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桃魔剣風録  作者: 雷星
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第五章 猿神楽(七)

(トウマを護る……か)

 トウマは愕然としながら、眼前の光の中から、一糸纏わぬ少年が現れる様を見ていた。肉体の膨張に着物が耐えられるはずもないのだ。クロウが裸になってしまうのは、仕方がないだろう。

 光が消えた後、少年の華奢な肢体は、空中に在った。瞼を閉じているところを見ると、気を失っているのかもしれない。力を使いすぎたのか、緊張の糸が切れたからなのか。

 トウマは、音もなく落下してきたクロウの体を両腕で受け止めると、すぐさまその場に屈みこんだ。少年を横たえようとして、迷う。

 破壊された森の狭間。地面は抉られ、薙ぎ倒された木々の哀れな姿がそこかしこにあった。巨獣による蹂躙の爪痕は極めて痛々しく、見るものに恐怖を煽り、寒気すら感じさせる。

(俺は……)

 トウマは、クロウの顔を覗きこんだ。寝息すら立てている少年の表情は、安らぎを覚えているようだったが、ところどころに疲労の後が伺えた。疲れきっている。当然だろう。

 あれほどのことをしたのだ。森の一角を壊滅させるほどの力を振るったのだ。霊印の力とはいえ、クロウの力に違いない。肉体的にも精神的にも、かなりの負担があったはずだ。トウマには、想像もできないくらいに消耗したはずだ。

 トウマは、クロウを地面に横たえると、上着を彼の体に被せた。さすがに、裸のままでは寒いだろうと思ったのだ。

(俺が弱いから)

 静かに、認める。

 クロウを駆り立てたのは、トウマが弱いからだ。トウマの力の無さが、彼の力を暴走させた一因なのだ。漠然と、理解する。

(弱い……から)

 トウマは、歯噛みした。口惜しいのだ。己の無力さをこれでもかと見せ付けられたのは、これで何度目なのだろう。無力な己を認識するたびに、大切なものを失っている気がして、トウマは、天を仰いだ。緑の天蓋が失われた頭上には、鮮明な青空が広がっていた。

(強くならなきゃ……)

 拳を握り、決意を新たにする。

 ともすれば、クロウさえも失うところだった。そうなればきっと、トウマは、言いようも無いほどの後悔と絶望に飲み込まれていただろう。ふたたび、無明の闇に落ちていただろう。考えるだに恐ろしいことだ。

 いや、いまもまだ闇の住人であることは、トウマ自身、十二分に理解していた。それでいい、と思ってはいた。しかし、クロウという光を一度でも受け入れてしまったのだ。彼に、光明を見出してしまったのだ。もはや、無くてはならない存在になりつつあった。

 出逢ってわずか数日。しかし、それはきわめて濃密な時間であり、トウマにとってクロウが必要な存在であると理解するには十分すぎる期間であった。

 だからこそ、失うわけにはいかない。

 クロウに護られている場合ではないのだ。

(俺が護るんだ)

 そのためには、強くならなければならない。でなければ、またクロウを追い詰めてしまう。

 トウマは、クロウを見下ろした。密やかに寝息を立てる少年の顔つきは、いまや穏やかそのものだった。夢でも見ているのかもしれない。その安らかな寝顔は、トウマの決意をさらに強めていくものだった。鋭く、研ぎ澄まされていく。

(強く……!)

 なにかに突き動かされるように、トウマは、周囲を見回した。廃墟のような有様の森の中。倒壊した木々や、巻き上げられた土砂に埋もれるようにして、それらはいた。

 霊山綾王が眷属たる白鹿十二神将。

 彼らは、大なり小なり手傷を負い、疲労困憊といった様子ではあるものの、生きてはいるようだった。中には、クロウの力によるものか、獣の面を失い、素顔を曝しているものもいた。若い男たちだった。もはや戦う気力もないのは一目瞭然だった。起き上がる力すら見当たらない。

 シエン――霊山綾王などと名乗ったにぎやかな男もまた、力なく立ち尽くしていた。呆然と、虚空を見遣っている。なにがあったのかはわからない。クロウの暴威を前に意識を失ったのだとしたら、名前負けにもほどがあるだろう。

 なんにせよ、だれもが、トウマを意識していないのがわかった。


 それは、好機という。


(――!)

 トウマは、脳裏を過ぎった恐ろしい考えに、慄然とした。そして、つぎの瞬間、さらなる驚きが彼を襲った。右手にかかる重みが、それを教えてくれたのだ。

「なっ!?」

 トウマは、右手を見下ろして、言葉を失った。右手には、彼の刀があった。飾り気の無い無骨な刀。鈍く光る刀身には、謎めいた文字が刻まれている。いままで、数多の敵を屠ってきた刀は、トウマの魂の顕現に等しい。

 それが、現れた。

(俺は、抜いていない……!)

