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ヒカル-2ー

 懐のナイフを確認し、ヒカルは戸惑うことなく目的の孤児院に足を踏み入れた。

 大人数を殺すのはなかなかキツい。体力的にではなく精神的に、かなりの気苦労を要する。

 ただヒカルにとってのそれは、罪悪感や苦痛を抑えるためでなく、湧き上がる快感や興奮を抑えるためのものでしかなかったが。


-っ…やっべ…

 案の定、十人ほど殺したところでしんどくなってきた。

 ぞくぞく、ぞくぞくと、脊髄を直に舐めあげられるような痺れが襲ってくる。

 依頼を遂行しようとする上半身が、本能のまま暴走しようとしている下半身を、必死で抑えている。


「…ふう……」

 その部屋にいた最後の子供を刺し、ヒカルは額についた返り血を手の甲で拭った。

 いつの間にか汗だくになっている。冷めやらぬ興奮を何とか落ち着け、ヒカルは血にまみれた床をひたひたと歩き始めた。

-確か…

 部屋の隅の扉を開けると、職員の宿直室のようで、男性物の衣服が多数見られた。もちろん、下着も。ヒカルは心底安堵して、ほっと息をつく。


 ぬるりとした不快感は、返り血の飛ぶはずの無い下着の中にまで及んでおり-わざわざ見なくとも、中の惨状は想像できた。

 つまりはそういうことである。


 と、まだ仕事は終わっていない。帰りの衣服の心配が無くなり、返り血による衣服の汚れも、生理現象による下着の汚れも、気にする必要が無くなった。ヒカルは躊躇なく、次の部屋への扉を蹴破る。


               ☆


 着替えを済ませ、黒いゴミ袋に脱いだ下着や衣服をまとめて入れ、ヒカルは孤児院を後にした。

 丁度今日は、この近隣の地区の粗大ゴミの日だ。歩き始めて三つ目の電柱の根元に、ヒカルはゴミ袋を投げた。裏社会と表社会は互いに影響を与えないように動いているが、さすがに身元が特定できるものを現場に残すのは気が引ける。特に、体液が大量にこびり付いた物など、裏表云々の前に恥ずかしくて置いていけない。


 ここまではいつものように何事も無く進み、ヒカルはその足で事務所に報酬を貰いに行こうとしていたのだが-その時、予定外のことが起こった。


「兄ちゃん、これ、何捨てたの?」


 背後からかけられた声に、ヒカルは緩慢な動作で振り向いた。声をかけてきたのはヒカルと同い年ぐらいの青年で、真っ赤な髪が目を惹く。ニコニコと人当たりの良い笑顔を浮かべ、ゴミ袋のすぐ前に立っていた。

