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桃魔剣風録  作者: 雷星
18/42

第四章 犬と村と再会と(四)

「クロウ!」

 トウマは、森の闇に消えた少年の残像に伸ばした手をそのままに、立ち尽くしていた。背後で囁き合う村人たちの小声が、不快で耳障りだった。

 トウマは、村人たちを一瞥すると、すぐさまクロウの後を追いかけた。

 ミズキは、この黒火の村にいるのかもしれない。いや、ほぼ間違いなくいるのだろう。今朝、クロウに案内されたばかりだ。

 青河の激流に飲まれて失われた体力を回復するためには、ある程度の休息が必要なはずだ。例え、あの男が鬼の如き存在であったとしても。

 心の底から欲した仇敵との再会が、目の前にぶら下がっている。

 復讐の機会が、そこに転がっている。

 手を伸ばせば、簡単に届く距離だ。

 しかし、トウマの脳裏にあるのは、クロウが別れ際に見せた表情だった。悲しみに染まった横顔。あざやかな金色の瞳。

 淡く揺らめき、儚く輝く。

 彼は、泣いていた――

 その事実が、トウマの胸を締め付けるのだ。今朝方知り合ったばかりの少年のことでしかない。命の恩人とはいえ、そこまで肩入れする必要もなければ、見てみぬ振りも許されるはずだ。

