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ハワードが女性騎士を連れて、オークの集落に到着したのは、九時の鐘が鳴る時刻だった。遅くなった理由は多々あるが、官舎に住んでいた頃と違い、女性騎士が宿泊している場所を探し出すことに手間取ったことが大きい。
そうして、オークの集落へ到着したハワードは目を見開く。たった一つの小屋を残して、全てが消えている。塀も、物見櫓も、連なって建てられていた小屋も、戦闘後の痕跡すら見当たらない。
「あの……。オークの集落があったのは、本当に此処なんですよね?」
女性騎士の質問は、尤もだ。何しろ、ひとつの小屋が存在しているだけ。ハワードと騎士達で、ただの平野に戻った場所を、その小屋へ向けて歩みを進める。そうして、この現状を生み出した元凶を、小屋の傍らに見つけてハワードは溜息を吐き出した。
小屋の傍らでは、フィーが欠伸をしながら、こちらへ視線を向けている。その先で、バラバラに解体された丸太を、ウエストポーチに収納している姿が目に映り、ハワードは迷わずウィルの元へ向かった。
「ウィル。これは、どういうことだ?」
「え? 後片付けしたほうがいいよね? 放って置くと、またオークが住み着いたりオークの血から魔物が生まれたりするでしょ? だから、彼女たちが居る小屋だけ残して後始末したんだけど……」
ウィルは、ハワードがノーザイト要塞砦へ救援を頼むために向かった後、どうするか悩んだ。これだけ立派な集落だ。放置してしまうと、再びオークが住み着き人を襲う恐れがある。
オークの集落を、燃やしてしまうことは容易い。しかし、燃やすには丸太が勿体ない量だ。これだけ大量の丸太なら、活用法方がある。騎士団で必要ないなら、ウィルが使えばいい。そう考えて、後始末を始めた。
塀や物見櫓、家屋を解体して、丸太を一ヶ所に纏めた後、オーク達が使っていた家具類を纏めて燃やす。
残ったのは、オークの血で穢れてしまった土地だ。魔物の亡骸や血液から、再び魔物が生まれることは知識として知っている。魔境に近いオズワルド公爵領であれば、負の影響を受けやすい。恐らく生み出される魔物はスケルトンあたり。
ウィルは、普段と同じように光の浄化魔法を使い、大地を浄化した。しかし、ルースから光の加護を与えられたことで浄化魔法の威力が上がり、大地が正常な状態まで戻ってしまった。
「これだけ浄化しておけば、魔物も当分寄り付かなくなるよ」
「そこまで、ウィルに任せるつもりはなかった。後片付け程度なら、ノーザイト要塞砦騎士団でも出来る」
「うーん。でも、マーシャルが騎士団に余裕はないって言ってたし……。僕が出来る分は手伝いたいなって……駄目だった?」
ウィルは困ったような顔で笑い、手を止める。その顔を見て、横へ頭を振るとハワードは笑みを浮かべた。
「いや。助かるのは事実だ。そうだな。このことは、総長に話しておく」
「え? どうして、後片付けの話から、アレクさんが出てくるの?」
「報奨金が出るぞ」
「報奨金って! 要らないからね。そんなつもりで、後片付けしたんじゃないよ?」
ウィルの狼狽する様子に、ハワードは堪え切れなくなり笑い出す。その様子を後ろで窺っていた騎士たちは、大いに驚いていた。第三師団ハワード・クレマン師団長が、声を出して笑う姿など、今まで見たことがなかったのだ。
「クククッ。すまない、笑うつもりはなかったんだが……」
「なかったわりには、思いっきり笑ってるよね。……もう、いいよ」
諦めたように、再び丸太をウエストポーチへ収納し始める。ハワードはウィルを止めることはせず、後ろで待機していた騎士たちへ身体を向けた。
「女性は、小屋の中にいる。頼んだぞ」
「はっ!」
女性騎士は、ハワードから小屋にいる女性の状態を説明されている。やはり、扉を開けると女性は、悲鳴を上げ始めた。しかし、女性騎士が室内へ入り悲鳴に負けない程の声で救出に来たのだと伝えれば、声がピタリと止んだ。
「クレマン師団長」
一人の女性騎士が小屋を出ると、ハワードに報告をする。小屋の中にいる女性は、一般人が二人。冒険者の女性が三人。ハワードとウィルの見立てと、一致していた。どうやら、五人とも同じ馬車に乗っていて襲われたらしい。そこまで報告をすると女性騎士は顔を曇らせた。
「ただ、一般女性一名が脚を負傷しています」
「怪我の程度は?」
「熱があり、痙攣を起こしています。もう、動かせる状態じゃありません」
動かせる状態ではない。つまり、死期が近いということ。悔しそうに唇を噛み締める女性騎士に、ハワードは静かに頷くと、作業を済ませてフィーを膝に乗せ座り込んでいたウィルを呼びよせた。
「命が危うい女性が居る。女性の治癒を頼めるか?」
「見てみないと何とも言えないけど……。じゃあ、ハワードはフィーを預かってて。フィーもハワードと待っててね?」
「ああ、俺で良ければ」
「キュイー」
「あ。でも、僕が小屋に入って大丈夫なの? さっきまで、僕が入ると悲鳴を上げてたけど」
ウィルの肩から、ハワードの肩に飛び移ったフィーを見届けて、女性騎士に訊ねる。ウィルの返事に、女性騎士はコクコクと頷いた。
