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桃魔剣風録  作者: 雷星
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第五章 猿神楽(三)

「トウマ!」

 トウマが目蓋を開いたとき、最初に視界に飛び込んできたのは、クロウの顔面だった。大きな黄金の瞳は、まるで太陽のようだったが、その表情にはわずかばかりの緊張が見て取れ、トウマの意識を夢の淵から現実へと連れ戻すには十分だった。

「どうしたんだ?」

 が、トウマは、寝惚けまなこを擦りながら、あくびを漏らした。よく眠ったはずなのだが、肉体的にも精神的にも疲れたままだったのだ。

 これでは、眠りについた意味がない。

 その疲労の原因については、おおよその見当はついている。

 あの夢だ。

 殺戮を囃し立てる男の夢。

(なんだってんだ!)

 剣に目覚めたときから付き纏う男の幻視。トウマを嘲り、罵り、笑い、皮肉を謳う男。かと思えば、強くなれと励まし、期待しているなどとも言う――

 そこまで考えて、トウマは、はっとした。右手の甲を見やる。手の甲に刻まれた霊印は、剣を指し示すものである。

 複雑で尖鋭的な意匠の刻印。修羅の烙印。

(剣の意思……?)

 胸中でのつぶやいた言葉は、トウマにはほぼ正解のような気がしてならなかった。もし、剣に意思というものがあり、その意思が剣の主に語りかけるというのならば。

「トウマ!」

 怒ったような呼び声に、トウマはふたたび現実に引き戻された。クロウが、眉根を寄てこちらを見ている。

「ぼくの話、聞いてなかったでしょ?」

 むくれたように口を尖らせて、クロウ。その表情は非常に愛らしくはあったが。

「ごめん」

 トウマは即座に謝ると、辺りを見回した。

霊樹の木陰には、トウマとクロウのふたりしかいない。木漏れ日が、枝葉の天蓋が作り出す陰を彩っていた。

 風は、穏やかそのものだ。

 朝日が差し込む廃墟の村には、やはり人影はなく、寂寥たる空気に包まれていた。

「素直なのはいいことだよ」

 クロウは、一言笑うと即座に話を戻した。

「話ってのは外でもないんだ。匂うんだよ」

「匂う?」

「うん。動物や妖夷じゃなくて、人の匂いがするんだ」

 クロウの言葉に、トウマは、静かに起き上がった。なにがあるわけではないが、用心に越したことはない。

 体の節々が痛むのは、ある程度予想していたことではある。ここ数日の強行軍と睡眠不足が、痛みとなって現れているのだろう。そもそも、寝る場所が悪いのだ。布団の上、などとは言わない。せめて、地面にでも転がって寝るべきだったのかもしれない。木にもたれたまま寝るのは、さすがに体に負担をかけすぎた。

 霊樹の幹に背を預けて眠るなど、罰当たりも甚だしいのだが、そのことについては、トウマの脳裏からすっぽりと抜け落ちていた。いや、そもそも、霊樹の放つ安らぎの波動に包まれれば、そんなことなどどうでもよくなってしまうのだ。

「森の中から、こっちの様子を伺ってるような感じがするんだ」

 クロウが見遣る先には、どことも変わらぬ狂気を孕んだ森と村の境界があり、乱立する無数の木々の向こうに、トウマは、鬱蒼たる闇しか見出せなかった。

 森の中に蠢くものといえば、妖夷しか思いつかないのだが、クロウは人の匂いだという。黒火の村で人間に成り済ましていた妖夷どもの臭いとは異なる、ということだろう。

「村の生き残りかもしれないな」

 そんな言葉を吐いて、トウマは、胸中でかぶりを振った。

この村の生存者だとして、安全以外のなにものでもない霊樹の結界の中ではなく、危険極まりない森の中で一晩以上も過ごすなど、正気の沙汰ではない。

 それに、妖夷への対抗手段を持たない村人たちが、悪意に満ちた森の中で生きていけるとは思えない。仮に対抗手段があったとしても、結界の中に留まっておくのが常識だろう。

(俺たちを恐れた……?)