 しかし、どうしようもなくやるせない感情が渦巻き、トウマを突き動かしていた。

 村人たちのまなざしに、覚えがある。崩壊した霊樹の本殿で見た光景と、よく似ていた。数多の悪意。ひとの意識の奥底に蠢く醜悪な本性。

 その暴威に立ち向かうことは、人間であろうとするものには、許されない。

 村という小さな世界で生きていくしかない弱い人間には、村の意志を覆すことなど出来ないのだ。例え、そこに非違があったとしても、黙って付き従うしかない。

 クロウもまた、黒火の村人なのだろう。であるが故に、村の意志に逆らわなかった。村人たちの容赦のない苛烈な仕打ちにも、耐え抜こうとしたのだ。

 化け物。

 村人たちが口々に告げたその言葉の意味を図りかねてはいたものの、トウマには、もはやどうでもいいことのように思えた。

 クロウを追いかけなければならない。彼がなにものであろうと、ここで見失ってはならない気がした。

 そう、魂が叫んでいる。

 森の中をひた走る。

 いつまでたっても変わらない景色。

 道なき道を進むたびに濃くなっていくのは、妖夷特有の瘴気。人間の意識を掻き乱し、狂気を駆り立てる。

 森の歩き方も、クロウの行き先もわからないトウマには、あの少年の気配を覚えていることだけが救いだった。弱々しくも、どこかに強烈な光を抱いた気配。

 その、いまにも消え入りそうな気配の残滓を辿って、突き進んでいく。木々を掻き分け、草花を踏み越え、岩を飛び越えて。

 咆哮が聞こえたのは、そのときだった。

「なんだ……?」

 トウマは、驚いて足を止めた。獣の咆哮だった。大気を駆け抜けた叫びは、森全体を震わせるように響き渡り、木々が激しく揺さぶられた。

 ざわめきが、トウマの意識を包みこみ、視野を広げていった。いくつもの殺気が、闘争が近いことを告げている。

「あっちか!」

 咆哮がした方向に向き直ると、トウマは、意識の赴くまま駆け出していた。急激な傾斜を駆け上っていく。

 地を這うような奇怪なうなり声が聞こえた。ひとの神経を逆撫でにするその声音は、妖夷のものに違いなかった。

 急勾配を上り詰めると、そこは、やや開けた空間だった。

 丘の上。

 なぜか木々の密集は失われ、草原のような広場になっている。頭上には晴天が輝き、三方を木々に囲まれている。

 あきれるほどに清々しい青空の下で繰り広げられるのは、数十の妖夷と一頭の獣による殺戮演舞。

「あれは……!?」

 トウマは、飛び掛ってきた猫のような妖夷を、銀の尾の一撃で叩きのめした狼の勇姿に慄然とした。

 醜悪な化け物の群れに囲まれながらも、その銀狼は、一歩も怖じることはなく、恐ろしいほどの気迫と気品を以て妖夷に対峙していた。

 その足元に転がる妖夷の亡骸は、ほとんど一撃の下に葬られているのが見て取れた。爪の一閃、牙の一撃、あるいは強烈な尾の一打。

 しかし、銀狼は、返り血ひとつ浴びていない。紅く染まっているのは、敵を切り裂いた爪と、敵を噛み千切った口元ぐらいだ。

 その俊敏な動作には、微塵の無駄もなければ、付け入る隙さえ見当たらない。

 黄金の瞳が、妖夷の動きの一切を見逃さず、放たれる殺気から行動を予測し、攻撃の前動作を潰してそのまま粉砕した。

 例え、攻撃の刹那に飛び掛って来たとしても、妖夷如きでは捉えきれない反応速度で回避し、迎撃する。

 トウマは、その戦い振りに圧倒される反面、高揚する自分を認めた。

 そして、銀狼に集中する。

 いま、妖夷の群れと戦っている銀狼は、夜の河岸で見た狼に違いない。金色の瞳に宿る悲しみが、それを伝えていた。

(悲しみ……?)

 トウマは、銀狼の瞳に揺らめく想いが、あの少年のものときわめて酷似していることに気づいた。だが、トウマの思考は、背後からの妖夷の奇襲に妨げられた。

「っ!」

 足首になにかが絡みつく感覚と、いくつもの敵意が殺到するのを認識して、トウマは、剣の顕現を意識した。右手の甲に刻まれた剣の霊印から、光が爆発的に噴出し、瞬く間に一振りの刀を形成する。

飾り気のない無骨な刀。刀身に刻まれた文字だけが、異彩を放っている。

 トウマは、背後に向き直りながら足を一瞥した。足首に絡みついたのは、人面の蛇――恐蛇きょうだ。その崩れた男の顔が、笑いながら這い上がってくる。口の中に見え隠れする毒牙を首筋にでも突き立てるつもりだろうか。

トウマは、ふっという息吹とともに、足に巻きついた恐蛇の胴に剣を突き刺した。妖夷が、悲鳴とともに体をくねらせた隙に、前方へと飛び出す。視界を埋めるほどの妖夷が、間近に迫っていた。

(時間稼ぎか!)

 恐蛇がのたうつ物音を背後に、トウマは、上空から滑空してくる鳥型刃翼はよくと、草原に隠れながら接近する鉄鼠てっその群れ、そして、虎型の妖夷・天虎てんこに対応した。

 真っ直ぐ、走り抜けることで飛来した刃翼の鋭利な翼をかわし、地を這うように殺到してきた鉄鼠の群れは飛び越え、天虎のみを狙う。この妖夷の群れの中でもっとも凶悪な力を秘めているのが、天虎であることを、トウマは知っていた。

 剣が、教えてくれる。

 天虎。巨躯だ。銀狼よりも一回り大きく、赤みがかった黄色の体毛には、黒の縞模様が入っており、背中からは人間の頭髪と思しきものが垂れ下がっている。眼孔には、妖夷特有の緑色の光が点り、戦闘態勢のまま、トウマを睨みすえていた。

 その肉体が、躍動する。

「!」

 天虎は、地を蹴って飛び上がったかと思うと、その背中から伸びていた黒髪を大きく広げた。それは、まるで漆黒の翼のようであり、天虎の巨体は、その翼を羽ばたかせて飛翔した。

 天虎は、トウマの頭上を越えていく。銀狼を目指すのだろう。

 トウマは、天虎を追おうとしたが、刃翼の群れがそれを許さなかった。刃翼は、こちらに狙いを絞ったのか、トウマの周囲を飛び回って、着物を切り刻んだ。切られたのは、着物だけではない。トウマの肩や背中、太腿にも、鋭い痛みが走った。

