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桃魔剣風録  作者: 雷星
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第二章 修羅の道理(四)

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「まったく、おまえという奴は」

 波打ち際、声がした。

「力を望んだのは、おまえ自身だろう?」

 赤い装束の男。

「力を望み、剣を手にしたんだ」

 あざやかに燃える夕日の逆光で、その顔が見えない。

「こうなることくらいわかっていたんじゃないのか?」

 男は侮蔑の表情でも浮かべているのか。

「それとも、だれかの救いの手を期待していたか?」

 ただ、哀れんでいるだけか。

「そんなこと、あるわけがない」

 男が告げる。冷厳と告げる。

「おまえは修羅の道を往くんだ。絶望と失意と数多の骸が横たわる、無明の道を」

 男が手を差し出した。傷だらけの手。

「だが、安心しなよ。なにも独りで行けとはいっていない。独りで行って、勝手に死なれても困るしな」

 その手に光が収斂し、一振りの刀を形成する。

「俺も往くさ」

 刀の刀身に刻まれた文字が、眩い光を放った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「――!」

 トウマは、全身が激痛に苛まれていることに気づいて、現実に戻った。地面に横たわっている自分を認識する。周囲には無数の悪意が渦巻いている。痛みが、散発的に身体のどこかに生まれた。なぶられているのだ。

「どうした、トウマ」

 声音だけは優しげだった。しかし、声の主が化け物で、この攻撃の元凶だということを考えると、寒気すら覚える。だが、それでも。

「じっちゃん」

 縋りたい思いもある。

「それでは俺を超えるどころか、あの男を追うことも出来んぞ?」

 攻撃の嵐が止んだ。ソウマが、トウマに立ち上がることを要求している。決着をつけるためだろう。

 剣と剣で。

「ひとの道の果て、道を踏み外して修羅となり、妖夷に成り果てたよ。俺は」

 ソウマの告白を聞きながら、トウマは、刀を頼りに身体を起こした。全身がずきずき痛む。満身創痍かもしれない。生きているのが不思議なほどに。

「ただ、おまえが羨ましい。妬ましいとすら想うのだ」

 トウマの前方に、ソウマが大刀を正眼に構えていた。間合いは十歩分ほど。ふたりの周囲を、ソウマの背中から伸びる無数の黒い蛇が取り囲んでいた。まるで外界と隔絶するように。ふたりの決闘を邪魔されぬように。

 あるいは、その結末がモモの目に触れないように。

「おまえの頭上には未来が輝いている。俺がうに失ってしまった可能性が……!」

 トウマは、口の中に入り込んでいた砂を唾と一緒に吐き捨てた。血も混じっていたが当然だろう。ソウマを見据え、剣を構える。刀身の文字の輝きが、闇を照らす灯火のように見えた。荒かったトウマの呼吸が、次第に落ち着いていく。

「だから、俺は妖夷となった。おまえを殺すために」

 ソウマが、地面を蹴って、飛び出す。土煙が上がった。ソウマが大刀を大上段に掲げる。

「!」

 トウマは、左へ軽く跳ぶ。直線的な振り下ろしの斬撃は――

「我が孫よ!」

 軌道を変化させ、いびつな曲線を描いてトウマに殺到する。トウマは、回避を諦め、刀の腹で斬撃を受け止めた。火花が散り、衝突音が響く。衝撃が、トウマの身体をよろめかせた。だが、前とは違う。そのまま身体を持っていかれたりはしない。

「おまえの命を啜り、新たな道を逝くために、だ!」

 大刀を受け止めた態勢のまま、トウマは、ソウマの顔を見た。間近で見たその顔に刻まれた年輪に思いを馳せる暇もない。虚ろな眼が、トウマを捉えて離さない。

「ふざけるな!」

 トウマは、吼えて、刀に込める力を増大させた。大刀をわずかばかり押し返す。と、ソウマがみずから剣を引いた。そこで終わらない。すぐさま斬撃を繰り出してくる。そのまま数度、ふたりの剣がぶつかり合った。

「俺は死なない!」

 剣が衝突するたびに、トウマの刀の文字がその輝きを強めていった。なにを意味するのかわからなかったが、トウマは、身体が軽くなっていくのを認めていた。感覚が鋭利になり、ソウマの剣撃が緩慢に見えた。

「あんたの糧にはならない!」

 トウマの刀が、ソウマの大刀を弾き返した。

「良くぞ言った!」

 ソウマが吼えた。弾かれた大刀を頭上で持ち直し、裂帛の気合とともに振り下ろす。

 それをただ見ているトウマではない。全身全霊を込めて、刀を振り上げる。

 決着は一瞬――。

「見事……!」

 ソウマが、腹部の切り口から血を噴き出しながら、つぶやくように言った。

 トウマの斬撃が、落ちてきた大刀をものの見事に両断し、続けざまに繰り出した刺突がソウマの腹を貫いたのだ。

「じっちゃん!」

 力を失ってくずおれるソウマの体を反射的に支えて、トウマは、己の全身から大量の汗が噴き出していることにも気づいていた。間一髪の勝利。だけではない。またひとつ、大切なものを失おうとしている。

