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からくりすごろく-将軍の覚醒-  作者: 水前寺鯉太郎
決闘者の夜明け

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第1話「五〇〇五」

マブイ測定値五〇〇〇未満の者は、本競技への参加資格を有しない。

五〇〇〇以上の者は、参加を「許可」される。

五〇〇〇と五〇〇五の間に、いかなる差異も存在しない。

――競技規則第三条、参加資格に関する規定

第1話「五〇〇五」


 朝、鼻腔をくすぐったのは、出汁の深い香りと味噌の柔らかな匂いだった。

 水城ハルトが重い瞼を持ち上げると、窓の外はまだ白んで間もない、薄い青色に包まれている。階下からはトントンと、規則正しいまな板の音が響いていた。

 「……腹減った」

 呟き、ハルトは寝癖を気にする様子もなく階段を下りた。

 一階は「水前寺模型店」の店舗兼居住スペースだ。作業台にはピンセットや半田ごて、名前も知らぬ精密部品が所狭しと並んでいる。その奥の、小さな食卓。そこがハルトの「世界の中心」だった。

 「起きたか、ハルト」

 コンロの前に立つ祖父・巌が、背中越しに声をかけてきた。

 「じいちゃん、早いな」

 「年寄りは目が覚めるのが早いんだ。さっさと座れ。飯だ」

 差し出されたのは、炊きたての白米と、湯気を立てる味噌汁。具は豆腐とわかめ。至極、普通の味噌汁だ。

 ハルトは無言で箸を取り、汁を啜った。身体の芯に温かさが染み渡っていく。

 「……美味い」

 「そうか」

 巌も向かいに座り、自分の分を啜る。沈黙が流れる。しかし、それは気まずいものではなかった。

 「今日だったな。マブイ測定」

 巌がふと言った。ハルトは箸を止めた。

 「ああ。学校で一斉にやるんだ」

 「プロを目指すなら、避けては通れん道だ」

 「わかってるよ。でも、どうせ五〇〇〇ギリギリだって。俺、直感派だしさ」

 「うるさい。数値が人生の全てだと思うなよ」

 巌はそれだけ言って、また汁を啜った。ハルトは「そうだよな」と思いながら、胸の奥にある「プロ」という光への渇望を、味噌汁と一緒に飲み下した。

 学校の講堂は、熱気と緊張に包まれていた。

 中央に鎮座する最新鋭の「マブイ測定器」。巨大なレンズが受験生の眼球をスキャンし、魂の出力値——マブイ値を弾き出していく。

 「次、藤堂リク!」

 名前を呼ばれ、ハルトの幼馴染のリクが教壇に上がった。数秒の静寂の後、電光掲示板に巨大な数字が踊った。

 『六二〇〇』

 講堂にどよめきが走る。

 「さすがリクだな」「北条重工の推奨値を超えてるぞ」

 リクは照れくさそうに頭を掻きながらステージを下りた。ハルトと目が合って、片手を小さく上げる。いつも通りの、あいつの顔だった。

 「……次。水城ハルト」

 心臓が嫌な跳ね方をした。

 硬い床を一歩ずつ踏みしめて、装置の前に立つ。レンズが青い光を放ち、瞳を覗き込んでくる。視界が白く塗り潰され、脳の芯をなぞられるような奇妙な感覚。

 判定音が鳴った。

 『五〇〇五』

 一瞬、静まり返った。

 そして、誰からともなくクスクスという笑い声が漏れた。

 「五〇〇五……? プロの足切りライン、ぴったりじゃないか」

 「端数だな。誤差だよ、誤差」

 嘲笑が波のように押し寄せる。ハルトは「五〇〇五」という数値を一秒だけ睨みつけ、顎を引いて、足音を立てて講堂を出た。

 帰り道、ハルトは一人だった。

 夕暮れの商店街を歩きながら、自分の右手を見た。この手のマブイが、五〇〇五。プロの最低ラインに爪先一本で引っかかった数値。誤差。端数。

 叫びたい気持ちは、不思議となかった。

 あるのは、冷たい霧のような「悔しさ」が足元から這い上がってくる感覚だけだった。それをどこにぶつけていいか分からないまま、ハルトは模型店の扉を押した。

 夜の水前寺模型店は、昼間よりずっと静かだった。

 ハルトが工房の隅で膝を抱えていると、足音が響き、巌が現れた。手に重厚なトランクを持っている。

 「……数値、聞いたよ」

 「悪かったな、端数で」

 「馬鹿を言え」

 巌は静かにトランクのロックを外した。

 中から現れたのは、現代の機体とは似ても似つかぬ鉄の塊だった。錆びた装甲、剥き出しの真鍮の歯車、剥落した塗装。長い眠りについていた古の怪獣のような、無骨な存在感。指先に触れると、油と錆の冷たさが伝わってきた。

 「これは……?」

 「特異点だ」

 巌の短く、重い一言。

 「こんなガラクタが?」

 「そうだ、ガラクタだ。それでも、かつて世界を制した一台だ」

 巌はそれ以上語らなかった。トランクの底から古びたメダルを取り出し、ハルトの掌に押しつける。表面には、今は失われた古代の紋様が刻まれていた。

 「持っていろ。本当に行き止まりに突き当たった時、こいつが答えを出す」

 ハルトは戸惑いながらも、その重みを握りしめた。

 自分の部屋に戻り、ヴィンテージ機を抱えてベッドに潜り込んだ。

 鉄の匂いが鼻をつく。歯車が軋む。指先に残る油と錆の感触。現代の機体にはない、生きているような重さがそこにあった。

 掌を開き、メダルを見つめた。

 五〇〇五。その数値が自分の限界なのか。

 窓の外、月が雲に隠れようとしていた。

 その時、手の中のメダルがわずかに熱を持った。

 生命の鼓動というには弱すぎる。しかし、ただの金属ではあり得ない、確かな温かさだった。

 ヴィンテージ機の真鍮の歯車が、暗闇の中で一瞬だけ、黄金色に輝いたように見えた。

 声は、まだ聞こえない。

 かすかな温かさが、手のひらから心臓へと伝わっていく。

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