第8話 実紅お嬢様の素敵なお部屋
「――こういったところが露先くんの仕事でしょうか。ここまでは大丈夫ですか?」
お館の廊下を歩きながら、使用人として今後どう振る舞うべきなのか、永森さんから説明を受けていた。
「ええ、だいたいは」
どうやら、これから僕は風祭四姉妹全員ではなく、一人ひとり順番に担当について身の回りのお世話やフォローをしていくことになるらしい。
この方針には、僕も安堵した。
どういう仕事をしていいかわからない中で、いきなり四姉妹全員のお世話なんてできるはずがないから。
「なので、最初は実紅さまのお世話をすることになりますね」
「実紅さま……」
四姉妹の中でも一番小柄な銀色の髪のあの子か。
でも小柄なわりにはおっぱいはとても……。
いやいや、これから僕は実紅さまのお世話をしないといけないんだ!
雑念で汚すようなことはやめないと!
「実紅さま。永森です。露崎くんを連れてきました」
扉の向こうの実紅さまに向けて声を掛ける永森さんだけど、一向に返事がない。
「どうしたんでしょう?」
「実紅さまのことですから、まだ寝ているのでしょう」
永森さんは、こちらを振り向くと、扉に手のひらを向けた。
「それでは、ここからは露崎くんの担当ですので。あとのことはお願いしますね」
「えっ、もう僕一人でやらないといけないんですか?」
「あまり多くを教えるなというのが、お嬢様たちの意向ですから」
「でも、寝ているのを起こしてもいいものなんですか?」
「ええ。いつものことですから。実紅さまは少しばかりお寝坊さんなんです。それでは、私は別の仕事がありますので」
軽やかに去ってしまう永森さん。
「……仕方ない。やろう」
どちらにせよ、ここで何もしなかったら、僕はここから追い出されてしまうのだから。
「実紅さま、失礼します」
静かに扉を開け、実紅さまの部屋に入る。
「げっ……」
ついつい変な声が漏れちゃった。
立派な洋館の一室なだけあって、どこぞのお姫様が住んでるような部屋ではあったんだよ。
散らかしっぱなしの、汚部屋でさえなかったら……。
読みかけのマンガや脱ぎっぱなしの衣服や、普通に転がっているゴミなんかもあって、まさに悲惨な状況だった。
とても美少女が住んでいい部屋じゃないよ……。
そして、この部屋の主は、部屋が汚いことなんて一切おかまいなしでベッドですやすや眠っていた。
「よくこんなところで寝られるなぁ……」
もしかしたらゴミに見えても実紅さまの大事なものかもしれないから、踏まないように気をつけてベッドの方へと向かう。
「実紅さま、朝ですよ~」
昨日大食堂に集まったときの実紅さまは、大きいパーカーを被っていたんだけど、そのパーカーは足元に脱ぎ捨ててあって、今は初遭遇のときと同じ大きいTシャツ一枚という格好だった。
投げ出された足の腿はぷにっとしていて、Tシャツの裾が盛大にめくれているせいでやたら凝ったデザインのパンツが見えてしまっている。
その上、寝ていてもわかる大きな胸が、呼吸に合わせて上下しているから、とにかく目のやり場に困る人だ。
でも、ここで起こさないことには、僕の使用人としての評価が低くなって、この館から追い出されてしまうかもしれない。
変な下心に惑わされている場合じゃない。
「実紅さま、起きてください」
僕は、実紅さまの肩に手をおいてゆさゆさゆする。
そのたびに胸元がプリンみたいに揺れちゃう。
……できるだけ見ないようにしよう。
「ん……なんだ?」
「よかった。起きてくれて」
「む。そうか、今日も茜ちゃんに起こしてもらう日だった」
「あの、違うんですよ、今日はですね――」
実紅さまは、突如として上半身を起こしたと思ったら、僕の首に腕を回してきて、そのまま引き込んだ。
そして唇にやってくる、あまりに柔らかい感触。
寝起きだっていうのに、やたらと甘い匂いがして、僕は昇天しちゃいそうになっちゃったけれど、そうもいかない。
「みみみみ、実紅さま!? 違うんですよ! 僕です、永森さんじゃないんです!」