 それはあり得ないとは想ったものの、完全には否定しきれない考えではあった。

トウマは、すぐ近くにあったクロウの頭部に手を置いた。

「突然、どしたの?」

「考えてても仕方ないってことさ」

 驚いたようにこちらを見上げてきた少年に対し、トウマは、あっさりと告げた。実際のところ、その通りなのだから仕方がない。

 この場に留まって答えの出ない問題に頭を悩ませ続けるより、一瞬でも速く前に進むほうが建設的だろう。

 例え、森にいる人々が、この村の生き残りであったとしても、言ってしまえばトウマとはなんの関わりもないのだ。

 この村を破壊した張本人が目の前に現れて、トウマの前進を阻むのならば、全力で立ち向かうしかないのだが、そうでもない限りは、無関係の問題に首を突っ込む必要はなかった。

 もっとも――と、トウマは、クロウの金色のまなざしを見詰めながら、想うのだ。

もっとも、生き残りの村人たちが、トウマにすがり付いてきたら、きっと振り解けないのだろう。

 そういう甘さを自覚して、彼はため息を浮かべた。修羅の道理などと口にする資格すら持ち合わせていない事実を自覚して、絶望すら覚える。

 トウマは、暗澹たる気持ちのまま頭上を仰いだ。生い茂る霊樹の枝葉が織りなす陰影は美しく、彼の心をわずかばかりに落ち着かせてくれた。

「さて。行くか」

 

 

 森は、深い。

 あの廃墟の村に差し込んでいた朝日など、遠い日の幻のように消え失せ、数多に蠢く化け物の気配と、研ぎ澄まされた刃物のような殺意がそこかしこから浴びせられた。

 森。

 そう、森である。

 トウマたちは山道に足を踏み入れたものの、結局のところは、森に覆い尽くされたこの大地にとっての山とは、傾斜の大きい森といって差し支えないのかもしれない。

 乱立する木々の間に、獣道と呼べるようなものすら見当たらない。

 それでもトウマは前進するしかないのだが、如何せん、森の中だ。進行方向を見失いつつあった。

 山頂を目指すのなら、山道を登っていけばいいだけの話である。だが、トウマの目的はこの水龍山を越えて、さらに北へと進むことなのだ。

 ミズキの向かう先へ。

 木々の狭間に満ちた空気は冷たく、トウマの意識は冴え渡ってはいた。いつ妖夷に襲われても、即座に対応できるくらいには。

「ねえ」

 先を歩いていたクロウが、突然立ち止まってトウマに向き直った。少年の着物の色彩は、深い森の中で際立って明るく感じられる。

「ん?」

「村を出てからずっとだよ?」

 村の外からこちらの様子を伺っていたという人間たちの話に違いない。追跡してきているのだろう。

こちらから探し出せないほどの距離を取りながら追いかけてくるのだとしたら、相手は余程目が良いのかもしれない――などと考えて、トウマは、軽く言った。

「よっぽど暇なんだな」

 あるいは、何かしら目的があるのだろうが。

そんな妖夷の脅威を物ともしない連中に心当たりなどあるはずもなく、トウマは、首を振った。相手がなにを考えているにせよ、トウマたちがとるべき道はひとつしかないのだ。

 前進。

 とはいえ、トウマは、変わり映えのない周囲の景色に、半ばうんざりとした面持ちになった。森の中も、山の中も、驚くような違いがあるわけではないのだから、当然といえば当然なのだろうが。

もちろん、山を彩る木々や植物は、平地の森のそれとは異なるのだろう。山にしか生えない草花だってあるのだろう。森と山では、生息する動物も異なるはずだ。

 が、トウマには、そのような違いを楽しむような知識もなければ、心のゆとりなどあるはずもなく、この、地獄のような――そう形容される森が、延々と続いているようにしか感じられなかった。

