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「ま、待って!」
ガイが馭者を務める騎士へ「ノーザイト要塞砦騎士団へ戻れ」と伝えると、ウィルは慌てて声を上げた。ノーザイト要塞砦騎士団へ向かうこと自体に、異議がある訳ではない。
「ノーザイト要塞砦騎士団には、ちゃんと行くから先にタマラさんのお店に行かせて。僕、警備隊の詰所でベントンさんとの話が終わったら、タマラさんのお店に行く約束してたんだ」
オークの肉をタマラへプレゼントすること。その肉は、タマラが明日のメニューに使う予定であることを、ガイへ話す。ガイは、動き出した箱馬車の中で再び立ち上がると、小窓から馭者を務める騎士へ行先の変更を告げ、席へ戻った。
「あまり時間は掛けれないが」
「うん。ありがとう」
ガイは、安堵の吐息を吐き出すウィルをジッと見詰める。
「……ウィル」
「っ」
「俺達は、そんなに頼り甲斐がないのか?」
「え……?」
低く静かな声に名前を呼ばれ、ウィルが顔を上げると鋭い視線に射抜かれ、ビクリと身体が揺れる。ガイの眼に滲み出る感情は、静かな苛立ちだった。
「盟友を思う気持ちや、命を賭して守ろうとする想いは、俺にも理解できる。理解できるが、許せるかと問われたならば否だ」
「……うん」
「あの時……俺達が、どういう気持ちでいたか分かるか? 今回の件にしても、父上と共にノーザイト要塞砦へ入れば、問題など起らなかった」
「それは……」
魔境。その禁域である還縁の場、ガイは見ているしかなかった。否。ガイだけでなく場にいた誰もが、ボロボロの姿で自分の生命力を用いて龍術を使い続けるウィルを止めることが出来なかった。
いくら能力が高かろうと、不老であろうと、ウィルはフォスター神に生み出されて三年しか経っていない。たとえ前世の記憶が残されていようが、少年の姿をしていようが、幼い子供なのだ。その子供を死地へ向かわせる。そのことが、どれだけ自分達の矜持に反することだったか。……己の未熟さを呪ったことか。
黙したままウィルを見詰め続けるガイから、フィーへと視線を落とし、ポツリと呟く。
「マーシャルとハワードも……怒ってる、よね」
「当たり前だ!」
「っ!」
「ギュイッ!」
ぴしゃりと跳ね付けるように返された言葉に、ウィルは再び身を縮めた。その拍子に、膝に乗るフィーをギュッと締め上げてしまった。驚いて声を上げたフィーを慌てて解放すると、ウィルはその背を撫でる。
「ご、ごめんね、フィー。痛くない?」
「キュ!」
パタパタと大きな翼を広げ、フィーが返事するとウィルもホッとしたのか、大息を吐き出す。
「はあ……良かった。ホントに、ごめんね」
「キュイー!」
小さな頭を横へ振り、フィーは自分の意思をウィルへ伝える。フィーは痛かったわけではなく、驚いただけなのだ。フィーが甘えるようにウィルの顔へ頭を摺り寄せると、ウィルは何も言わずフィーのやりたいようにさせていた。その間、ウィルはガイに言われたことについて考えていた。
「あの時、その場でハワードにも同じ言葉を言われたよ。……でも、皆が怒っても龍術を使ったことは謝らないし、何度でも同じことをする」
「なっ!」
口にした言葉に嘘はない。もし、あの時に戻されたとしても、ウィルは確実に龍術を使うだろう。たとえ、櫻龍自身が止めたとしても、一縷の望みがあるならと龍術を使う。
「それだけ、僕にとって櫻龍は大切な友達だったんだ」
「……ウィル」
龍の住処で、ウィルを苦しめた出来事は、存在自体を否定されたことだった。意地悪をしてくる龍達の方が良い。彼らは、意地悪をするという行動で、ウィルの存在を認めていてくれたのだから。無視されることの方が、余程辛いのだと知った。
「龍の住処で、御師様やフォス以外で、初めて僕に声を掛けてくれたのが櫻龍で……。広い森の中で、迷子になって泣いていた僕に、そんなところにいるから踏み潰してしまう所だったって……」
その時のことを思い出しているのか、ウィルはクスリと泣き出しそうな顔で笑う。古龍種達は、他の龍種に比べ、巨体である。それこそ、人など簡単に踏み潰せるだろう。誰も関わろうとしない。そんなウィルに、龍の住処でウィルに居場所を与え、他の龍達と交流できるようにしたのは、紛れもなく櫻龍だ。
「そんな大切な友達が苦しんでいることを知って、手を出さずにいられるはずがないよ」
ガイは、ウィルの話を黙って聞いていた。ウィルが龍の住処へ帰ってからの出来事を、父から手紙で知らされ、ある程度はガイも把握している。
