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元気だったかとタマラに問い掛けられ、ウィルは思わず苦笑してしまう。理由は簡単だ。タマラの店で食事をした後、謀反が起こったのだから。そして、自らの命を懸けて櫻龍を元の姿に戻そうとしたが、それも叶わず死にかけた。しかし、今はロッツェとフォスターのお陰で、元気にしている。だが、正直に話す必要はないと気を取り直して、ウィルはタマラに笑顔を向けた。
「はい、元気です。タマラさん達もお元気そうで良かったです。随分と大荷物ですけど、商店区で買い出しの途中ですか?」
「そうなんだよ。ただねえ、オーク肉が手に入らなくて、亭主と狩りに出るか悩んでてねえ。今から行っても、今夜の仕込みには間に合わないだろうからねぇ」
狩りと聞いて、マーシャルから『タマラの店』は元冒険者が営んでいる店だと教えられたことを思い出す。自ら食材を調達出来ると、経営費は安く済みそうだ。困っているなら丁度いいとウィルは微笑む。お礼も兼ねて、オークの肉をタマラさんにプレゼントすることを思いついたのだ。
「オーク肉なら、譲りますよ。血抜きはしましたけど、解体してないです。それでも構いませんか?」
「本当かい? ちなみに何体あるんだい? 依頼で必要じゃないんだったら、全部うちで買い取らせてもらうよ!」
「依頼は受けていませんから必要ないです。ノーザイト要塞砦に来る途中で出会ってしまったので、討伐しただけですから。十二体ありますけど、二体はフィーに食べさせたいので、譲れるのは十――」
「待て、待て、待て! 何、勝手な話をしているんだ!」
ビリーは、ウィルとタマラの間に立ち塞がり、二人の会話を止めさせた。タマラの店には、ビリーも仲間と食べに行く。常連とまでは呼べないが、結構な頻度で通っている。店主たちも自分の顔ぐらい覚えているはず……だと思う。いや、思いたいと考え、ウィルの方からタマラ達へと向く。
二人の会話を聞く限り、少年が冒険者であることは間違いない。しかし、オークを狩れるほどの実力が、この細く小さな少年にあるのだろうか。肩に乗っている魔物が倒したのだろうか。疑問は尽きないが、先にタマラへ話し掛けた。
「タマラさん、少年を知ってるのか?」
「この子は、あたし等の大切なお客さんさ。この子が何かしたのかい?」
「な、何かしたと言う訳では……。ただ、見ての通り珍しい魔物を連れているから、事情を訊かなければならなない。だが、この少年が取り調べに魔物を置いていくことを拒んでいるから、説得しようとしていた」
「取り調べに、説得ねえ? そんなふうには見えなかったけど。それに、確かに珍しいかも知れないが……。ちゃんと首に従魔の証を着けてるじゃないか。大人しくしてるようだし、何の問題があるってんだい?」
説得と聞いて、タマラは呆れ顔になってしまう。目の前にいる隊員が、少年を力で抑え込んでいるように見えたからだ。実際は、ビリー程度の力ではウィルを動かすことは出来ないのだが。
隊員が問題にしているフィーにしても、行儀よくウィルの肩で大人しくしている。それどころか、タマラに興味を持っているのか、しきりにタマラを見ている。これほど可愛らしい姿なのに危険性があるというのだろうかと、タマラは首を傾げて夫へ視線を投げ掛ける。タマラの夫、クライドは無言で首を振った。害はないということらしい。
「そ、それでも、害を及ぼす危険性がないと、言い切れないだろう? それに……これは、俺自身の意見だが、この少年が魔物を連れて回ることは危険すぎる。珍しい魔物なんだぞ。街で争いが起こる可能性だってあるじゃないか」
タマラは、しどろもどろになりながら返事をするビリーに向き直ると、大きく溜息を吐いた。
「フン。隊員さんの言いたいことは、よく分かったよ」
「そ、そうか。分かってもらえたか」
要は街の治安のために、この珍しい魔物をウィルから取り上げたいのだろう。確かに、珍しい魔物は争いの元となる。珍しい魔物の素材を欲しがる者、珍しい魔物を飼う趣味を持つ者たちがいる。問題が起こる前に、問題の原因を排除してしまいたいということだ。
さっそくウィルにフィーを置くように言い出したビリーから、奥でビクビクしながら様子を窺っている隊員達へ視線を向ける。
「全く、融通が利かないったらありゃしないねえ。奥の隊員さん達、誰でもいいからノーザイト要塞砦騎士団へ行っとくれ」
