ヒカル-1-
『人が人を殺すのは、生きていくためだ。殺人の理由に、それ以上も以下も無い。』
目の前の男の首を切り裂いた時、ヒカルの脳裏にその言葉が浮かんだ。誰の言葉だったか。
振り抜いた左腕から、血の付いたナイフをそのまま右手に持ち替え、男の後方にいた女の左胸を突いた。寝かせた刃は肋骨の間をぬって、心臓に達する。返り血がかからないよう、後方に飛びながらナイフを抜いた。
あまりにもあっけなく消えた二つの命を見て、ヒカルは全身に鳥肌が立つのを感じる。
-っとと、いっけね。
ゾクゾクとした感覚に身を浸しそうになり、ヒカルは慌てて足に力を入れた。
悦に浸っている間に人に見られ、仕方なくまた殺す、という連鎖を繰り返してしてしまうのは、自分の悪い癖だ。
☆
裏と表が交わりそうなほど近づいた街の一角に、その事務所はあった。規模は小さいが、ハイリスクローリターンな仕事が多く回ってくるため、不良上がりのゴロつきが新人の殺し屋として多く雇われている。
そんな事務所で、ヒカルは一番の稼ぎ頭だ。
「依頼、成功した。金」
事務所を訪れたヒカルは、所長のデスクの前に立つなりそれだけ吐いた。
対する所長もいつものように、ヒカルの態度に対して文句を言うどころか返答をすることも無く、引出しの中から無造作に札束を取り出し、デスクの上にポンと放った。
慣れた手つきで枚数を確認したヒカルは、にやりと笑って「確かに」と呟き、そのままデスクに背を向ける。
「ヒカル」
と、その時初めて、所長が口を開いた。ヒカルの足が、ぴたりと止まる。
「新しい仕事が入ってる。いけるか?」
振り向いたヒカルの口が、三日月形にかぱりと開いた。
「相も変わらず、気持ち悪い奴っすね…」
所長のデスクのすぐ隣にデスクを構える社員の一人が、ヒカルが出て行ったのを確認して忌々しげに呟いた。
「…それでもウチの稼ぎは、あいつの仕事で成り立ってる」
「…そりゃそうっすけど。」
口をとがらせた社員は、不気味な笑みを浮かべ、嬉々として依頼を受けた青年を思い出す。
まだ成人しているかいないかという風貌の彼は、ライトな茶髪と透き通った緑色の瞳、恐ろしいくらい白い肌に整った顔立ちをしていて、ただその美しい目の下に黒々と刻まれたくまが、殺し屋らしい異質さを出していた。
ハーフや日系外国人ではないのか、という噂は絶えないが、ヒカルの出自は完全に不明である。数年前、突然事務所に契約を持ちかけてきたかと思えば、あっという間に稼ぎ頭にまで上り詰めたという、奇妙な青年だ。
が、その仕事は丁寧かつ迅速で、失敗は無い。かといって事務的にこなしているわけでもなさそうで、依頼を受ける時は気味が悪いくらい嬉しそうにしている。
「…ありゃあ、快楽殺人者っすね。」
☆
歩きながら依頼内容を確認し、ヒカルは内心ため息をついた。
-またか。
最近、女子供を殺す依頼がやたらと多い。
が、ヒカルがうんざりしているのは、女子供を殺したくないからではない。
-なんでみんな、そんなに腰抜けなんだろう。
-大人の男の方が、絶対に力は強いし、抵抗してくることも多いのに。
彼はただ単に、女子供を殺せない他の殺し屋に呆れているだけだ。
女子供が殺せない理由はやはり、『可哀想だから』というものなのだが-ヒカルには、彼らの言う『可哀想』が分からない。言葉の意味としては理解できても、心情として感じることはできないのだ。
そのため、力が劣るはずの女子供が殺せないことは、ヒカルにとって奇妙なことでしかなかった。