「邪魔をするな!」

 苛立ちのあまりトウマは叫んだが、意味はなかった。足元では、大量の鉄鼠が蠢いている。小さいとはいえ、鋼の体毛に覆われた化け物だ。踏み潰せるはずがない。

 鉄鼠如きに食い殺される心配はないとはいえ、わずかな痛みでも蓄積すれば厄介だ。

トウマは、剣を振り回して刃翼を追い散らすと、足元に剣を突き立てた。大量の鉄鼠がひしめき合っているのだ。ただ、剣先を地面に向けて下ろすだけで、妖夷の背中に刺さった。そのまま剣を振るって、数十の鉄鼠を吹き飛ばす。

 すぐさまその場を飛び離れると、トウマは、追ってきた刃翼の羽を切り落とした。視線は、天虎を探してさ迷う。夥しい妖夷の死体に囲まれた場所に、天虎はいた。

 銀狼と、対峙していた。背中の黒髪を威嚇するように広げてはいるが、銀狼には、まったく意味を為していなかった。

 銀狼が、跳ぶ。天虎から放たれる強烈な殺気などものともせずに、悠然と、敵へ殺到する。

 天虎は、後退した。気圧されたのかもしれない。が、それは悪手に違いない。銀狼に勢いをつけただけだ。

 銀狼が、吼えた。天虎も負けじと声を張り上げたが、それはただの虚勢にしか聞こえなかった。

 トウマは、つぎつぎと刃翼を切り捨てながら、天虎の圧倒的敗北を見ていた。

 銀狼の前脚に輝く獰猛な爪が、天虎の顔面を切り裂いた。どす黒い血潮が飛び散る。天虎は、不快な悲鳴を発しながら、身を翻した。逃げるつもりなのだろうが、それを許す銀狼ではなかった。

 銀狼は、一瞬にして天虎の前方に回りこむと、逃げ道を塞がれたことで発狂した妖夷の首筋に噛み付き、そのまま頭部と胴体を分断した。

そのとき噴き出した血が、ようやく銀狼の顔面を紅く染めた。

 妖夷の巨体が倒れると、さっきまでトウマの足元を走り回っていた鉄鼠たちが、一斉に森のほうへ走っていた。刃翼の姿も見えなくなっている。ほかの妖夷たちも、いつの間にか姿を消していた。