 そして、変化は唐突に訪れた。

「トウマ」

 いつの間にかトウマのすぐ後ろを歩いていたクロウが、彼の袖を引っ張った。トウマが彼を一瞥すると、クロウは、なにかを警戒するように辺りを見回していた。

「妖夷か?」

 トウマは、意識を戦闘状態に持ち込めるように研ぎ澄ませながら、周囲の地形を確認した。

 トウマから見て右側が山頂へと続くであろう傾斜であり、その角度は比較的緩やかだ。左方向を下っていけば、この水龍山から降りることも出来るだろう。が、降りたところで、一面が木々に覆われていることには変わりない。

 乱立する木々は細く、密度も薄い。比較的動きやすい空間ではあったが、それでも、村の中などに比べれば、自由に立ち回ることなど許されない。

 この無造作に並び立つ木々を頭に入れておかないと、まともに戦うことすらおぼつかないだろう。

 頭上から降り注ぐのは、木漏れ日。降りしきる雨のような輝きは、木々の枝葉の狭間から零れ落ちて、森の闇を幻想的に彩っていた。

 地面を埋め尽くすのは、落ち葉。地肌を隠すくらいに積み上げられた無数の木の葉は、時折木漏れ日を反射して見せた。

 周囲に散乱するのは、指向性の敵意。鋭い刃のようなそれらは、急速且つ確実にこちらを包囲し、距離を縮めてきていた。

「人間だよ」

 クロウが事も無げに紡いだ言葉に、トウマは、ただ疑問を浮かべた。目的がよくわからない。

「俺たちを襲ってどうなるんだ?」

「さあ?」

「盗賊にしたって、寝ている隙を襲えよ」

「そうだね」

 トウマのため息のような言葉に、クロウが笑った。彼の手首に刻まれた枷のような紋様が、かすかに光を放っている。

「うーん……最低でも十人はいるよ、相手」

 と、鼻をひくつかせて、クロウが言ってきたので、トウマは、驚きを隠せなかった。

「凄いな。鼻でそこまでわかるのか」

「まあ大体は、ね。ひとって、みんな違う匂いだからさ」

 クロウが、照れたように笑った。褒められることに慣れていないのかもしれない。それは、トウマとて同じようなものだったが。

「俺も?」

「トウマはいい匂いだよ――!」

 クロウの微笑は、一瞬にして消えた。

 それは、トウマとクロウが、同時に地を蹴って、その場を飛び離れたからに他ならない。

射込まれたのは武器などではなく、殺気。強烈で尖鋭的な攻撃意志。

 トウマは、着地するのと同時に右手に意識を集めながら、軽く構えた。剣は抜かない。

 まだ、早い。

 トウマが、クロウの様子を一瞥すると、彼もまた、印の力を解放していないようだった。ふたりの距離は約十歩といったところか。

 トウマは、改めて殺気が放たれた方向に目を向けた。直前まで二人が並んで立っていた場所から、ちょうど正面――つまり、進行方向。

「闘争の鐘は聞こえたかい?」

 投げつけられてきたのは、若い男の声だった。野太さの中に、どこかしら軽妙さを感じる声音だった。だが、その軽さに騙されてはならない。そんな警告が、トウマの脳裏を電流のように走った。

「闘争?」

 トウマは、静かに問い返しながら、相手が接近してくるのを認めた。無論、前方からだけではない。落ち葉を踏みしめる足音が、周囲から近づいてくる。

「そうさ。戦いは既に始まっている。でもまぁ、心の底から戦いたいってわけじゃあないんだ。剣士でもねえし、な」

 そう軽口を叩きながらトウマたちの前に姿を現したのは、声音通り若い男だ。身の丈がトウマより頭ふたつ分ほど高く、鍛え上げられた肉体は、森でも目立つであろう真紅の装束に覆われていた。

