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桃魔剣風録  作者: 雷星
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第五章 猿神楽(十一)

「ここでうだうだしてても仕方ないですし、さっさと山を抜けましょう!」

 シエンが張り切るような素振りとともに大声を発してきたのは、ちょうど、クロウが荷物の確認を済ませた直後だった。黒火の村から拝借してきたのは、少量の火吹き石と焼け焦げた地図くらいのものだが、失うわけにはいかないだろう。

 焦げた地図などほとんど役に立たないが、火吹き石は、いままでの道程においても存分にその力を発揮していた。昨夜、一晩中燃え続けた焚き火の炎も、それら黒火の火吹き石によるものだという。シエンが勝手に取り出して使ったのだが、そのことを責める謂れなどあろうはずがない。

 クロウは他人の持ち物を漁るなと怒っていたものの、それを言うならば、他人の蔵から物品を拝借したトウマたちこそ責められるべきだろう。

「ああ、そうだな」

 クロウが立ち上がるのを待ってから、トウマは、シエンにうなずいた。彼の考えを否定する道理はない。さっさと水龍山を抜けたいのは、トウマも同じである。しかしトウマは、先導を買って出たシエンの後姿から、なにか強い焦りのようなものを感じ取っていた。

 さきほど水龍山を襲った大騒動は、山中にいるものの不安を駆り立てるには十分ではあったが、それにしたって様子がおかしかった。

(いや……)

 トウマは、胸中で頭を振った。これまでのシエンの言動を思い返せば、現状の動揺も考えられない話ではなかった。彼は、暴走するクロウの圧倒的な力の前で、恐怖に慄き、為す術もなく叫び続けていたのだ。そこに、トウマと戦っていたときの余裕は影も形もなく、赤子のように泣きじゃくる男の本性があるだけだった。

 そう、それはシエンという男の素顔なのだろう。無論、それがシエンのすべてでないことくらい、トウマにだってわかる。でなければ、白鹿十二神将などと、だれも嫌がって名乗ろうともしないだろう。彼にはそれほどの人望があったのだ。

 しかし、それは脆くも崩壊した。無様で、取り返しようのないほどの醜態を曝したのだ。十二人の若者たちが深い失望とともに、シエンの元から去ったというのもうなずける話である。

 それはそれとして、シエンが不安に駆り立てられているように見えるのは、トウマが、彼にはそういう一面があることを認識していることにも一因があるのかもしれない。もっともトウマは、戦闘時のシエンが虚勢を張っていたとも思えなかったが。

 冗談交じりに得物を振るう山賊の頭も、圧倒的な力の前に泣き叫ぶただの男も、彼の一面に過ぎない。

「どうしたんです?」

 一向に動き出さないトウマの様子を不思議に思ってか、シエンが、静かに問いかけてきた。こちらを振り返ってきたシエンの瞳に、動揺は見られない。まるで、さっきまで感じていた焦りのようなものが、錯覚だとでも言いたげなくらいに、涼しげなまなざしだった。

「いや――」

 トウマは、一瞬、戸惑いを覚えたものの、小さな苦笑とともにその困惑を振り払った。たいしたことではない。

「――なんでもないさ」

 急ごう、と付け足して、トウマは、シエンを促した。すると彼は、こちらの表情をどういう意味で受け取ったのか、少し困ったように笑い返してきた。

「わかりますぜ」

 シエンが、進路に向き直りながらつぶやくように言った言葉は、その小さな声音とは裏腹に、はっきりとトウマの耳に届いていた。

「まあ、道すがら物語るとしましょうか。ちょっとしたお話なんですがね」

 シエンの声色が変わったのには、なんらかの意味があるのだろう。深く重い声は、彼の脳裏に過ぎったのだろうお話に由来するものに違いない。トウマは、密やかに耳をそばだてた。彼の語るお話とやらを一言一句聞き漏らさないように、だ。

 なんの因果か山賊の頭から一転、仲間になった男の話なのだ。興味が湧かないはずがなかった。

「別に聴きたくないよ?」

 クロウの一言は、トウマの予想した通りではあったが。

「おまえにゃ言ってねえ」

 シエンが憮然と吐き捨てた言葉を聞き逃すクロウではない。

「おまえって! おまえって言ったなあ!」

 いまにも飛び掛らんがばかりの少年の勢いに、トウマは、ただ頭を抱えたくなった。現状がこの調子では、先が思いやられて仕方がない。

「だから一々突っかかるな」

「でも……!」

「でも、じゃない」

 意地になって食い下がるクロウの顔を覗きこんで、トウマは、少しだけ胸を撫で下ろした。シエンに対し、心の底から怒っているようには見えなかったのだ。ただ、引き摺っているのだ。それも仕方ないことではある。