 トウマは、胸中で激しく否定したものの、しかし、目の前の現実は、彼の想いを言い訳にした。彼の刀は、敵を殺すために、手の内にあるのだ。

 嘲笑が、聞こえた。


「いや、抜いただろう?」


 視界が、揺れる。

 いびつな世界で、彼は、ゆっくりと視線を上げた。森の中。足元には少年が横たわり、周辺は完膚なきまでに破壊されている。力の化身が暴れたのだ。現状は、当然の帰結に過ぎない。

 気づくと、いくつもの息遣いが、鼓膜を震わせていた。息も絶え絶えといったものもあれば、わずかながらも活力を秘めたものもある。

 敵の息吹。

 彼は、口の端に笑みを浮かべた。糧を見つけた。力の源。

 強くなるには、死を積み上げるしかない。

 大木の根元で俯いている男に、目をつける。距離は二十歩程度。今なら、一足飛びに到達できるだろう。確信する。彼は地面を蹴った。地から放たれた肉体は、まるで一条の矢のように飛翔した。

 一瞬にして、男の眼前に辿り着く。

「――!?」

 男が、あんぐりと口を開く様が、心地よかった。彼の耳は既に、男の断末魔を聞きたがっている。刀を高く掲げた。刃が、陽光を浴びて、きらめいた。

「やめてくれ!」

 絶叫は、後方からだった。が、そんなものが彼の鼓膜を震わせることなどありはしないのだ。雑音など、聞こえるはずがない。殺戮に不要なものはすべて、意識の外にあるのだから。

 いや。

(違う――)

 眼を見開く。瞼は閉ざされてなどいなかったはずだったが、しかし、トウマは、視界に光が差し込んできたような感覚に襲われた。軽い眩暈の中で、絶叫する。

「これは、違う!」

 そして、トウマは、刀を振り下ろした。

「あ――」

 だれかが間の抜けた言葉を浮かべた直後だった。

 あざやかに斬り下ろされた大木が、音を立てて倒れていった。無論、根元にいた男は、無事だった。刀が、頭上擦れ擦れを通ったことで、顔面蒼白になってはいたが。

 トウマは、目の前の男を一瞥すると、大木が地に沈んでいく音を聞いた。刀を見下ろす。大木を切ったところで、刃毀れなどあろうはずがない。

 ふたたび、トウマの脳裏に声が響いた。


「なにが違う? おまえは力を欲した。ならば、あらゆる命を糧とし、剣を振るえ。それが修羅の道だ。おまえの進むべき道だ。納得したはずだろう? そうやって、ここまできたのだ」


 それはやはり、いつもの男の声だった。嘲りや侮蔑、失望が入り混じった声音は、トウマの頭の中で幾重にも反響した。かぶりを振る。

「違う。これは、違うんだ……!」

 トウマは、男の言葉を否定するつもりはなかったが、それでも、いまはこの刀を振るう気にはなれないでいた。殺せるはずがなかった。もはや抵抗もできないものたちを殺すことなど、トウマには、とてもできないのだ。

 眼前の男は、こちらの様子に心底怯えていた。顔は青ざめ、恐怖に引き攣ってさえいた。その瞳は、化け物を見ていた。

 トウマは、そのまなざしに一瞬たじろいだものの、すぐさま背後に向き直ることで振り払った。クロウの元へ向かう。

 声が、囁いてくる。


「甘い。甘いな。それでは強くなれない」


「ああ。わかってる」

 トウマは、肯定した。それは正しい。反論の余地さえない。力を求めるのならば、剣を振るい続けるしかない。男の言う通り、男だろうが女だろうが、老人であろうが子供であろうが、この手にかけて殺すべきなのかもしれない。

 剣によって積み重ねた死が、トウマの糧となり、力となるのならば。

 だが、それでは意味がないのだ。


「おまえはなんのために剣を掲げる? なんのために力を求め、なんのために命を奪ってきた? 立ち塞がる敵を殺し、数多の妖夷を血祭りにあげてきた? なんのために? なんのためだ?」


 問われて、トウマは、足を止めた。クロウへはあと五歩というところだった。その少し先に、シエンの姿がある。彼は、ただ呆然と立ち尽くしていた。なにをしてくるわけでもなく、ぼんやりとこちらを見ている。まなざしは暗く、ついさっき戦っていたときとはまるで印象の異なる様子だった。彼の心境にどんな変化があったのかは知らないし、その必要もないのだが。

 つぶやく。

「理由……か」

 そんなものは、わかりきっている。言葉にする必要すらなかった。それが、いま、トウマを突き動かすすべてなのだから。行動原理なのだから。しかし。

(それだけじゃないのか……?)