「え……」
タマラの言葉に、奥の隊員達だけでなくビリーまでタマラへと振り返った。
「い、いや。流石にノーザイト要塞砦騎士団へ報告するまでもない。俺達で、対処できる事案だ」
「何、馬鹿なこと言ってるんだい? あたしゃ、この子の知り合いを呼んでもらおうと思ってるだけさ。知り合いがいれば、話も変わって来るだろうしね。呼んでもらっていいかい?」
タマラに言われると、ビリーは一瞬思考が止まる。タマラが乱入してくる前に少年にも提案された内容だったからだ。しかも、タマラはノーザイト要塞砦騎士団と言った。言葉に詰まっていると、タマラはギロリと睨みつけた。
「いいかと聞いてるんだよ! はっきりしなっ!」
「う、わ、わかった。わかったから睨まないでくれっ!」
挙動不審になるビリーをクツクツと笑いながら見て、タマラはビリーの後ろにいる隊員に声を掛ける。
「第一師団と第二師団の師団長さん方が、この子の知り合いだよ。それに第三師団にも知り合いがいるようだったねえ」
「し、師団長だって!」
ギョッとした目が、ウィルに集まるが本人は気にした様子が見られない。それよりも、ウィルはタマラへと顔を向けた。いつの間にか、肩に乗っていたフィーを抱きしめている。
「タマラさん。確かに彼らは僕にとって大切な友人です。でも、騎士団の仕事が忙しいみたいで、伯爵様もガイに会えてないって話されてました。なので、邪魔はしたくないです。それに、お店に一緒に伺った第三師団の方々は……この間の謀反で亡くなられました」
「……そうかい。辛いことを思い出させちまったねえ」
「いえ。辛くないとは言えませんけど……大丈夫です。あの方々のお陰で、色々と繋ぐことが出来たんです」
ウィルは、そう言って自分の腕の中に居るフィーを見る。彼らの想いが、繋いでくれた命なのだ。彼らがウィルを守り、マーシャルの命を救えた。助かったマーシャルが、ハロルドの召喚する魔物が幼龍であることに気付いた。そうして、救えた命がフィーだった。タマラ達は、ウィルの言葉に首を傾げていたが、あることに気付く。今、ウィルが伯爵と話したのだ。
「ところで、その伯爵様って、どこの伯爵様なんだい?」
「え? あ、ガイのお父さんで、リゲル・ラクロワ様です。フィーのことも愛らしいって言ってもらえたんです。ね、フィー。とっても優しい伯爵様だよね」
「キュイー!」
ウィルの発言に、周りの大人たちは目を見開いている。ウィルは知らなかったが、オズワルド公爵領で、オズワルド公爵の次に、ラクロワ伯爵家が強い立場を保持している。それは、ラクロワ伯爵自身が先代オズワルド公爵の右腕として名を馳せたことが大きい。そんなこととは露知らず、ウィルはフィーが同意したことに気を良くして、ウエストポーチから干し肉を取り出して食べさせている。
「あ……」
そうして、思い出したように顔を上げると、ウィルの口から爆弾発言が飛び出した。
「タマラさん。僕、伯爵様からも従魔の証を頂いたんです」
「っ!」
再びウエストポーチに手を入れ、取り出したのはラクロワ家の紋章が刻まれた従魔の証が二つ。一つはフィー。そうして、もう一つはウィルの物。キラキラと輝きを放つ従魔の証。これだけで、かなりの価値があるだろう。
「これ、綺麗でしょう? フィーの従魔の証と僕の従魔のブレスレットでお揃いなんです。ね、フィー」
「キュイッ」
ウィルが従魔の証を必要としている。その話は、緑龍から紅龍に。紅龍からラクロワ伯爵へ。ラクロワ伯爵からオズワルド公爵家のアレクサンドラへ。アレクサンドラから時期領主セドリックまで届いた。しかも、ウィルが従魔の証をフィーに着けるなら、ウィルも着けるという話を伴って。
龍たちにとってウィルの反応が、とても好ましい反応だったようで、紅龍は自慢するようにラクロワ伯爵へ話したようだ。急ぎ集められた従魔の証に使われる材料は、直ぐ様ラクロワ伯爵の手によって、紅龍に渡りフォスターの元へ届けられた。
ただし、その話はウィルの耳に入ることはなかったため、素直に贈り物として受け取っている。
「ラ、ラクロワ伯爵と親しいのかい?」
「どうなんでしょう? 伯爵様は僕より、僕の師と親しいです。よく話をしてますから」
一番早く立ち直ったタマラが問い掛けると、ウィルから恐ろしい言葉が飛び出す。師がつくということは、それだけウィルの能力が高いことを意味する。そんな子が、どうして冒険者になろうというのか。そこまで考えて、タマラは止めた。人には人の事情がある。