 クロウは、幼いのだ。

「さっさと行くぞ」

 告げると、トウマは、クロウを置き去りにするかの如く前進を再開した。シエンの話を聴くにせよ、水龍山を抜けるのならば、迅速に行動するのが一番だろう。

「待ってよ、トウマぁ!」

 驚きのあまり、半ば泣き声になりつつあるクロウの呼び声に振り返りそうになる己をなんとか制して、トウマは、前進の速度を上げた。

 前へ。

 それは、夢の中でシグレが言ったことでもある。

 前へ。

 いまは、それしかないのだ。

 復讐を望むのなら、あの男に一太刀でも浴びせようというのなら、ただ、前進するしかなかった。

「大将~!」

 ふと、シエンの大声が遠くから聞こえて、トウマは、足を止めた。

「ん?」

 見ると、周りにいるはずの少年と男の姿はなく、代わりに佇んでいたのは無数の木々だった。それは、破壊跡から抜け出したことの証明でもあったが。

「こっちっす!」

 シエンの姿は、遥か後方に見えていた。いつの間にか、先導者すらも追い抜いていたらしい。これでは、本末転倒もいいところだ。無論、当初は案内人もなくこの山を踏破しようとしていたのだが、いま思い返せば、それはかなり無謀な試みに違いなかった。

 仇敵を追って山で遭難など、笑い話にすらならない。

「あ、ああ……」

 トウマは、急いでシエンの元に向かった。急いでいるはずの自分が皆の脚を引っ張るなど、言語道断も甚だしい。

「へへっ、トウマの負け~」

 頭の後ろで手を組んでこちらを見ている少年に対し、トウマは、苛立ちを隠さなかった。

「負けでいいから!」

 もちろん、それはクロウへの怒りではない。ままならない己への憤りに他ならなかった。歯車が噛みあっていない、そんな気がした。

「……相当急いでいるようですな。では、行きましょう」




「むかしむかし、あるところに、ひとりの少年がいました。その少年は大層頭が切れ、腕っ節も強かった上、悪事ばかりに精を出すので、村の人々は困り果てていたのです。ついでに言うと、少年は見目麗しく、女という女はその少年の虜になっていたといいます」

 シエンの語り口は滑らかであり、とても、この先重々しい物語が展開されるようには思えなかった。そもそも、そんな話だと思い込んでいたのはトウマ自身であり、実際に語られる話の内容と相違があったとしても仕方がないだろう。

「昔って?」

 クロウが尋ねたが、シエンは無視した様子だった。物語ることと道案内に意識を分散しなければならないのだ。当然とも言える。

 クロウはむっとしたようだったが、取り立てて騒いだりはしなかった。さっきトウマに怒られたのが堪えたのかもしれない。

「少年は、霊山綾王などと名乗り、数多の子分を引き連れ、山野を駆け回ったといいます。妖夷との戦いだけが、少年の渇きを癒したのです。村々を荒らし回るのは、そのついででしかなかったのです」

 彼の語る少年が、シエン本人だということには最初から気づいていたものの、トウマは取り立てて確認したりはしなかった。シエンが語るままに任せたのだ。

 水龍山の道なき道を進む。

 地面が緩やかに傾斜した森の中を進んでいるような錯覚を抱くのは、森と大して変わり映えのしない景色のせいだろう。木、木、木――視界を埋め尽くすのは、数え切れない木々の群れであり、その枝葉が絡み合って作り出した緑の天蓋は、いつものように天から降り注いでいるはずの陽光を遮っていた。

 とはいえ、木々は、足の踏み場もないほど犇めき合っているわけではない。かといって、等間隔というわけでもなく、不規則に立ち並ぶ木々の合間を時には縫うようにして進まなければならなかった。もっとも、それは森に覆われた大地ならばどこも同じようなものに違いない。

「しかし、その少年の栄光の日々にも終わりはやってきます。彼は捕らえられ、山の頂に設けられた石牢に入れられたのです」

 シエンの声音から、次第に、軽さというものが失われていく。物語の核心へ向かっているのか、それとも。

(……)

 トウマは、口を挟まずに耳を傾けていた。ただ、シエンが、徐々に歩く速度を上げていくことに多少の不安を覚えていた。その速度の変化に、本人が気づいているのならば、いい。しかし、物語に感情を込めすぎるあまり歩く速度まで上げていた場合、周りが見えなくなっている可能性があった。

 ついさっきのトウマ自身がそうであったように。

「石牢の中で、少年はどれくらいの日月を過ごしたのでしょう。一年も立つころには、彼の元に毎日のように集まってきていたかつての子分たちも姿を現さなくなり、彼も、死を覚悟しました。人間、食べていかなければ、生きていけませんからね」

 シエンは、続ける。

「ですが、彼は死を免れます。少年の悪名を聞いたひとりの男の手によって、石牢から出されたのです。それは、応龍おうりゅうという旅の男でした。少年は、応龍の恩義に報いるため、応龍の家来となることを申し出ます」

 応龍。その名を口にした瞬間、シエンの気配がわずかに変化したことを、トウマは見逃さなかった。それはクロウも同じようだった。クロウがびくっと震えるくらいに、激しい憤怒の色彩を帯びていたのだ。その変化は一瞬にして掻き消えたものの、トウマの心に深く刻まれた。