「だ、大丈夫です!」
負傷している女性と、その女性の傍らから離れようとしない女性は動けそうにない。しかし、冒険者の女性は自力で動ける状態だ。騒ぐようなら、冒険者は小屋から出せばいい。そう言って女性騎士はウィルの手を掴み、小屋へ駆け込む。それほど危篤な状態だったのだ。
「あの女性です。お願いします。どうか助けてあげてください」
地面に寝かされている女性を指差され、ウィルは眉を寄せる。夜明け、その女性は冒険者の女性から更に後ろに隠されていた。女性の数を見ただけで、負傷していることまで気付いていなかった。
「この血」
どす黒く変色した衣類を纏った女性。そのスカートの周りも床が変色している。
ウィルの姿を見て、冒険者の女性三人が悲鳴を上げ始めるが、ウィルは止まらず奥に寝かされている女性へ真っ直ぐ向かった。女性を看ると、呼吸は浅く意識もない。しかも、時折身体がビクビクと揺れている。
「これって……」
ウィルを連れて来た女性騎士が目配せをして、他の女性騎士に冒険者を外へ連れ出すように促すが、それより先にウィルが動き冒険者の前に立つ。
「うるさいっ! これ以上騒いで治癒の邪魔をすれば、魔法で声を封じるよ!」
怒鳴られた冒険者の女性だけでなく、女性騎士もウィルの剣幕に驚いて動けなくなる。それだけ告げるとウィルは負傷した女性の元まで戻り、その女性の手を握り締めている女性へ声を掛けた。
「知り合いですか?」
「し、知り合いじゃないの。ただ、同じ馬車に乗っていて……彼女が私を庇って、怪我を……」
「何日前か、覚えてますか?」
「わ、わからないわ。でも、十日以上……経ってる、はずよ」
十日という言葉を物語るように、ウィルの質問に答える女性もかなり衰弱している。ウィルは、負傷している女性に「ごめんなさい」と断りを入れ、スカートをつまんで上方に引き上げる。右脚に裂傷があり、赤黒く変色している。腫れ上がっている状態から菌に感染しているのかもしれない。
近くに居た冒険者が傷を見て短い悲鳴を上げいてたが、流石にそれ以上は何も言わず大人しくしている。ただ、手を握っていた女性だけは傷痕を見ても声を上げず、祈るように意識のない女性を見詰めていた。
「応急手当は、したんですか?」
「ごめんなさい。やり方が、分からなかったの。ただ、血が止まらなくて必死に血が止まるように……」
手を握り締めている女性のスカートは、何かで引き裂いたような跡があり、長さも均一ではない。寝かされた女性の傍らには、どす黒くなった布の切れ端が置かれている。どうやら、女性は自分のスカートを包帯代わりに使用したようだ。
ウィルも、一般人女性が、応急手当の方法を知らないことは理解できる。魔法薬や治癒魔法が発展しているアルトディニアでは、応急処置を覚えている者が少ない。しかし、冒険者の女性が、応急処置の仕方を知らないなどあり得るのだろうか? 傷の手当てが出来なければ、怪我をする可能性を考えて魔法薬も常備している。
「(あまり良い噂がないって受付嬢さんが話してくれたけど、最悪なパーティじゃん。この女性のこと、見捨てるつもりだったんだ)」
「大丈夫ですよ」
「本当? 本当に、助かるの?」
「はい。助けます」
意識のない女性の手を握り締めている女性に安心するよう声をかけると、ウィルは立ち上がって龍刃連接剣を具現化させる。不安げに顔を上げた女性にウィルは笑顔を見せ、詠唱を始める。すると巨大な魔術陣が、ウィルを中心に形成されていった。
『命の根源 噴き出でる力 響く歌声 彼の者の鼓動を呼び戻せ 蘇生』
魔術陣が完成すると、淡い光が女性を包む。脚の裂傷と腫れが消え、赤黒く染まりっていた皮膚も健康な肌色へ戻る。呼吸も浅いものから、しっかりとしたものへ変わり、顔色も良くなった。
「これで、怪我は大丈夫です」
「っ……。ありがとう! ありがとうございます!」
大粒の涙を零しながら感謝を伝える女性に、ウィルは恥ずかしくなって一礼すると龍刃連接剣を収納して女性騎士へ身体を向ける。
「治癒は終わりました。ただ、失った血液と衰弱は治癒魔法でも治療できません」
「い、いや。彼女を助けてくれてありがとう」
「えーと。お礼はクレマン師団長に行ってください。僕、クレマン師団長に頼まれただけです」
「そうだとしても、私達ではどうすることも出来なかった。感謝する」
ウィルを小屋へ連れて来た女性騎士が言えば、他の女性騎士達も同意するように頷く。称賛されることにも女性と接することに慣れていないウィルは、その場で小さくなるしかない。
しかも、その視線の中に彼女たちと違う意味でウィルを見ている者がいる。まるで獲物を見るような視線が身体に纏わりついて、気持ちが悪くなった。
「終わったか?」
開け放たれていた扉から、ハワードが顔を出す。ウィルの龍力が収束したことで、女性の治癒が終わったと判断したらしい。ハワードの後ろには、応援に来たであろう騎士が数名並んでいた。
「ハワード、丁度良かった。頼みたいことがあるんだ」
「何かあったか?」
「外で話すよ」
笑顔でハワードを出迎えると、その手を引いてウィルは小屋を出た。