城ヶ崎姫乃と少年
城ヶ崎姫乃は、自分の名前が嫌いであった。
「ジョウガサキ……ヒメノ、です」
転校初日の自己紹介。
姫乃にとっては苦痛の時間以外のなにものでもない。
理由は、じきにわかることである。
「聞いた?姫だってよ。あのナリじゃあ、姫って言うよりも王子だよな」
「くくっ……おまえ、そりゃ失礼だって!」
数人の男子生徒が、姫乃を横目にそんなことを話している。
それに姫乃は「またか」と思う。
もう何度もこの経験はしているのだ。
転勤族である父を持つ姫乃は、転校するたびに同じようなことを言われ続けていた。
それはなぜか?
答えは簡単である。
「おーい、静かに!騒ぐなよー」
担任教室である口中聡(くちなか さとし)が、生徒たちに声をかける。
まだヒソヒソと姫乃を見ながら話す生徒もいたが、もうなにも気にしないことにした。
「じゃあ、城ヶ崎。みんなになにか一言頼むな」
口中が、にっこり笑って姫乃を見たが、姫乃は口中の顔すら見ようとはしなかった。
キリッとした、少しキツめの印象を受ける目元。
わりと整った顔立ちだが、口元は固く閉ざされ、まるでなにかを睨んでいるような目をしていた。
黒髪のショートヘアで、化粧気もまったくと言っていいほどない。
女の子らしい雰囲気は、姫乃からは微塵も感じることができなかった。
姫よりも王子、と言われたことについて否定ができないことも、姫乃はわかっていた。
「……城ヶ崎?」
口中の声に、ようやく姫乃は視線を合わせた。
強い瞳に、口中は少しひるんだような表情になった。
それを気にせず、いまだざわつく教室を見回して姫乃は言い放った。
「…………あんたら、うざい」
姫乃の一言に、教室の気温がサッと下がったような気がしたのは、間違いではないような気がした口中であった。
*****
昼食の時間になっても、だれも姫乃に話しかける者はいなかった。
どうやらだれもが姫乃のことを少し警戒しているようだった。
だが、これは姫乃の想定通りであり、姫乃からすればこの現状はとても心地よいものとなっていた。
せっかく天気もいいことだし、ということで、姫乃は屋上で昼食をとることに決めた。
どうせだれからも相手にされないのだ、身勝手に動いてもだれも文句は言わないだろう。
と、思っていたのだが。
「おい、そこの女子」
ふいに、声をかけられた。
と言うことは、同じクラスではない人物なのか。
仕方なく姫乃は振り返り、声の主の方を向いた。
すると、そこにいたのは、まるで女の子のような顔立ちをした男子生徒であった。
くっきり二重に、大きな瞳。
鼻筋も通っており、可愛いとも美人ともとれる端麗な造りをしているルックス。
どこかのアイドルグループにいてもなんら違和感のなさそうな少年だった。
そんな少年を、姫乃はなぜか「初対面ではない」と思ってしまった。
会ったことはないはずだったのだが……
そんなことをぐるぐる考えていると、少年は「ああ」といった表情になって、にかっと笑った。
「なんだ、城ヶ崎姫乃か」
「……は、」
あっさりと名前を呼ぶ少年に、姫乃は驚いてしまう。
やはり知り合いなのか?いや、転校したてでそんなはずはない。
「どうした?黙って……具合でも悪いのか?」
少年は、姫乃のことを気にかけるように見てくる。
少々面倒ではあるが、会話をしなくては。
「……なんで私のこと知ってんの」
冷たい声音は昔からの癖だ。
しかし、少年はまったく気に留める様子もなく、にこにこしながら言った。
「なんでって、おれはおまえと同じクラスだからだが?なにかおかしいか?」
「え……」
なんと、この少年は姫乃のクラスメートであると言う。
では、自己紹介のときも教室にいたわけで。
あんなスーパードライな発言を聞いていたのにも関わらず、輝くばかりの笑顔で姫乃と話をしているのだ。
これには姫乃も多少、面食らってしまう。
「おれはこういう者だ。以後よろしく頼むぞ」
少年は、一枚の名刺を姫乃に渡してくる。
なんとなく受け取ったそれには、
【正義発展途上委員会・代表 一梓】
そんなことが書いてあって。
その、もうツッコミ所しかなさそうな名刺を見て、姫乃は眉間にしわを寄せた。
委員会のこともそうなのだが、むしろ名前が読めない。
「……これ、」
「あああああああああ!!兵頭!おまえまた体育館のカギ私物化しているらしいな!」
「げっ!ニノだ!」
「そうだよニノだよ!悪いかコノヤロー!」
「逃げろ!!」
「逃がすか!!あ、姫!屋上に行くなら眼鏡に『先に食べておけ』と伝えてくれ!それじゃあ!」
「…………え、な、なに……?」
質問をしようとした直後、一瞬の出来事だった。
なにやら不正を犯している生徒がいたらしく、なぜかそれを『ニノ』とか言われたこの少年が追いかけて行ってしまった。
しかも、謎の言伝を姫乃に託して。
残された姫乃は、
「なんなの、あいつ……」
ただただ、不思議に思うことしかできなかった。
この出会いが、のちに姫乃の生活そのものを劇的に変えてしいまうとも知らず、姫乃は怪訝な顔をしたまま屋上へと足を進めるのだった。