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部屋の外にいるにも関わらず、感じられる怒気。これだけ怒りを発しているということは、目の前でうずくまり嗚咽を漏らすウィルに関する人物。そして、ウィルを好ましく思っている人物に違いない。
「はあ……。もう少しぐらい時間がかかると思ったんだがのう……」
ベントンは、ベントンを見詰めているフィーと、うずくまっているウィルから扉へ視線を向けると、諦めたように溜息を吐き出した。
「入っていいぞ」
ベントンが入室許可を出すと、勢いよく扉が開き、騎士服を纏ったガイが飛び込んでくる。そうして、室内にいるベントンを無視してウィルの元へ向かうと、抱え上げるようにしてウィルを立ち上がらせた。
「よく帰って来てくれた」
「……あ」
「大丈夫だ。盟友たちの忘れ形見は誰にも奪わせたりしない」
ウィルが言葉を発するよりも先に、ガイはフィー諸共、ウィルを己の腕の中へ収める。そうして、そのままベントンを睨みつけた。
「カバネル訓練官。ノーザイト要塞砦騎士団総長、ラクロワ伯爵、モラン子爵が、この少年の身元を保証すると記した上で、保護を要請する書状が警備隊隊長宛に届いていると思うのだが、何故、その対象である少年が、この部屋で取り調べを受けているのか答えて頂きたい。返答次第では、ノーザイト要塞砦騎士団第二師団師団長として、警備隊隊長へ抗議させてもらう」
「相変わらず、堅苦しい奴だな。別に意味があってのことではないわ。丁度いい空き部屋がなかっただけのこと――」
「ならば、尚のこと、我々の到着を待つべきだったのではありませんか?」
「言い訳は通用しない。警備隊の隊長から事情は聞きいている」
ベントンの言葉を遮り、開け放たれた扉からマーシャルが顔を出すと、益々ベントンは渋面となった。己の元部下ということもあり、マーシャルの手腕は知っている。ベントンが何を思い、このような行動を取っているのか全て理解した上で、ここにいるのだろう。それでも、ベントンはしかめっ面のままで厳つい体を伸ばし、マーシャルを見据える。
「なんじゃ、小童まで来たのか?」
「ええ。何か不都合でも? それに、私達だけではありませんが?」
ベントンは、次々と部屋へ現れる者達を迎える。ノーザイト要塞砦警備隊に、冒険者から子供が街道を歩いていると報告された時点でノーザイト要塞砦騎士団には書状に記された少年と思おぼしき者を発見したと、警備隊隊長が伝達させていた。
師団長を務めるガイ、マーシャル、ハワードが警備隊へ駆け付けるとは、ベントンも想定外の出来事である。そして――。
「ベントンよ。老いぼれるには、多少早すぎやせぬか?」
最後にクツクツと笑いながら入室してきた相手を見て、ベントンは息を呑み、即座に立ち上がると敬礼をする。
「っ……アレクサンドラ様」
「うむ。ベントン、楽にして構わぬぞ」
「はっ」
「これが警備隊の訊問室か。随分と簡素であるな」
アレクサンドラが室内を見渡し、尋問室と言ったことで誤解が生じていることに気付いたベントンは、大きく息を吐き出す。警備隊にある部屋は、取調室であって尋問室ではない。尋問を受けるような者は全て騎士団へ預けるのだから。
「ここは、事情を訊くための取調室という部屋であって、尋問室ではないですわい。しかし、アレクサンドラ様まで来られるとは……」
「なんだ? 不満か? 必要とあれば、私は何処へでも赴くぞ」
狭い取調室に大人が四人も入ってくれば、室内は狭くなる。窮屈になってベントンが扉へと向かうと、隊員達が当惑した顔でベントンを出迎えた。彼らの話では、どうやらアレクサンドラ達を来賓室へ迎えようとしたようだ。しかし、それよりも先にガイがウィルの居場所を探知して、勝手に取調室まで来てしまったらしい。
「一先ず、場所を移さねば話になりますまい。隊員達も、このような場所に騎士団の方々をお連れしたとあっては、次期領主様に叱られてしまいますからのう」
チラリとガイへ視線を向けたアレクサンドラは、その腕に収まるウィルに目を向けた。ウィルの口は、ガイが手で塞ぎ、沈黙を余儀なくさせている。それを確認して再びベントンを見据え、アレクサンドラは口角を上げた。
「いや、その必要ない。ベントン、並びに警備隊の諸君。少年の保護、大義であった。我らは、少年を連れノーザイト要塞砦騎士団へ帰還するとしよう。何せ、今は忙しい」
