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「坊主よ。どうして、ラクロワ伯爵から貰った従魔の証を使わん? この地では、オズワルド公爵家の次に、ラクロワ伯爵家は強い影響力を持つんじゃ。坊主が使っている従魔の証でも構わんが、ラクロワ伯爵家の紋章入りの方が……。なんじゃ、その顔は?」
「あの……。リゲル様って、そんなに影響力の強い伯爵様だったんですか?」
「なんと。知らんかったのか?」
ウィルとフィーが、ベントンの待つ部屋へ案内されると、まず『従魔の証』について問われた。ウィルはアルトディニアの情勢を、ほとんどと言っていいほど知らない。おおまかな地理と、国名。どのような物が、どこで製造されているか。そして、誰が支配しているのか、その程度をフォスターに教えられただけだ。
リゲル・ラクロワについて知っていることは、ガイの父親であり、師である緑龍の友人であること。そして、龍の住処を守護する竜人族であること。その程度である。龍の住処で暮らしていたウィルに、ラクロワ伯爵の立ち位置を知る術は、皆無であった。
「知りません。知ってたら、受け取ってませんから! 僕は、御師様の友達だからと思って頂いたんです!」
唯でさえクリクリとした目を更に見開き、大きな声で言い返すウィルに、ベントンも驚く。ウィルのギルドカードには、ニゼルモの出身と書かれていた。
ラクロワ伯爵が代官を勤める領の奥地、連峰の麓に近い位置にある小さな村。その村の代表者は、前ラクロワ伯爵だと聞いている。いくら奥地といっても、知らぬということがあるのだろうかと考え、街道での話を思い出す。ニゼルモの中でも、更に奥地に住んでいた様子で、保護者と二人きりで暮らしていたと、ウィルはベントンに語った。そうして、スキルを用いてウィルを見てみるが、真実知らなかったと判る。
ベントンがウィルに興味を抱いた理由は、騒ぎになるよりも前の話だ。警備隊隊長宛に、三通の書状が届いたことが始まりである。
一通目は、ラクロワ伯爵家。従魔を連れた少年が砦に入るだろうこと。その少年の名前、出身等が説明された後、文末に少年の身元を保証すると書いてあり保護を求めていた。
二通目は、ノーザイト要塞砦騎士団。姿形と名前、その少年がオズワルド公爵領にある冒険者ギルドに所属する者であることが記され、少年の身元を保証すると書かれてあった。そうして、保護した場合、即時ノーザイト要塞砦騎士団への連絡をするよう書かれてあった。
三通目は、モラン子爵としてマーシャルが出した書状である。その内容は前の二通と同様で身元を保証する旨と、何らかの問題が起きた場合、即刻冒険者ギルドのギルドマスターのバークレー・フォールを呼ぶよう提案として書かれていた。ギルドマスターも少年の保護を望んでいると。そして、その書状にはガイ・ラクロワ、ハワード・クレマンも名を綴っていた。少年は自分達と親しい間柄であるが、自分達の名を出すことを嫌うだろうことが記されている。
ノーザイト要塞砦を離れていた警備隊隊長が、オズワルド公爵領の要人達から届けられた書状に、訳が分からず近況を知るベントンに相談をしたことで、誰よりも早く知ることとが出来た。
それらを読み進めるうち、ベントンはウィルに興味が湧いた。なにより、己の部下だった者達が、連名で届けたのだ。興味を持つなという方が無理だった。
そして、隊長に書状に書かれた内容を隊員達に伏せるよう頼み込み、ベントンの行動に異を唱える隊長を黙らせると、新人達を引き連れ、ベントンは街道へ向かったのだ。
ベントンはウィルを一目見て、その警戒心の強さに驚いた。警備隊が近寄る寸前、少年は使っていた全てのスキルを閉ざしたのだ。同じスキル持ちだからこそ気付くことが出来たが、今も尚、その一切を使おうとしない。そのスキルを使えば、もっと狡賢く立ち回ることも出来るだろうに……。そんなことを思い、ベントンは溜息を吐き出した。
