第7話「輸送船と宿敵」
*強者は弱者を必要としない。*
>*弱者は強者を必要とする。*
>*これが秩序の根拠である。*
>――北条氏胤、プロ試験合格時のコメント(一部)
第7話「輸送船と宿敵」
波を切り裂く重低音が、鉄の甲板を通じて足裏に伝わってくる。
エジプトが指定した黄金の城へと向かう輸送船は、プロリーグの祝祭感など微塵もない、無機質な軍艦のようだった。湿った海風がハルトの頬を叩く。
ハルトは甲板の隅で、トランクを強く抱きしめていた。昨日までそこにあった普通の朝は、もうない。祖父の作る味噌汁の匂いも、節くれだった手の温もりも、エジプトという男の光に飲み込まれて消えた。今手の中にあるのは、冷たい鉄の重みと、懐で沈黙を守るメダルだけだ。
「ハルト、お前も来たのか」
振り返ると、藤堂リクが立っていた。プロの徽章が光り、《スライプニル》が傍らに控えている。だが整ったその顔には、隠しきれない疲労が滲んでいた。
「……当然だろ。じいちゃんを連れ戻しに行く」
「……そうか。当然だな」
リクの視線が泳いだ。ハルトの目を見ようとしなかった。
「気をつけろよ、ハルト。ここから先は、もう試験じゃない」
短い言葉だけを残し、リクは足音を立てずに船内へ消えた。
一人残された甲板で、ハルトは視線を感じた。
船尾の柵に寄りかかり、荒れる海を眺めている人影。二十代前半。灰色の作業着を無造作に纏った女性だった。風にたなびく髪の隙間から、その手が見えた。油が染み込み、数えきれないほどの火傷や切り傷が刻まれた、職人の手。
彼女がゆっくりとトランクへ視線を移した。
「……それ、水前寺の爺さんのだろう」
低く、落ち着いた声だった。ハルトが問い返す前に、彼女は一歩踏み出し、ヴィンテージ機の装甲を覗き込んだ。
「……本物だ。まだ、鼓動が死んでいない」
「あんた、誰だ? なぜじいちゃんを——」
「セナだ。ただの修理屋だよ」
それ以上何も語らず、ハルトの横を通り過ぎた。去り際の呟きだけが、波音に混じって残った。
「特異点か……」
胸騒ぎを覚え、ハルトは船内の深部へと足を進めた。
照明の落とされた通路の角。扉の隙間から、聞き覚えのある声が漏れてきた。
「——皇龍の機体データを、直ちにメインサーバーへ同期させろ」
北条氏胤だった。傍らに更生局の技術者が控え、端末を叩いている。
「試験での敗北は……誤差だ。誤差に過ぎん」
一瞬だけ、氏胤の言葉が止まった。それから続けた。「あのヴィンテージ機の波形は記録した。皇龍の次世代OSにそのアルゴリズムを組み込めば、私の計算に穴はなくなる」
(将軍のデータを、奪うつもりか)
ハルトは壁に身を押しつけたまま、動けなかった。何かを言うべきだったかもしれない。しかし声は出なかった。扉の向こうで、端末を叩く音だけが続いている。
『間もなく、目的地へ到着します』
艦内放送が流れた。ハルトは甲板へと戻った。
目の前に現れたのは、闇夜に浮かぶ絶海の孤島——「からくりキングダム」。
島全体を包む電磁障壁が、白銀の光を放っている。氏胤の《皇龍》と同じ、冷たく拒絶するような色だった。海岸線からは幾筋ものサーチライトが、獲物を探す獣の目のように海面を舐めている。
ハルトは懐のメダルを握りしめた。かすかな温かさ。将軍の気配か、それとも恐怖への共鳴か——判断できなかった。
「じいちゃんを、必ず取り戻す」
誰にでもなく、自分に言い聞かせるように呟いた。
ヴィンテージ機の歯車が、ただ一度、重く低く唸った。