アレクサンドラの言葉に、ベントンや取調室の前に集まっていた隊員達は騒めく。ウィルが言葉を発しようとしてもガイの手に阻まれている。苦々しい顔を隠そうともせず、ベントンはウィルの前まで戻ろうとするが、ハワードとマーシャルが阻むように立った。
「坊主を勝手に連れて行かれても困るわい」
「そもそも、ウィルを取り調べる必要はない。困るというのは、おかしな話だろう?」
グッと言葉に詰まるベントンに、ハワードは笑みを深める。マーシャル達が、ウィルのアルトディニア帰還を知ったのは、昨晩のこと。ラクロワ伯爵から火急の要件があると、ノーザイト要塞砦騎士団へ先触れが届けられた。
『明日の昼過ぎ、少年がアルトディニアへ帰還する』
昨日、紅龍から伝達された内容にラクロワ伯爵は驚き、何処へ降り立つのかと訊ねたが、紅龍も緑龍からウィルがアルディニアへ向かうことを知らされただけで、場所までは把握しておらず……。知り得た内容といえば、降り立つ場所は魔境ではないということ。紅龍の渡した宝玉は使わず、転移術でアルトディニアへ降り立つだろうこと。ラクロワ伯爵は、ノーザイト要塞砦騎士団へ先触れを向かわせると共に、ノーザイト要塞砦警備隊へも書状を届けるよう手配をして領地を飛び出した。
ノーザイト要塞砦騎士団総長の執務室で、駆けつけたラクロワ伯爵から紅龍からの言付けを聞かされたアレクサンドラも同様の書状をノーザイト要塞砦警備隊隊長宛で届けさせたのである。
探索スキルで、ウィルの居場所を探る案も出たが、如何せんオズワルド公爵領は広大だ。代官が統治する領地まで調べるとなれば、一番の使い手であるガイでも、その場へ赴く必要がある。ハワード率いる第三師団が裏で動き、ノーザイト要塞砦警備隊から知らせが届くまで通常の執務を執り行うことを決めると、解散となった。
ラクロワ伯爵は、要件を伝えると領地へと帰路に着く。己が役割は、ここまでと決めていたこともあったが、ウィルの目指す先が、ノーザイト要塞砦と分かっていたことも大きい。後のことは、若者に任せるべきだと生涯の友に諭されたことは、誰にも語ることはなかった。
そうして、ノーザイト要塞砦警備隊隊長から届けられた知らせは、結果的に最悪なもの。カバネル訓練官が少年に興味を抱き、隊員達に保護すべき対象であることを秘して街道へ向かったという知らせであった。
「いくら前任の第一師団師団長であろうと、今は訓練官なのですよ。越権行為が過ぎると思うのですが?」
「ふん。小童が偉そうに言うではないか。儂は、気になったから様子を見ておっただけで、何もしとらんわ」
胸を張って、言い切るベントンにマーシャルはクスクスと笑い出した。要は、ベントンがウィルを気に入ってしまっただけの話なのだ。
「そうですか。ですが、泣かせてしまうのはやり過ぎです。嫌われたくはないでしょう?」
「むっ。そ、それはだな、泣かせるつもりなどなかったのだ」
慌てたように言い訳を始めるベントンに、今度はハワードが声を掛けた。
「ベントン殿。これは例え話になるが、ベントン殿には目に入れても痛くないと豪語される孫娘が居られたな?」
「アネットのことか?」
「そのアネット嬢との時間を奪われたなら、否、アネット嬢に二度と会えないとなれば、ベントン殿はどう感じる?」
「なんと! そんなこと断固阻止するに決まっとるだろう! ……なるほど、そういうことか」
ベントンはハワードの言葉で、ウィルの胸に抱かれるフィーへ視線を向ける。詰所前での会話は、従魔を奪われまいとした結果なのだと、ようやっと考えが至る。
「それほど従魔を大切に思っているのか。そこまで、考えが至らなかった儂の誤算が、この結果を招いたのか。否、待て。先程、盟友と言ってなかったか? まさか⋯⋯」
「ええ、そのまさかです。どうやら、分かっていただけたようですね」
良かったですよ。そう言って、マーシャルは視線をウィルへ向けた。涙は止まっているが、目元が赤く染まっている。
「このお爺さんは、困ったことにウィルのような将来有望そうな子供が大好きなのですよ」
「お爺さんは、なかろうて」
ムッとした表情でマーシャルへ言い返し、しかし、諦めた様相で言葉を続けた。
「老兵では、この地では役に立てん。将来有望な者を探すことは戦えぬ老兵としての役割なんじゃ」
