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第13話 憂鬱な実紅さま

 異変を感じたのは、実紅さまが帰宅したときのことだった。


「おかえりなさいませ、実紅さま」

「うむ……」


 実紅さまは、送迎用の車から降りるなり、気のない返事をしただけでさっさと部屋へと向かってしまった。


「どうしたんでしょう? 元気がなかったような……」

「実紅お嬢様は元々クールな方ですが、今日は不思議としょんぼりしている感じがしますね」


 僕と永森さんは、二人して首を傾げることになった。


「昨日まで、僕をぬいぐるみ扱いしてあんなにはしゃいでたのに……」


 いや、僕がぬいぐるみ扱いされていたときのことを思い出すのはやめよう。

 実紅さまと久華さまが僕の体まで洗おうとしていたんだけど、瑠海奈さまが助けてくれたから無事に済んだのだった。


 あんな恥ずかしい目に遭うのはもうごめんだよ……。


 気になって実紅さまの部屋まで行ったんだけど、実紅さまの態度は冷たかった。


「今日から、きみの入室を禁ずる」

「ええっ!? 僕、なんかやっちゃいました?」

「きみだけじゃない。姉さまたちもだ。誰も入って来ないでくれ」

「そんな……」

「食事は時間になったらてきとうに部屋の外に置いておいてくれればいい」


 そう言うと、実紅さまは僕をグイグイと部屋の外まで押し出した。


「実紅さま、いったい何が……」


 実紅さまの部屋の扉を見つめてうんうん唸っても、答えは見つけられそうもなかった。


「――実紅お嬢様がですか? うーん、露崎くんに問題があったとは思えませんけど」


 厨房にて、永森さんの夕食作りを手伝いながら訊ねてみたんだけど、実紅さまの異変に心当たりはないようだった。


「――あら? 実紅ちゃんはどうしたのかしら?」


 夕食の際、実紅さまのいない席を見つめて、純礼さまが心配そうにしていた。


「それが……実紅さまは帰ってくるなり部屋にこもってしまいまして。食事は部屋で摂ると」

「へー、珍しいな。あいつはあたしと違ってインドア派だけど、食事だけはみんなで摂ってたのにな」

「どうしてそれを早く言わないの!」


 怒りながら立ち上がったのは、瑠海奈さまだった。


「深刻な体調不良かもしれないじゃない!」


 使用人として働くようになってわかったんだけど、瑠海奈さまは誰よりも姉妹のことを気にかけているように見える。


 瑠海奈さまが実紅さまの部屋へ向かうと言ったら、僕もただ大食堂の隅で控えてるだけってわけにはいかない。


「実紅! いるんでしょ!? 出てきなさい」


 実紅さまの部屋の前までやってきた瑠海奈さまが、扉をどんどんと叩く。


「ちょ、ちょっと待ってください、瑠海奈さま」

「なに? 邪魔する気かしら?」

「いえ、無理に引っ張り出そうとしても、逆に頑なになるだけかと……そうだ、ちょっと待っててください」


 僕は急いで大食堂へ引き返すと、実紅さまの分の夕食をトレイに乗せて、実紅さまの部屋の前まで戻って来た。


「実紅さま、言われた通り夕食を持ってきました。扉の前に置いておきますので! ……瑠海奈さま、こちらへ」


 僕は瑠海奈さまと一緒に、部屋の扉から少し離れた位置へと引き下がった。

 すると、ゆっくりと扉が開き、いつものパーカーに包まれた腕がにゅっと伸びてきた。


「今だ!」


 僕は、扉が閉まる前に足を滑り込ませてストッパー代わりにした。


「実紅さま! 話を聞かせてもらいますよ!」

「こら。入ってくるなときみに言っただろう?」

「僕も初めは、実紅さまの意向を尊重しようとしました。でも……」


 僕はちらりと、隣の瑠海奈さまに視線を向ける。


「お嬢様たちがみんな、実紅さまのことを心配していたので。事情次第では、実紅さまの意向に従いますけど、そうじゃなかったら」

「もういい。わかった。きみがしょんぼりしてどうする。まるでわたしが悪いみたいじゃないか」

「あんたが悪いのよ?」

「瑠海奈姉までわたしを責めるか……」

「実紅さまにそのつもりはなくても、そう受け止められかねないことをしたってことですよ」

