ヒカル-4-
「ヒカル、お前はクビだ」
その言葉の音がヒカルの耳に、意味がヒカルの脳に届くまで、数秒を要した。
「…え?」
ぱかりと開いた口から間の抜けた一文字だけを発したヒカルに、所長はいつもの無表情のまま、同じ言葉を繰り返す。
「だから、お前はクビだ。もう来るな。退職金はこれで十分だろ」
そう言って厚みのある封筒をデスクに放った所長は、話は以上だとばかりにヒカルから視線を外した。
対するヒカルは、何が起こっているのかを必死で考え-理解できた瞬間、脊髄反射で目の前の所長のデスクに飛び乗った。そのまま上司の襟を締め上げる。
「…どういうことだよ、ちゃんと説明しろ」
鬱陶しそうに眉をひそめ、だが所長は、殺気を振りまくヒカルの目をしっかりと見返して告げた。
「…お前、仕事の途中でかち合った他の業者の殺し屋、殺しまくっただろ。残念ながら、同業者殺しに居場所なんて無い。これ以上ここにいられると、うちの従業員全員が迷惑する。早く出ていってくれ。」
「…俺に、どこに行けって」
「さあ?知ったことか。どこか他の業者に拾ってもらったらどうだ?まあ-」
呆然としたヒカルの拘束を払いのけ、所長は襟を正しながら、冷たい視線を射抜くように投げつける。
「同業者殺しを雇うような業者が、あるとは思えないが」
☆
雨が、降っていた。沈み込んだヒカルの気持ちを、浮き上がらせまいとするように、激しい雨が。
頬を次々に流れゆく雫を拭おうともせず、ただ呆然と、ヒカルは歩いていた。
あの後、色々な事務所を渡り歩いてみたものの、その全てがヒカルによる被害を受けていて、入口で追い返された。
-どうすれば。
-今さら表の世界に戻るなんて不可能だし。
-でももう、俺を雇ってくれるとこなんて、無い…
ふと、雨の中、真っ赤な傘が見えた。
「よう、どうしたんだ?」
がちり、と歯ぎしりの音が耳に届くのと、足が地を蹴ったのが同時だった。
ナイフを抜くような精神的な余裕は無かった。左拳を固め、力の限り振り抜いた。
パツンッ、と肉と肉のぶつかり合う音がした。
受け止めた青年-カストの足が、衝撃でわずかに滑る。
濡れそぼったヒカルは、力尽きたように膝から崩れ落ちた。
へたりと座り込んだヒカルに、カストはしゃがみこみ、赤い傘をさしかけた。
「お前の…っ…お前の、せいだ…っ!」
俯いた頭の下から、泣き声が漏れてくる。
「…なんで、俺のせいなの」
「…っお前が、何かしたに決まってる…っ!絶対、絶対そうだぁ…!」
「…」
「…俺から、居場所、奪いやがってぇ…!絶対絶対、絶対に許さないんだからな…っ!」
うう、えっぐと泣くヒカルに、カストは心底驚いていた。
-こいつ、こんな奴だったっけ?
-でもまぁ、居場所無くなっても平然としていられるような奴だったら、俺の計画は潰れてたわけだし。
-ラッキーだな。
絶望に叩き落として、甘い誘惑で救い上げ、堕とす。
赤い悪魔は、優しく微笑んだ。
「………ごめんって。でも、俺もDも、そのぐらいお前がほしいんだよ。分かってくれよ。な?」
優しいカストの声に顔を上げたヒカルの顔は、涙のせいか雨のせいか、ぐしゃぐしゃに濡れていた。潤む緑の瞳は透き通り、その長いまつ毛には大粒の水滴が溜まっている。感情が溢れだしたためか紅潮した肌が、その青年に本来あるべき生気を戻している。
拾ってもらえる期待に一瞬その目を輝かせたヒカルだったが、すぐにそっぽを向く。
「…約束、守ってくれてないから、ヤダ」
「…ん?え?」
「お前のとこと、契約はしない」
「………え?」
ぽかんとするカストに、ヒカルは拗ねたように口を尖らせる。
「俺を、殺してくれる、約束…まだだから」
「ああ」
そんなことか、とカストはへらりとした笑みを浮かべる。
「もう殺したじゃねぇか。」
「…はぁ?」
「だから、『社会的に』裏でも表でも、お前は死んだだろ?な?」
「…」
唖然とカストを見上げるヒカルの顔に、吹き出しそうになるのを堪えながら、カストは訊ねた。
「どうだ?楽しかったか?」