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心地好い揺れの中で、ウィルは目が覚めた。身体に視線を落とせば青い騎士服が掛けられ、その上にフィーが気持ちよさそうに眠っている。
「あ…………なんで? これって……」
ウィルの記憶は、オークの集落にあった木の木陰に座ってフィーを見ていたところで途切れており、それ以降は思い出せない。見慣れた内装はノーザイト要塞砦騎士団の箱馬車で、ウィルの眠りを妨げないように配慮されたのか、箱馬車の小窓は閉じられている。
ウィルが、もぞもぞと動き出すと外から小窓をノックされ、その小窓を開けるとハワードが顔を見せた。日は完全に昇り、ウィルは眩しさに目を細める。既に、昼を過ぎる時刻になっていた。
「少しは眠れたようだな」
「うん。眠れたけど……僕、どうやって山を下りたの?」
「俺が背負って連れて来た。その間に部下が箱馬車を持って来たんだ」
「うっ。……ご迷惑おかけしました」
「気にする必要はない」
小さくなるウィルを見て、ハワードはクスリと笑う。一晩中、休む暇も与えられず戦闘を続けたのだ。ウィルが疲れているのは、至極当前のことだった。
オークが逃げ出さないように光魔法の結界領域を維持しながら、他の魔法を使いオークを倒すために魔剣を振るう。余程の集中力がなければ、長時間戦い続けることは不可能だろう。ハワードは、それが如何に困難な術であるかを知っているため、ウィルを休ませていた。
「保護した女性達は、先にノーザイト要塞砦騎士団へ向かわせた。残っていた小屋は、部下を残して解体するように指示を出してある。当分は、オークの集落が出来ることもないだろう。ただな……」
「何かあったの?」
ウィルが首を傾げると、ハワードの隣にいた元冒険者であった騎士が説明を始める。問題というのは、ウィルのギルドカードに記録される討伐情報だった。
冒険者ギルドに登録している冒険者の数は多く、ギルドカードで冒険者を管理している。依頼処理数、達成した依頼の評価、迷宮毎に何階まで踏破しているのかの情報、そして、魔物の討伐情報。それらは、同時に冒険者ギルドで保管されているギルドカードにも記録されていく。
勿論、冒険者ギルドの職員に自分が討伐した魔物の数を確認したいと伝えれば、本人も情報を教えてもらえるようになっている。元冒険者の騎士が言うには、発見したことを冒険者ギルドに報告していない上に、冒険者であるウィルが単体で殲滅を行なったこと自体が問題になる可能性があるらしい。
「マーシャルは、特に何も言わなかったけど……。それに、報酬貰うつもりはないよ? それでも、問題になるの?」
「私はオズワルド公爵領の冒険者ギルドに登録していた訳ではないので、なんとも言えませんが……」
騎士の親しくしている冒険者の話では、元々オズワルド公爵領の冒険者ギルドでは、冒険者たちに勝手な行動を取らせないよう罰則があった。そのこと自体に冒険者達の不満はなかったのだが、前任のギルドマスターが解任され新しいギルドマスターが就任した時に、大幅な規定見直しが行われたらしい。その大幅な規定見直しに問題があると、元冒険者が話す。
「元の規定は冒険者を守るために定められていたようですが……。ギルドマスターが交代してから後の規定は、冒険者を縛り付けるようなものが増えていると友人から聞いています」
「縛り付けるって……」
ウィルは、冒険者登録は済ませたものの実際に依頼を受けたのは一度だけ。しかも、それはマーシャル達がウィルをノーザイト要塞砦騎士団へ置き留めるために依頼したものである。登録時もトラブルが起こり、詳しい話は聞くことが出来なかった。
「まあ、そこら辺りはギルドマスターと話し合うしかないだろう。オークの集落がノーザイト要塞砦に近過ぎた。ウィルから聞いた話を冒険者ギルドへ報告して、それから騎士団を動かすにしても、きっと時間が足りなかっただろう。急いで駆けつけた俺達が集落に辿り着いた時には、既にオークは動き出そうとしていたしな。まあ、後のことは、マーシャルと総長に任せればいい」
部下の話を黙って聞いていたハワードが口を挟んだことで、話は終了となった。ノーザイト要塞砦の大門へ辿り着き、元冒険者の騎士とウィルとフィーが乗っていた箱馬車は、そのまま冒険者ギルドへギルドマスターのバークレーを迎えに行くことに決まる。ウィルは、そのままハワードの馬でノーザイト要塞砦騎士団へ向かうことになった。