「応龍の家来となった少年は、応龍の目的を知って驚きます。南へ。青河へ。その源たる水龍山へ」

「!?」

 トウマは、シエンの口から漏れた地名に驚愕のあまり目を見開いた。よくよく考えれば、予想ができる範囲のことではあるのだが、シエンの物語に集中していたトウマには、寝耳に水ほどではないにせよ、驚くに値する言葉だった。

「応龍と少年の旅路は、困難を極めました。なにせ、森の中を進んでいくしか道はないのですから。森には妖夷どもがいます。かつて、妖夷を倒すことで渇きを癒していた少年も、連日の戦いにはさすがに辟易していました。もちろん、旅はふたりだけで行ったわけではありません。凄腕の剣士もいましたし、不可思議な力を使うものもいました。旅は、三年に及んだといいます」

 ふと、トウマは、シエンの朗々たる声だけに集中していた耳に、水音が入り込んできたことに違和感を覚えた。水龍山を抜けようというのだ。水源からは遠ざかるはずである。

 トウマは、すぐ左隣を進むクロウに目を向けた。少年が鼻をひくつかせているところを見ると、優れた嗅覚を駆使しているのだろう。彼も、気づいたのだ。

 ただ、水龍山について無知そのもののトウマの考えと、シエンが脳裏に描いた道筋が違うことは大いにありうることであり、すぐさまシエンの話を止めることは憚られた。しかし、図らずもシエンは口を閉ざすことになった。

「そして、水龍山に辿り着いたあの日――」

 不意に、シエンが語るのを止め、同時に足を止めたのだ。

「これは……」

 訝しげに周囲を見回すシエンに一抹の不安を覚えたトウマは、すぐさま彼の傍に駆け寄った。

「少々、道を間違えてしまったようですな」

 シエンが浮かべたのは、信じられないとでも言いたげな表情だった。実際、信じられないような事態なのだろう。

 トウマは、自分の考えが必ずしも見当外れではなかったことを知ったものの、だからといってなにができるはずもなかった。山中、進むべき道筋など、わかるわけがないのだ。

「ちょっと家来その二!」

 クロウが険悪な声を上げる傍らで、トウマは、とりあえず現状を把握することに努めた。無論、そんなことはシエンが既にやっていることかもしれない。しかし、トウマも状況を理解しておくことに越したことはないだろう。

 周辺に立ち並ぶ木々の様子にこれといった変化は見受けられないものの、吹き抜ける風の勢いは強くなっていた。風が運んでくるのはどこか白々しいまでの冷気であり、それは、水源から流されてくるようだった。

 水源――つまるところそれは青河の源流であり、やがて地を分かつほどの大河となるそれは、山の中ではまだそれほどの勢いもないはずだ。もっとも、水音は遠方からかすかに聞こえる程度に過ぎないのだ。あまりうかつなことは言えたものではない。

 もしかすると、膨大な水が流れているかもしれないのだ。

「物語に集中しすぎたみたいで、すみません」

「……だいじょうぶ?」

 クロウが心配そうに言ったのは、シエンの力のない反応に困惑したからなのだろうか。

「まあ、なんとか……しかし、家来になって早々大将の足を引っ張ったとあっちゃあ、霊山綾王の名が廃りますな」

「元々大したもんじゃないでしょ」

「むう。それは確かにその通りではあるのだが……」

 なにが納得できないのか、シエン。腕でも組んでいるのかもしれない。

 トウマは、ふたりのやり取りに心地よい響きを覚えながら、一方で、胸中の漠然とした不安が少しずつ膨れ上がっているのを認めた。山間の闇に染みこんで行くようなわずかばかりの水音が、トウマになにかを思い起こさせようとしているような気がした。

 それを気のせいだと切り捨てることもできない。

「どしたの? トウマ……難しい顔してさ」

 シエンのことなどほったらかしにしてこちらの顔を覗きこんできた少年に対し、トウマは、返すべき言葉も見つからなかった。金色の瞳を見つめ返すことしかできない。それは、クロウに戸惑いを与えるに違いないのだが、いまのトウマには、それを打開するだけの余裕はなくなっていた。

 いつの間にか、焦りが生まれていた。

(なんだ……?)

 嫌な予感がした。とてつもなく悪いことが起きる、そんな確信めいた予感。

「!」

 不意に、トウマは、その場から飛び離れた。左後方へ。クロウとシエンも同様に跳躍したのを即座に把握する。

 攻撃を受けた、というわけではない。

 殺気や敵意とは明らかに違う、しかし強烈な気配が、トウマに向かってきたのだ。

「今度はなに!?」

「こいつは……!」

 なにも理解していないクロウと、なにかを知っているようなシエンの反応を受け止めて、トウマは、その強大な意志の波動とでも言うべきものの方向に向き直った。困惑の中で、剣を抜くことは躊躇われる。その気配に敵意はなく、攻撃的な意志でもなかった。

 ただ、なにかを探し求めているかのような。

《そこにいたのね……》

 ミナの声は、トウマの頭の中に直接響いた。

《シグレ!》


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