第42話 いつもと違う瑠海奈さま
邪悪な合コン騒動があった、週明けの朝。
お館での仕事をする間も、僕は気が気じゃなかった。
瑠海奈さまが、いつものように大学へ行ってしまったからだ。
あれだけの大騒動になったのだ。
僕が風祭家の使用人だと知られて、瑠海奈さまが周囲の人たちから攻撃されるんじゃないかと心配だった。
そして、夕方。
瑠海奈さまが帰宅する時刻、僕は永森さんと一緒にお館の前で待機していた。
「ただいま……」
瑠海奈さまはいつものように僕にカバンを任せてくれるんだけど、僕の方にちっとも視線を合わせようとしなかった。
ど、どうして?
これまでは、どれだけ厳しい態度でも、視線すら合わせないなんてことはなかったのに!
「る、瑠海奈さま、まさか学校で壮絶ないじめに遭われたのでは!?」
そんなことになったら、僕のせいだ。
「はぁ? 何言ってんの?」
「だって、瑠海奈さまが落ち込んでいるようでしたから、僕がよほどの失態をしてしまったのかと……先日のことで、心当たりだってありますし」
「こ、この前のことであんたになんの心当たりがあるのよ!? いやらしい気持ちからしたわけじゃないんだから!」
「えっ? いやらしい気持ちって……どういうことです? 僕はただ、瑠海奈さまの学校生活が心配なだけで。これ、そんなに邪ですか……?」
「ち、違うわ! そういう意味じゃないのよ。何を勘違いしてるのかしら」
瑠海奈さまは顔を真っ赤にさせる。
よほど僕は見当違いで恥ずかしい発言をしちゃったんだろうな……。
「言っておくけど、あんたが想像するよりずっと状況はいいわよ。なんだったら、あの合コンの前よりずっと過ごしやすいくらいだもの」
「ほ、本当ですか!? よかったぁ……あ、でも、真坂から嫌がらせされませんでした?」
「あの様子なら、当分大人しくしているでしょうね。どうもあなたのことをあたしの強烈なストーカーだと思ってるみたいでね。厄介な女に関わるのはもう御免だとでも思ってるんじゃないかしら」
いくら真坂だって、屈強な門番が二人いるのに突破してきて、暴力でねじ伏せようとしたら逆に絞め落としてくるような人がそばにいるような女性と無理に関わろうとは思わないか。
「それならよかったです。もし今後あいつに何かされたら言ってくださいね。また絞め落としてやりますから」
「真坂のことになるとやたらと好戦的になるけれど、あいつと過去になんかあったの?」
「いえ、そんなことは! ただシンプルにムカつくヤツなんで」
「あんたが毒づくのもレアよね。それとも、そっちが本性なのかしら?」
「ま、まさかぁ。な、なんです?」
瑠海奈さまが、チラチラとこちらを訝しげに見ていた。
あっ、これ疑われてる?