ハワードに案内された場所は、ノーザイト要塞砦騎士団の第三師団の屋外訓練場。その片隅にテーブルセットが置かれている。その先では、マーシャルと見知らぬ男性が難しい顔をして話し込んでいた。
「ねえ、ハワード。僕、ここに来て良かったの?」
「ああ。揉めている理由が分かっているからな。ウィルのお陰で少しは片付くだろう」
「僕?」
ハワードはウィルを連れて屋外訓練場の中央へ行くと、ウィルにオークの集落で解体した材木を出してほしいと頼んだ。ハワードの指示で揉めている理由に気付いたウィルは、頷くとウエストポーチから大量の材木を取り出す。材木と呼ぶより、加工前の丸太と呼ぶべきなのかもしれない。
屋外訓練場に突如現れた丸太の山に、マーシャルと一緒にいた男性は余程驚いたのか尻もちをついていた。その状態で、ポカンと口を開いたまま、固まっている。
「材木は発注してあるが、運搬に時間が掛かっていてな。大工たちが、材木が足りないとマーシャルに連日詰め寄っていたんだ。正直、助かった」
「ああ、そういう……。収納する前に材木も光魔法で浄化したから、このまま使っても平気だよ」
「そうか。これで、官舎の修復作業も進むだろう。俺は、ギルドマスターの件を総長に伝えに行く。ここでマーシャルと待っていてくれ」
「うん。わかった」
ハワードは、そのまま屋外訓練場から奥へ進む。ウィルが丸太の山から離れて、マーシャルの元へ向かうと、驚きから立ち直った男性が屋外訓練場から駆け出して行った。
「ウィル、お疲れ様でした。それにしても、随分ありますね。オークの集落が大きかったのですか?」
「えーと。集落の規模とかは分からないから、ハワードに訊いてもらえると助かるよ。それより、僕が討伐しちゃ駄目だったみたいで、そのことでギルドマスターと相談することになるみたい」
「どういうことですか?」
首を傾げたマーシャルに元冒険者の騎士から聞かされた内容を伝えていると、その場にアレクサンドラとハワードが姿を現し、そして騎士に案内されてバークレーも到着した。
ウィルがバークレーに再会の挨拶する間もなく、マーシャルは昨晩の状況をバークレーに説明を始めた。
その合間でハワードがオークの集落での状況を説明している。それを、アレクサンドラとウィルは食堂のコックが炊き出しで作った軽食と騎士が準備してくれたお茶を飲みながら聞かされているといった、なんともカオスな状態であった。
「話になりませんね。貴方は二十年近くオズワルド支部にいたのですよね? なのに、何故討伐依頼がランクDからしか許されていないのかもご存じないと言うのですか? 先程も話したように魔境近辺の魔物は、王都の魔物に比べて格段にランクが上がると言っているのですよ。だから、オーク討伐は騎士団が行っているのです」
そう、オズワルド公爵領では他領と違い、たとえ冒険者が発見しても討伐自体はノーザイト要塞砦騎士団の判断で行うことを語るが、バークレーは難色を示した。
「あのなあ、確かにノーザイト要塞砦騎士団の騎士が討伐していたんなら、冒険者ギルド側だって問題はないし、言わなかったんだよ。だが、実際に討伐に向かったのは、そこにいるウィリアム君だろう?」
バークレーは、ウィルの実力を知らない。確かに魔境の魔物を討伐し、精霊を召喚することも出来るのだから、多少の腕前はあるのだろう。しかし、だからといって、ウィルが討伐できる程度のオークならば、そのこと自体が許容できる問題ではないと言い張った。
「ウィリアム君がオークの集落があるかもしれないと気付いた時点で、冒険者ギルドへ報告していれば、こんなことにならなかったんだ。大体な、ノーザイト要塞砦騎士団へ向かう前に、大門前広場を通るじゃないか。その時、冒険者ギルドに立ち寄って報告すれば、それで済んだ話だろ。そしたら本部と連携して、冒険者ギルドの方で討伐隊を組むことも可能だったはずだ。それをせず、直接ノーザイト要塞砦騎士団に知らせる。それが、報告義務違反に当たると言ってるんだ」
「確かに報告するようになっていますが、絶対ではありません。実際、前任のギルドマスターは、冒険者が直接こちらへ報告しても、報告義務違反と抗議に来られたことは無かったですが? それにウィルを行かせたのは、ウィルが討伐に適した人材だからですよ」