頭髪も真っ赤だった。長めの髪は、まるで炎のように揺れている。精悍な面構えは、しかし、どこか掴みどころのない表情を浮かべていた。瞳はにび色。

 角の生えた奇怪な獣の面を、頭から額に被せていた。まるでなにかを隠しているようにも見えたが。

トウマは、その男の緩いまなざしに対しても、決して気を緩めることはなかった。が、一応言っておく。

「なら、やめよう」

 無駄なことで時間をかけたくないのが、トウマの本音だった。こんな馬鹿げた話はさっさと切り上げて、すぐにでもこの山を越えたいのだ。

 しかし、男がトウマの要望に応えることはなかった。

「いや、駄目だね。こっちにも生活ってもんがある」

「生活?」

「山賊だよ、俺らはさ」

 と、男が、右手を背後に隠した。彼の背後になにがあるわけでもない。武器を背負っているようにも見えなかった。

「そうか」

 トウマは、嘆息したくなった。山賊に構っている暇などあるわけがない。だが、そんな事情を言ったところで、道を開けてくれる相手でもなさそうだった。

「命が惜しけりゃ、荷物を置いていけってことさ」

 男が、右手を背後から前方へと差し出したとき、その掌には一振りの棒が握られていた。全体に細工が施されており、ただの木の棒には見えない。

何より、男の身の丈ほどもある長さである。どこにどうやって隠していたのか、トウマには、皆目見当がつかなかった。

「食えないもんでも、都で売りゃあ金になるしな」

 棒の先端をこちらに突きつけるかのようにしながら、男。棒の先端には、槍のように鋭利な刃物がついているわけでもない。しかしトウマは、切っ先でも向けられたかのような感覚を持った。

 右手が、震える。

「だったら、寝ている間に勝手に奪えよ」

 トウマは、相手を睨み据えた。だが、右手の衝動のままに剣を抜き放つことはしなかった。まだ、抜けない。抜くべき敵ではない。相手は人間。ただの人間に過ぎない。

 剣は、敵を殺すための武器だ。

「はっ。なにもわかっちゃいねえな」

 男が、あきれたように得物をくるくると回転させた。

「トウマ!」

 クロウの鋭い叫びに、トウマは、瞬時に視線を旋回させた。

 周囲の木々の陰から、それは、一斉に飛び出してきた。

『我ら霊山綾王りょうおうが眷属!』

 角を持つ怪物の面を被った白装束が、十二人。身の丈から体格までばらばらではあったが、統制の取れた動きは、余程の訓練を積んだ成果なのだろう。

白鹿はくろく十二神将!』

 直刀、曲刀、槍、戟、鎌、弓などなど、それぞれ思い思いの武器を手に、トウマたちを包囲する布陣を取っていた。剥き出しにされた敵意は、ただ抑えることを知らないだけのようにも思えた。

「そして俺が、霊山綾王シエン様だ。そんな卑劣な真似できるかよ」

 男の声には、どこか自嘲しているような節があったが、トウマは特に気にすることもなく、男へと向き直った。

 無論、仮面の連中への警戒も怠りはしない。が、一番厄介なのは、シエンという男だろう。

「山賊行為が肯定されて、寝込みを襲うのが駄目な理由がわからないな」

 トウマは、頭を振ってからクロウを一瞥した。クロウもまた、力の行使をためらっている様子だった。銀狼の力ならば、白装束の連中など、あっという間に一掃してしまいそうではあるが。

 いや、だからこそ恐ろしいのだろう。強大な力の行使は、時として、自分の心へと突き刺さる無数の刃となる。

「正々堂々宣戦布告――しただろ?」

 びしっと棒の先端を向けてきた男に対し、トウマは、醒めた目を向けるしかなかった。

「結局、やっていることに違いはないだろう?」

「違うさ」

 男の双眸が、鋭い光を放ったように見えた。

「少なくとも、建前はな!」


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