第4話「黄金の一振り」
>*規格外の出目は、存在しない。*
>*測定誤差として処理される。*
>――競技規則第十七条、異常値の取り扱いに関する規定
第4話「黄金の一振り」
公式戦の開始を告げるブザーが鳴った。
演習デスクを挟んで立つ氏胤は、依然としてハルトを見ていない。彼の視界にあるのは盤面と、そこに展開された《皇龍》の軌跡だけだ。
「……まだ立つか。端数」
「当たり前だ。端数だろうがなんだろうが、ここに立ってるのは俺だ」
震える手でレバーを握り直す。
氏胤が言った。「弱者がこの盤上に上がることは、強者への侮辱だ。そして私の計算への冒涜だ。完璧な計算が負けることはない——それがこの世界の唯一の正義だ」
《皇龍》が白銀の軌跡を描いた。
計算され尽くした死角。どこへ動いても、そこにはすでに氏胤の論理という網が張られている。右も、左も、逃げ場がない。ヴィンテージ機の歯車が火花を散らし、装甲が悲鳴を上げた。
「チェックメイトだ」
ハルトの思考が白く濁る。
どれだけ機体と対話しようとしても、ルールの壁が、氏胤という絶望がのしかかる。
(一〇でも届かない。どこへ動いても——届かない)
(……無理だ。じいちゃん、俺には無理だよ)
右手の力が、ふっと抜けた。
ダイスが、指の間から滑り落ちようとした。
——ドクン。
懐のメダルが、物理的な衝撃を伴って拍動した。
沸騰した何かが、胸から右腕へと流れ込む。ハルトは反射的にダイスを握りしめた。熱い。手放せない。
『……貴様の意志が「一」あるならば、我はそれを「万」に変えよう』
古い鐘を叩いたような残響が、頭の中に直接響いた。
その言葉の意味が、今のハルトには分からなかった。
ただ——頼む、という気持ちだけがあった。
「……頼む」
黄金のマブイが腕を伝い、ヴィンテージ機へと流れ込んだ。錆びた歯車が、かつてない速度で回転を始める。キィィィィンという高周波の駆動音が、静寂な会場を切り裂いた。
ハルトの手が、ダイスを放った。
黄金の尾を引いて、盤面を駆ける。
氏胤の目が、初めて見開かれた。「ダイスの挙動が計算不能に……ありえない、そんな加速度は存在しない」
盤上の中央で、ダイスが静止した。
『三〇』。
「三、十——ダイスの上限は十のはずだぞ!」試験官が椅子から立ち上がった。
ヴィンテージ機から黄金の衝撃波が放たれた。完璧な包囲を形成していた《皇龍》が、嵐に飲まれた旗のように盤外へと吹き飛び、壁に激突した。破砕音とともに、白銀の装甲が砕け散る。
「…………な」
氏胤の手が、かすかに震えていた。完璧な計算が、理解不能な一撃によって更地にされた。その手が、震えていた。
ハルトは肩で息をしながら立ち尽くしていた。
右腕から熱が引いていく。頭の中の重厚な声も、潮が引くように遠ざかっていく。
『……器としては、まだ、不格好だな……』
「待て……今の、誰だ」
答えは返ってこない。ヴィンテージ機が、微かな余熱を持って唸っているだけだ。
目の前には、盤外に沈んだ《皇龍》と、静まり返った試験会場。
ハルトは勝った。
しかし顔に歓喜はない。何が起きたのか分からないという戸惑いと、メダルのかすかな冷たさだけが残っていた。