それは、正しい言葉だ。オズワルド公爵領、及び近隣の領地では、戦いに参加出来なくなった者が、後継を育てる指導者、もしくは訓練官として各所に配置される。ベントンも先の戦いで片足を失ったが、訓練官として警備隊へ赴いている。しかし、その回答に異を唱える者があった。
「カバネル訓練官。ウィルの師と保護者が、再びノーザイト要塞砦へ送り出してくださったのは、オズワルド公爵領のために働かせるためではない。この地へ赴くことを、ウィル自身が望んでくれたのだ。ここまで追い詰める必要などなかった」
ガイは、ウィルが盟友を失ったことを正しく理解している。生涯の友と等しい位置に在る盟友という存在。その者の命が奪われた地へ赴くことが、どれだけウィルの幼い心に負担を掛けることになるのか。それを支えている灰白龍の存在。それを奪うという行為が、どれほど危険を孕んでいるか。
最悪を想定するならば、ウィルの魔人化である。そうなれば、ウィルの存在を認めた龍の住処に住まう者達も、今度こそアルトディニアを見限り、アルトディニアとの繋がりを完全に絶つだろう。最も恐ろしいことはウィルが魔人化すれば、フォスター神までも魔神化しかねないということだ。知らぬことであったとしても、ガイとしては許せる行為ではない。
「ガイ、その辺りで許せ。ベントンも悪気があった訳ではなかろう。我等も配慮が足りなかったのだからな」
「……承知しました」
悪気があった訳ではない。そのことは、この場にいる誰もが認識している。取調室に集う者は、ベントンがどういった人物であるのか、よく知る者達ばかりであった。ノーザイト要塞砦騎士団第一師団を三十年近く率いてきた人物。それが、ベントン・カバネルだ。マーシャル、ガイ、ハワードの元上官でもある。
「ベントンから見てウィルの様子は、どうであった?」
「……よく言えば、素直で真面目な坊主ですわい。能力は高く、警戒心もある。だが、心が随分と幼く感じますな。しかし、成長すればこの坊主は強くなりましょう」
「ほう。強くなるか」
「左様。なればこそ、興味を持ったのですがのう……。睨むでないわ! このけちん坊め。坊主も従魔も減りゃせんだろうが!」
「否。減る。大いに減る!」
腕の中にウィルを囲い込み、ベントンを睨むガイに、がなるベントン。両者の様子に、ハワードが肩を竦めマーシャルへ視線をやった。
「放置していいのか?」
「構いませんよ。ベントン殿には、いい薬です。何時までも元気でいてもらわねば、困りますからね。それに、私もガイと同意見なので」
ベントンの部下であった頃から、この両者は折り合いが悪かった。ベントンはガイを随分気に入っているのだが、ガイはベントンの腹黒い部分が気に入らず、衝突する。先ず、ガイが第一師団へ配属されたこと自体が間違いの原因だった。第一師団では常々、マーシャルが仲裁を引き受けていたが、笑顔で二人の様子を見ている。どうやら、今回は仲裁する気がないらしい。
「それとも、ハワードが止めますか?」
「否。俺もガイと同じ意見だ。この際、気に入った相手を弄って遊ぶ悪癖を直してもらおう」
「ガイは反抗することで対処していましたが、誰でもガイと同じように出来るはずがありませんからね」
「クククッ。しかし、今更、ベントンの性格が矯正できるとは思えんぞ?」
アレクサンドラも会話に加わり、両者の言い合いを見物していると、警備隊の隊長が取調室へ入ってきた。その顔色が、ベントンとガイのがなり合いを見て、青褪めていく。
「カ、カバネル訓練官!」
「よい、放っておけ。マーシャル達の話では、毎度のことだと聞かされた。我等も長居する気はない。早々にウィルを連れて帰る。其方も職務へ戻るといい」
困惑した顔を見せながらも、アレクサンドラの指示に従い、隊長は挨拶をすると取調室を出て行く。その姿を見送り、アレクサンドラはベントンとガイ、両者の前に立ち息を吸い込むと――――。
「双方、其処まで!」
よく通る声で、ベントンとガイを止める。動きを止めた両者に、ニヤリとした笑みを見せると、アレクサンドラは「これが、第一師団名物か」と声を掛けた。亡き兄ハーバードから、両者の話を聞かされていたものの、実際に見物したことはなかった。
「なかなか面白いものを見せてもらった」
ハハハハハと大笑いをして取調室を出て行くアレクサンドラを、両者は憮然とした表情で見送っていた。