 天虎が妖夷の群れの頭で、その頭が倒されたから、統率が取れなくなって解散したのだろうか。

 妖夷の習性などわかるはずもなく、トウマは、呆然と周囲を見回した。

森の中の丘に広がる草原。

横たわるのは、夥しい数の化け物の死体。

青空の下には似合わない光景だと、トウマは、想った。

 そして、銀狼の視線に気づく。

 こちらをじっと見つめるのは、黄金の瞳。あの少年と同じ、透き通った輝きを湛えていた。

 確信を抱く。

「クロウ……なんだろ?」

 トウマは、銀狼に笑いかけた。ほかにどういう顔をすればいいのかわからなかったのだ。

「!?」

 銀狼は、びくっとすると、瞬時に踵を返した。その場から立ち去ろうとしている――

「待て!」

 トウマは、声を張り上げていた。胸を締め付けられるのは、なぜだろう。

「クロウ! 別におまえを嫌いになったわけじゃない!」

 それは本心だった。

 クロウが人間であろうがなかろうが、彼への感謝や慈しみといった感情が急変するはずもない。

 銀狼が、わずかにこちらを振り返る。その寂しげな姿に、トウマは、泣き出したい気分になった。湧き上がる感情を抑えられない。

「話をしよう」

「ぼくは、化け物だよ?」

 銀狼が、言う。クロウの声音で。優しくも軽やかな声で。

「俺だって化け物さ」

 トウマは、笑った。涙が頬を伝ったけれど、構わなかった。クロウの前では、ありのままの自分でいられるような気がした。

 それが気のせいでもいい。

 いまのトウマには、クロウの光が必要だった。

「トウマのどこが化け物なの!?」

 銀狼が、素っ頓狂な声を上げながら、トウマに駆け寄ってきた。その銀狼の表情にクロウの片鱗を見て、トウマは、噴き出すしかなかった。

 トウマは、目の前まで近づいてきた銀狼の思いのほか大きな体に驚きながら、その首に両腕を回した。

「ほら、おまえを捕まえられるほどに」

 銀狼の体を覆う銀毛からは、妖夷特有の死臭などはまったくなく、むしろ、獣らしい臭いだけがあった。

「トウマ」

 銀狼がきょとんとしているのを、トウマは、気配だけで理解した。

「ぼくは……」

 クロウの声が、震えている。いまにも泣き出しそうな震え方だった。

トウマは、銀狼の耳元で囁くようにいった。

「クロウはクロウだろ?」

「うん……」

「それでいいじゃないか」

 トウマは、銀狼の頭を撫でながら、その言葉を自分にも言い聞かせているような気になって、憮然とした。

 しかし、すぐに表情を変える。銀狼が、頭を撫でられて、心地よさそうに目を細めたからだ。

「俺は、クロウと話がしたいんだよ」




「化け物なんかじゃないよ、ほんと」

 トウマが、涙ぐむクロウの頭を撫でながらつぶやいたのは、頭上に満天の星空が広がってどれくらいたってからだろう。

 森の丘。

 クロウ曰く、黒陽の丘。

 妖夷の死体は、一箇所に集めて焼却処分した。あの大量の死体をわりと早く処分できたのは、火吹き石のおかげだった。

 焼け残った骨は、土の下に埋めた。クロウは、丘に埋めるのを嫌がったていたが。

 さっきトウマがつぶやいたのは、クロウが銀狼から少年の姿に戻ったのを見たからだ。裸身の少年の両手首と両足首に、紋様が輝いていたのだ。まるで枷のようなその刻印は、剣印と同じく、こえを聞いたものにのみ発現する、霊なる印に違いなかった。

 つまり、クロウの狼変化は、彼が化け物である証明ではなく、霊印の能力に他ならなかったのだ。

 無から剣を生み出す印があるのだ。肉体が狼に変化する印が在ったとしても、おかしくはない。

 だれもが度肝を抜かれるだろうが。

「で、なんでまたこんなところに?」

 トウマは、地面に胡坐をかいて、夜空を仰いでいた。

「ここからだと、黒火の村が見渡せるから」

 トウマの胡坐の上にちょこんと座ったクロウが、遠くを見るように言った。当然、裸ではない。女物の着物を身に纏っている。木陰に隠していたらしい。

 トウマは、視線を前方に戻した。クロウの頭の向こう、丘の上から見渡す森の中に、あの小さな村があるのだろう。

 夜の月明かりでは、あまり見えなかったが、小さな霊樹の存在だけは確認できた。

「ちょっと前に、ね」

「ん?」

「ぼく、村を追い出されたんだ。あの姿を見せちゃったから」

 クロウが、自嘲気味に言う。

巨躯を誇る銀狼の姿を人前で曝せば、どこの村であろうと、同じような対応をしたかも知れない。得体の知れない力など、村という小さな世界に不協和音を導くだけだ。

「でもね、母さんは生きてるんだ。みんな嘘をついてた!」

 クロウの言葉が激しくなっていくのを、トウマは、冷静に聞いていた。

「だって!」

 クロウは、トウマから離れて立ち上がった。その目には、涙が溜まっていた。

「だって! ずっと一緒にいたんだよ? 母さんに育ててもらったんだもん!」

 母からもらったという着物が、閃いている。

「ここだって!」

 トウマは、クロウの言葉に一片の曇りもないことを理解しながらも、なにかがおかしい、と想っていた。

村人の主張と噛み合わない。

クロウの言うとおり、村人が嘘をついているのかもしれない。

が、言い知れぬ違和感が、トウマの頭を混乱させていた。

「母さんに連れてきてもらったんだ!」

 クロウが、泣き叫ぶように言ったとき、爆音が轟いた。闇夜の静寂を破壊する轟音。

『!?』

 村の方からだ。

 ふたりがそちらを見やると、黒火の村が、轟然たる炎に包まれていた。


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