「えーと。どうしましょう?」
警備隊の隊員たち、特にビリーは顔面蒼白だ。ウィルも、まさかこんなことになると考えておらず、困ってしまい、タマラを見る。
「放っておけばいいさ。それとも、他に用事があるのかい?」
「ベントン訓練官さんに、呼ばれてます」
「それじゃあ、会って来るといいさ。その前に……、あんたも、この子に言うことがあるんじゃないかい」
タマラは青い顔で突っ立っているビリーへ視線を向ける。
「すまなかった!」
「……色々と疑われて、凄く嫌な気持ちになりました。フィーの事も信じてもらえなくて、とても悲しくなりました。それに、後ろ盾の有る無しだけで、簡単に判断されてしまうことも悲しいです。ビリーさん、タマラさんの助けが入らなければ、僕からフィーを取り上げるつもりでしたよね?」
「うっ……。そ、それは……その通りだ」
深く頭を下げるビリーに、ウィルは自分の考えを伝える。諦めたように白状するビリーに、ウィルは溜息を吐いた。
「謝っていただけたので、もういいです。そのかわり――」
「そのかわり? お、俺に出来ることならする!」
ガバリと音が立ちそうな勢いで姿勢を正すビリーに、ウィルは一歩後退する。単純に驚いたのだ。
「僕にとって、フィーは大切な友達で他に代わるもののない大事な家族なんです。お願いです。僕から家族を取り上げないでください」
「も、もちろんだ! 取り上げたりしないっ!」
「じゃあ、これで仲直り終了です。これからは、仲良くしてくださいね」
「……は?」
満面の笑みを向けてくるウィルに、今度はビリーの方が気の抜けた声を出した。
「だって、ビリーさんの誤解は解けたんでしょ? 僕もフィーも、ビリーさんや警備隊の人達とは、仲良くしたいです。ね、フィーも思うよね?」
「キュイ!」
ウィルが、腕の中にいるフィーに話し掛けると、元気よく鳴き声が返ってくる。この街で暮らすと決めたのだ。出来るだけ居心地が良い方が、ウィルとしてもいい。
ビリーは、ウィルの言葉に目を見開いていたが、頷くと右手を差し出した。ビリー流の仲直りなのだろう。ウィルは、フィーを肩に戻すと、ビリーの手を握る。所謂、握手というものだ。
「本当に悪かった」
「ええと、謝罪は一度で良いです。何回も謝られると、困ってしまいます」
「それでも、俺は悪いことをしたのだ。何度でも、謝る」
変なところで真面目な人だなと、そう感じながらも笑顔で返す。そうして和解が済むと、後ろで固まったままだった隊員も動き出す。
ビリーに良かったなと話し掛ける者、興味深そうにフィーを見ている者、仕事に戻る者、様々だ。ウィルは、隣で様子を見守っていたタマラとクライドへ頭を下げた。
「ありがとうございました」
「あたし達は、何もしてないさ」
「そんな。僕だけじゃ、何も出来なかったです。あ……オークの肉、どうすればいですか?」
「そうだねえ。オーク肉は、明日の献立に回すことにするさ。そうすれば、話を済ませてからでも、充分間に合うからね。話が終わったら、店に寄ってくれるかい?」
「はい、わかりました」
ウィルが頷くと、タマラ達は他の買い物が終わってないからと言って、街中へと消えていく。その様子を見送っていると、後ろからビリーに声を掛けられ、ウィルは振り返った。
「その……フィーだったか。そいつも連れて建物に入って良いそうだ」
「え?」
「隊長に、ちゃんと確認を取ってもらった」
「隊長って、エドワード様に確認したんですか?」
以前に比べると落ち着いているが、会えるかと問われたなら、まだ難しい。そう思い、口にした名前だったが、ビリーは否定した。エドワード警備隊隊長は、家の事情で警備隊を辞して王都へ帰ったとビリー達は聞いているらしい。
「任務で、オズワルド公爵領を離れておられた前任の隊長が帰って来られ、隊務へ復帰なさったのだ」
「そう、なんですか」
「エドワード隊長、いや、前隊長とも知り合いだったのか?」
「そうですね。知り合い……に、なるんだと思います」
色々あったけれど、とウィルは心の中で呟く。そういえば、マーシャルが話していたような気がする。まさか、そのまま王都に帰ってしまうとは考えてもいなかったけれど。
そのまま黙り込んでしまったウィルを心配して、ビリーが顔を覗き込んでくる。大丈夫ですと答えて、ウィルはベントンの待つ建物へ向かった。