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第18話 純礼さまを慰めるつもりが……

露崎つゆさきくん」


 退勤時間を迎えたとき、水鳥みずどりさんから呼び止められた。


「今日はありがとう。あなたを雇ってよかったよ」

「はあ、ありがとうございます」


 純礼さまのことがあるだけに素直に喜べない。


「純礼ちゃんのフォロー任せちゃってごめんね。でも、純礼ちゃんも落ち込んでると思うんだ。平気そうに振る舞ってるけどね」


 やっぱり、そこは純礼さまの親友というだけあって、純礼さまのことを理解しているのだろう。

 お客様にも水鳥さんにも迷惑を掛けてしまったことに変わりはないわけで、優しい純礼さまが気にしていないはずがない。


「だから、帰りにこれで頼むわ」

「なんです、このお金?」

「純礼ちゃんのこと、慰めてやって」

「ああ、一緒にお酒でも飲みに行きなさいって意味ですね。でも僕20歳じゃないんですよ」

「違う違う、ホテル代よ。めっちゃくっちゃに抱いてやれば、嫌なことも忘れるから」

「なんでそうなるんですか!?」

「なんでもなにも。あなたがぶら下げてるそれは女の子を幸せにするためにあるものでしょ? それを使わないなんて、人として、男性としてどうかと思うよ」


 あまりに真剣な表情の水鳥さんに諭されそうになる。

 あれ? なんか僕の方が悪い雰囲気になっちゃってる?


「……すみません、冗談です。きっちり抱いてやりますよ」

「うん。お願いね」


 僕の世界の常識は、この世界では非常識なんだ。

 余計なことを言って常識を知らないヤツと思われたらクビになっちゃうかもしれない。


 純礼さまのフォローをするためにも、今僕はここを辞めさせられるわけにはいかないんだ。


 流石に本当に純礼さまをお抱きすることは無理だから、このお金は何か別の目的で純礼さまのために使うことにしよう。


「今日は律くんに何度も助けられてしまったわ。大変だったでしょう?」


 送迎用の車の後部座席で隣同士になっているとき、純礼さまが言った。


「そんなことはありませんよ。人生で初めてのバイトなんですよね? ミスがあって当たり前です」

「律くんはノーミスでとても優秀だったわ」

「僕は過去に飲食店のバイトの経験がありますから。それに、家庭の事情が特殊だったので、家事関係に関しては上達せざるを得なかったんです」

「あら? そうだったの?」

「両親を早くに亡くしまして。その後は親戚中をたらい回しにされたんです。預けられた先の人に迷惑を掛けちゃいけないと思って、家事や雑事は積極的に引き受けました。まあそれでも、しばらくしたら別の親戚に預けられちゃうんですけど――」


 言い終わらないうちに、僕はふんわりとした感触と甘い匂いに包まれていた。

 純礼さまが、僕を包み込むように抱きしめてくれていたのだ。


「辛いことがあったのね」

「いえ、大丈夫ですよ。もう慣れましたから。僕はよそ者なわけですし、両親もそれほど親戚との交流があったわけじゃないですから、厄介者扱いされても仕方がないです」

「そういう理由で自分を納得させてはダメよ。両親を亡くして傷ついた子どもを預かってるというのに、よそ者扱いして軽く扱うなんて、傷口を広げるようなものじゃない。そんな無責任な大人、許されるはずないでしょう? あなたが悪いと背負い込まないといけない理由なんてどこにもないわ」


 不思議と、純礼さまの言葉は僕の中にスッと溶け込んできた。


 これまでの僕には頑ななところがあって、他人に生い立ちを話すと、似たようなことを言われたこともあったんだけど、そのたびに僕は、「でも勝手に厄介になってるのは僕の方ですし」なんて言い方で突っぱねてきてしまっていたのに。


 純礼さまは、おっちょこちょいと言うには度が過ぎているところもあるけれど。

 とても優しい人だと思った。


 たぶん、水鳥さんが、純礼さまが何かとうっかりしていても、頭ごなしに叱ることをしないのは、こういう優しさを失ってほしくないからかもしれない。


「それなら、純礼さまも今日のことで落ち込みすぎないでくださいね?」

「大丈夫よ。もう全然落ち込んでいないから。私じゃなくて、あのツルツル滑るお皿の方が悪いと思うことにしたわ」

「そ、それはそれで問題ですけど……」

「冗談よ。これ以上律くんのお世話になるようなことはしないわ。私はあなたより歳上なんですもの」


 日頃の純礼さまから鑑みるに、すぐさまノーミスの完璧なお嬢様に生まれ変わることはないだろう。


 それでも、落ち込まない純礼さまからは、言いようのない安心感を覚えてしまった。

 別に僕は、純礼さまがどれだけミスしようが、何度でもフォローするつもりなんだけど。


「しまった」

「どうしたの?」

「いえ……」


 水鳥さんとの約束を守れなかった。

 純礼さまを抱いて慰めるはずが、逆に抱かれて慰められてしまったのだから。


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