「…いらなくなった服だよ。」

「へぇ。ねえねえ、俺、貧乏でさ。今、服がめちゃくちゃ欲しいんだ。これ、貰って良い?」

「…やめとけ。長いこと洗濯してない服ばっかだぞ」

「良いよ、洗うから」

「……それ、生ゴミも一緒に入れてるんだよ。やめとけ」

 奇妙な青年だ。警戒心を隠そうともせず、ヒカルは差しさわりの無い言葉を紡ぐ。

「え、ダメじゃんそんなことしたら!分別しなきゃダメだよ。俺の知り合いの兄ちゃんは、チョコレートの包み紙までちゃんと分別するのに」

「…知らないけどさ。どうでもいいでしょ?分別とか、その程度のこと」

「あとさ」

 青年は何が可笑しいのか、ニコニコ、ニコニコと笑い続ける。

 そしてその笑顔のまま、その言葉を吐いた。


「このゴミ袋、すっごい臭いんだけど。鉄臭くて、イカ臭いよ。何が入ってるのかなぁ?ねえ?兄ちゃん」


 次の瞬間-青年の首元へ薙いだナイフは、空を切った。

「-!」

 ヒカルは驚いて目を丸くする。普通の人間には目にも止まらないスピードで、一気に間合いを詰めて切り裂いたつもりだった。が、紙一重で青年は避けている。


「-びっくりした?」

 それでもやはりかなりギリギリだったようで、不敵に笑った青年の頬を一筋、冷や汗が伝っていく。

「…お前、何なんだよ。俺に何の用だ?」

 反射的に二撃目を繰り出そうとする左手を抑え、ヒカルは今度は、青年を真正面から睨みつけた。

 ゴミ袋に文句をつけてきたことといい、今の一撃をかわしたことといい、ただ者ではないだろうし、何らかの用があるに違いない。


 ヒカルの手が止まったのを見て、青年は短く息を吐いた。随分前から-おそらくヒカルに声をかけてきた時から、緊張状態だったのだろう。彼の中の張りつめた糸がわずかに緩んだのを、ヒカルは感じた。


「…俺は、カスト。Dって業者と正規社員契約してる殺し屋だよ」

 依然、カストと名乗った青年の笑みは崩れない。同じ緊張した面持ちでも、口元が緩んでいるのといないのとでは、相手に与えるプレッシャーが全く違う。

-見事なもんだな。これがプロってやつか。


 相手が本名を名乗っているかは定かではない。が、様子を見るに、青年-カストは丸腰のようだ。そんな状態で、正面から嘘をつくということもあるまい。

 そう考え、ヒカルは左手に持っていたナイフを懐にしまった。身にまとっていた殺気や警戒心も、最小限に抑える。

「…信用してくれた?」

「自惚れんな。殺すか殺さないか決める前に、話を聞いてやる気になっただけだ。」

「…ありがと」


 そうは言っているものの、ヒカルがナイフをしまったことにカストはかなり安堵したらしい。再び糸を緩めたのが見て取れた。


「で、何の用か、だったよね。…実は俺、お前をスカウトしに来たんだよ。」

「…スカウト?」

「そ、スカウト」

 

訝しげに表情を歪めたヒカルに、カストは軽い調子で続ける。

「俺がDっていう業者と正規社員契約を結んでるってのは、さっき言ったよね。そのDが、この度社員を増やしたいって言っててさ。色んなところから、実力派の殺し屋を集めてるんだ。」

「…で、俺もその社員の候補に選ばれたっていうのか?」

「ま、そういうことだね。」


 クッ、と喉の奥で笑い、ヒカルはニイと笑みを浮かべた。

「…嫌だね」

「!どうして」

わずかに驚いた様子のカストに、ヒカルは眉を下げる。

「どうして?今、この環境が心地良いからに決まってるだろ?表と裏の境界線を、フラフラ渡っていくような…このスリルが、俺は大好きなんだ」

「…ウチでも、そんなスリル満点な仕事を提供するよ?」

「だぁから、嫌だって」

「お願いだって!お前しかいないんだよ。何か対価が欲しいなら、善処するからさ?」

 追い払うように右手を振っていたヒカルだったが-、カストのその言葉に、笑みを消した。


「……お前が、俺の願いを聞いてくれるなら、話は別だけど?」


「!本当か!?」

 パッと目を輝かせたカストに、ヒカルは眉をひそめて笑う。

「ああ、もし俺の願いをかなえてくれたら、お前でもDってやつでも、何でも言うこと聞いてやるよ。」

 ヒカルの笑みは、カストに少なからず嫌な気配を感じさせた。が、スカウトの成功という餌をぶら下げられているため、彼は素直にうなずいた。

「よし、聞こう。何だ?何がお前の望みだ?」


 カストの言葉に、ヒカルは今までにないほど純粋な『喜び』を、その顔に浮かべた。

 元々の顔立ちが美しいためか、禍々しい殺気と瑞々しい感情がそうさせるのか。見惚れそうになるような、艶やかな笑みだった。



「俺を、殺してくれ。」

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