第37話 瑠海奈さまの意地
「すみません……僕、何もできなくて」
瑠海奈さまの隣に並んで、講義室がある二階への階段を登る間、僕は申し訳に気分になっていた。
「別にいいわよ。変に動かれたら、余計面倒なことになるだけだったから」
「面倒なこと?」
「そう。あんたの言う通りあたしだって、あのムカつく男代表みたいな真坂に、顔面パンチの贈り物付きでお断りしたかったわよ」
「そうですよ。いつもの瑠海奈さまならそうしていたはずなのに……」
「何? バカにしてんの?」
「ち、違いますよー。瑠海奈さまはいつでも堂々としている方ですから、嫌なら嫌とはっきり口にするはずです。それなのに、普段と違って控えめだったので、不思議で仕方がなかったんですよ」
瑠海奈さまは、困ったような顔でため息をついた。
「あの真坂って男は本当に面倒なのよ。あんたも見たでしょ? あんなヤツでも、女子の大半はあいつのことが好きなの」
「ダメですよ! あんな性格悪い人に引っかかったら!」
「あんたにしては感情的になるわね。でもわかるわ。本当に腹が立つから」
「それならどうして……金的キックくらいしちゃってよかったのに!」
「だから、あんたにしては好戦的すぎない? ……あの男が面倒なのは、女子にとても人気だからよ。表立って雑に扱うわけにはいかないの。そんなことをしたら、女子の間であたしの悪評が広まって、あたしの人間関係は終わっちゃうわ」
この世界では、男性は希少種。
数少ない男性を奪い合わないといけないから、こと男性に関して、女性たちは僕が想像するよりずっとピリピリしているのだ。
人気の集まる男子から誘いを受けているのに、それをあっさり無碍にしたら、この世界の常識に照らし合わせれば嫉妬と反発を買ってしまうのだろう。
「……いくらあたしに人気があったとしても、しょせんは女だから。男の人気者に比べれば、あたしの存在や影響力なんてちっぽけなものよ」
悔しそうに瑠海奈さまが言った。
瑠海奈さまが今日、使用人の僕を友達という名目で連れてきたのは、本当は心細かったからなのかもしれない。
男性が極端に少なく、女性が男性の好意を集めることに必死なこの世界では、女性同士の友情なんて、男性の機嫌一つで崩壊してしまう危ういものなのだろう。
そんな中で、気軽に友達といえる相手を見つけるのは、とても難しそうだ。
「……すみません。僕はたいして知りもせずに」
「別にいいわよ。それより、真坂主催の合コンをどう乗り切るかの方が大事よ。あいつが主催する以上、出席しないわけにはいかないもの」
「僕もお供します!」
「ダメ」
「えっ?」
「これはあたしの問題だから。純礼姉さんにも、久華にも、実紅にも、誰にも頼らずにあたしだけでどうにかしないといけないの」
「で、でも、絶対に危ないってわかってる場所に行かないといけないんですよ? いざというときのために、みんなに教えておいた方がいいんじゃ……」
「だからよ。あたしの問題に、みんなを巻き込むわけにはいかないから」
「こういうときこそ協力しないといけないんじゃないんですか……?」
「みんなに余計な負担を掛けたくないのよ。これくらい、あたしだけでどうにかできるわ。あんたが来るずっと前からそうやって来たんだもの。今回だってできるに決まってる」
瑠海奈さまは、僕を置いてさっさと先へ行ってしまう。
「告げ口したら、あなたはその時点でクビだから」
「そんな……」
「あたしはこれからそこの講義室で講義だから。あんたはその辺で時間潰してなさい。変な女に引っかからないようにしなさいよね。助けるのがめんどくさいから」
瑠海奈さまが講義室の扉をくぐってしまったら、部外者の僕はもう立ち入ることができない。
「真坂主催の合コンなんて、どう考えても無事に済むはずがないよ」
風祭家の使用人として。
いや、真坂洸太郎がヤバイ奴だってことを一番知っている者として。
瑠海奈さまが無事に済む方法を、どうにかして考えないといけない。
それにしても、僕は相変わらず真坂にばかり原因を求めて、愛李ちゃんのことを責める気になれないみたいだ。
最後は愛李ちゃんからもひどい態度を取られたけど……それでも、ほんの短期間でも一緒に暮らせていたときのいい思い出を捨てきれないのかもしれない。
「そうだ。真坂がこの世界にもいるってことは、愛李ちゃんも……?」
真坂洸太郎が、この世界にもいる以上、当然そんなことを考えてしまうんだけど、今は瑠海奈さまをどうやって危険から遠ざけるか考えるので精一杯で、新しい問題を増やしたくなかった。