「説教は苦手だ。入れ。正直に話す」


 実紅さまにくっついて部屋に入ると、起動しているゲーミングパソコンが目についた。


「あっ! 引きこもってゲームばっかしてたのね!」

「そうだ」

「あんた、悪びれもせず……」

「絶対負けられない戦いがあったからな」

「そんな大事な戦いが? ゲームでですか?」


 僕は訊ねた。


「うむ。実はわたしは、学校ではゲーム部に所属していてな」

「へー、そんな部活動があるなんて、トレンドに敏感な学校ですね」

「そのゲーム部では、部員の実力によってランク付けがされているんだ。今日、新人向けのランキング戦があったわけだが……わたしは一位になる気満々だったのに、大事なところで負けて二位になった」

「それじゃ、ゲームで一位になるために引きこもってまで練習してたわけ?」

「うむ。そうだ。実を言えば、今もコントローラーを握りたくてうずうずしている」

「まるで禁断症状ね」

「焦る気持ちを抑えられないんだ。少しでも何もしない時間があれば、ますます差をつけられそうで」

「……実紅、夕食は特別な用事でもない限り、姉妹揃って一緒にって決めたわよね?」

「悪いのだが、今一番大事なのはご飯なんかのことじゃないんだ」

「あなたね!」

「ま、待ってください! 怒ったらダメですよ」

「部外者が口を出さないでくれるかしら?」


 瑠海奈さまの鋭い視線に射抜かれてしまう。


「瑠海奈姉はわたしが思い通りに動かないとすぐピリピリする。わたしをいつまでもちっちゃい子扱いするな。自由にさせろ」

「生意気ね。あんたの世話をしてあげたのは誰だったかしら?」

「たいして年齢なんぞ変わらないだろ。マウント取りが鬱陶しいな」


 マズい。

 姉妹喧嘩が勃発しそうだ……。

 この調子で二人が怒れば、とばっちりで僕に火の粉がとんできて、クビにされる横暴もありえるかもしれない。


 いや、そんなことよりも。


「ま、待ってください! ケンカはダメです!」


 気づくと僕は、二人の間に割って入っていた。


 家族を失った僕としては、姉妹が仲違いするところを見たくなかったから。

 そもそも瑠海奈さまは、実紅さまを心配してここまで飛んできたんだ。

 このまま黙って仲違いさせるわけにはいかない。


「僕にいい考えがあります!」


 瑠海奈さまも、実紅さまも、「は?」って顔をしているけれど、ここでめげたらいけない。


「実紅さまは、みんなと夕食を食べるべきです」

「……きみには失望したよ。わたしの従者として信頼を置いていたのだが」

「違いますよ。これは実紅さまのためなんです」

「わたしの味方のフリして結局瑠海奈姉の言いなりじゃないか」

「いいですか、実紅さまがゲーム部に所属しているということは、e-Sportsが主な活動ということですよね?」

「そうだが?」

「e-Sportsということは、これも一つのスポーツなわけで、実紅さまもアスリートということ。アスリートが結果を出すには、日々の体調管理が大事で、今の実紅さまのように不規則な生活では本来の実力を発揮するためのコンディションが保てないということです!」

「む……」


 実紅さまを怯ませることができた。

 この調子で……。


「実紅さまが負けてしまったのも、そこに原因があるんじゃないですか? それなら、生活習慣を改めてベストなコンディションをつくれば、実紅さまが頂点に君臨するのは十分に可能ということ!」

「確かに、ランキングバトルのときはわたしもちょっとキレがなかったような気がしてきた……」

「どうです? 僕と一緒に規則正しい生活を始めませんか?」

「きみと一緒に……か。まあ、試すだけならやってみてもいいだろう」

「よかった。じゃあとりあえず、この夕食は大食堂の方へ持っていきますね! みんな待ってますよ」


 僕は、トレイを再び手にとって、大食堂へと向かう。


「やるじゃない」


 なんて瑠海奈さまの声が聞こえたような気がしたけど、瑠海奈さまが僕を褒めてくれるとは思えないから、きっと気のせいだよね。


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