第29話 久華さまの料理の腕前
早朝。
いつものように久華さまの早朝トレーニングに付き合って、ランニングをしているときだった。
「久華さま」
「なんだよ?」
「今日の久華さまは、いつもと調子が違うと言いますか……」
最初の頃は久華さまのトレーニングについていくだけで精一杯だった僕も、毎日のトレーニングに付き合うことで、以前ほどの疲労は感じなくなってきた。
でも、今日ほど楽に久華さまのランニングについていけてしまうのは、僕に体力がついたからじゃなくて、久華さまがトレーニングに身が入っていないということ。
「トレーニングといえど、集中できていない状態だったら怪我をしてしまうんじゃないですか?」
「ちっ、姉ちゃんたちだけじゃなくて、お前もかよ。そんなにあたしは普段と違うか?」
「この次のスパーリングまで体力が残っていそうと感じる程度には……」
「わかったよ。今日のトレーニングはこれで終わりだ。ちょっと来い」
そして連れてこられたのが、お館の中の厨房だった。
普段はここを仕切っている永森さんはおらず、厨房で何をする気だろうと身構えてしまう。
久華さまは冷蔵庫から食材を引っ張り出すと、キッチンの前で料理を始めた。
トップアスリートな久華さまのことだ。
体作りには栄養が大事だし、料理が得意でも何もおかしいことじゃない。
「突っ立ってねぇで、そこで座って待ってろ」
「あ、はい!」
僕は、厨房にあるちょっとしたテーブルの近くにある椅子に腰掛けた。
「ほらよ。食ってみろ」
そして出てきたのが、お皿に乗った真っ黒な物体。
「なんすかこれ、なんなんすかこれ!」
「玉子焼きだ。見てわかんねえのかよ?」
「こんなの料理じゃなくて焼死体ですよ……」
「バカだな、料理は見た目じゃねぇ、味だ! 食えばわかる!」
久華さまはとっても必死で、僕に消し炭が乗ったお皿を押し付けてくる。
口に入れたらすっごくじゃりじゃりしそう……。
「なんだよ、食わねぇのか? おいおい、あたしの料理が食えねえとでも?」
これは、食べないとクビになる流れ……。
でも、こんなものを食べて体調を崩したら、使用人としての仕事に支障が出て、仕事に穴を開けるヤツは使用人失格! とかで結局クビになるんじゃないの?
それならここは、食べる以外に選択肢なんて……。
「いや、無理すんな。別に食わなくてもいい。マズいことはあたしだってわかってるから」
「わかった上で僕に薦めたんですか……?」
「どれだけマズいか知っておいてもらおうと思ったんだよ」
ひどいや、久華さま……。
「でも、どうして急に料理を?」
「あたしは学校では、並ぶ者がいないトップアスリートなんだ」
「久華さん以上の人がいるのは想像できないですね」
「トップアスリートは栄養管理も万全。そんなイメージが先行して、周りの奴らからは料理は全部あたし自身でやってるってことになってる」
「久華さまの素晴らしい運動能力を考えると、イメージはしやすいんですが」
「けどな、あたしの言う事を真に受けた後輩が、『先輩を見習いたいので、今度料理を教えてください!』っつって、来週末うちに来ることになったんだ」
「ああ、もしかしてここ最近ずっと悩んでいたのはそれが理由ですか?」
「なんだよ、知ってたのか?」
「すみません。この前、永森さんと相談しているところを見ちゃいまして」
「まあいいさ。そっちの方が話も早ぇし。茜にも教わろうとしたんだが、なかなか上手くいかねぇ。茜からは、茜がつくった料理をあたしがつくったことにして出してみたらってことを言われたんだが、あたしを慕う後輩にウソはつけねぇだろ。くそっ、どうしたもんかなー」
頭を抱えてしまう久華さま。
久華さまに、こんな義理堅い一面があったなんて。
正直、トレーニングやスパーリングに付き合わされたときは、なんて横暴な人なんだと思ったけれど、こうなると違った捉え方ができそうだ。
だから僕も、久華さまの力になりたいって思ったんだ。
「わかりました! 大丈夫、まだ時間はあります! お料理の特訓をしましょう! 僕も付き合いますから」
「お前、あの壊滅的な料理を見てそれ言うのか? 玉子焼きすらできねぇんだぞ?」
「失敗作を作ってしまったのは、久華さまの料理経験が浅いからです! 久華さまだって、トレーニングを積んだ結果、トップアスリートになったわけですよね? 料理だって練習、練習ですよ」
「……お前の言う通りかもな」
ふっ、と久華さまが笑ったと思ったら、僕にスリーパーホールドを仕掛けてきた。
なんで?
そして、相変わらずちっとも極まっていない甘噛みみたいな絞め技だった。
「お前も生意気なこと言うようになったな! なんだぁ、あたしに優しくして誘ってんのか? 言っとくが、一度火がついたあたしは制御不能だぞ! 昨日なんて朝昼晩で三回元気に抜いたくらい溜まってっかんな!」
なんて性欲の強さだ……。
でも、もしかしたらこれは久華さまなりの照れ隠しなのかもしれない。
そう考えるのは、人が良すぎるのかなぁ。