 胸中に自問を浮かべて、トウマは、刀に視線を落とした。一振りの剣の形をした修羅の爪牙は、敵を屠り、血を吸い、死を喰らうためだけに存在するのか。それと同様の疑問だった。

 復讐がすべてなのか。

 あの男を、鬼のようなあの男を、ミズキを殺し、復讐を遂げることだけが、トウマのすべてなのか。

 そこまで考えて、トウマは、苦笑した。

(それでいいじゃないか)

 とっくに納得済みのことではないか。失われたのだ。愛するひと、家族、村――彼が拠り所としてきたものはすべて、失われたのだ。もはや、彼に残されたものなどはなく、ミズキへの復讐のみが彼のすべてだった。

 そのための剣であり、力だ。

 そのために、数多の命を奪ってきた。

 では、クロウは?

 山賊たちは?


「わかっているのなら、なぜ殺さない? 矛盾しているぞ」


 トウマは、黙して答えなかった。明確な答えが出せなかったからではない。みずからの想いを口にしたところで、その矛盾は解決しえないからだ。矛盾は矛盾のままであり、複雑に絡み合って単純な答えを導き出すことなどできない。

 あの鬼の如き男を殺すために、その力を欲するのなら、クロウもシエンも十二神将も、殺戮すればいい。いまなら容易に完遂できるだろう。クロウは眠りに落ち、シエンは茫然自失の体であり、十二神将に至っては動くこともままならないのだ。

「でも、俺には無理だよ」

 トウマは、自嘲とともに、刀を足元に突き立てた。帰還させても無意識に抜いてしまうのなら、大地を鞘にしてしまうほかなかった。さすがに、無意識の内に、印への帰還と具現を行うようなことはないだろう。若干の不安を、なんとか押さえつける。

 そして、愕然とするのだ。剣士や修羅などといいながら、みずからの刀を思い通りに操れていない事実に。支配できない力など、己のものだと言えるのだろうか。

「……?」

 ふと、トウマは視線を感じて、顔を上げた。シエンの姿が目の前にあった。長身の男は、憔悴しきったようなまなざしで、こちらを見ていた。

「あんたは……なんなんだ?」

 それはとても奇妙な質問だったが、トウマにはなんとなく、彼がそう聞きたくなる気持ちもわかるような気がした。

「ただの化け物さ」

 至ってまじめな顔つきで答えながら、トウマは、全身から力が失われていくような感覚を認めていた。視界が歪み、意識が拡散していく。なにがなんだかわからなくなっていく。立っているのがやっとだった。そして、それも時間の問題に違いない。

「満足のいく答えだろ? さっさと行けよ。こっちには、あんたらに構ってやる暇はないんだ」

 トウマは、口早に言い放つと、相手の反応も見ずにクロウを探した。ぼやけた視界では、あの少年の寝姿を見つけることすらおぼつかない。

「ま、待ってくれ。あんたには用がなくても、俺にはあるんだ!」

 唐突に呼び止められて、トウマは、不機嫌になった。

「……なんだ?」

 口調が自然、荒くなる。いまにも意識が途切れそうな状況で大声を上げられれば、だれだって不愉快にならざるを得ないだろう。なによりトウマは、クロウを探している最中だった。

 眠りに落ちるのならば、せめて、クロウの近くがいい。

「俺を、あんたの家来にしてくれ!」

 シエンの、なんの脈絡もなければ突拍子もない申し出に、トウマは、一瞬、彼がなにを言い出してきたのか理解できなかった。耳で聞いた言葉を整理し、意味を把握するためにかなりの時間を要したのは、トウマの意識が混濁しかけていたからだろうが。

 なんにせよ、シエンの申し出を理解したトウマは、彼を振り返り、ただただ素っ頓狂な声を上げるしかなかった。

「はあ!?」

 きっと間の抜けた表情をしているのだろう、それを自覚しながらも、トウマは、どうすることもできないのだと諦めていた。

「あんた――いや、大将の心意気に惚れたんだ。化けも――いや、巨獣を戦わずして手懐ける手腕! 山賊如きに情けをかける懐の広さ! 俺はそんなお方に出逢える時をお待ちしておったのです!」

 嬉々として言葉を羅列する男の胡散臭さに、トウマは、笑うよりも泣きたくなった。さっきまでの暗い表情はなんだったのか。

 なにか、すべてをぶち壊されたような気がした。

「もう、勝手にしてくれ……」

 逃げるようにつぶやいて、トウマは、その場に崩れ落ちた。足が持たなくなっていた。そして、意識も。

 しかしトウマは、倒れる最中、クロウの寝顔が視界に入り込んできたことに安堵を覚えたのだった。

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