慌てたようにラクロワ伯爵から渡された従魔の証をウエストポーチへ収めているウィルは、呆れ顔で見ているベントンの視線に気づくことはなかった。ウィルの肩に乗るフィーは、首を傾げてベントンを見ていたが。
そして、ウィルはフィーに着けられている『従魔の証』の証明書を取り出し、ベントンへ手渡す。フォスター神の紋章が入った従魔の証はアルトディニアにない。疑う人族がいるかもしれない。そういう人物に見せるように、フォスターに持たされた証明書だった。
「フィーに着けさせている従魔の証の証明書です」
「ふむ⋯⋯。確かに、その従魔の証はフォスター神殿から証明されとるようだ」
ジッと証明書を見詰めるベントンの様子に、ウィルは不安になった。フォスターは、こうなることを見越して従魔の証をいくつも渡したのだろうかと。
ウィルとしては、たとえラクロワ伯爵家の影響力が強かろうと、フォスターからプレゼントされた従魔の証を使いたい。ウィルとフィーにとって、他の物では意味がない。
「はい。証明書があっても、駄目なんですか?」
駄目ということはない。しかし、フォスター神の『従魔の証』が影響を及ぼすとすれば、オズワルド公爵領以外の領地、そして国そのものに対してだろう。神殿は、アルトディニアに存在する国々の代表者と同等の権力を持っている。だが、オズワルド公爵領に関しては、微妙だとベントンは語った。
オズワルド公爵領の民も、神の存在を信じているし、畏れ敬ってもいる。しかし、それだけなのだ。魔境とは、太古アルトディニア暦の人族が過ちを犯した場所である。それ故に、オズワルド公爵領の民は、神々の力を欲することはない。ある意味、魔境が戒めとなっているのだ。神とは敬う対象であり、その権力や能力に興味がない。
説明を終えると、ベントンはフィーの首元に下げられている従魔の証へ視線を向けた。確かにフォスター神の紋章が描かれている。人族を忌み嫌うフォスター神の話は、アルトディニアでは有名な話であった。そのフォスター神が、人族の少年に己が紋章を刻んだ従魔の証を与えるのだ。それだけで、大きな意味がある。
ベントンは、なるほどと納得してしまった。オズワルド公爵領の要人たちが、こぞってウィルの保護を要請する訳である。瀕死の重傷であったマーシャルを癒し、魔境で騎士団の猛者と共に戦い、行方知れずとなったウィルが街道で保護される。そして魔境から抜け出せる術を持っている。それだけの能力を持つ少年であれば、誰でもウィルを欲する、と。
ベントンの解釈は、大いに間違っているのだが、訂正する人物はいない。ウィルも、スキルを閉ざしていたため、ベントンが間違いを起こしていると気付かない。
「お前さん、マーシャル達の友人なんだろう? ビリーから尋問された時、何故あいつ等の名を出さんかった?」
従魔の証からウィルへ目を戻し、ベントンは問いかける。街道で質問を受けた時、ノーザイト要塞砦騎士団、若しくはラクロワ伯爵の名を出せば、ビリーも無茶な行動は起こせない。だが、ウィルは誰の名も出さず、結果的に揉めてしまった。ウィルは、怪訝な顔でベントンを見つめ返している。
「それも、必要な質問ですか?」
「いいや。これは、儂が訊きたいと思っただけだ」
必要な質問など、本当は一つもない。ラクロワ伯爵家、ノーザイト要塞砦騎士団の総長ならびに師団長が三人、ウィルの保証をしている。ベントンが話をしてみたいと思い、引き留めただけにすぎない。ベントンが素直に答えると、ウィルは小さく溜息を吐く。
「みんな……家に帰る時間もないほど忙しいのに、僕のことで、煩わせるなんて出来ません」
「半分、半分ってとこか。本心は、別なところにあるな」
ベントンは『看破』を用いて、ウィルの言葉を聴く。確かに、それも真実だろう。しかし、それだけではない。別な、何かがある。ウィルが息を呑む姿を見て、ベントンは笑った。