「本当ですよ、僕はオラつくの苦手なんですから!」
「わ、わかってるわよ! ベッドで意地悪なこと言って焦らすタイプじゃないってわかってるし!」
「瑠海奈さまの中で僕のキャラ変なことになってませんか!?」
「ば、バカね! このあたしがあんたの妄想で抜き散らかすわけないでしょ! 久華や実紅じゃあるまいし……そんなにしないし」
「え、瑠海奈さまが……」
「もう! これ以上余計なこと言ったらクビよ!」
「すみません!」
学校では何事もなく済んだというのは本当なのだろう。
僕と一切視線を合わせようとしなかったことは気になるものの、部屋へと向かう瑠海奈さまの足取りは軽く、憂鬱な雰囲気は一切ないどころかむしろ賑やかですらある。
瑠海奈さまにお供して、部屋で着替えを始めた瑠海奈さまに背中を向けたときだ。
相変わらず僕を男性として扱っていないというか、まあ、僕は使用人って立場だから仕方がないんだけど。
「そういえば、あんたに言いそびれたことがあったわ」
「な、なんです?」
「…………」
「む、無言はやめてくださいよぉ。怖いじゃないですか」
「ありがと」
「え?」
「ありがとうって言ったのよ! もう! 2度も言わせないで!」
背中にとすんという音が響く。
別に痛くはなかった。
拳じゃなくて、たんにおでこをぶつけてきただけみたいだし、なんとなく、照れ隠しなんじゃないかって思えたから。
「お礼を言われるようなことじゃないです。使用人として、大事なお嬢様を危険にさらすことはできませんから」
うっかり僕は振り向いてしまった。
瑠海奈さまは着替え中なのに。
案の定というべきか、瑠海奈さまは下着姿のまま。
この世界では男性と比べて、選ばれる側の女性の方が圧倒的に美意識が高いみたいで、瑠海奈さまの下着も男子の僕には目に毒なくらい挑発的なものだった。
暴力と言っていいくらいの恵まれた胸ははみ出しそうだし、細い腰とその下は、なんか、すっごい食い込みだし……凝視なんてできないよ。
「あ、すみません! ついうっかり……」
僕は慌てて背中を向ける。
事故的なものとはいえ、僕はこれのせいで瑠海奈さまから初対面の印象が最悪だったんだから。また激怒されちゃう。
「ふふっ」
けれど背後から聞こえてきたのは、怒るどころか喜んでいる感じのする声で。
「あんた、あたしの肌を見ただけでそんなにあわあわしちゃうの?」
「当たり前じゃないですか~!」
この人は何を言ってるんだろう、ってつい思っちゃったよ。
「瑠海奈さまの肌なんて、僕じゃなくても見たら恥ずかしくなっちゃいますよ!」
「そう? 見るだけで恥ずかしいなら」
「わっ!」
「触れたらどうなっちゃうのかしら?」
外はほんの少し固めで中はふんわりな感触が、僕の背中で潰れる。
おかしい。
いつもの瑠海奈さまじゃない。
瑠海奈さまが、半裸状態で僕の背中に密着するはずがないんだから!
「え、ニセモノ……?」
「誰がニセモノよ!」
「よかった、いつもの瑠海奈さまだ」
「あたしの普段のイメージってどんなの?」
抗議する瑠海奈さまなんだけど、その間もおっぱいが僕の背中でふよふよしている。
「いつもの瑠海奈さまはこんなサービスしてくれないですから!」
「サービスじゃないわよ、このあたしにドキドキするあんたをちょっとからかってやりたくなっただけよ」
「な、なんだ、そういうことでしたか……」
「それで納得されるのも複雑なんだけど?」
「でもしょうがないじゃないですか。瑠海奈さまみたいな美人が下着姿でいたら誰だってドキドキしちゃいますよ」
「び、美人って! あんたはまた!」
僕の肩を掴んで揺さぶってくる瑠海奈さま。
そんな変なこと言ったかな……?
「そ、そういえば一つ聞きたいことがあるのですが!」
「なに? スリーサイズなら絶対教えないわよ。上から92……」
「違いますよ! ていうか教え始めてるじゃないですか! そんなことよりですね」
「そんなことって何よ!」
「瑠海奈さまの大学に、織井愛李という方は通われていますか?」
「織井……愛李……?」
「はい」
「あんたの何なの?」
冷たい声が響くんだけど、僕の背後にいるのはまだ下着姿の瑠海奈さまだから、振り返れない。
「いえ、僕が元いた世界の、その、知り合いと言いますか」
「知らない人だわ」
「この間の合コンに参加されていませんでした?」
「あの合コンは、他の大学の子もいたみたいだから。真坂は顔が広いからね。ああいうイベントを主催するとき、色んな学校の子を集めてくるのよ」
そうか……それなら、もしかしたら愛李ちゃんは、こっちの世界でも僕が通っていた高胡大学に在籍しているのかもしれない。
「ありがとうございます」
一度、確かめてみよう。
高胡大学に、愛李ちゃんがいるかどうか。
会ってどうするかなんて考えてない。
でも、一度愛李ちゃんと会わないことには、このモヤモヤは解決しそうになかった。




