在栖-1-
絶えず水分を必要とする人類にとって、これ以上に素晴らしい発明があるだろうか。
百円玉と十円玉を自動販売機に投入しながら、在栖は思った。黄色い炭酸飲料の下の、赤く光るボタンを押す。
ガタコンと落ちてきたペットボトルを取り、在栖は脇に止めてあったいかめしいバイクへ歩み寄り、横から腰かけた。キャップをひねると、プシッと小気味良い音が漏れる。
バイクに腰かける童顔な彼を、周囲は訝しげな目で見る。だが当の在栖は、そんなことに気付いてもいないように、ペットボトルの飲料を飲む。酷い時は中学生にも間違えられるが、在栖は今年で十八になる。二輪の免許も取得済みだ。
と、これも在栖にとってはいつものことなのだが-彼に目を向けた人間は、例外無くすぐに違和感に気付き、目をそらして足早に去っていく。
違和感の正体は、在栖の目である。彼の目は、丁度彼が飲んでいる炭酸飲料と同じように、黄色かった。大きな二重瞼の中には、真っ白な白目に浮かぶ、大きな、真っ黄色な瞳。もちろん、カラーコンタクトなどは付けていない。生まれつき、ガラス玉のように透き通った黄色い瞳なのだ。
ただ、在栖にとっては、自分の瞳も周囲の人間もどこ吹く風。全く気にならない。ただゆったりと、炭酸のチクチクとした喉越しを味わっていた。
と、そんな在栖ののんびりとした時間を邪魔したのは、ヘッドホンから聞こえたけたたましい着信音だった。わずかに目を細め、しぶしぶ携帯を取り出し、聞いていた洋楽を止める。着信画面を見るも、相手は知らない番号だ。
「…もしもし。お探しの物はなんですか?」
『……お前が、アリスか?』
緊張した様子の男の言葉に、在栖は否定も肯定もせず、ただ淡々と問う。
「お探しの物は、なんですか?」
『お探しの物』というのは、在栖が使う隠語である。どんな種類の仕事でしょうか、という意味だ。
『…ハンプティ・ダンプティを、探してもらいたい』
「分かりました。では今から十分後に、今あなたがかけている番号の、5を7に変えた番号にかけてください。詳しい話はその時にお聞きします。」
『5を、7に?』
「では」
まだ不安そうな相手の声を無視し、在栖は通話を切った。
『ハンプティ・ダンプティ』は、落ちて壊れた卵。これも隠語で、特定の人物の暗殺、という意味である。
在栖は、殺し屋である。
特定の仲介業者との契約は結んでおらず、依頼は、裏社会の情報屋だけが知っている彼の携帯に直接来る。依頼の時に必須となる隠語も、その情報屋しか知らない。
つまり、それなりの金と覚悟を持ったものしか、依頼はできないのだ。そのため、素人によくある契約違反に、在栖は遭遇したことが無い。
先ほど電話の男に言った番号は、在栖の持つ二つ目の携帯-スマホの番号である。携帯からヘッドホンのコードを引っこ抜き、ポケットから取り出したスマホに、そのプラグを差し込む。
と、携帯の方に、メールが着た。そろそろ来る頃だろうと思っていたため、在栖は素早くその内容を確認する。
メールは予想通り、情報屋からの、依頼人の情報だった。在栖は仕事の度、自分の携帯番号と隠語の情報を買った人物の情報を、料金後払いで買っているのだ。情報もそこそこに値が張るが、業者と契約して毎回抜き取られる仲介料に比べれば、安いものだ。
依頼主は、無名の殺し屋だった。それも、ついこの間裏社会に入ったばかりの人間で、在栖はわずかに眉をひそめた。
-面倒そうだ。
思っている間に、今度はスマホが着信を告げた。携帯画面を片手に見たまま、在栖は通話ボタンを押す。
「…もしもし。」
『あの、私だ。さっき連絡した…』
「分かってます。では、標的の情報、そちらからの報酬額の希望をおっしゃってください。」
『あ、ああ…』
ペラペラと、紙をくるような音が聞こえる。
『標的は、Dという男だ。裏社会の仲介業者の一人で、常に中国服をまとっているため、中国人という噂がある。痩身に中背、顔は…常に前髪で目が隠れていて、知っている者はいない。…このくらいでいいだろうか?』
「事務所の場所、専属契約を結んでいる殺し屋などは?」
『ああ、えっと…事務所は都内のRビル七階。ワンフロア全て貸し切っているらしい。専属契約を結んでいるのは、有名な殺し屋では、ニイガタ、メグル、ヒカルあたりだ。』
「!ニイガタ、メグル、ヒカル、ですか…」
思わず携帯を閉じた。わずかに目を見開き、在栖は呟くように、男の言葉を反芻する。
有名、などというレベルではない。男が述べた三人はみな、裏社会で、生ける伝説として畏れられている人物たちだ。
まだこちら側で暮らし始めて日の浅い男は、在栖の驚きに気付かない。
『で、報酬希望額は……百五十万、でどうだ?』
「…百、五十…?」
丁度飲み終わっていた炭酸飲料のペットボトルが、在栖の手の中でパキュリ、と潰れた。逃げ場の無くなった空気が、キャップを飛ばして出ていく。
『ふ、不満か?』
「あなたが」
在栖の目が、揺らめく。常に無表情を崩さない彼の口元が、歪な笑みの形をとった。
「あなたがこちら側に来て、いくらで仕事を取っているのか知りませんが…その程度の額では、俺は動けません。最低でも、『0』をもう一つ増やしていただかないと」
『さ、最低でも…!?』
「何かご不満がおありでしょうか?」
酷く狼狽えた相手の声に、無表情に戻った在栖はあくまでも淡々と返す。
別に、血眼になって仕事を取る必要は無いのだ。男に言ったような金額を、常に報酬として受け取っている在栖には、一生遊んで余るほどの貯蓄がある。
そんな在栖の内心を、その口調からわずかに察したのだろう。男は慌てたように、『分かった!』と叫んだ。
『支払う、支払うから…!だからお願いだ、Dを…』
「では、報酬は一千五百万円で、よろしいですね?」
『…ああ、構わない…』
「では」
在栖の表情は、変わらない。手帳を取り出すと、肩と頬の間に器用にスマホを挟み、さらさらと書き込んだ。
「現在、午前十時二十分…十一時までに、情報屋から俺の番号と一緒に教えられた口座へ、前金五百万円を振り込んでください。入金が確認でき次第、今日中には片付けます。明日以降、依頼完遂が確認できたら、後金一千万円を同じ口座に。…ただし、後金の振り込みは明後日までにお願いします。明後日午前零時の段階で入金が確認できなかった場合、契約違反として依頼人の抹殺を行います。」
事務的にスラスラと、だが聞き取りやすいように言い切ると、在栖は手帳をぱたりと閉じた。
「了承、してくださったでしょうか?」
『あ、ああ、了解した。じゃあ、頼んだぞ』
「かしこまりました」
通話を切ると、スマホと携帯をしまった在栖はヘッドホンを取り、コードを巻いて、荷台に積んであった巨大なカバンの中に無造作に突っ込んだ。潰したペットボトルを、自販機の横にあるゴミ箱に捨てる。
-さて。
一つ、息をつく。ハンドルにかけていたフルフェイスのヘルメットを手に取り、被ると、愛車に鍵を差してエンジンをふかした。