第3話「二次会場・殺気の盤面 」
>*プロ試験二次審査の平均通過率:一二・三パーセント。*
>*残りの八七・七パーセントは、より豊かな人生へと導かれる。*
>――更生局・広報資料「敗者のいない競技へ」
一次試験の喧騒が嘘のように、二次試験会場の空気は凍てついていた。
養成所の地下深く、外光を一切遮断した巨大な演習場。黒い石材の床は足音を吸い込むように滑らかで、ハルトは思わず踏み出す足を躊躇った。
一次を突破した者は、当初の十分の一にも満たない。残っているのは最新鋭機を従え、自らの数値に絶対の自信を持つ者たちだけだ。
その時、首筋に刃を突きつけられたような感覚が走った。
会場の中央、指揮官用の演習デスク。そこに一人の少年が立っていた。ハルトを見ていたわけではない。ただそこに立ち、眼下の受験生たちを一瞥しているだけだ。それだけで、ハルトの肌が焼けた。
北条氏胤。北条重工の御曹司であり、今大会の最高数値保持者。
「……五〇〇五か」
氏胤が口を開いた。声は静かで、しかし会場の隅々まで染み渡る冷徹な響きを持っていた。彼はゆっくりと歩み寄り、トランクを一瞥した。
「なぜここにいる」
「試験を受けに来た。お前と同じようにな」
「このフィールドは、五〇〇〇以上の数値を持つ者が立てる場所だ。だが——数値と実力は別物だ。貴様のような端数は、最初から存在を誤っている。そのガラクタと共に、計算式から消えろ」
怒りが湧くよりも早く、ハルトは圧倒されていた。
氏胤の背後の機体——《皇龍》。北条重工の技術の粋を集めた銀色の機体は、ただそこに在るだけで周囲のマブイを吸い取るような圧を放っている。
「……やってみなきゃ、わかんねえだろ」
「試すまでもない。盤面は計算で支配できる。感情が入り込む余地はない」
氏胤は演習デスクのレバーを引いた。二人の間に仮想の盤面が展開される。二次試験前の「調整」という名目の、事実上の前哨戦だ。
《皇龍》が滑るように盤上へ進み出た。ハルトも慌ててヴィンテージ機を展開する。真鍮の歯車が軋み、重厚な金属音が響く。
「行け——!」
機体が望む方向へ、最小限のマブイを流し込む。ヴィンテージ機は巨体を震わせ、《皇龍》の側面を突こうと突進した。
直感。ハルトの唯一の武器だ。
だが、突進が《皇龍》に触れる直前、氏胤の指先がわずかに動いた。
《皇龍》は避けたのではなかった。あらかじめそこには誰もいなかったかのように、数センチの移動で突進の軌道から外れた。直後、ヴィンテージ機の脚部に打撃が叩き込まれる。
「ガッ……!?」
機体を通じて右腕に衝撃が走る。体勢を立て直そうとした瞬間、《皇龍》がすでに次の位置にいた。ハルトが「ここだ」と直感した場所に、必ずその先で待っている。
(読まれてる——全部)
もう一度だけ、ハルトは動いた。計算ではなく、体が先に動いた。軌道を途中で変える——そんな「ありえない動き」を、直感だけで試みた。
《皇龍》の対応が、〇・一秒だけ遅れた。
それだけだった。次の瞬間にはもう、ヴィンテージ機は盤外へ弾き飛ばされていた。
ハルトは床に膝をついた。右腕が痺れ、呼吸が乱れる。
氏胤が静止した《皇龍》の傍らで、初めて僅かに目を細めた。「……面白くない誤差だ」低く、独り言のように言った。それだけで、踵を返した。
「終わりだ。計算式から消えろ」
足音が遠ざかる。静寂が戻った。
ハルトは機体を抱きかかえた。傷ついた装甲、止まったままの歯車。
(あの〇・一秒は——何だった)
答えは出ない。しかし、何かがそこにあった気がした。計算でも、数値でもない——何かが。
「……クソッ」
その時、懐のメダルがドクン、と脈打った。
温かさを通り越した、熱だった。服越しに胸元を焼くような激しい主張。ハルトはメダルを握りしめた。
声はない。
しかしメダルの奥に、確かに何かがいる。氏胤の冷徹な論理とは真逆の、荒々しく咆哮を上げるような巨大な気配。
ハルトの指先から、震えが消えた。痺れていた右腕に、熱いものが逆流するように流れ込んでくる。
「……まだだ。まだ、終わってねえ」
ハルトは立ち上がった。
ヴィンテージ機の歯車が、メダルの熱に呼応するように、低く、重く唸り始めた。