最古の古龍をウィルが天に還したこと。龍の住処に住まう彼ら全てが、ウィルを龍の住処の住民として認めたこと。……彼らが、ウィルに求めているもの。その全てが書かれていた。
「それにね、ラクロワ伯爵様を頼らなかったのは、フォスと話し合って決めたことなんだ」
「どういうことだ?」
「ガイ。僕は、確かに特殊だけど、人族なのは変わらない」
困ったような顔でガイを見て、ウィルは言葉を続ける。
「竜人族が暮らす連峰には、行けない」
「っ!」
連峰という言葉で、ガイは息を呑む。ラクロワ伯爵が龍の住処へ向かう時、連峰から入る祠がある。
連峰に住まう竜人族は、人族を許していない。龍の住処へ繋がる祠がある連峰に、人族が立ち入ることを禁じていた。だからこそ、ガイの祖父は他種族を番に選んだ者たちを住まわせる村を作った。
「連峰に住んでる人達は、人族を本当に嫌ってるんだね」
「どうして、そのことを……」
「龍の住処で、御師様を訪ねてきた竜人族の女性と会ったことがあるから」
「っ!? 何もされなかったか? 大丈夫だったのか?」
あまりの剣幕に、ウィルは苦笑する。ウィルが頷くとホッとしたように、ガイは息を吐き出した。アルトディニアの大地が多種族の住む世界であることは、フォスターから聞かされていた。しかし、龍の住処は龍王とその眷属が住まう場所。人が立ち入ることの出来ない場所と聞かされていた。
そんな場所で、人に出会った。嬉しさで、駆け寄ろうとすれば、一緒に居た緑龍に止められた。気が付けば、その人は緑龍へ持って来ただろう供物を投げ出し、手には武器を握っていた。その口から吐き出された呪詛にも聞こえる言葉は、生み出され数か月しか経っていなかったウィルの心を大いに傷付けた。そうして、人族がどれだけ竜人族から憎々しく思われているのかを知った。
龍王は、その竜人族からウィルと出会ったという記憶を消した。そして、ウィルの存在を知る竜人族はアルトディニアに住む、龍の住処を守護する一族だけだと語ったのだ。
「連峰へ人族が立ち入れば、ラクロワ伯爵様の立場が悪くなるだろうって御師様が話したんだ。だから、紅龍様から頂いた宝玉は、龍の住処へ帰る時にしか使わない。ノーザイト要塞砦に入った記録が残らないでしょ? そうなると不法滞在になるよ。フォスと話し合って、街道沿いの山へ降ろしてもらったんだ」
「……すまない」
「どうして、ガイが謝るの?」
「……」
「本当に、どうしたの?」
ウィルは、眉をよせて心配そうにガイを見ている。その膝に乗るフィーも、ガイへ視線を向けていた。
「何でもない」
「そんな顔して言われても、信じられないよ」
「俺は、どんな顔をしている?」
「不安そうな顔?」
「……そうか。俺は――」
不安だったのか。心の内で、ストンとウィルの言葉が落ちる。龍の住処に住まう龍たちが、ウィルに望むもの。それは、ウィルが龍の住処に留まり続けることだ。かつて龍王の一体が使っていた葬華舞と酷似した龍術を使うウィルを、龍たちが手放したくないと思う気持ちが分かるだけに、ガイは何も言えなかった。
ウィルは、アルトディニアに暮らすガイ達よりも、龍たちとの方が交流がある。何より、盟友の命が奪われた土地に居続けることは、ウィルにとって苦痛でしかないだろう。約束を守るためだけに、アルトディニアへ降りたとも考えられるのだ。
父リゲルの手紙には、砦へ戻るではなく、砦に行くと書いてあったのだから。そうして、今も龍の住処へ帰るとウィルは言った。
「ウィルは、依頼を達成した後、龍の住処へ帰るのか?」
「どうして、そう思ったの?」
「ここに……ノーザイト要塞砦に居るのは、辛いだろう? それに、ウィルは父から受け取った手紙には砦へ行くと書かれていた」
「それは……辛くないとは言えないよ。だけど、砦へ行くって故郷を離れるんだから当たり前じゃないのかな? 何かおかしかった?」
不思議そうな顔で、ウィルは首を傾げている。
「故郷……」
「うん。僕が創られた場所は神界だったけど、僕はすぐに龍の住処に移されたし。龍の住処には三年間住んでたから、僕の故郷だよね? だから、ノーザイト要塞砦に行くって伯爵様に言ったんだけど……。もしかして、駄目だった?」
言われてみれば、当たり前の話だと理解できて、ガイは大息を吐き出した。それだけ、ウィルが自分の中で大きな存在となっているのだと気付き、ガイは苦笑する。
「いや。確かに、故郷だ」
「良かった。あ、タマラさんのお店に着くね」
窓から、タマラの店が見えるとウィルは腰を浮かせようとしてガイに止められた。確かに時間は掛けられないが、そこまで急ぐ必要はない。ノーザイト要塞砦騎士団の箱馬車は目立つ。店の前に箱馬車が停まると、タマラ達が出迎えてくれた。