001
有史以前、古代神たちが創世したアルトディニアの大地は、神々の眷属である古龍種の長達が管理し、守護する大地であった。
古龍種の長達は龍王と呼ばれ、アルトディニアに暮らす人々は龍王を崇敬する。神々に代わり、大地を管理する龍王たちは、人々に暮らしを豊かにする術を授け、アルトディニアの大地に暮らす人々をながきにわたり、慈しんだ。
……しかし、いつの頃からか、龍王の能力で豊穣なる恵みを賜り、与えられた恵みを在り来たりと感じ始める者達が現れた。多種族の中で、最も数を増やした人族たちだ。彼らは、更なる力を龍王へ求め、その事柄に龍王達が応じると、それらを自らの手で成し得たように、他の人々に語り始めたのである。
人族たちは、アルトディニアに住む多種族の中で最も数か多く、最も優れた種族であると多種族たちに宣言し、アルトディニアの王となった。平穏で争いなど起ったことがなかったアルトディニアに住まう者達は、人族たちの悪意に気付くことなく、そのことを受け入れた。
人族たちの驕りに対し、龍王達は悲しんだが、いつか悔い改めてくれるだろうと黙していた。だが、その龍王たちの心が人族に通じる日が来ることは、終ぞ訪れることはなく。
かの者たちは、欲心の赴くままに次々と武器を手に取り、末には群衆となって刃を多種族に向け、終いには龍王たちへと向けた。龍王の能力と、その長寿を手に入れるために。
そして、大地を管理していた龍王は、地へ堕とされた。残された龍王とその眷属たちは、その姿に悲嘆し、龍の住処と呼ばれる大地をアルトディニアから天空へと切り離し、姿を消した。
古代神は、神の眷属である古龍種達の命が、人族たちの悪意によって奪われたことを知り、アルトディニアから去ることを決定する。だが、その決定に反対する神々も現れた。
最高神は沈黙を貫くため眠りに就き、幾つかの神が魔神へと堕ちる。その魔神となった神を粛清するために、多くの神々が消滅した。
龍王とその眷属たちの命が奪われた地、魔神が葬られた大地は、瘴気に覆われた。闇に染まり、その亡骸からは数多の魔物が現れ、人々を襲った。繁栄を誇った人族の王都は、その魔物の手によって一日も経たぬうちに崩壊した。
愚行を働いた人族たちは、再び神々と龍王にアルトディニアの守護を求め、祈りを捧げた。しかし、神々も龍王も沈黙し、アルトディニアの大地へ姿を見せなかった。
「……ねえ、フォスター」
ウィルが朗読をしていた古書から視線を上げ、対面のソファに座る者へ声を掛けると、名を呼ばれた者が手元の紙束から視線を上げる。
「どうしたのですか?」
「太古アルトディニア暦の勉強させられてる理由は何かな? 僕、この世界に来て、直ぐに習ったよね?」
ウィルの問い掛けに、フォスターはニコリと微笑み、口を開く。
「アルトディニアへ降りる前に、太古の人族が如何に愚かであったかを、ウィルに再認識してほしいからですよ」
「……うーん。確かに過去の人族は愚かだと、僕も思う。でも、今は自分達の力で懸命に生きてると御師様が話してたよ?」
「それでも、過去に犯した罪は消えることはないのです。だからこそ、私は未だに龍王を辱めた人族が許せずにいるのですから」
ウィルは吐息を吐き出すと、視線を古書へ落とし、アルトディニアへ来た時の事を思い返していた。
ウィルは、ウィルとして生を受け、三年の月日が過ぎようとしている。『ウィル』として目覚めるよりも以前、ウィルは地球の日本と呼ばれる国で生まれ、そして死んだ。
神々の話では、ウィルの魂は元々アルトディニアの魂なのだという。それが、何故か生まれるべきアルトディアの世界を離れ、地球で転生を繰り返していたらしい。
それ故に、ウィルの魂が日本での人生を終えるまで『魂の入れ物』を準備して待っていたのだ、と。つまり、ウィルが死ぬ瞬間を、アルトディニアの神々は今か今かと待ち構えていたのだ。
ウィルが神々の説明を聞いて「僕は、ホムンクルスですか?」と思わず質問してしまったのは、誰にも責められないだろう。
「(……本だったのか、ゲームだったのか覚えてないけど、似たような物語が、日本にもあったような気がする。それが、何だったのかは思い出せないけど……)」
ウィルの生前の記憶は、完全に消去されることなく残されている。フォスター神に、人族の赤子を育てさせるわけにもいかず、そうかといって疑似的な記憶を魂に書き込むことを、フォスター自身が他の神々に対して反対したのだ。