「トウマ……? トウマ、居るのか?」

 トウマの腕の中で、ソウマが身をよじった。口から血を吐きながら、紡ぎだされる言葉は、あまりにも小さい。

「どこだ? どこにいる?」

 ソウマが、首を回そうとするものの、うまく動かないようだった。双眸には、もはや何も映ってはいないのだろう。

「暗くてよく見えないんだ。近くにきて、その顔をよく見せておくれ」

 懇願するように、ソウマ。

「ここだよ。ここにいるよ」

 トウマは、祖父の右手をしっかりと握った。ソウマの手は冷え切っていて、人肌の温もりなど微塵もなかった。

「なんだ、こんなに近くにいたのか」

 ソウマが、安堵したように言った、力ない顔にも変化があったような気がした。それは気のせいかもしれない。そのように片付けられるほど些細な変化。

「俺はなぜここにいるんだろうな。俺は死んだはずだ。あのとき、本殿で殺されたはずだ。なぜなんだろうな。なぜ、死んでいない……?」

 取りとめもない疑問を浮かべるようにうわ言を並べ立てる祖父に、トウマは、かける言葉も見当たらなかった。ただただ、悲しい。喪失感だけが胸の内に広がっていく。

 そして。

「ああ……そうだ、トウマ。チハヤは、優し――」

 ソウマが、逝った。

 虚脱感の中、トウマは、自分の胸の奥の奥になにかが入り込んでいくのを認めた。




「この娘は?」

 だれの声だろう。若々しい男の声。懐かしくて切ない声。

「村の外の川辺に倒れていたのさ」

 ソウマの声だ。まだまだ瑞々しく、声に張りがあった。

「大丈夫なんですか? そんな何者とも知れないものを村に入れたりして」

「霊樹の結界の中に入って来られたんだ。妖夷じゃない」

「だからといって――」

「おまえはむかしから堅苦しくていかん。新しい家族が増えたんだ。しかも女子だぞ? 少しは喜んだらどうだ」

 からかうようでいて、悲しんでいるような、そんな声音。

「な、なにを言ってるんですか! 父上」

 言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうな音色。満更でもないのだろう。

「あ、あの……お邪魔でしたら、わたし――」

 儚げな声だった。まだ若い女の声。どこかで聞いたことがある。いや、飽きるほど聞いたはずだ。

「出て行く、と? どうするタツマ?」

 タツマ?

「そこでどうしてぼくに聞くんですか!」

 そうだ。それは父の名だった。懐かしいのはそのせいなのか。

「俺はかまわないっていってるだろう。あとはおまえの判断次第さ」

 では、女性は?

「あの……じゃあ、わたしは」

 今にも出て行きそうな口ぶりではあるものの、どこかに未練があった。

「い、いえ、構いませんよ、ぼくは!」

 父が、叫ぶように言った。

「え?」

「よかったな、モモ。今日からここはおまえの家さ」

 モモ。

「はっ、はい! よろしくお願いします!」

 やはり、母だった。



「モモが来て、既に五年になるのか」

 時が流れたらしいが、祖父の声音に特別な変化はなかった。

「早いものですね」

 父は、穏やかそのものだ。

「ふん。おまえが言うことか!」

「そんな、怒らないでくださいよ」

「だれが怒るものか! 嬉しいじゃないか!」

 心の底から嬉しそうに、ソウマ。こちらの心まで嬉しくなってしまう。

「まさか、俺が生きているうちに、孫の顔が拝めることになるとはな!」

 つまり。

「名前は、もう決めているんです」

「ほう?」

「桃の一字に、我が一族に伝わる魔の一字を加えて、桃魔」

 トウマ。

 自分を定義する名前。


 

 光が、トウマの胸の奥の奥――魂に焼き付いていく。

 剣の印章が脳裏を過ぎる。

 それは、ソウマが発現した剣の印だろう。持ち主の完全な死とともにトウマの魂へと転移していく。

 さっき垣間見た記憶は、剣印の転移に伴うものだったのかも知れない。

 トウマは、ソウマの亡骸を地面にそっと横たえ、自らの胸に手を当てた。温もりを感じる。祖父の力の片鱗を感じる。

 敵と戦い、敵に打ち勝ち、敵の力を貪り食らう――それが、

「修羅の道理」

 トウマは、空を仰いだ。そこに救いなどあるはずもなかったが、なぜか空を見上げずにはいられなかった。


 いつか妖夷を蹴散らしたとき、彼の中でなにかが目覚めた。

 そして肉親を手にかけたとき、彼の中でなにかが変わった。

 運命は変転する。

 青き河の流れのように。

 激しく、儚く。


 第三章  青き河の畔で


 それは青河の嗚咽か、慟哭か。

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