領の話です。私も総長に同意しますよ。この地のギルドマスターで居たいのならば、Sランクの魔物までしっかりと理解してください。メリッサ嬢は、色々と問題が起こるギルドマスターでしたが、オズワルド公爵領を治めるギルドマスターとしては、実に優秀でしたよ。ちゃんと魔物の種類、ランク、特性を学習しておられました」
「…………」
「民からも冒険者からも、そしてノーザイト要塞砦騎士団からも信頼を得ていました」
マーシャルとて、冒険者ギルドの存在が悪いと言っているわけではない。冒険者が頑張ってくれているいるからこそ、ノーザイト要塞砦騎士団は高いクラスの魔物に専念できる。そして、冒険者たちも立ち入ってはならない領域をきちんと弁えていた。その一線を踏み越えてきたのは、冒険者ギルド王都支部とギルドマスターのバークレーの方だ。
「どちら側につくか。それは貴方次第ですが、あちら側につくようでしたら、民からも冒険者からも、そして我々からも信頼は得られないと覚悟しておいてください」
青褪めた顔色のバークレーを見送って、マーシャルは詰所内へ姿を消した。