結果的に、生前の記憶を残すしか方法がなく、ある程度の記憶を所持したまま、ウィルの器を少年の姿として生み出すことに決定した。
ただし、ウィル自身に関する内容の記憶と一定の倫理観は、アルディニアに馴染む為に封じてあると、ウィルは彼から聞かされている。
「まぁ、ウィルは別ですがね」
フォスターのウィルは別という言葉に、ウィルは手に持っていた古書をテーブルに置いて溜息を吐き出す。
「そうは言うけど、僕だって人間だよ」
「ウィル。何度も言いますが、アルトディニアでは人間ではなく人族です」
「あ……、ごめん」
フォスターは、アルトディニアの神々の中でも、最高位である三柱の一柱『創造を司る神』である。古代神と呼ばれる十柱、その神々の中でもフォスターは、眠りに就いた『叡智を司る神』の次に位の高い神なのだと聞かされている。その神の思いを形にしてアルトディニアを創世した神は、フォスターであると。
現在、最高位に存在するフォスターが、過去の出来事で人族を厭うようになり、その恩恵を人族には与えていない。新しい物を作り出す能力を失った人族は、二千年の間で徐々に衰退している。
その事を憂いた他の古代神と神々は、フォスターにウィルの魂を差し出した。ウィルの魂を通して、人族を知って欲しいと願ったのだ。
アルトディニアで生み出された魂であるというのに、違う世界で転生を繰り返してきたウィルの魂。その魂ならば……と、フォスターも神々の要望を聞き入れた。
つまり、ウィルの魂は、フォスターの人族嫌いを治療する治療薬として使われたのだ。
古代神、しかも『創造を司る神』ならば、その器を創造するのも容易い。神々もウィルの魂を宿らせる器をフォスターが創ることを了承した。だが、それが最悪の結果を招いた。フォスターは、他の神々が想像していなかった器を創造して、ウィルの魂を待ち構えていたのである。
それは、不老という神の祝福と、あらゆる肉体強化を施した器であった。
「(うん。肉体強化は嬉しいけど、不老なんて普通に要らないよね? 人なのに歳を取れないって、どうなのさ。どうせなら、不死まで付けてしまえと企んでいたフォスターを止めてくれたのは、とても助かったけど……出来れば不老も止めてほしかったよ)」
それにしても……と、ウィルは顔を上げてフォスターを見る。神々は、フォスターが人族を嫌悪しているとウィルに話した。しかし、一緒に生活してみると、フォスターがウィルに対して嫌悪感を抱いているように見えない。厳しい面はあるが、それは保護者としての厳しさだった。
人族を忌み嫌うことと、人族を許せていないとでは、大きな違いがあるとウィルは感じていた。そして、ウィルは今まで疑問に感じていたことを、フォスターに問う。
「フォスターは、御師様が許しても人族を許せないの?」
「御師様? ああ、最後の龍王……緑龍のことですか」
フォスターは少し考える素振りを見せたが、吐息を吐き出して頭を振った。
「そうですね。…………許せません。人族は、龍王とその眷属を殺めました。神々の眷属である龍王たちを手に掛けたのです。古代神も神々も数を減らしました」
「うん。それは知ってるよ。でも、もう二千年も経ってるんだよ?」
「……私にとっては、まだ二千年です」
過去の出来事は、フォスターから渡された古書で勉強している。そして、ウィルの師である緑龍からも聞かされていた。
人々は天に在るべき龍王を地に堕とし、その手で殺めたのだと。そして、神々まで巻き込み、魔神へと堕とさせる結果を招いたのだと。その堕ちた龍王、堕ちた神々の亡骸が穢れを招き、その地から魔物が生まれたのだと。
堕とされた龍王たちの悲しみ、嘆き、そして恨みから魔物が生まれ、その亡骸と龍王達が身に宿す龍宝玉から魔境が誕生してしまったのだと。
「その堕とされた龍王の中に、私の盟友も含まれていたのですよ」
「っ……盟友って」
「ええ。ウィルにもいるでしょう?」
「櫻龍のこと、だよね」
「ええ。ウィルにとって櫻龍が盟友であるように、私にも居たのですよ。掛け替えのない友が……」
初めて知る事実にウィルは目を見開き、そして伏せた。フォスターが言ったようにウィルも、同じ存在がいる。ウィルも大切な友達が殺されてしまえば、フォスターと同じように許すことは難しいと思うのだ。
「それは……」