「ぐっ……。そ、それでも、こちらにだって事情があるんだ。王都支部の上層部は、今までのオズワルド支部の横暴さに怒り心頭なんだ。ウィリアム君がやったことに対しても、懲罰を与えると言い出したんだぞ。それを、まだ新人だから勘弁してほしいと言って、俺がどうにか降格処分と討伐で得た物資と魔物の没収だけで済むようにしてやったんだ。大体、緊急討伐はノーザイト要塞砦騎士団が行うことになってるんだろ。ウィリアム君が一人で討伐できる程度の集落なら、他の冒険者たちも討伐に参加させられる程度のランクだろうに。それなら、これからは冒険者ギル――」
バークレーの言葉にマーシャルは溜息を吐き、冷たい視線を向ける。
「なるほど。人命より、利益が優先ですか。確かに、魔境に現れるオーク種は高値で売れるでしょうからね」
「ち、違う! ウィリアム君一人に独占させる訳にいかんだけだ!」
「結局、利益の話じゃないですか」
「ぐっ。それはだな」
『看破』を用いたマーシャルがバークレーに言い放てば、タジタジになったバークレーが反論する。その遣り取りを見ていたハワードは嘆息すると、うんざりとした様子で見守っていたウィルの腕を引いて立ち上がらせた。
「ウィル。お前が討伐したオーク、全て出せ」
「全て? ここに? 」
「ああ、全てだ。どうやら、新しいギルドマスターは二十年以上この地に住んでいるにも関わらず、オズワルド公爵領の実状を知らん様子だ。面倒なら、ウィルが手間取っていたオークだけでいい。そいつを出して、ギルドマスターへ見せてみろ」
「うーん。じゃあ、特に強そうだったオークを出すね」
苛立ちを隠そうともしないハワードに困惑しながら、ウィルは問いかける。アレクサンドラへ視線を向けたが、頷くだけで済まされた。ハワードの指示通りにしろということだろう。
ウィルは、仕方なくテーブルセットから少し距離を取り、ウエストポーチからオークを一体取り出した。
「こいつは……。一体、なんだ? これが、オーク? こんなオークがいると言うのか……」
バークレーは目を丸くして、そのオークを見た。ジェネラルオークよりも更に大きく、装備している武器も一級品であることが見ただけで分かる。だが、バークレーは、このようなオークを見たことがない。
「ロイヤルオークと呼ばれている個体だ。オークキングの直属の部下と言われている。冒険者ギルドでのランクではSランクの魔物だ」
「オークキングの直属……Sランク」
「オークの集落を率いていた個体は、ロイヤルオークだ。集落の個体数が百を超えていたところを考えると、幾つかに別れて襲撃するつもりだったんだろう」
「百を超える……」
「戦っている最中に見たジェネラルオークは五体。リーダーオークは二十体。通常種のオークは、ほとんど存在していない」
「……」
ロイヤルオークから顔を上げたバークレーは、ウィルを一瞥すると、アレクサンドラへ向き直り、話し出す。
「……すまんが、ウィリアム君のギルドカード情報を調べて構わないか? 師団長が嘘を吐いているとは言わないが、本当のことなのか情報を調べる必要がありそうだ。そのための魔道具がある。それを届けさせてほしい。それと、鑑定人を呼んでくれ。見間違えるはずがないことは分かっているが、判断が付けられん」
「いいだろう。マーシャル、遣いを出せ」
「アレクさん、もういいよ……。もうね、めんどくさい」
ウィルは、ウエストポーチへロイヤルオークを収納すると、アレクサンドラとマーシャルに声を掛けた。正直、疲れているのもあって、面倒になってきていた。肩に乗っているフィーも疲れているのか、身動きしようとしない。
「すみません。気が利きませんでしたね。とりあえず、ウィルは休んでください。それだけの数を討伐したということは、寝ていないのでしょう?」
「帰りにハワードが寝かせてくれたから、少しは眠れた。ただ、僕もフィーも、昨日の朝食から何も食べてないから、お腹が空いた」
「炊き出しで良ければ、食べますか?」
「ううん。それは頑張ってる騎士さん達のご飯だからいい。アレクさん、邪魔にならないところでテント使っていい?」
アレクサンドラが了承すると、ハワードが自分の執務室を使わせると言ってウィルを連れて行った。