「なんだ。律くんか。メイド服だからどっちがどっちかわからなかった」
「実紅さまが着ろって言ったようなものじゃないですか」
「いいじゃないか、似合ってるんだから。それより、おはようのキスくらいで大騒ぎするな。これくらい普通だろ。いつもの挨拶だ」
「本当ですか!?」
「本当だとも。茜ちゃんにはいつもやっている。なんだ。きみはわたしのことを信じられないのか?」
「いや、それは永森さんに聞いてみないことには……」
「それなら、このわたしがそう言っていたと茜ちゃんに聞いてみろ。わたしの言う通りになるから」
「その言い方じゃ実紅さまの立場が強すぎますよ。使用人として否定できないじゃないですか……」
初っ端から実紅さまにペース乱されっぱなしだよー。
昨日見たときは、口調も見た目のわりには大人びているし、もっとちゃんとした人だと思ったんだけど……。
「しかしきみは、キス程度で大騒ぎするんだね」
「うう……」
「気にすることはない。きみの言い分を信じれば、男性が能動的に女性に言い寄らないとセックスできない奇妙な世界から来たのだろう? キス程度でも、難易度は我々が考えるよりずっと高いのだろうから」
「だ、ダメですよ、朝からそんなセッ……ほら、そういうこと言ったら」
なんか僕の方が恥ずかしくて体が熱くなってきちゃった。
ど、どうしよう、顔まで赤くなってたら……。
恥ずかしいなぁ、男子なのに下ネタで動揺しちゃうの。
「……抱きてぇ」
「えっ? 今、何か言いました?」
「……なんでもない。きみの空耳だろう」
すんっ、と澄ました顔をしているから、実紅さまの言うとおり僕の聞き間違いなのだろう。
それより今は、使用人としての仕事を優先するべきだ。
能力不足と判断されて、追い出されないようにしないと!
「あの、初日からこんなこと言うのも失礼かもしれませんけど」
「なんだ?」
「お部屋、片付けませんか?」
「片付いてるだろう?」
「えっと、どこをどう見れば?」
「いいかい? きみは勘違いしているようだ。どうして片付けなんてすると思う?」
「単純に部屋を綺麗にして生活環境を良くするためっていうのもあると思いますけど、モノを整理すれば、どこに何があるか把握できるじゃないですか」
「それならきみに文句を言われる筋合いはないな。第一にわたしは健康的で、ここ数年は病気をしたことがない。つまりこの部屋は十分に清潔が保たれているということ」
「そうなんですかね……?」
「そして第2に。わたしはこの状態でも、どこに何があるか把握している。きみからすれば無秩序でも、わたしからすればこれこそ秩序なのだよ」
「ほ、ホントですかねぇ……」
「疑っているようだな。では、試しに制服のリボンタイを探し当ててみせよう」
実紅さまはベッドから降りると、床に散らばるゴミや衣服を平気で踏んづけて歩き、本棚の手前で立ち止まった。
「目を瞑って探し当ててやろう。む。これだ」
一旦しゃがんで、手に取ったそれは。
大事な部分以外は透けているにも程がある真っ赤な布製品。
「……それ、実紅さまのパンツじゃないですか!」
「これはわたしのリボンタイだが?」
「絶対違いますよ」
「ふっ。これが我々の世界のリボンタイなのだよ」
「僕でもそれがウソってわかりますよ。侮らないでください」
「はいはい。さーせんした~」
なんかちょっぴり腹立つ顔しながら舌をベロベロする実紅さま。
変なところでクソガキ化する人だな……。
でも、まだ高校一年生だからこんなものなのかな。
ちょっと前まで中学生だったわけだし。
「やっぱりどこに何があるかわかってないじゃないですか。あとで部屋を片付けましょうね」
「仕方ないな。きみが一緒にやってくれるのならやぶさかではないが」
「それはもちろん手伝いますよ」
「ほう。本当かね」
なんだか嬉しそうな顔になる実紅さま。
よかった。こういうところは、親しみを感じられるかも。
実紅さまが着替えると言うので、僕は部屋の外で待つことにした。