「ええ。もちろん、緑龍の言い分も、理解はしています。それでも、盟友のことがなくとも、太古の人族たちは殺めすぎました。いくら謝罪されても、堕ちた神々、消滅した神々、亡くなった龍王や、その眷属たちの命は戻って来ないのです」
「……うん」
しかし、神界に住む神々は、それでは駄目なのだと言う。このままでは、人族が滅ぶから。このまま時が過ぎれば、フォスターが荒ぶる神になる可能性があるから。魔神に堕ちてしまうから。
「……フォスター。僕のいた日本では、罪を憎んで人は憎まずって言葉があったんだ」
「どういう意味なのですか?」
ウィルは、伏せていた瞳をフォスターへ向けると、頭の中で言葉を探しながら口を開く。
「なんとなくしか覚えてないけど、犯した罪は憎むべきものだけど、その罪を犯した人にも罪を犯すだけの事情があったのだろうから、その人まで憎んではいけないよって意味だったかな?」
「…………」
「太古の人族は、幸せすぎたんだと思う。だから、その恩恵を龍王様たちが与えてくれていたことを忘れちゃったんじゃないかな。龍王様たちが、恩恵を与え過ぎていたのも悪かったのかもしれない。人って、一度楽することを覚えちゃうと、苦しい思いをするのが嫌になると思うんだ。極端な例だけど、裕福な暮らしをしていた人が、いきなり貧乏な生活が出来るはずないよね?」
そうウィルが話すと、フォスターは目を見張らせる。
「与え過ぎも駄目、なのですか」
「たぶん。こればかりは、僕の想像でしかないかけど……。龍王様たちの能力は、人族にとって分不相応だったんだと思う。働かなくてもいい。作らなくてもいい。それを賄ってくれる龍王が居る。なら、もっと贅沢な暮らしがしたい。そうなっちゃうと、歯止めが利かなくなったんじゃないかな?」
「歯止めが、利かなく、なるのですか」
「うん。僕が生きていた世界では、子供の内は家族や国からある程度まで生きることを保証してもらえてた。だけど、大人になったら、そうじゃない。自分で働かなきゃ生活できない。でも、太古の人族はそうじゃなかったんだよね?」
太古の人族が何を考えていたのか分からないが、ウィルなりの考えを話していく。
「御師様が話していたけど、御師様たちも限界だったって。太古の人族が求めていたのは、龍王の持てる能力を遥かに超える力だった。それは龍の力じゃなくて、神様の力を欲していたんだって。だから、太古の人族も悪いけど、御師様たちも悪かったんだって反省してたみたい」
フォスターは、友であった龍王としか面識がなかった。ウィルの師匠である緑龍とも会ったことがない。だから、残された龍王たちの反省も知らなかった。
「だから、御師様は太古の人族がしたことは悪いことだけど、今の人族は好ましいって。懸命に自分達の力で生きている人族は、好きだって話してたよ」
今までの言葉を纏めるようにウィルが伝えると、フォスターは目を閉じて大息を吐いていた。
「(神様だから、きっと僕の言いたいことは簡単に理解している。だけど、心が追いついてないんだ。神様にだって、心はあるんだろうし)」
少しの間、フォスターは目を閉ざしたまま身動きしなかった。ウィルが大人しくフォスターの様子を見守るっていると、そのまま言葉を紡ぎ出す。
「……たとえ、今の人族たちが自分達の力で懸命に生きているのだとしても、私は緑龍のように再び人族を慈しむことは出来ないでしょう。彼等の心の奥底に強欲が存在することを知ってしまいましたからね。どうやっても……知らずに愛おしいんでいた頃には戻れないのです」
「……うん」
フォスターは閉じていた目を開き、慈しみ愛していたからこそ許せないこともあるのですと言葉を足して飲みかけになっていた紅茶を飲み干し、再び視線をウィルへ戻した。
「ウィル。私は、一度神界に帰ります。そうなると、ウィルにも龍の住処を出て貰わなくてはなりません」
「そう⋯⋯。ずっと居るわけには、いかないよね」
ウィルたちが暮らすのは、龍の住処。ウィルの師匠である最後の龍王と、その眷属である龍たちが暮らす世界。アルディニアとは隔絶されてしまった龍王の住まう大地。
「いずれアルトディニアで暮らすことになるウィルのために、色々とマジックアイテムを準備してあるのです。部屋から持ってきますから、待っていてくださいね」
ニコニコと笑顔を見せ、姿を消したフォスターに、ウィルは寒気を感じた。